世界でも有数の豪雪地帯を抱える「日本」。そこには、様々な雪の夜の営みがある。寒く、厳しい雪の夜が醸し出す…「静寂」「恐怖」、そして「人恋しさ」。凍てつく雪の夜だから故に生まれる…「日本の味」。 しんしんと降り積もる雪の闇夜、その閉ざされた時との狭間で、私たちに日本人は何を思い、何を感じ、何を生み出してきたのか。BSプレミアム「新日本風土記」「もういちど、日本」と連動したオムニバス構成でお届けする。 ●北越雪譜 ~江戸時代の名著の舞台・豪雪地帯“秋山郷”の暮らし(新潟-長野) ●三寺まいり ~“男女が互いに見初め会う”伝統の場(飛騨) ●深夜の除雪車 ~大雪との格闘ドキュメント(旭川) ●銘酒 ~雪夜が生み出す新酒の妙味、杜氏の一冬(長岡) ●雪女 ~"女神"か"鬼"か…、各地で異なる「雪女」の結末
戦乱の世を生き抜いた城。そびえたつ天守。建てられた当時の姿を留める城の数は、全国で12に過ぎない。その城は、なぜ建ち続けてきたのか。 冬から春へ。北から南へ。現存する12天守をめぐる旅。それは、城がいかにして今日まで建ち続けてきたかを知る旅となる。 長野県・松本城は、城を守り続ける神様と、その神様を守り続けた藩士の末裔を紹介。 愛知県・犬山城は、歴代藩主を務めた成瀬家の、最後の城主の長女・淳子さんを紹介。 滋賀県・彦根城は、堀をめぐる屋形船を運営する地元の若い経営者達を紹介。 兵庫県・姫路城は、50年前の「昭和の大修理」の際、腐ってしまった城の心柱を新しくするため、地元の神社のご神木が寄進されたことを紹介。 国宝の城をはじめとする日本各地の現存12天守の美しい城の姿と、人と城の様々なエピソードを描いていく。
今や城ブーム。日本人はなぜ城にひかれるのか。 荘厳な天守。優美な屋根。堅固な石垣。防御の砦として、権力の象徴として築かれたはずの城が、今では地域のシンボル、文化として愛されるようになっている。 様々な顔を併せ持つ日本の城。その強さと美しさを支える人々の営みと共に、城の魅力に迫る。 「堀」「杭」「泥」「石」「積」「伝」「強」「櫓」「穴」…など城の魅力を一文字で題して、それぞれの仕組みや、関わる人を紹介。そこに見えてくるのは、城とは何か、どのような視点で見たら楽しめるか、城はどのような文化を残してきたのか、これから先の未来に向かって城は何を残そうとするのか。 現代になって親しみやすさも兼ね備えた、歴史と地域の文化を伝える装置としての城を徹底分析する。
「刈安(かりやす)」「梔子(くちなし)」「萌葱(もえぎ)」。すべて色の名前である。日本人には、わずかな色の違いを巧みに表現する色彩感覚があるという。その多くは、古都・京都で生まれ今も息づいている。かつての日本は色の峻別が少なかったといわれるが、大陸から様々な文物が流入してから、日本人の色彩感覚は急速に目覚め、新たな色を生み出してきた。絶え間なく「色彩の革新」に挑戦し続けてきた京都人の姿を描き、日本人の美意識を浮き彫りにする。
世界自然遺産に登録された「知床半島」。太古の昔から、故郷を離れ新天地に活路を見出す者たちや、この土地の豊かな恩恵に預かろうとする者たちへ、北の土地は厳しい試練を与えてきた。自然を克服しようとする戦い、自然と折り合う知恵。暮らしの中には、今もその歴史の跡を見ることができる。美しさを極める極寒の四季の移り変わりの中に、自然と向き合う日本人の暮らしの一端を見る。
日本最大の湖、琵琶湖。近江の人々の暮らしを守ってきた命の水。「この世の美のすべてがある」と讃えられてきたその湖畔には、水と日本人の懐かしい風景が今も守られている。 昔から多くの文人墨客が訪れ、その美しさを称えてきた。石山寺から眺める名月に源氏物語「須磨」の着想を得たという紫式部。晩年をこの地で暮らし、多くの句を詠んだ松尾芭蕉。「行く春を近江の人と惜しみける」。湖畔の美しい情景を浮世絵「近江八景」として繰り返し描いた歌川広重。そこに描き出された野山の自然、暮らし、光と影の移ろいには、水辺に生きる人々への温かい眼差しが感じられる。 今も比良山系の伏流水を暮らしに使う集落では、琵琶湖に注ぐ水を汚さない慎ましい暮らしを保っている。琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)は神の領域とされ、神主や僧侶も巡礼者たちも戒めを守る。そして珍しい伝統漁法を守り、店も車もない湖の島に暮らす漁師たち。 人と自然の織りなす美しい琵琶湖の景観、俳句、浮世絵を織り交ぜて描く映像詩。
全国各地の様々な「花園」。 季節が巡るごと、刹那の美しさに多くの日本人が、心を和まされ、癒され、時には励まされてきた。 広大な荒れ野をたった一人で50年間かけて花園に仕上げた人、失った戦友を想い荒れ果てた河川敷を彼岸花いっぱいに蘇らせた人、コンクリートジャングルのわずかなスペースに花を植え、都会に花のオアシスを生んだ人。日本各地の花園をみていくと、かけがえのない人生の瞬間や家族の思い出が原風景となり、一輪一輪の花に託されていることに改めて気づかされる。 番組ではそうした人々の心の奥底に宿る花への思いを通して、日本人の心情や美意識を美しい映像と共にひもといていく。
日本三景、安芸の宮島。平清盛や豊臣秀吉ら、時の権力者たちの信仰を集めたこの島には、貴重な文化・芸術、宝物が集められてきた。海に浮かぶ朱塗りの巨大な寝殿作り、世界遺産・嚴島神社。平清盛が奉納した金銀水晶が散りばめられた国宝・平家納経。平安絵巻を今に再現する祭りの数々。 しかし島の魅力はそれだけではない。ここは太古の昔から神の島として崇められてきた特別な場所であった。中世まで人が住むことが許されず、今も島に暮らす人たちは、幾つものしきたりを守って暮らしている。正月でもないのにしめ縄を飾る風習、死者の埋葬を忌みとし、亡くなった人は島外に葬ること。神の使い・鹿を傷つけないこと。さらに木を切ることや耕すことも禁忌とされてきたため島の大半に手つかずの自然が残る。弥山原始林は嚴島神社と同様、世界遺産に登録され、700種類以上の植物が密集する生き物たちの楽園となっている。 この他にも紹介されることの少ないポイントはいくつもある。島の最高峰・弥山(みせん)の山頂は、巨石が積み重なる修験道の聖地となっている。ここには空海が灯したという伝説の「消えずの火」があり、修行僧が交代で守っている。また戦後の食糧難の時代、禁忌の島の例外として国が募集した、島の裏側の開拓農家たち。岩だらけの土地で今も耕作を続けている。暮らしの中に神が溶け込む島、宮島。その魅力をたどる物語。
ガラスのように透き通った、日本一の水質を誇る清流が、高知県の中央を流れている"仁淀川"。 全長124km。西日本最高峰・石鎚の森に端を発し、小枝のような支流を悉く集め、末は黒潮の土佐湾に注ぐ。その雄大な流れは、豊かな動植物の生命を支え、独特の川文化を育み、人と川が響きあう風景を紡ぎながら流れる。 上流の川沿いにある保育園では、夏場、プールの代わりに子供達は皆、川で泳ぐ。どんな石が滑りやすいのか、どんな所の流れが強いか、子供達は身をもって学んでいく。中流に欠かせない風景といえば、沈下橋。これは、増水時、水面下に沈む事を想定した橋で、水の抵抗を軽減させるため、欄干がない。日本人が、自然にあらがうのではなく、自然のリズムの中で川と調和して生きていた時代を偲ばせる。下流では、かつて、世界で最も薄い和紙・典具帖紙で栄えた町がある。今は、祖父から技術を受けついだ、たった1人の若者が、仁淀川で生きる誇りを胸に和紙を漉き続けている。 かつては日本中どこでも見られたであろう清冽な川の流れ、そして水辺の情景。仁淀川が魅せる14篇の物語が、人と川の原風景を描き出す。
今回の新日本風土記は夜の東京の物語。 一日1500万人が行き来するといわれる街「東京」。 日が暮れて、夜になると東京はひときわ輝きを増す時間を迎えます。 文明開化以来、日本人は東京の夜を光で照らし、昼とは違う夜だけの空間で大切な時間を過ごしてきました。 男女の愛を優しく見守る老タクシードライバー、裸電球の灯りの下で育まれる酔客たちの絆、都市の躍動感を光で演出するライティングデザイナー、電飾の眩しさに情熱をたぎらせた集団就職の元少年、ひと夜の出来事をきっかけにメジャーデビューを目指して歌うK-popグループなど、人々の夢と希望・葛藤が交錯する大都会「東京」の昼間とは違った顔を訪ねます。 【主な取材地】 ・新宿思い出横丁 ・歌舞伎町 ・表参道 ・新大久保 ・六本木ヒルズ ・東京タワー ほか
