マラソンランナー・原裕美子、37歳。2005年名古屋国際女子マラソン優勝、2007年大阪国際女子マラソン優勝など、日本の女子マラソン界に彗星のように現れた期待の星だった。しかし382円相当のお菓子の万引きで逮捕、起訴され、その栄光は地に落ちた。 現在、原が暮らす更生施設は、覚醒剤やアルコール、万引きなどの依存症患者が共同生活を送る場所。我々は、去年12月、原に判決が下るまでのおよそ半年間、密着取材に成功した。 原の故郷は栃木県足利市。彼女は6人家族の次女。しかし、度重なる原の万引きで、兄弟とは疎遠になり、両親は娘の犯した犯罪で肩身の狭い生活を余儀なくされていた。 取材を始めてから3ヶ月、原にとって大切な男性が現れる。その男性は覚せい剤で3度の逮捕暦があり、現在は保釈中の身。彼もまた結婚に失敗した過去があり、同じような心の傷を持つふたりの距離は縮まっていく。しかし2人の時間は、あとわずかしか残されていなかった…。 万引きによってすべてを失ったマラソンランナー、原裕美子。彼女が人生の再起をかけて走り続ける日々を追った。
「最後の大道芸人」と称される伝説の人物、ギリヤーク尼ヶ崎(88歳) 身体ひとつを武器に、日本のみならず世界各地を巡り、投げ銭だけを稼ぎに 生きてきた。 しかし、老いとともに様々な病に襲われる。住まいは都営団地。物忘れもひどくなり、一人では歩行もままならぬ車椅子の生活。2015年末にはパーキンソン病が悪化。 10歳年下の弟が献身的な介護をしているが、老老介護のストレスを抱え、兄弟の確執は、激しくなっていく。 そんなギリヤーク尼ヶ崎が街頭デビュー50周年を迎えた2018年の一年間に密着取材。病と闘いながら全国各地の記念公演に挑む貴重な日々を追った。ときに身体と心のコントロールを失いながらも、街頭公演を続けるギリヤーク。壮絶な生き様と、世代を超え人々の心を揺さぶる<魂の踊り>。そして、最悪な体調で迎えた新宿公演、2000人の観衆を涙させ、喝采を浴びた演出とは?
去年11月、私たちが3年間追っていた主人公が覚せい剤の使用で逮捕された。 タカシ(仮名)31歳だ。 3年前、タカシは、教会「罪人の友」に住み込んでいた。ヤクザを辞めたばかり、人生をやり直そうとこの教会に駆け込んできたのだ。教会の牧師も元ヤクザ、行き場のない人たちを受け入れ、彼らの社会復帰のための支援を続けている。タカシのサポートをしているのは、やはり元ヤクザの学。壮絶な過去から立ち直った学のドキュメントを去年7月に放送し、大きな反響を得た。その学が、教会に共に住み込み、タカシの面倒を見ていたのだ。 みんなに見守られながら社会性を取り戻そうとするタカシ。真っ当に働きたいと、職業訓練学校に通い始めたものの、元ヤクザという過去に引き戻されてしまう出来事が…。 さらに、その後、せっかく見つけた職場に、タカシが突然、来なくなってしまう。誰とも連絡を取らず部屋の中にこもってしまった。ようやく入れることになったタカシの部屋、そこでカメラが見たものとは…。 タカシの挑戦と挫折。彼を支えようとした人たちの手を離して、 タカシはどこに向かおうとしていたのか…。 苦闘の3年間を追いかけた。そして今、彼は…。