日本人にとって特別な食べ物「コメ」。数千年前に渡ってきて以来、日本人の社会を変え、国土を変え、信仰にも影響してきました。日本の各地には、その歴史の移り変わりを示す、遺跡や史跡、生活が残されています。コメとともに育まれた、日本人の心の原風景を訪ねる旅。コメに愛情を努力を注ぎ続ける人と出会う旅です。 ●“神の田” 伊勢神宮で神へ捧げられるお米は「神宮神田」という特別な田んぼで作られます。その責任者・山口剛さんの米作りを春から秋まで追いました。 ●“コメがクニを作った” およそ2500年前の水田が復元された佐賀県の「菜畑遺跡」。日本最古の稲作がどのようなものだったのか。弥生時代の「吉野ヶ里遺跡」でどう変わったのか。「クニ」の始まりの物語。 ●“海から来た赤米(アカゴメ)の神” コメの伝来経路のひとつといわれる長崎・対馬の漁師には、赤米を神としてまつる不思議な神事が伝えられます。 ●“130年の大工事”福岡・筑後川流域を稲作地帯へと変えた江戸時代の堀川用水。取水口の山田堰は、現在の技術者が見ても驚く高度な技術が使われています。水門を代々守る番人の姿とともに描きます。 ●“北海道稲作の父”いまや数々のブランド米を生み出す北海道。かつては不可能とされていた稲作に挑戦したのが明治の開拓者、中山久蔵。その人生をかけた品種「赤毛」の物語。 ●“神に捧げるコメ”今年の新嘗祭にコメを献上することになった、富士のふもとの農家の1年。
憧れの高級魚「ふぐ」。縄文遺跡からふぐの骨が見つかるほど、日本人は古くからふぐを食べてきた。ふぐは、身が固く、脂肪もほとんどない珍しい食材で、海外では見向きもされない。一つ間違えば、毒にあたり、命を落とす危険もある。しかし、日本人は、ふぐの白身に秘められるうま味に取り憑かれ、死と隣り合わせの美味を味わってきた。 その成果のひとつがふぐ刺し。料理人はぎりぎりまで薄く引き、身の固さを歯ごたえの良さに様変わりさせる。下関の職人たちは、切磋琢磨の中から特別な技も生み出した。さらに、ふぐ鍋。身を固くさせるコラーゲンが熱でプリプリの食感に変わり、うま味に彩りを添える。 ふぐのおいしさを追い求める歴史は、一方で、毒との戦いでもあった。ふぐは食いたし、命は惜しし。ふぐ食べたさに迷信にすがった庶民。せっかく集めた大軍勢の力を、集団ふぐ中毒で削がれた豊臣秀吉。毒におびえながら食べた一夜を句にしたためた松尾芭蕉。明治に入り、ふぐ解禁のために、伊藤博文がうったと伝わる一芝居。滑稽にまで見える情熱は、現代科学では解明できない不思議な毒消しの知恵をも生み出した。 白身魚の美味しさを極める中、一分の隙もないまでに高められた日本人の食文化に迫る。
私たち日本人は事ある毎に自然に両の掌を合わせて頭を垂れる。自分の願い事の成就、鎮魂、自分以外の人の幸福、そして、見知らぬ誰かの遠い未来の安寧まで、それぞれの地方に長く語り継がれてきた祈りの形と対象…。そこに行けば、生きる活力をもらえるような場所…。 番組はそんな祈りの“聖地”を巡る。山頂付近に7メートルもの石が奇妙な形で重なっている熊本の「拝ケ石巨石群」。小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトリーダーが最大のピンチに直面した時に祈りを捧げに向かった岡山のとある神社。真冬、極寒の津軽海峡に裸で飛び込む北海道木古内町に伝わる「寒中みそぎ祭り」など。 自然信仰、霊場、寺社仏閣、祭り、そして、パワースポットと呼ばれる現代の民間信仰の世界まで、沖縄から北海道へ日本列島を縦断し、多様な祈りの場面から日本人の心の風景を描き出す。 <オムニバス項目(抜粋)> ● 山頂に巨石が立ち並ぶ古代のパワースポット…熊本市内西部、金峰山近くの河内町東門寺にある不思議な場所「拝ケ石巨石群」。 ● 科学者も祈りを捧げた聖地…小惑星探査機「はやぶさ」が絶体絶命の大ピンチに陥った時に、プロジェクトリーダーが向かった神社。 ● 伊勢神宮の祈りの森 ● 先だった我が子に花嫁、花婿人形を奉納し結婚させる風習…津軽、賽の河原地蔵尊 ● 極寒の北海道で続く祈りの祭り「寒中みぞぎ祭り」
「みちのくの小京都」と呼ばれる角館。江戸時代に城下町として栄えた古い町並みが人気の観光地です。一歩踏み込むと、今も代々続くしきたりを守って暮らす人々の姿があります。武家の石黒家は、当時建てられた武家屋敷に暮らしながら一般に公開することで、伝統や屋敷を守っています。商家の田口家は、山神やお稲荷さん、三峯さんなど様々な神を崇め、信仰の数だけしきたりを伝承。商いの繁栄と心得を保ってきました。殿様だった佐竹北家には、現代のお姫様が健在。守護神を祀る祠を守っている。正月に一度だけ開かれる祠には、精巧な造りの武人像が秘蔵されていました。街が最も活気づく秋祭りの「山ぶつけ」。男達が曳山の運行で勇壮さを競う中、巧みな駆け引きが要となり、祭りを一層奥深いものにしています。 角館で代々続いてきた武家、商家、農家、殿様の家々を半年間にわたって記録。各家で今も守られる独自の風習と暮らしを味わう旅。
江戸一番のワンダーランド「浅草」。浅草寺の観音さまを中心に、浅草神社、雷門、それから、連なる赤提灯、演芸場に成人向けの映画館…。聖と俗、信仰と娯楽が混ざり合って共存し、威勢の良い江戸っ子がかっ歩する。 その浅草の熱気が一年で一番高まるのが「三社祭」。その昔隅田川から観音さま(仏)を引き上げたという三社さま(神)をまつる、神さまと仏さま一緒になった浅草らしいお祭りだ。特に今年は祭りが始まって700年という記念の年。昨年は震災の影響で中止になったこともあって、江戸っ子たちの盛り上がりはかつてない。 ストリップ小屋でお笑い芸をみがいた芸人さんや、人情あふれる飲み屋のおかみさん、70代の野球小僧たち、それぞれが人生を謳歌する浅草。春先から5月の三社祭りまで、祭り囃子に血が騒ぐ江戸っ子の心意気を描く。 <オムニバス項目(抜粋)> ●浅草の原点「舟渡御」復活! 浅草の観音さまは、628年隅田川の漁師の網の中に一体の尊像として現れたことに始まる。三社祭はこれにまつわる三人(漁師の浜成(はまなり)・竹成(たけなり)、土地の有力者土師中知(はじのなかとも))を三社さまとして崇める祭り。もともとは神輿を舟に載せ、隅田川を渡御(とぎょ)する「舟祭り」だった。氏子たちの強い思いから、斉行700年にあたる今年、舟渡御が復活。 ●浅草の中心「観音さま」 浅草寺は24の支院が支える聖観音宗の総本山。観音とは「音を観る」仏のこと。「音」とは人々の声なき声のこと。苦しみや願いをすべて受け入れる、それが浅草の観音さま。 ●「お笑いの東大」 かつて浅草のストリッ
手軽な庶民の味として日本人に愛されてきたうどん。コメの国・日本は稲作を中心に語られるが、その裏で雑穀の歴史も紡がれてきた。米が満足に食べられなかった庶民は、小麦を育て、手間暇かけてうどんを作り、ささやかな贅沢を楽しんだ。五穀豊穣を祈る神への捧げものとして。僧侶の修行の中の楽しみとして。うどんは今なお日本人にとって大切な食べもの。日本人の知恵と工夫が育んだ「うどん」を通して日本の歴史を見つめ直す。
清流、長良川の上流に位置する岐阜県郡上市八幡町。夏の夜、この町の人々は盆踊りに酔いしれる。7月から9月にかけて毎年、三十三夜にもわたって盆踊りを開催し、しかも、お盆の4日間は夜8時から朝5時まで徹夜で踊り明かすのである。「郡上おどり」と呼ばれるこの盆踊りは、江戸時代、時の藩主が士農工商融和のために奨励したものと言われている。 郡上おどりは「見る踊りではなく、踊るための踊り」。会場に見物客はいない。地元の人も観光客も、老若男女一緒になって一晩中踊り明かすのだ。町では、そんな踊り好きな人たちのことを、親しみを込めて「踊り助平」と呼ぶ。 夜、踊り助平たちは城下町の風情を残す町中の路地に集まり、その真ん中に太鼓や三味線を演奏する囃子方と歌い手が乗り込んだ「屋形」を置いて踊りの輪を作る。先祖への思いを抱きながら踊る人、夏休みの夜を友達と一緒に楽しむ子ども、郡上おどりが縁で知り合った男女。踊りの輪にはさまざまな人の姿がある。 この「踊りの町」郡上八幡には、今も古き良き日本の風景がたくさん残っている。江戸時代に作られ今も生活に利用されている水路。川で元気いっぱい遊ぶ子どもたち。互いに支え合い絆を深めるための組織、頼母子講(たのもしこう)。この土地の風土・風習の1つ1つが郡上八幡という町を作りあげてきたのである。 400年もの間、盆踊りを続けてきた郡上八幡の人々。皆で踊ることで彼らは何を得てきたのか。そして、日本人にとって盆踊りとは何か。郡上八幡のひと夏を見つめる。
本州の北端の地・青森を作家・司馬遼太郎は「北のまほろば(素晴らしい土地)」と呼んだ。その秋は最も豊穣な季節。山々は木の実が実り、赤や黄色に鮮やかに染まる。河には鮭が故郷を求めて上ってくる。田んぼには黄金色の稲穂がたわわに実り、頭をたれている。 そして人々は海の幸、山の幸に感謝しながら、1年の苦労の成果を喜ぶ。それが東北の秋。東日本大震災をへて、大自然への畏れと感謝が共にある東北の秋。その秋の物語を描く。
今回の舞台は、日本海最大の離島・佐渡。いつのころからか、押し寄せる波が時代を吸い寄せ、閉じ込めて、今も暮らしの隅々に"失われた日本"をとどめる。 芭蕉も詠んだ荒波の先。千年の昔より、佐渡は"鬼も住むこの世の果て"と恐れられた。順徳天皇、日蓮、世阿弥ら時代に翻弄され流された都人たち。悲しみとともに携えてきた都文化は、佐渡の厳しい気候風土と相まって独自の形に進化し、今も暮らしに息づいている。人なつっこい"ムジナ(たぬき)"や多種多様な"地蔵"への厚い信仰。豊作を祈願する村総出の"薪能"。そして、島の各地に伝わる"鬼太鼓"。かつて恐れた"鬼"は"ヒーロー"となり、若者たちの姿を借りながら集落の平安のため命がけで太鼓を打ち鳴らす。 佐渡が流刑の地から"憧れの島"となったのは、江戸時代。突如現れた"黄金"が全国から人々を引き寄せた。急激な人口増加により切り開かれた山野の千枚田。築きあげた先祖に思いをはせながら、今も人々が昔と変わらぬコメ作りを続ける。 番組では、日本を凝縮した豊かな自然、荒波が恵むブリ漁なども紹介。トキも羽ばたく、懐かしくも不思議な島、人々をひきつけてやまない佐渡の姿を描く。