42歳で現役ホストを今も続ける歌舞伎町の伯爵。10年前は、年収3500万を稼ぐナンバーワンホストでしたが、かつて伯爵を指名してくれていた同世代の女性達はホスト遊びを卒業。現在、店に来るのは20代から30代前半の若い年齢層ばかり。前回の放送よりも、42歳の伯爵との間に世代間ギャップが生まれていました。 この夜も、若い女性客にはなじられ、バカにされる日々。悲惨な現状から目を背けようと、ヘルプで泥酔して惨めな姿をさらす機会も増えていました。そんな中、事件が起きます。20歳の新人ホストに八つ当たりするかのように、濃い酒を無理やり飲ませた結果、後輩達から激しい批判を浴び、ついには社長ナイトにホストを引退してはどうかと促されてしまいます。しかし、伯爵には、現役を続けなければならないある事情があったのです。 諦めない伯爵が、売り上げアップのために始めた奇策とは?その結果、伯爵の運命は、大きく動き出し、小さな奇跡が起きるのです…。
キャバクラの激戦区、新宿・歌舞伎町。この夜の街で、店のママとして奮闘する沙世子、26歳。 ママになる前は、歌舞伎町でキャバクラ嬢をしていた沙世子は、売上ナンバー1の売れっ子キャストだった。 ところが、店のママの仕事はキャバクラ嬢だった頃よりも多忙を極め、今時の女の子を管理していくのは並大抵のことではなかった。新人キャストを発掘し、歌舞伎町で通用する人材を育てるのは、とてつもなく難しいのだ。 そんな中、昨年10月、広島でナンバー1キャバクラ嬢だった一人の新人が入店。 彼女はマリ、21歳。沙世子はマリに大きな期待をかけていた。ところが、マリは大きな壁にぶつかっていたのだ。一方で、沙世子はキャストたちのモチベーションを上げるため、ある大胆な改革に乗り出すのだが…、予想外の展開が待ち受けていた。それは、一体…
豪華客船ダイヤモンド・プリンセスに乗って、中高年の男女が婚活を行う婚活クルーズの第二弾。今回は、7歳の娘を持つ38歳のシングルマザーが主人公。 千葉で農業を営むあやさんは、去年から婚活を始めたが、「子供がいる」と相手に告げた途端、男たちが去っていくということに悩んでいた。もう結婚できないのではないか…。そう思っていたあやさんだが、娘の「パパが欲しい」という声に押されて婚活クルーズに挑戦することになった。 今回のコースは、台湾まで飛行機で行き一泊し、翌日、乗船して横浜まで帰ってくる4泊5日のツアー。農業を一緒にやってくれて、娘を可愛がってくれる男性を探すあやさんだが… なかなか条件に合う人は見つからない。そんな中、ある男性から告白されるのだが… あやさんの選択は…。涙の結末が待っていた。
今回は、フィリピンで新たな人生をつかもうと日本を脱出した二人の男が主人公。 彼らは、それぞれ日本で結婚をし、子供を育て仕事に励んでいた普通の日本人だが、人生の歯車が狂った。 マナブさんは、マニラ郊外で底辺の仕事を続け、その日暮らしを送っている男。パートナーは、現地で知り合った31歳も若いフィリピン人妻。日本に残した一人息子の自殺を知り悲嘆にくれ、新たな家庭を築こうと必死にもがいていた。だが、そこに事件が起きる。 サダオさんは偽装結婚でフィリピンに渡ったものの騙され、そのまま不法滞在を続けざるを得なくなった男。日給500円程度の貧困に喘ぎながら生活していた。そして、海を渡って10年、サダオさんに帰国のチャンスが巡ってきた…。 かつては幸せを夢見た日本人たちがフィリピンに賭ける残りの人生。異国の地で再挑戦を図る二人に、待ち受ける結末とは…?
愛知県・岡崎市の山の中に、小さな寺がある。 そこはかつて「平成の駆け込み寺」と呼ばれ、非行や虐待、いじめ、薬物依存など、様々な理由から親元で暮らせなくなった子供達の「居場所」だった。 今回の主人公は、その寺で壮絶な思春期を過ごしたショウとタクマ。 非行グループに属していたショウは、バイクの窃盗を繰り返し、13歳にして少年鑑別所に送致される寸前だった。 兄貴分のタクマもまた「九州の中学生ヤクザ」と異名を取るほどのワル。 二人の出会いは11年前、寺の住職である廣中邦充さんの元にショウが預けられた日に遡る。 廣中さんは20年間に渡り、問題を抱える子供たちを無償で預かり、更生に導いてきた。子供たちからは「おじさん」と呼ばれ、第二の父親の様な存在だ。おじさんや仲間たちから温かく迎えられ、ショウは少しずつ落ち着きを取り戻していくが、ある日事件が起きる・・・ 一方、子供達の精神的な支えであった廣中さんは、ステージ4の肺がんに侵され、その後、脳転移が発覚。強靭な精神力で病と闘いながら、最期まで子供たちに手を差し伸べ続ける。 ショウとタクマ、そして熱血和尚と悩める子供たちの心の触れ合いを捉え続けた、11年間の映像記録。
ほんの8年前までは、好きな仕事でバリバリに働いていた美怜、37歳。彼女を突然襲ったのは、難病ALSだった。進行が進み発病から3年で手も足も動かなくなってしまった。食事も排泄も、生活の全てを両親とヘルパーたちに介護してもらい生活している。 ALSには有効な治療法もない。「呼吸器を付けなければ、あと3か月の命」と医師に宣告され、やむなく呼吸器を付けることを決断した。 しかし彼女はへこたれない。お世話になった人たちに会うため、呼吸器を付けて飛行機に乗り沖縄へ。そしてALSという病気を世の中に知ってもらうため、全国を動き回る。それは、限られた時間との戦いだった。 進行が進めば、目も閉じてしまい、全く外界とコミュニケーションが取れなくなる。 その「閉じ込め状態」になっても生き続けなくてはならないことを美怜は恐れていた。 海外のいくつかの国で認められている「安楽死」が、日本では認められていないからである。 発病から8年が経ち、顔の筋肉も動かせなくなっていき、美怜は表情を失った。絶望の淵に立たされても、美怜は「幸せの瞬間」を求めて生きていく。
今回で第4回となる「シンデレラオーディション」。オーディションを通過すれば、手術費は全額無料。ファイナリストに選ばれれば、来場者3万人を超えるイベント「ガールズアワード」でランウェイを歩くことができ、さらにグランプリには賞金300万円が贈られる、 まさに現代のシンデレラストーリーです。 今回の主人公は、このオーディションを最後のチャンスとして参加した2人の女性。 一人目は、尾上七海(おのうえななみ)さん。20歳。現在、大阪で地下アイドルをしている彼女の悩みは、まぶたが重い目。そして輪郭。ステージには、がっちりとしたつけまつげに二重のりを使い、目を大きくしてからじゃないと登れません。そんな彼女には、これまで周囲にひた隠しにしてきた過去が…。果たして、七海さんは新たな人生をスタート出来るのでしょうか? 加藤叶華(かとうきょうか)さん、20歳。彼女の悩みは、不揃いな歯並び。この歯並びを見せたくないために高校では、マスクをつけて過ごし、アルバイト先もマスク着用の職種を選びました。いまでは、外出も少なくなり、バイト先と自宅を往復する毎日…。さらに彼女は、「心配をかけたくない…」と母親にコンプレックスを隠し続けてきました。 そんな叶華さんが、今回はじめて母親の前で、思いを吐き出します。叶華さんの思いは母親に届くのか? 去年、一昨年と、二週にわたり放送し、大きな反響があった「美容整形する女性たちの物語」。人生の再出発をかけた彼女たち、そして、それを見守る家族の姿を追いました。