小津安二郎らの映画の舞台となり、多くの観光客が訪れる瀬戸内航路の要衝・尾道は、坂と路地の町。目の前に海が迫り平地が少ないため急斜面に町が発展し、細い路地が縫うように広がっている。坂の上には飛鳥時代から寺院が建てられ、中ほどには明治時代からの木造建築が立ち並ぶ。車が進入できない幅の路地は、今も生活の場。坂道を人々が行き交い、家々からの声が聞こえ、匂いが漂う。 坂ばかりで車が入れない町は、高齢者にとっては住みづらい所でもある。それをカバーするために今も隣近所の繋がりが強く、そういう生活に憧れて移住してくる若者も多い。漁師の住む路地のお好み焼き店には、ご飯を持参すると焼き飯にしてくれるという独特の習慣が残る。漁のため両親が不在がちになる子供たちに温かいものを食べさせたいという、助け合いの心から生まれた習慣だという。 歴史の町、港の町、そして昭和の香りの暮らしが残る町・尾道を、坂と路地から見つめる。
群馬・新潟・福島の境に、最も空に近く巨大な湿原「尾瀬ヶ原」がある。国立公園の中でも特に貴重な自然があることから特別保護区に指定されている。ミズバショウをはじめ、約300種の草花が、世界でも希な景観を成し、年間30万人以上が訪れる。 尾瀬ヶ原の自然美を支えているのは冬の「大雪」。一年の半分以上、尾瀬を閉ざす深い雪は、春になると雪解け水となり、湿原の隅々にある命を潤す。水はやがて流れ下り、麓の暮らしの命の糧を恵む。尾瀬が生み出す「豊かな水」。その水が生んだ光景と、水とともに生きる人々の営みを見つめる。 ●天空の大湿原 木道からは見られない尾瀬ヶ原をカメラ付き小型ヘリコプターで空中散歩。 ●夏の幻の光景 年に数回しか現われない白い虹。星空を映す池塘等、夏の絶景。 ●尾瀬の味 尾瀬の山々の噴火でできた土壌が育む大豆と尾瀬の湧き水で作る極上豆腐。 ●最後の開拓者 尾瀬に最も近い所に暮らす老夫婦の、湿地に抗って、湿地に救われた開拓史。 ●檜枝岐歌舞伎 役者も裏方もすべて村人が担い、尾瀬の山の神に捧げる江戸以来の娯楽。
京都・東山、八坂神社の門前町として発展してきた「祇園」は、300年以上の歴史をもつ花街。細い路地に、昔ながらの紅柄格子のお茶屋が50軒以上、軒を連ねている。夕暮れ、お座敷に向かうのは美しく着飾った芸妓と、舞妓。国内外から訪れる多くの観光客にとっては憧れの的だが、芸舞妓が客をもてなすお茶屋は、「一見さんお断り」。彼女たちの本当の姿を見ることはほとんどない。 番組では、その知られざる世界を長期間取材した。お客に披露される優美で艶やかな舞、そして、厳しいしきたりの世界でひたすらに芸をみがく芸舞妓たちの日常。彼女たちは、どんな思いでこの街に生きているのだろうか?花街・祇園に生きる女たちの物語。 <オムニバス項目(抜粋)> ●中学卒業後、屋形とよばれる家で共同生活をしながら、しきたりや、芸を学ぶ新人舞妓。 ●江戸時代に創業、維新の志士たちや各界の賓客をもてなしてきた、お茶屋「一力亭」。 ●厳しい試練や挫折をへて、芸の道を誇り高く生きるベテラン芸妓。 ●140年間、祇園の舞の伝統を守り伝えてきた京舞井上流。その家元、五世・井上八千代さんが生きてきた厳しい芸の道。 ●着付けや儀式のとりしきりなど、影で芸舞妓たちを支える「男衆(おとこし)」。 ●4年半の舞妓生活をへて、芸妓になる儀式にのぞんだ21歳の決意…。 ●古都に春を告げる年に1度の大舞台、100人近い芸舞妓が作り上げる「都をどり」。
白壁の蔵屋敷、水面に映る、しだれ柳が美しい街「倉敷」。この街を築き上げたのは、江戸から明治にかけて活躍した豪商たち。倉敷は早くから舟運で栄え、そこに多くの商人達が集いました。商人たちは明治になると、殖産興業の流れに乗り、いち早く紡績業を成功させ、その儲けた財で日本初の西洋美術館を築くなど<先見の明>と<進取の気質>に富む人々でした。 昭和に入っても、観光客を呼ぶために、街ぐるみで古い景観を保存に取り組み、また国産初と言われるジーンズも製造するなど、その気質は今も脈々と受け継がれています。 時代が大きく移り変わっても、したたかに、そしてつつましく生きる人々の物語です。 <オムニバス項目(抜粋)> ●美観地区の蔵(倉)屋敷・・・白壁の蔵屋敷に今も住み続ける倉敷商人の気質。 ●綿糸の町・・・江戸時代は綿花の産地。足袋や帆布など分厚い布づくりの伝統。 ●富を支えた水の道・・・干鰯を運び綿花を出荷した舟運。江戸時代の面影が残る瀬戸内の港町を探訪。 ●ジーンズ・・・丈夫な布を作る技術は国産初のジーンズの製法へと。今も挑戦続ける職人たち。 ●大原美術館・・・日本を代表する商家の私設美術館。世界的な名画に子供の頃から触れるぜいたく
千年の都・京都の鴨川は、決して歴史上の川ではなく、今も生きている川だ。流域には、江戸時代から“京野菜”を作り続けている農家があり、遡上してくる鮎を客に出す料亭がある。上流部には、下流に住む人への影響を考えながら大切に水を使っている人たちがいて、オオサンショウウオも棲んでいる。葵祭では今も清めの水として使われ、文化の継承者としても現役。様々な表情を見せる鴨川の姿と、鴨川を愛し共に暮らす人々を見つめる。
年間30万人以上が訪れる世界自然遺産、屋久島。奥深い山と巨大な屋久杉の森は、多くの登山者の心を惹きつけています。原始の森が残ると名高い屋久島ですが、かつては大規模な林業が行われ、島の人々の生活を支える大切な場所でした。そしてその山の文化は、今も脈々と受け継がれています。 山の神を敬い山頂まで詣でる岳参り(たけまいり)。山中につくられた神の世界と人間の世界の境界線。そして林業の村として山中で栄え、今は閉鎖された集落跡で行われる元住人たちのお花見会-。 世界遺産に登録されて20年目になる屋久島。「観光の島」の陰で、今も山を敬い山と共に暮らす人々をみつめます。 <オムニバス項目(抜粋)> ●3つの梅雨・・・高い山々が育む雨。屋久島には三度の梅雨が来る。島の暮らしと共にある雨。 ●水路の里・・・山の水を引いた生活水路。野菜を洗ったり農具を洗ったり。ウナギも顔を出す。 ●山のお花見会・・・昭和45年に廃村となった山中の林業集落。元住民が行うお花見会。 ●山の神の日・・・1年に3度ある「山の神の日」。この日に山に入ると恐ろしいことが…。 ●岳参り・・・山の神を敬い山頂の祠に1泊2日で参詣。巨木の森を抜け、神々しいご来光へ。
夏の思い出、花火の夜。思い出すのは、幼い日背負ってくれた父さんの背中…。雑踏で初めて握った彼女の手…。戦地で亡くなった戦友の顔…。日本各地の花火大会では、老若男女、様々な人が同じ夜空を見上げながら、様々な思いを花火に託します。 日本の花火発祥の地と言われる三河・遠州では、勇壮な手筒花火の伝統が生きています。男達は一人前になった証として、火柱が噴出する手筒を構えます。新潟・長岡では、かつて空襲があった夜に一面の銀色の花火が打ち上がります。戦友たちの鎮魂のため、90歳の老花火師が魂を込めた花火です。福島には、風評被害に負けず明るいフクシマの夜を演出しようと奔走する花火師たちがいます。福岡には、線香花火のやさしい輝きを守り続ける夫婦の花火製造所があります。 花火に込めた日本人の思いを探す旅。花火師たちの思いと、夜空を見上げる人々の思い。 その日常に触れ合い、生き様を感じ取り、それぞれの花火を見つめていきます。 ●親子三代の花火師(静岡・湖西市) 45年前祖父が作った伝説の花火「マジック牡丹」を超える、新たな作品に孫が挑みます。 ●鎮魂の白菊・平和への願い(新潟・長岡市) 日本3大花火・長岡花火の前日に上がる三発の慰霊花火。銀一色「白菊」に込められた思い。 ●勇壮!手筒花火(愛知・豊橋市) 火柱が20~30mも上がる手筒花火を抱えて、構える男達。伝統を継ぐ若者達の心意気。 ●女性花火師、花盛り(石川) 今、花火師の世界で女性たちが頭角を現している。花火師の半分以上が女性という製造所も。 ●震災と花火 震災そして原発事故で今も揺れ動い
津軽。この地では短い夏の間、人々は怒濤のように“じゃわめぐ”。 じゃわめぐとは津軽弁で、血が騒ぐという意味。岩木山の麓に広がる津軽平野は、日本屈指の豪雪地帯。半年近い厳しい冬を越え訪れる短い夏に全ての情熱を注ぐ人々。津軽の夏を彩るねぶた。ねぶた師は、年に1度の祭のために、1年かけ、巨大なねぶたを作ります。祭には、極彩色のねぶたの周りを跳ね、盛り上げる跳人や、色とりどりの化粧をして人々を笑わす化人(ばけと)が姿を現し、一心不乱に舞い踊ります。 賽の河原、いたこ、生が激しく躍動する裏側で、死者も静かに、じゃわめきます。生と死が交差する津軽の夏です。 津軽が背負った歴史。縄文の時代、ここには豊かな文明がありました。その後も、鉄の王国が築かれた歴史も。しかしそうした豊かさを謳歌した時代もあれば、数年に一度飢饉が襲うという苦しみ抜いた時代もありました。 短い夏の終わり、実りの秋の豊穣を祈る人々がいます。岩木山に詣で、唱い、踊る。僅か数十日足らずの夏。大地が、人が、陽炎のように燃え上がる津軽の夏を見つめます。