今回で第4回となる「整形シンデレラオーディション」。オーディションを通過すれば、手術費は全額無料。ファイナリストに選ばれれば、来場者3万人を超えるイベント「ガールズアワード」でランウェイを歩くことができ、さらにグランプリには賞金300万円が贈られる、まさに現代のシンデレラストーリーです。 今回の主人公は、これまでのオーディションでは出会うことのなかった意外な経歴を持つ2人の女性。一人目は、参加者の中で唯一のお母さんである山田麻莉亜(やまだまりあ)さん、22歳。彼女は、2年前にひき逃げ事故に遭遇。一命はとりとめたものの、その顔や体には、大きな傷跡が残ってしまいました。当初は、「傷跡さえ消せれば…」と考えていた彼女ですが、自分の可能性を試したい!と顔の美容整形も決意。ガールズアワードのランウェイを目指します。果たして、「カッコいいママ」の姿を夫や息子に見せることが出来るのでしょうか? そして、二人目は、穴久保りお(あなくぼりお)さん、20歳。趣味のコスプレをキッカケに美容整形を決意した彼女が抱えていたのは、発達障害。中学生のころから症状がひどくなり、自殺未遂を起こしたことも…仕事も長続きせず、ニート生活を送っていました。そんな彼女の目的は、「美容整形をキッカケにして、自分の中身を変えるコト」。ところが彼女は“意外な決断”をするのです。 夢の舞台である「ガールズアワード」のランウェイを歩けるのは、5人のみ。彼女たちは夢を叶えることが出来るのか?そして、グランプリの栄冠は誰の頭上に輝くのか?人生の再出発を賭けた、彼女たちの一年間を追いました。
坂口杏里とは、フィクションかノンフィクションか… レンズ越しに彼女を観察し続けると、時々わからなくなることがあった。 たった28年間の生き様を、これほどまでに切り売りしてきた人を私は知らない。 『大女優、坂口良子の娘』その“星の元”を売りに芸能界デビュー。 母・良子は、旅立つ日がそう遠くないことを悟っていたかのように娘を必死で売り込んだ。 杏里の世間知らずなキャラクターはクイズ番組やバラエティ番組に引っ張りだこに。 その“おバカキャラ”が消費され尽くすと今度は“炎上タレント”として注目を集めた。 ところが、2017年4月― その時杏里には、たった3万円すらなかった。 恐喝事件を起こし逮捕されると、芸能界に彼女の戻る席はもうなかった。 『元・芸能人 坂口杏里』の転落ぶりは、ますます人々の興味をそそった。 私も最初は、その見事なまでの転落人生に好奇の目を向けていた一人だったのかもしれない。 撮影を始めたのは昨年6月。 ストリップの殿堂「浅草ロック座」でデビューするという彼女を追い始めていた。 ところが…ストリッパー坂口杏里の踊る姿を収めたのが 私のカメラだけになろうとは、その時は思いもしなかった。 この頃杏里はワケあって、夜の世界から抜け出せずに、一人苦しみもがいていた。 それから1年に渡り、彼女に何かが起きると私はその“裏”を記録し続けた。 一方、“表”ではネットのニュースが杏里の話題を手に入れては放出する。 そんなことが何度となく繰り返された。 ある夜、私の携帯が受信したのは彼女からの『遺書』。 生きることすら放棄した杏里を奮い立たせたのは、亡き母・坂口良子が残したものだった。 坂口杏里とは、フィクションかノンフィクションか… あなたの目にはどう映るだろうか。
1年後に迫った東京オリンピック。その出場を、運命づけられた子供たちがいます。 朝飛七海、真実、太陽の3姉弟は、父が館長をつとめる名門柔道場・朝飛道場の子供として生まれました。実は、父も母も柔道家。3姉弟は東京オリンピックへの出場をめざし、柔道づけの毎日を送ります。そこには、朝飛家に秘められたある思いがありました。 「オリンピックに出場する」という祖父からの夢を託された3人の子供たち。姉の七海(当時中2)は、泣き虫で不器用。いつも父にどやされていました。次女の真実(小6)は2年連続小学生チャンピオン!将来の夢は、東京オリンピックの出場です。弟の太陽(小4)はなかなか成長期がこず、悩んでいました。 それぞれに成長していった子供たち。泣いてばかりいた七海は大学生になり、なんと全日本強化選手に選ばれていました。いよいよ、夢にまで見た東京オリンピックが目の前に…!しかし、七海には厳しい試練が待っていたのです。 東京オリンピックへの出場という、運命を背負い続けた朝飛家の6年の記録。 果たして、子供たちの行方はー?