夏の訪れと共に、釣り人たちの心をざわめかせる魚がいます。「鮎」。 なぜ日本人は、かくも「鮎」に魅了されてきたのでしょうか。 6月の漁の解禁では、全国の川に釣師が集まります。腕自慢の太公望をひきつけてやみません。京都の料亭では、とれたての鮎の塩焼きを楽しむ食通たち。 香魚ともいわれる独特の香り、ほのかな甘みをもつ柔らかな身の味。 鮎は、古くは古事記や日本書記にも記され、遠い昔から日本人に親しまれてきました。 平安時代の辞書には、こう記されています。 「春生じ、夏長じ、秋衰え、冬死す。故に年魚と名づくなり」 春、海から川をのぼり、 夏、川底の石について藻を食べて大きく育ち、 秋、川を下って産卵し、短い命を終える。 四季の中で、誕生から死までを過ごす儚い命。 川の記憶と共に、私たちの心に残る魚、鮎をめぐる物語を探しに全国を旅します。
兵庫県北部、志賀直哉の小説『城之崎にて』で知られる城崎温泉。その歴史は聖武天皇の時代に遡るといわれている。柳並木の下を客が浴衣姿で湯巡りする昔ながらの風情が残り、松葉ガニなど海の幸も魅力の温泉場だ。しかし、日本海沿いの山と川に挟まれた土地は猫の額ほど狭く、15分もあれば歩いてしまう距離。そこに80軒ほどの小さな温泉旅館が肩を寄せ合う。 そんな城崎に伝わる格言がある。 「町は一つの旅館。駅はその玄関、道路は廊下で、旅館は客室、商店は売店。城崎に住む者は、みな同じ旅館の従業員だと思いなさい。」 「町を一つの旅館」と考え、そこに湧くお湯を1300年にわたって大切に守り、支え合って生きる城崎温泉の人々。その冬から春にかけての小さな温泉場ならではの暮らしを描く。 <オムニバス項目(抜粋)> ●信仰と温泉・・・城崎の見守ってきた温泉寺。町の人はお湯に感謝し寺に祈りを捧げる。 ●街はひとつの宿・・・外湯を巡り、射的場を楽しみ腹ごなしはラーメン。共存共栄の基本。 ●街のお母ちゃん・・・親子孫の3代にわたり客の話を聞いてきた80歳のスナックのママ。 ●北但大震災・・・街が壊滅した震災。今に残る共存共栄の精神と、街の風景の基盤となった。 ●城崎人になる・・・外から婿養子にきた若旦那。街に支えられることを覚え、城崎人になる。 ●城崎の顔の交代・・・老舗旅館に34年勤め、愛されてきた名物看板女将。最後の1か月。
日本有数の初詣客を集める川崎大師のお膝元・川崎。東京のベッドタウンとして見過ごされがちだが、東海道の宿場町としての歴史をもち、その後もめまぐるしく風景を変えてきた。多摩川河口の漁村が、埋立地のコンビナートに姿を変えた明治~昭和。日本屈指の大工業地帯として高度成長を支えた。そして現在の川崎は、脱工業が進み、工場が去った跡には商業施設やマンションが次々と建設されている。 しかし時代が移っても変わらないのは、川崎が“働く庶民の街”だということ。幕府の直轄地だった江戸時代は絶対的な権力を持つ殿様が存在せず、明治以降は急速な工業化に伴って国内外から多様な労働者たちがやって来た。そして今年は、川崎大師で10年に一度の本尊大開帳が行われ、いつもにも増して華やかな雰囲気に包まれる。気さくでバイタリティあふれる川崎人の気質と、気どらず飾らない街の風景。働く庶民の街・川崎の魅力を伝える。 <オムニバス項目(抜粋)> ●川崎大師 …10年に一度の本尊大開帳。晴れ舞台を演出する講の人々の嵐の1ヶ月。 ●工場夜景と海苔漁師 …大工業地帯ならでは絶景。その一角でノリ養殖の技を伝える老漁師。 ●労働者演劇 …コンビナートに息づく工場労働者の心意気。若い劇団員が知る川崎の戦後史。 ●知られざる浜の味覚 …大師参拝の江戸っ子たちも舌鼓を打った老舗料亭の「はまぐり鍋」 ●コリアンタウン …日本経済を底辺で支えた街。焼肉屋のハルモニが見つめてきた人間模様。 ●町工場の三人娘 …町工場のガールズバンド、駅前の路上ライブで“川崎愛”を叫
世界文化遺産に登録され、年間500万人の観光客が訪れる清水寺。古くから「きよみずさん」として親しまれ、身分の貴賤や宗派を問わず、人々の心のより所となってきた。門前に暮らす人々は、「“寺あっての我が家”」と代々親から習い、今も毎日夜回りをする。 こうした人々の信仰によって、創建以来幾度もの災害、戦災にあいながら復興を繰り返して1200年。そして今行われているのが、11年かけて9つのお堂を修復するという、創建以来の大修理だ。京都局では、巨大な舞台を支える寺の構造や明治以来の柱の入れ替え修理など、事前調査の段階から、長期取材中。 永きに渡って清水寺と共に生きてきた地元の人々の豊かな暮らしや、修理に携わる京都の伝統職人のこだわりと想い、初めて明らかになった寺の構造や工夫、そして四季折々に表情を変える美しい風景を紹介する。 <オムニバス項目(抜粋)> ●正月の修正会 年の始まりを祝う法要。人々が印を額に押してもらう、分かっているだけでも江戸時代から続く習わし ●寺の朝参り 朝6時に参る数十人。寺名の由来となった音羽の滝で水を汲み、音羽山に登る。 ●「寺・坂・我が家」の警備団 “きよみずさんあっての”門前町。昭和23年から毎晩続く警備 ●創建以来の大修理 「清水の舞台」を支える巨大柱の修復。柱に未来への思いを刻む貫主 ●きよみずさんを撮り続けて百年 明治から清水を撮影し続ける、コロタイプ印刷の印刷会社。3万カットの記録 ●咲き誇る千本の山桜 木一本一本の根元には、全国の寄進者自筆の“願い”が記された札が
日本海と瀬戸内海、そして太平洋を繋ぐ海「関門海峡」は、川のように速い潮が流れる中を無数の大型船が行き交う、日本有数の海上交通の要衝です。壇ノ浦の戦いや巌流島の戦い、日清戦争講和など、多くの歴史の舞台ともなってきました。 その激しい流れを望む両岸にあるのが、全く異なる表情を持つ二つの街、「下関」と「門司」。ふぐの水揚げ日本一で、戦後は捕鯨拠点としても栄えた漁業の街・下関は、大陸からの人々を迎える日本の玄関口としても、室町時代から賑わってきました。一方の門司は、石炭の輸出などで近代以降に発展した貿易港。街には、当時の面影を残すレトロな建物や、かつて外国人の船乗りたちが酒をあおった「角打ち」が点在し、今も愛されています。 人々はこの二つの街を、大型船の間を縫って進む渡船や、海底を歩いて渡る世界でも珍しいトンネルで気軽に行き来し、暮らしています。それぞれの歴史と個性を持ちながら、まるで海峡を挟んだ一つの街でもあるような、そんな二つの街と海峡の物語です。 <オムニバス項目(抜粋)> ●海の管制塔・・・ 狭い海峡を次々に大型船が行き交う朝。安全を守る管制官たちに緊張が走る ●平家鎮魂の漁師・・・ 壇ノ浦で敗れた平家の末裔が続ける、海峡の漁。海に沈んだ帝への思い ●レトロに魅せられて・・・ 門司に残る多くのレトロ建築。今も使い続ける人たちの愛着の理由 ●海底で繋がる二つの街・・・ 世界でも珍しい海底の「人道トンネル」。海の下は馴染みの生活道路 ●下関の誇りを守る女将・・・ 戦後の下関復興を支え、日本の食を支えた鯨
日本人の心をわくわく ドキドキさせる食べ物「すし」。 「魚」編に「旨い」と書いて「鮨」。その一方で「寿」を「司る」と書いて「寿司」。 祝宴に必ず供され、人々を笑顔にさせる、ハレの日のごちそう。そして江戸前、押し寿司、巻き寿司、蒸し寿司などなど・・・。一口に「すし」と言っても千差万別で、土地ごとに、家ごとに、その味を守り、伝えられてきた、まさに四季のある国「にっぽん」の風土を凝縮した食でもある。京都、滋賀、和歌山、各地で今も人々の暮らしの中にあるすしを訪ね歩き、ふるさととその想い出が刻まれる、日本人の愛してやまない奥深い世界を旅する。
“日本のへそ”「日本橋」。江戸時代、東海道など五街道の起点に定められ、橋が架かる運河は、東京湾へ通じる物流の大動脈。陸路と水路が交差する「江戸の表玄関」です。 橋を挟んで南北に伸びる大通りは、百万都市江戸のメインストリート。かつて日本を代表する豪商たちがしのぎを削ったこの通りには、今も江戸からの暖簾を守り続ける老舗たちが並んでいます。その数27軒。これほど多くの老舗が集中するのは東京では他に例がありません。それぞれの老舗には、江戸から続く伝統が色濃く残り、その栄華と今も変わらぬ人々の欲望を今に伝えます。 ヒト、モノ、情報が集まる、日本一の“商いの街”。四百年の街の物語を丸ごと紐解きます。 <オムニバス項目(抜粋)> ●老舗の流儀 中央通り付近に並ぶ27軒の老舗を一挙紹介。各店が今に伝える江戸の流儀とは。 ●「旦那衆」のたしなみ 老舗の旦那衆が集う「日本橋くらま会」。小唄の会で見せる、江戸の「粋」。 ●街の誇り常盤小学校 関東大震災からの復興のシンボル。日本橋の未来を担う子どもたちの城。 ●青空よ再び 橋を覆う首都高速。橋に「空」を、と願う元大学教授のさすらいのトランペット。 ●「日本一」の町神輿 2年に一度の山王祭。日本橋一丁目・略して日本一の神輿が橋を目指す。