2015年、廃業寸前だった銭湯「サウナの梅湯」をたった一人で引き継いだ若者がいる。 湊三次郎、当時25歳。消えゆく銭湯を守る、そう決意した三次郎だったが現実は違った。設備の老朽化、集客もままならない。肉体的にも精神的にも追い込まれていった…。 あれから3年。三次郎は28歳になった。梅湯の経営をなんとか軌道にのせ、京都でも一二を争う人気店へと育てた。そんな三次郎の次なる野望は、2軒目の銭湯の経営。 2018年11月、三次郎はついに滋賀・大津市膳所にある「都湯」を引き継ぐことに。 二軒も一人でやることはできないと、今回はスタッフを集め、店を任せようと考えた。 集まったスタッフは個性豊かだ。34歳の原さんは「業界初のYouTube番組を作りましょう!」と息巻く。三次郎が、いずれ都湯の女将にと考える藤内さんは、まだ、現在の仕事が続いており、なかなか銭湯の仕事に集中できない。湯を沸かす手順がなかなか覚えられずに四苦八苦、「銭湯は好きだけど、自信がなくなってきた」。また、三次郎自身も「ワンマンな自分を抑えねば…」と自分を戒めるが…。 共に働く中で、焦りや不安ですれ違っていくスタッフたち、さらに、集客問題なども発生。それでも「銭湯を残していくこと」を目標に進む三次郎やスタッフ。 夢に向かう若者たちの悪戦苦闘を半年間にわたり、追いかけた。
今回の物語の主人公は二人の男…一人は、レストラン「アロハテーブル」など、日本やハワイに 70店舗以上の飲食店を運営する株式会社ゼットンの社長、鈴木伸典さん(46)そしてもう一人は、ゼットンの事業部長、松山竜造さん(45) 2018年秋、突然社長から「葛西臨海公園多面的活用プロジェクト」の責任者に抜擢された竜造さん。これまであったバーベキュー広場やレストランのリニューアル、新しいカフェやプレミアムBBQ施設の立ち上げ、さらには公園ならではの屋外でのウェディング開催など、5つものプロジェクトの一斉立ち上げに奔走します。しかし、竜造さんがレストランやカフェの新メニューをプレゼンするたび、鈴木社長からダメ出しをされてしまう日々… 実は、鈴木社長が、この一大プロジェクトの責任者に竜造さんを抜擢したのには、ある理由がありました。そしてそこには、30年の時を超えた、二人の男の運命の物語がありました。
石塚和生、58歳。ラーメンシェフと呼ばれている。 シングルマザーの母のもとに生まれ、幼少時に母を亡くし、身寄りのなくなった石塚は、イタリアンの料理人からラーメン職人となり、イタリアンテイストのラーメンで市ヶ谷の「Due Italian」は行列のできる人気店に。続いて、日比谷、台湾、三軒茶屋などに次々に新店をオープン。 そんな石塚に、ラーメン職人になるきっかけを作ったのは、今は亡き師匠“ラーメンの鬼”佐野実。師匠が最初に店を出した神奈川・藤沢市への出店話があり、佐野が石塚に託したスープのレシピを使った新しいラーメン作りに取り掛かろうとする。 しかし、石塚を次々と災難が襲う。台湾店の店長が交通事故死、三軒茶屋店が売り上げ不振。さらに石塚自身も交通事故に巻き込まれてしまう。 2019年に入り、経営者から一人のラーメン職人に戻り、ようやく師匠に託されたレシピでのラーメン作りに取り掛かる石塚。味に迷い、師匠である佐野の妻・しおりに試食してもらう。果たしてラーメンは完成するのか?