古来、東海道の要衝として栄えてきた宿場町、箱根。“天下の険”とうたわれた急峻な山々は、幾度も繰り返された火山の噴火が作り出した。 そして現在、都心からわずか1時間半となった箱根は、毎年2000万人が訪れる日本屈指の観光地に発展した。豊かな自然に、芦ノ湖や富士山の絶景。噴煙立ち込める大湧谷に、20か所もの温泉場。登山鉄道に遊覧船。伝統のクラシックホテルに小さな家族旅館まで。“旅”のアイテム全てが詰め込まれた「旅のワンダーランド」だ。 直径わずか10キロほどの“箱庭”のような空間は、自然にできあがったものではない。人々は自らの力で山を切り開き、道路や鉄道を通し、四季を彩る花樹を植え、旅人を迎えてきた。そんな土地で引き換えにした日常は、スーパーや八百屋もない不自由な暮らし。それでも人々は、“おもてなし”の気持ちを大切に受け継ぎ、旅人を迎え続ける。 なぜか、何度も足を運びたくなる観光地、箱根。その魅力をたどる物語。 <オムニバス項目(抜粋)> • 大湧谷の“ふしぎ” 箱根名物の黒たまご、職人技で真っ黒に。なぜ黒くなるかは諸説紛糾、謎のまま。 • 土産は売るほどあるけれど 箱根の住民、買い物は往復10キロの町まで。不自由だけど、この町が好き。 • 鬼の棲むホテル クラシックホテルで、従業員の“おもてなし”を見張る鬼の面。その正体は。 • 少女たちの登山電車 山の学校へ“あやとり”しながら40分。少女から女性へ。静かに流れる豊かな時間。 • 生きることはもてなすこと 小さな小さな家族旅館。都会人の心を癒やし続ける老女将
16世紀、太閤・秀吉が進めた城下町の開発を皮切りに、江戸時代から急速に水運が発達した大阪。全国各地から物資が集まり『天下の台所』として栄えた。今も大阪市はその面積の約10%を河川が占め、ベネチアと比較される程、世界有数の水の都だ。そこには、水と共に歩み、その恩恵を受けてきた「浪速っ子」の暮らしと歴史がある。 ボードを浮かべ出勤前に水の上で運動するサラリーマン、昔ながらの漁法でうなぎを獲る漁師、そして巨大鯉を釣り上げようと川辺に集まる男たち。さらに、道頓堀の川辺にはお笑い芸人を目指し、練習する若者たちの姿も。そして、水都大阪を象徴する祭りが天神祭。船渡御と呼ばれる船の水上パレードが行われ、唯一の手漕ぎ船・どんどこ船が縦横無尽に水都を漕ぎ回り、水辺を華やかに彩る。 水が育て、水と共に生きる街、水都・大阪。今もなお、水の周りには、人々が集い、笑い、憩う。大阪の人々の営みを水辺から見つめる物語。
古くから大陸文化の入り口として栄えてきた福岡市。その中心をなすのが博多だ。「土地広く、物産多し」というのがその名の由来。自由闊達な独特の気風を築き上げてきた。そんな博多が祭りで一色になるときがある。7月半ばにクライマックスを迎える「博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)」だ。祭の主人公は、情に厚く、絆を何よりも重んじる博多の男たち。彼らは「のぼせもん」と呼ばれ、仕事そっちのけ、家庭サービスそっちのけで、祭りにのめり込む。 そんな男たちを舞台裏で支えるのが「ごりょんさん」と呼ばれる「のぼせもん」の妻たち。祭の間、仕事を放り出す男達に代わって家業を支えるほか、神事の後の宴会「直会(なおらい)」も町の妻たち総出で取り仕切る。山笠の夏を迎えた博多の人々の姿を見つめる。 <オムニバス項目(抜粋)> ●のぼせもんの夏... 店の仕事を妻に任せて山笠にのめり込む大ベテラン ●新米ごりょんさん... 今年“山笠一家”に嫁いだ新妻 ●追善山... 亡くなった山笠の功労者を町内総出で供養する行事
俳人・松尾芭蕉の文学の頂点とされる「奥の細道」は、今も東北、北陸を語る上で欠かせない旅のバイブルとなっている。およそ150日に渡る旅の中、各地の風土をもとに生み出された俳句は、今でも人々を惹きつけてやまない。2012年8月放送の「新日本風土記 奥の細道」では、東北を中心とした前半行程を辿ったが、今回は山形県酒田から、旅の結びの地・岐阜県大垣までを辿る。晩年の芭蕉の目を通して描かれた奥深い世界を旅する。
歴史と風情の息づく山間の小さな町、富山市八尾(やつお)町。立春から数えて二百十日にあたる9月1日、「おわら風の盆」が始まる。人々は、三日間にわたって、民謡「越中おわら節」に酔いしれる。胡弓と三味線がつむぎだす哀しげな音色、絞り出すような歌い手の声が石畳の町並みに響く。艶やかな浴衣に身を包み、編笠に顔を隠した踊り子達が月影に揺れる。その哀愁を帯びた雰囲気に惹かれて、二千人余りが住む町に、二十万人もの観光客が集まる。 八尾は、幕末から明治にかけて、蚕の繭や生糸の取引で栄えた。花街が作られ、そこに集う芸者や旦那衆が、おわらに磨きをかけ、洗練させてきた。おわらには、心浮き立つ賑やかさや派手さはない。しかし、八尾の人々は、その哀しげな調べに人生の機微を映しながら生きてきた。たとえば、故郷を愛する思い、恋心、生きる上で背負う悲哀・・・今年で引退する踊り子はおわらで青春をしめくくり、伴侶を失った女性は夫と過ごした日々を振り返る。 八尾独特の風土や歴史、芸を極めようとする誇り高き気質なども織り込みながら、おわらと共に生きる人々を見つめる。 <オムニバス項目(抜粋)> ●最後の晴れ姿・・・ 八尾に生まれ育ち、2歳から踊り始めた女性。25歳の今年、踊り子を引退する。 ●弔いのおわら・・・ 急逝した囃し手の男性のために、町の仲間が集まり、おわらで弔う。 ●おわら未亡人・・・ おわらのため不在がちな夫に妻は不満顔。だが風の盆の夫は魅力的に見える。 ●暮らしの中で生まれた歌詞・・・ 5000以上にのぼるおわらの歌詞。人生の機微を詠む92歳の女
中国地方の最高峰・大山(1729m)。周りに高い山のない独立峰の大山は、四方八方からそのどっしりとした姿を眺めることができる。西から見た秀麗な姿は「伯耆富士」と呼ばれ、北や南からは急峻な岩が連なるまるでアルプスのような姿となる。 大山は「水の山」でもある。ふもとのいたるところから伏流水が湧き出し、人々の暮らしを支えている。その源となるのが山麓に広がる西日本最大のブナ林。多量に降る雨と雪をブナ林は受けとめ、ゆっくりと地面に浸透させることで枯れることのない清き水を里にもたらす。 水の恵みは、神への感謝を生んだ。人々の信仰を集めるのが山中に立つ大山寺と大神山神社。かつて大山は地蔵菩薩を中心とする神仏習合の一大聖地として栄えた山でもある。不思議な神事や行事が今も残されている。深夜の頂上に命がけで登り、御神水と薬草を持ち帰る神事。大山寺に参拝する人々を代々250年間にわたって「ご接待」する一家。ふもとの人々は大山の神仏を敬い身近に感じながら日々の生活を送っている。 昔も今も人々の心の中に高くそびえる山。大山とともに生きる人々の物語。
東京と神奈川の境を流れる、全長138kmの多摩川。源流は深山渓谷に発し、中流域はベッドタウン、河口は羽田や工業地帯と、多様な表情をもつ。16もの鉄道が多摩川をまたいで都心と郊外を結び、毎日大勢の人が渡っては目にする、都会で暮らす人にとって身近な川。 その河原に広がる河川敷は、ちょっと不思議な異空間。喧騒を逃れて訪れる人、身近な自然を楽しむ人、思いっきり楽器を奏でる人。様々な人が自分ならではの時間を過ごせる貴重な場所。そして、歴史の中で変わらないものが残り、同時に激しい変化の波にさらされている場所でもある。東京の町の発展を支え、行楽地として賑わった時代。祈りを捧げ、畏れの対象となった時代。行き場のない人が、居場所を求めた時代。今も多摩川の河原には、様々な時代が混在する。 人が集い、人が憂い、人が行き交い、人が憩う。都会の片隅にぽっかりとできた隙間のような、多摩川の河原を見つめる物語。 <オムニバス項目(抜粋)> ●河原は夢空間・・・ 日焼けに虫捕り、バンド練習。あるいは心を癒すため。都会の川ならではの風変わりな日常。 ●河原の人生・・・ ボートを貸して50年。東京の発展とともに多摩川を見てきた男の歴史を見つめる。 ●最初と最後の水辺・・・ 源流は山梨県の笠取山。河口は羽田。川の始まりと終わりにも、人が集まる意外な水辺が。 ●青梅の雪女・・・ 小泉八雲の小説「雪女」、発祥は意外にも多摩川。異界との接点でもある川の一面。 ●河原の町・・・ 川崎の河川敷に、戦後間もない頃から出来た町がある。なぜ河原に生きた
古来、人々の心の原風景に焼きついてきた山がある。大阪府と奈良県の間にそびえる標高642mの生駒山(いこまやま)。東京スカイツリーより8メートルだけ高いこの山は、古来「庶民の霊山」とされ、人々が救いを求めてきた聖なる場所。今も国籍や宗派、世代を超え多くの人々が日々訪れる。現世利益を願う人たち、病からの助けを求める人たち、困難な日常からの救済を祈る人たち… 国と国、聖と俗、過去と現在、そして生と死を繋ぐ<境界の山>は、今も「日常」と「非日常」を行き来する、聖なる山であり続ける。 生駒山に様々な思いを託して生きる、人々の物語。都会近くの魔界への旅。 <オムニバス項目(抜粋)> ●小さな山のあんな顔、こんな顔… 人間の、祈りと欲望。聖俗が入り交じる人間交差点。 ●飛行塔… 生駒山の頂きから下界を見つめる飛行塔。みんなの思い出がくるくる、回る。 ●暗峠のおもてなし… 大阪から奈良への難所路、旅人を迎える峠の守り人たち。 ●生と死の山、生駒山… 古へ人が仰ぎ見た「生」と「死」の世界。 ●生駒山の祈り… 代々生駒山に暮らす夫婦。山に生きた先人たちへの手向けの花。 ●石切劍箭神社、お百度参り… 生駒山麓の名物女将の「おかげさん」。 ●あの国もこの国も、ひとつながり… 遠く祖国を離れ、今、生駒山でつながる母と息子の思い。
日本有数のリアス海岸に大小600の島々が浮かぶ、伊勢志摩の海。ここは、たくましい女性たちが活躍する、いわば「女性が主役」の地である。全国のおよそ半数、千人の海女が暮らし、彼女たちが獲る鮑や伊勢エビは、神の食事「神饌(しんせん)」として古くから伊勢神宮に捧げられてきた。 豊かな恵みをもたらす海は、一方で危険と隣り合わせ。この地に生きる海女や漁師は、いまも篤い信仰心と強い結束を保ち続けている。鳥羽市おうさつ相差では、海の事故で海女や漁師が亡くなると、海岸沿いに地蔵を建てて弔う風習が残されている。また、島ごとの独特な風習も受け継がれ、伊勢湾最大の離島・答志島では、15歳になった男子は血縁関係のない家と義理の親子関係を結び、寝泊まりをしながら共同生活を送る。 潮騒の響く伊勢志摩の海を舞台に、伝統を受け継ぐ人びとを描く。 <オムニバス項目(抜粋)> ●海は女が“主役”... キャリア40年、伊勢エビを狙うスーパー海女。元イルカトレーナー、海女になり初めての夏。 ●神様、仏様、“セーマン様”... 伊勢神宮の神様、仏様、そして陰陽道の魔除け「セーマン」。漁の安全を願う海女の篤い信心。 ●3人の女神様... 女神の里帰りを祝う奇祭、女神のご神体を持ち回りする島、島に降り立った吉永小百合さん。 ●“寝屋子”の島... 答志島の男子は、15歳になると親が増える。「寝屋子」と呼ばれる不思議な風習。 ●寝屋子の島のお盆... 寝屋子たちの久しぶりの再会。集落の人々が一斉におこなう墓参り、「火入れ」。
3000メートル級の高峰が120キロにわたって連なる南アルプス。 巨大な山脈のふもとで、人々は自然の猛威にあらがいながら暮らしてきた。年間3000ミリの雨、土石流、虫や動物の災い…こうした過酷な環境下で、人々は現世での救済を求め、信仰を受け継ぎ紡いできた。また、険しい山々が連なる南アルプスは多くの山岳修行者を迎えてきた土地であり、今も年間3万人が苦行を行う聖地でもある。 その中心となる七面山には、参拝者を150年以上迎える講中宿が残る。荒ぶる自然と向き合って、この世を生きる。 南アルプスが開山する夏ーー自然を畏れ、今日一日を全力で生きる人々のひと夏の物語。 <オムニバス項目(抜粋)> ●標高2800mの雷親父 南アルプスで45年続く山小屋の主は"雷親父"。登山者の安全を思うあまり、天空に響くお説教。 ●山の災いを封じる「蟲封じの札」 人口6人の集落を襲う獣害や大雨。山の災いを「蟲(むし)」と畏れ、寺の「蟲封じの札」で封じ込める。 ●背伸びする岩壁 いまも年間4mm隆起を続ける南アルプス。あいつぐ崩落で表情を変える岩壁に魅せられる64歳のクライマー。 ●月夜で焼ける大地 河川の氾濫が生んだ石だらけの大地。乾燥しやすく、月のあかりでも焼けると言われる大地を生き抜く農家。 ●4000万年の硯 南アルプスの造山運動が生んだ黒い岩を削る硯職人。700年の伝統と人生を変えた石の肌ざわり。
標高900メートル、奥深い山中にこつ然と姿を現す空中都市・高野山。開祖・空海が真言密教の聖地として開いたこの町は、来年開創1200年という節目の年を迎える。 明治以降、女人禁制が解かれ、修行僧のほかに一般市民が多く住むようになり、町では「聖」と「俗」とが入り混じる独特の文化が形成されてきた。町のほとんどの人が寺と関わりを持ち、寺は衣食住の多くを町の人たちに頼っている。代々受け継がれている「御用聞き」の商店、寺の修繕からムササビ駆除まで相談を受ける宮大工。 そして、仏教関係者にとっても在家の人たちにとっても、日々の生活に影響を与えているのが“開祖・空海”の存在だ。町の人々は、親しみを込めて“お大師さん”と呼び、節目ごとに祈りを捧げてきた。 番組では、1200年に渡り受け継がれてきた高野山の文化と、そこに息づく人々の営みを見つめる。 <オムニバス項目(抜粋)> ●寺と共に生きる… 僧侶の衣食住を支える商店。100年以上続く、寺との密接な関係。 ●“お大師さん”への恩返し… 手作りねぶたに稚児大師。町をあげて空海の生誕を祝う。 ●今も生きる空海の教え… 空海が愛した植物。今も高野山の至る所で人々を守る。 ●“お大師さん”のお食事… 1200年空海の元へ運ばれ続ける食事。その驚くべき中身とは。 ●中門再建… 172年ぶりの再建。高野山の宮大工としての誇りをかけて ●10万本のろうそく… 空海と共に霊を送る、盆の祈り
険しい岩山に数多くの寺社が点在する大分県・国東半島。この麓に分け入ると、美しい田園風景の小さな集落と出会える。「田染小崎(たしぶおさき)」この村をはじめとして千以上のため池と日本最大級のクヌギ林を連携させた半島独自の農の営みが残るこの一帯は、昨年“循環型農業の手本”として『世界農業遺産』に登録された。 この地は、8世紀、日本でいちはやく「神」と「仏」とを一つと考える「神仏習合」の場でもあった。そのよりどころとなったのが<宇佐神宮>。全国に四万社以上ある八幡宮の総社である。 宇佐神宮は、国東の各地に田畑を切り開いて荘園とし、“鎮守”の寺社を開き、大きな影響力を与えた。荘園に定住した人々は、厳しい自然と調和し、その恵みをありがたくいただくようになる。 田染小崎もこうした村の一つ。 番組では、人々のたゆみない努力と工夫によって育まれてきた国東の農の暮らしを柱に、その暮らしのよりどころとなる、国東半島独自の信仰の姿をみつめていく。 <オムニバス項目(抜粋)> ●里山の米作り 水の番人“水引”さんが司る、循環型農業の見本”の田植えから収穫まで。 ●命育む水の旅路 クヌギ林に降った雨が田を潤し、生き物の命をつなぐ。 ●みんなで迎えるお盆 初盆の家の庭で行われる住民総出の賑やかな供養踊り。朝4時まで続く。 ●摩訶不思議!な祭の世界へようこそ 山間の集落各地に残る、謎の奇祭の数々。
地球の反対側ブラジル・ サンパウロ。1908年、781人の日本人移民たちが海を渡って、今年で106年。今ではブラジルの日系人の数は160万人、世界最大の日系人社会を築いた。 言葉も風習も違う異国で、必死に生きてきた日系人たち。約束は絶対守り、懸命に真面目に働く移民たちは、ブラジルで『ジャポネース・ ガランチード=日本人は保証付き』という信頼を得ていった。そしてその精神は、脈々と、後の世代へ受け継がれている。 遠い祖国に想いを馳せながら、日本の野菜・ダイコンを育て、その想いを五・七・五に詠み、人生の最後を肩寄せ合って生きる一世たち。自分は日本人なのか、ブラジル人なのか、そんな自問自答を抱えながら、三味線やマンガなど日本とブラジルの融合に挑戦する三世たち。日本人の教えを引き継ぎ、日本語や日本の心を伝える生粋のブラジル人など。 遠いブラジルで日系人が育んできたものは何なのか。 サンパウロを舞台に、もうひとつの“にっぽん”をみつめる物語。 <オムニバス項目(抜粋)> ●大根ひとすじ 真っ白でまっすぐな大根を作り続ける男性。相棒は6匹の犬。 ●三味線片手に 三味線で奏でるブラジルのメロディー。新曲作りの現場。 ●恋と差別 恋に落ちた日系人とブラジル人に、立ちはだかった人種の壁。 ●苦労の過去 生後6ヶ月でブラジルに。母は苦労の末に早世し、弟妹の世話に追われた青春の日々。 ●僕はサムライ 生粋のブラジル人が主催する日本語教室。身長2m近い巨体で、日本語と日本の心を教える。
1400キロを40日かけて巡る四国遍路。弘法大師、空海ゆかりの88のお寺を巡る旅は、開創1200年を迎え、いままでにない賑わいを見せている。お大師様とともに歩き、祈りを捧げれば、どんな願いもかなうとされるこの遍路は、時に「おしこく病院」と呼ばれる。 大切な人を亡くし供養のためにまわる人、変えられない過去を悔いる人、都会での仕事に疲れた人。日常とは異なった世界の中をたどるこの道を歩ききれば誰もが生き返ったようになって、もとの暮らしに帰って行くといわれる。 この霊験あらたかな「道」。そこには、実は様々な仕掛けがある。歩き始めの徳島の田園風景で心が解放されたかと思うと、3日目に突如現れる険しい山道。そこを乗り切った後には、高知の海が広がる。その長く果てしない海岸線の歩きは、自分と向き合う貴重な場となる。そして愛媛に入ると道は再び山里をたどる。道中、お遍路さんの誰もが心打たれるのは、地元の人たちの「お接待」。そして、終着の香川は、お遍路さん、それぞれの願いが結ばれる「結願」の地。この地には、道半ばで倒れたお遍路さんたちの眠る墓が数多くあり、地元の住民がいまも大切に守っている。 四国の「自然の絶景」「地元の人たちのまごころ」「お大師様の功徳」。千年をこえる長い年月をかけて、四国の人たちが作り上げ、育んできた仕掛けが、お遍路に来る誰をも癒やしの心持ちへと導くのだ。さあ、ちょっと元気な心持ちをさがして、四国遍路の旅へ・・・。
「日本人ほど温泉好きな国民はいない」と、しばしば言われる。日本列島の随所に火山帯が走り、バラエティに富んだ温泉が湧き出す。ひとたびその湯に浸かると、日頃の疲れがたちどころに吹き飛び、明日への活力をもたらしてくれる。 そんな不思議な力を秘めた温泉に、日本人は魅せられてきた。湯治場で長逗留する風習。美肌の湯をありがたがる女性。今もおこなわれている温泉場への社員旅行。そして、夫婦が秘湯で過ごすひととき。その一方で、大地から湧き出す温泉の蒸気を調理や暖房などに取り入れ、生かしている地域も。昔も今も日本人を虜にし続ける、温泉という“極楽”の物語。 <オムニバス項目(抜粋)> ●はるばる秘湯へ(秋田県・乳頭温泉)… 静寂に包まれた冬の秘湯に訪れる人々 ●異空間の温泉建築(長野県・渋温泉)… 温泉は非日常の極楽。旅館の造りには随所に遊び心が ●今こそ社員旅行(山口県・湯田温泉)… 下火になった社員旅行。それを今あえて始めた企業 ●逆境の中の温泉(福島県・いわき湯本温泉)… 震災以来忘れかけていた温泉の温もりとの再会 ●地獄という名の極楽(熊本・岳の湯温泉)… 温泉の蒸気を調理や乾燥、暖房などに利用する人々
朽ち果てた柱、錆びたドアノブ、草木に覆われた残骸... 近代日本の発展の礎となり、時代の移り変わりとともに役割を終えた建造物、「廃墟」。荒れ果て、打ち捨てられ、物悲しさ漂うが、映画や小説の舞台となり、またこの地を巡るツアーが開かれるなど、いま静かに廃墟ブームが起きている。 戦後の復興を支えた炭坑都市、雲上の楽園とまで呼ばれた東洋一の硫黄鉱山、バブル経済の崩壊で夢と消えたテーマパークやリゾート施設、ダムに沈む日を静かに待つ温泉街。 戦後70年、日本人が何を夢見、何に破れ、捨て去ったのか、列島縦断「廃墟」の旅。 <オムニバス項目(抜粋)> ●摩耶観光ホテル(兵庫県)〜 探訪・日本一美しいといわれる、廃屋 ●軍艦島(長崎県)~ 元島民たちが今も抱くふるさとへの想い ●川原湯温泉街(群馬県)~ ダムに沈む温泉街で、灯をともし続ける一軒の宿 ●小与島(香川県)〜 戦国時代から続いていた石切場の廃墟 ●化女沼レジャーランド(宮城県)~ 今も遊園地再建を目指す男のロマン。
白いごはんといえば、食べたくなるのが「漬物」。 日本人の食卓に欠かせない漬物は、有史以前から作られてきた長い歴史をもつ加工食品だ。食材を漬け込むことで保存性を高め、しかもおいしくすることができる。「漬ける」という手段を獲得したことは、人々が生きる大きな助けとなった。 そして、日本列島の変化に富んだ地形と気候が、地方ごとに特徴のある多様な漬物の味わいを生み出してきた。その土地でとれる食材に塩を入れ、発酵の力を借りて人は漬物を漬ける。寒風にさらされ、煙でいぶされる大根。色を変え、形を変えどんな場所でも生育するかぶは、各地で人々の命を繋ぐ糧となってきた。時に漬物は、生活を助ける現金収入ともなった。100年受け継がれてきたぬか床は、今も家族の食卓を笑顔にする。 作物を収穫できなくなる冬を越すために欠かせない保存食、漬物。 秋から冬へ、漬物を通して、それぞれの土地で生きる人々の姿を見つめる。 <オムニバス項目(抜粋)> ●北海道・にしん漬 にしん漁で繁栄した町で、今もにしん漬を囲んで泣いたり笑ったり。 ●福岡・ぬか漬 100年続くぬか床をもつ小倉の4世代家族。 ●長野・野沢菜漬 スキー客の口コミで全国区になった本場だけで味わえるおいしさ。 ●広島・広島菜漬 戦後を生る支えとなった地元の特産品。 ●秋田・いぶりがっこ 味を競い合うライバル物語。
日本海に突き出た秋田県の男鹿半島。民俗学者の柳田国男は、「男鹿」の地名由来として、「陸(おか)」を挙げた。まるで日本海に浮かぶ「陸」のように見えるからだ。 古(いにしえ)の時代、日本では、「神が山に登り、人々の暮らしを見守る」と考えた。海に浮かぶ「陸」は“神の住まう土地”とされ、そこに生きる人々は“お山”への素朴な祈りを捧げながら暮らしている。 「男鹿」の代名詞ともいえる伝統行事「なまはげ」。地元では、鬼ではなく“神の使者”とされ、約70の集落ごとに継承されてきた“顔の違う”「面」は、かの芸術家・岡本太郎も惚れ込んだ。 厳冬期、時化と共に「男鹿」に押し寄せる「鰰(ハタハタ)」。“神の魚”を狙う命懸けの漁に臨む男たちは、番屋で祈りを捧げる。 「十王堂」に「耳どっこ」、「山神様」。「男鹿」はそこかしこに“見えない何か”を感じる場所だ。 番組では、古代からの“畏れ”と“祈り”を受け継ぐ、「陸」の今を描く。 <オムニバス項目(抜粋)> ●本当は“鬼”じゃない ~“お山”からやってくる礼儀正しき暴れ者「なまはげ」~ ●命がけで“神の魚”を狙う男たち ~押し寄せる「ハタハタ」 番屋で暮らす男たち~ ●夫婦で守る“我が家の味” ~伝統の魚醤「しょっつる」~ ●“山神様、頼むぞ” ~たった一人で捧げる“山の神”神事~ ●歌の神様“耳どっこ”に祈りを込めて ~子供たちが受け継ぐ民謡のふるさと~ ●祈りと畏れのクライマックス ~大晦日 「なまはげ」の夜に密着~
西日本を代表する旅行先、山口県・萩と島根県・津和野。江戸時代、長州藩と津和野藩という二つの藩が置かれ、現在も県境をまたぐこの町は1970年代の「ディスカバー・ジャパン」による旅行ブーム以来、いわば一つの観光地として多くの旅人を迎えてきた。 ともに城下町のたたずまいが人気だ。白壁とたわわに実る夏みかんの風景が続き、明治維新をなしとげた志士たちの生家や旧宅を大事に守る萩。そして津和野は、張り巡らされた水路を鯉が悠々と泳ぎ、水の恵みを存分に受ける暮らしを受け継いでいる。 番組では、二つの町の彩りある景色と、その一方、厳しい自然や苦難の歴史に翻弄されながらもたくましく生きてきた風土を描いていく。 <オムニバス項目(抜粋)> ●水の都の大家族〜津和野・鯉とともに暮らす ●遠くにありておもう〜萩・高杉晋作生家に住む ●渓流に築く石垣〜津和野・山中のわさび栽培 ●女の浜とお地蔵さん〜萩・ふぐ漁の浜を守る女たち
東京から1000キロ離れた亜熱帯の島、小笠原諸島。島に行くには船旅で24時間。 今も豊かで貴重な動植物が守られており、平成23年に世界自然遺産に登録された。 その歴史も独特だ。19世紀、無人島だった島に欧米人が移住、その後江戸幕府が日本領地として宣言。戦後はアメリカの統治下におかれ、日本に返還されたのは昭和43年のこと。 こうした歴史の中で、今も欧米系島民と日本人が混在。大和民族的なものと欧米系、ミクロネシア系民族の影響を受けた文化が残されている。 現在、小笠原村の人口は父島が約2千人、母島が約5百人。平均年齢は39歳と、老人が 少なく若者や子どもたちが圧倒的に多い。それを支えているのが、島に移住してきた若い新住民たちだ。彼らは古くからの島民と一緒に、農業や漁業で生活している。中でも伝統のメカジキ漁などを行う漁師たちの3分の2は新しくやってきた若者で、島の産業の大黒柱となっている。 日本に返還されておよそ半世紀。遠く離れた地で生きてきた島の人々の生き様、そして新しく移り住んできた人々との絆を通して、よそ者でも垣根なく受け入れてきた島の風土を見つめる。 <オムニバス項目(抜粋)> ●セーボレー一族の末裔たち・・・もう一度島に戻ろう!思い出の先祖の地にホテルを開業した母と息子。 ●命の旅路・・・30年かけて故郷の海に帰るといわれているウミガメ。ひと夏の命の継承。 ●95歳の少女たち・・・昭和19年、強制疎開で離別。再開のきっかけは思いを託した歌。 ●若者たちの海・・・内地の若者たちが支える漁業。10年頑張って独立の夢を掴む。 ●コーヒーロード・・・戦争でジ
ビジネスマンがせわしなく行き交う“おやじたちの聖地”新橋。この街では、働く所も飲む所も、家族の暮らしも歴史まで、すべてがビルの中。江戸の粋な芸と文化を伝える“新橋芸者”も、闇市時代から2代にわたり商いを続ける商店主も、のん兵衛たちに愛される流しも、みんなビルに支えられ生きてきた。駅前にそびえる2つの雑居ビルをはじめ、個性的でちょっと不思議なビルをめぐる物語。
忍者の里として知られる伊賀。かつて敵と戦い守ろうとしたのは豊かな土地。そこで実る米は伝統の菓子を生み、稲わらが幻の肉牛を育てる。
300年、日本人が愛し続けてきた「忠臣蔵」。あだ討ちを果たすまでの義理と人情の物語は、歌舞伎になり、講談で語られ、虚実ないまぜの物語に。北海道の原野、赤穂浪士と縁のない場所になぜか浪士の墓。“あだ討ちの神さま”箱根神社には、大石内蔵助が作らせた討ち入りに関わる貴重な資料が。沖縄には琉球文化に溶け込む忠臣蔵。切腹も首取りもありません。人々が心の中で育てた赤穂浪士の物語。
物流や工業の要として大阪の発展を支えてきたベイエリア。水深の浅い港では、艀(はしけ)と呼ばれる船がいまも活躍している。海辺に辿り着き、たくましく生きる人々の物語
東京・池袋といえばおじさんたちの夜の街。でも実は時代ごとに「芸術」が花開いてきた。池袋モンパルナスと呼ばれた若者のアトリエ村に江戸川乱歩。いまはアニメの聖地に。
長崎から北九州小倉まで続く長崎街道。シュガーロードとも呼ばれ、砂糖など海の向こうの珍しいものが街道を通って日本列島へ。象が泊まった寺!石炭王が愛した饅頭に名湯!
海と山の幸に恵まれた日本には、自慢の鍋もの・汁ものがある。富山県氷見には、猟師夫婦の「カモ鍋」。ハレの日に食べる沖縄久米島の「ヤギ汁」。鍋が運ぶ、幸せの物語。
江戸から明治にかけ日本列島を結んだ物流の大動脈、北前船。立ち寄った港で商品を仕入れてよその港で売りさばく商いで、巨万の富を生みました。米や綿に鉄。塩やニシンなど海の幸も産地から全国へ。北海道の昆布の虜になったのは富山の人達。日本一、昆布にお金をかけるといいます。風や潮の流れを読み、白帆一枚に命を託して海を渡った男達。北前船のおかげで生まれたものを今の暮らしの中に探す旅。
日本一の「富豪村」と呼ばれた石川県・加賀市。村にはお金持ちが何人も!富豪村を作り上げたのは北前船。米、塩、昆布にニシン、綿や鉄。あらゆるものを運び、港々で売りさばく。波と風に運をまかせた男達の中から、巨万の富を手にする者が次々に。奥能登にある日本最大級の木造民家。その古いふすまから、北前船の歴史を変える大発見が!北海道・小樽。人気の倉庫街を作り始めたのも、北前船の船主たち。
東京の隅田川より東。そこには、下町の暮らしがあり、人情があり、野暮ったさがあり。古き良き東京の風俗が息づく街。隅田川を越え東へ、橋をひとつ越えるたびに、場末の飲み屋街が増え、鉢植えの並ぶ路地が入り組み、「下町情緒」が溢れている。それだけではない。まるで、ロンドンのイーストエンドさながらに、カネはないが、面白いことをやりたい-そんな人間たちが続々と集っているのだ。隅田川イーストサイドを彷徨う1時間。
東京湾の入り口にある三浦半島は、風光明美な保養地。明治時代に御用邸が築かれると、富豪たちの別荘も進出。名物の海の幸や野菜は東京人の胃袋も満たしてきた。歴史ある造船の町・浦賀の湾を行きかう渡船。船長たちの意外な素顔とは?水揚げが落ちても三崎マグロのブランドを守り続けた“目利き”仲買人とは?東京の若者たちが次々移住してくる港町・三崎の魅力とは?歴史と自然、人情とグルメを堪能する旅。
時代とともに目まぐるしく変貌を続ける東京は、日本で最も「ご当地ソング」が多い街だ。日本人の心と風俗の変化が数々の歌に刻まれてきた。定番の「東京ラプソディー」。集団就職のテーマ曲「ああ上野駅」。新宿歌声喫茶に響く青春の歌「神田川」「なごり雪」、平成の時代が生んだ「TOKYO GIRL」。珠玉の東京の歌に、ゆかりの人、関わりのある土地、知られざるエピソードを交え、カラフルで粋な東京物語をお届けする。
無病息災に商売繁盛。年末年始、新しい年に願いを込め、多くの人が神に仏に手を合わせる。コロナ禍で出店ゼロだった露天商が、神社と力合わせ開催した酉の市。信仰に救われたという元ホームレスの男性が、街頭で食料支援を続けるクリスマス。スポーツの神様のお守りを胸にオリパラ開催を願うアスリート。そして明治神宮、神田明神、浅草寺の、いつもと違う初詣。年越えの東京で出会った悲喜こもごもの人生模様と祈りの風景を描く。
4つの人の住む島と180の小島からなる島根県・隠岐諸島。古代から朝鮮半島への重要な輸出品だった黒曜石の採掘が今も続き、アシカ漁や巫女舞など、国境を越えて日本海沿岸に共通する文化が息づく。一方、近世まで天皇や貴族たちの流刑地となっていたため、様々な貴族文化も伝わる。後鳥羽上皇も楽しんだとされる日本最古の闘牛“牛突き”もその一つ。小さな島に多様な歴史と文化が詰まった、玉手箱のような隠岐の島々の物語。
神田・御茶ノ水界隈といえば、日本きっての学生街。現在も大学や各種学校が建ち並び、狭いエリアに多くの学生たちが集っている。江戸時代に始まった「学びの街」は、やがて古本屋など学生相手の商店が集まる街へと発展。そこへコロナ禍が。大学は門を閉ざし、学生が姿を消した。学生たちにとっても特別な年となった2020年。彼らはどんなキャンパスライフを送っていたのか。秋から冬、学生の街を見つめた。
日光。「風光明美な観光地」という“表の顔”の向こうに、古来脈々と受け継がれる「秘境の記憶」が息づいている。日光東照宮が開かれるその遥か前から、日光は土着の山岳信仰や修験道が深く根付く“聖地”だった。秋から冬にかけて、日光の深山幽谷はひときわ霊妙な姿を見せる。氷点下20℃近くまで気温が下がる極寒の集落には、厳しい自然への畏怖とともに生きてきた山の民の営みが今なお根付く。知られざる日光を描く。
東京都檜原村は、島しょ部を除く都内唯一の村。9割以上が山林で鉄道もコンビニもない。かつては甲斐への道が通じ、杉やひのきの産地として大いに賑わった。しかし、国産材の不振で人口は最盛期の3分の1、2200人に。山を所有する林業家は一軒となった。高齢化で5人に1人は80歳以上。なのに村にはかげりがない。それぞれやれることをやって、あるいはこの地に魅せられ移住して、東京の隅っこで暮らしている。
日本有数の鬼の出没地帯、奈良。冬は各地で荒々しい鬼や炎の祭りが繰り広げられる。燃え盛る松明とともに鬼が暴れまわる長谷寺の「だだおし」。厳しい精進をとげた男が鬼役となり、吹き上がる炎を掲げる念仏寺の「鬼走り」。なぜか「福は内、鬼も内」と唱える吉野山の節分。そして、鬼の子孫と伝わる人々が節分前夜に行う不思議な儀式。追い払うべき怖い鬼、豊かな実りをもたらす有難い鬼。鬼を畏れ、鬼に願いをかける人々の物語。
没後29年が過ぎてなお作品が次々にドラマ化され、今も話題を集め続けるミステリーの巨匠、松本清張。社会派と呼ばれた清張の作品は、どれをとっても「昭和」という時代を色濃く映し出している。「砂の器」「球形の荒野」「ゼロの焦点」など名作の数々を旅情とともに味わいながら清張が描いた昭和を旅し、作品の舞台や清張ゆかりの「聖地」に、変わりゆく日本と変わらない人々の心を見つけていく。
かつては、東京都内を網の目のように走っていた都電の中で、唯一残った「都電荒川線」。東京の北部12キロの距離をおよそ1時間。懐かしい町並みや自然豊かな風景を楽しむことができる。地域に密着した荒川線の歴史は、沿線に暮らす人たちの歴史でもある。通勤電車で生まれた青春のロマンス。廃線の危機から救った地元商店街の人たち。半世紀以上、乗降客を見守ってきた古書店の店主。荒川線とともに生きてきた人々の物語。
番組では、真言密教の開祖・弘法大師空海にまつわる各地の風土や風習を描いてきた。高野山では、空海を親しみ込めて“お大師さん”と呼ぶ町の人々の、祈りを捧げる姿。お大師様とともに歩き、地元の人たちの「お接待」に心打たれる遍路の人々。10年に一度の本尊大開帳が行われ、いつもにも増して華やかな雰囲気に包まれた川崎大師。各地で空海とともに生きる人々の姿と、1200年の時を超えて受け継がれる信仰と祈りを描く。
人と人の距離が、これほど遠く感じる日が来るなんて。新型コロナの影響で、結婚する人が減っている。令和2年の婚姻件数は、戦後最少。そんな今だからこそ、夫婦のありようを見つめてみたい。老舗煎餅屋で修行中の若夫婦。三味線弾きの夫を歌で支える妻。四国の山間の村でつつましく暮らす老夫婦。離れていても互いを思いあう夫婦…。今も昔も、一番遠くて近い人、心温まる夫婦の物語を、列島各地を巡りながら紡いでいく。
面白いことはみんな、地下から湧き出てくる東京の地下は、世界一、長くて広い。13の地下鉄路線、電気・ガス・水道・通信などの地下トンネルすべてをつなぎ合わせると、その長さは実に地球3周分。狭い東京にとって、地下はまだまだ拡大できるフロンティアだ。今日もどこかで、昼夜掘り続ける穴という穴が、新しい道になり、巨大なシェルターになり、有機野菜を作る農場にもなったりする東京の地下を、たっぷりさまよう1時間。
古来、「地獄と極楽がここにある」と信じられた富山県・立山。剣のように鋭い岩峰が「地獄」に。主峰の雄山は「極楽浄土」の象徴とされ、江戸時代には大勢の参拝者が訪れた。立山の信仰を全国に広めたのが、麓にある集落・芦峅寺の人びと。近代化が進み、立山信仰は衰退したが、今も芦峅寺の住民たちは先祖が残した文化を大切に暮らしている。登山客が集い始める初夏。山に寄り添い、暮らしを立ててきた芦峅寺の人びとの物語。
都心から急行電車で40分。丘の上の町並みのそばに、昔ながらの雑木林や古街道が残る土地に着く。東京から横浜にかけて広がる多摩丘陵だ。この地に50年前に誕生したのが“日本最大規模”の多摩ニュータウン。かつては酪農や養蚕が盛んだった農村地帯は、瞬く間に緑の中に団地や大学キャンパスが建ち並ぶ街へと変貌した。古きもの、新しきもの、多くの人々を受け入れながら歴史を刻んできた、多摩丘陵に生きる人々の夏物語。
史上初めて、1年延期して開催された東京オリンピック。しかし、新型コロナの感染が再拡大し、不安が広がる中での開催だった。新型コロナとオリンピックに揺れた東京の夏。どんな人がどんな思いで過ごしたのだろう。30歳、最後の大舞台に挑んだプロボクサー。3年に1度の祭りが中止となり、静かな夏を過ごす下町の人々。都内の公園で行われた炊き出しに集まる若者たち。いつもとは違う夏、自分らしく生きようとする人々の物語。
シーサーが見下ろす赤瓦の屋根に、低い軒先が作り出す風通しのいい日陰。沖縄の伝統的な家は強い日差しや台風から家族の暮らしを守る。美しく懐かしい家を沖縄各地に訪ねる旅▼赤瓦の島・渡名喜島。先祖と生きる▼アメリカ統治下で広がったモダンな住宅は今、超人気の物件に▼椅子職人の意地と誇り▼シスターの家と「花ブロック」▼復元めざす王様の家・首里城▼あの世の住まい・お墓▼焦土に建ったキカクヤー▼伝統を守る大工3代
山梨県の小淵沢駅から長野県の小諸駅まで78.9キロを結ぶ小海線は「八ヶ岳高原線」の愛称で親しまれるローカル線。標高1375mのJR鉄道最高地点があり、標高の高いJR駅1~9位を占める『高原列車』だ。その沿線には高原ならではの風土や暮らしが息づく。冷涼な気候を生かした日本一のレタス産地。澄んだ星空を捉える日本最大の電波望遠鏡。野外バレエや秘境駅、江戸時代からの風習。思わぬ出会いが待つ高原の夏の物語。
今月1日、豪雨災害を乗り越え「全線再開通」を迎えた只見線。7月放送の番組に再開通当日の映像を加えた拡大版で「鉄道の日」の夜にお届け▼新緑の5月から川霧に覆われる6月、そして全線再開通を迎える10月。福島・会津若松から新潟・魚沼まで、135kmを駆け抜ける。「世界でもっともロマンチックな鉄道」といわれる絶景をたっぷり紹介。鉄道と共に人生を歩んできた人たちの人情、そして再開通を迎える日の思いに触れる旅
「北海道の背骨」と言われる日高山脈の西に広がる日高地方。山川海の多様な自然がこの土地ならではの恵みをもたらす。広大な丘陵地帯は700もの牧場がある名馬の産地。トドマツなどの針葉樹林で栄えた林業。えりも岬の沖では上質な日高昆布が採れ、冷涼な気候を生かした夏イチゴの産地も。そして聖なる川・沙流川沿いにはアイヌ文化が色濃く残る。伝統の祭りや昆布漁、競走馬の運命が決まる競り市などが行われる日高の夏を描く。
秋は日本の食や農の豊かさを目に舌に感じられる季節。鳥取県では二十世紀梨の古木が116年の時を経て今も実を結ぶ。いちじくはポルトガルの宣教師が天草諸島にもたらしたという伝承が。ぶどう畑の美しい山梨県勝沼にはぶどうを手にした奈良時代の仏様が鎮座。あけび畑の広がる山形には独特の「あけび文化」が根づく。そして宇治の珍しい干し柿や、中津川の名物くりきんとん…。昔ながらの果物屋さんの店先を軸につむぐ秋の物語。
初回放送日: 2021年2月26日 冬の北陸と言えば、家々を覆う豪雪に日本海の荒波。大寒波に襲われることもたびたび。しかし、厳しい土地だからこその“冬のしあわせ”がある。ウニに岩ノリと、海の幸に家族が集う海女の里。旬の寒ブリ丸ごと一匹を娘夫婦に送り、結婚生活の幸せを祈る「嫁ブリ」の風習。荒海に出る越前ガニの漁師町、各地の酒蔵に出稼ぎに行く能登杜氏の山里など、厳しい冬を支えあって生きる人々や家族の心温まる物語。(2021年放送)
さくら―。日本人が特別な感情を抱いてきた花。今回は、桜を愛でる心の内を、各地の桜にゆかりのある人々に尋ねる。長野高山村では、満開のしだれ桜の下でピアノの音色が響く。震災で娘を失った父親が、娘への想いをこめて各地に送った13本の桜の苗木、その行方での出会い。そして、桜をうたったたくさんの楽曲、古今の詩歌も紹介。西行から森山直太朗、ユーミンまで、はかない花に託した日本人と桜の物語。