東京・杉並区高円寺…古びた住宅街の一角に築50年以上の風呂なしアパートがある。そこに20代から住むのは奥山たえこさん(62)楽しみは焼き鳥をつまみに酒を飲みながらの読書という気ままな独身・一人暮らし。家にはエアコンはもちろん洗濯機も炊飯器もない。水道からお湯も出ず、大雪の日でも「マフラーを巻けば大丈夫」と暖房なしで過ごす生活…そんな奥山さんが新たに始めたのがシングルマザーや日雇い仕事をする人など、住む家がなく、お金に困っている人のためのシェアハウス。一体なぜ60歳を過ぎてから、こんなことを始めたのか… 実は奥山さんは3年前まで杉並区の区議会議員。前回の選挙で落選し、新しく挑戦したのがシェアハウスの運営だ。しかし中々、満室にならず、光熱費も予想以上、家賃を滞納する住人まで…頭を抱える日々が続く。 そんな奥山さんのもとに、一人の男性がやってきた。岩井祐樹さん(37)。派遣切りやリストラにあい、将来が見えなくなっていた7年前、議員だった奥山さんと出会い、手伝いを始める。自分の信じる道を貫き、生きづらさを抱える人に寄り添う奥山さん…そんな姿を見て、岩井さんも区議選に立候補したいと言い出す。心に引っ掛かっているのは、3年前に1度、落選した区議選の記憶…岩井さんは意外な行動に出る。 そんな中、シェアハウスである事件が起こる。次々と降りかかる問題を前に、追い詰められていく奥山さんの決意とは…
ビッグマミィことタレントの“美奈子”(36)その夫の佐々木義人(37)の結婚5年目を迎えた夫婦。そして夫婦が愛してやまない8人の子供たち。母・美奈子は、3度の離婚を乗り越え6人の子供たちを育ててきた。一方、父の義人は元プロレスラー、バリバリの体育会系昭和男子。2017年4月には2人の間に待望の娘・柚都(ゆづ)。去年11月には8人目の子供・小雪が生まれ、一家は10人の大家族になった。 初婚にしていきなり大家族の父親になった義人は、バスの運転手。一家の大黒柱として、早朝から働きづめで日夜ストレスが溜まる一方… 正義感が強くキレイ好きの義人はその性格が裏目に出て、育児方針を巡り夫婦喧嘩が絶えない。義人は子供たちに夫婦間の争いを見せたくないとたびたび「家出」をする。2人が共に悩み続ける育児。今、直面している最大の問題は学校を中退してしまった思春期を迎えた19歳の長男・星音(しおん)と17歳の長女・乃愛琉(のえる)。 家を飛び出してしまった長男を温かく迎え入れようとする母・美奈子。対して、あくまでも男子たるもの、責任感を持って1人で生きていくべきと主張する父・義人。夫婦2人の夢とゴールは同じ子供たちの幸せなのだが…カメラは10人の大家族のありのままの姿を追った。
一家10人の大家族。夫婦が抱え続ける“育児問題”そして絶えない夫婦喧嘩。 10カ月ぶりに家に戻った長男・星音(しおん)。 父・義人との同居の条件は、アルバイトをして一人暮らしのためのお金を貯めること。しかし一月たっても仕事に就くことはなかった。 仕事に就けないのか?本人が仕事をする気がないのか?気をもむ夫婦。長男・星音への接し方、対処法の意見の相違から夫婦間には深い溝が… 一方、父・義人と距離をおく長女・乃愛琉(のえる)は高校中退後、アルバイトから契約社員となり、真面目に仕事を続けている。高校中退に猛反対をした、父・義人の反応は… 家に戻って2カ月、星音もついにアルバイトをスタート。 順風満帆にみえた星音のアルバイトだったが、その3週間後に大事件が… 「家族がバラバラになってしまった」「もう一度、家族を一つにしたい」と考えた美奈子は、一家全員でのキャンプ旅行を企画。 そのキャンプで、義人が思いがけない行動を起こした。 ビッグマミィことタレントの“美奈子”(36)その夫佐々木義人(37)の結婚5年目を迎えた夫婦。そして夫婦が愛してやまない8人の子供たち。 カメラは10人の大家族のありのままの姿を追った。
2018年春…「強風で飛ばされた看板にぶつかり女性が大ケガをしました。」 そんなニュースを父親は他人事と思っていた。自分の娘が病院のベッドに横たわる姿を見るまでは…。 脊髄損傷で両足が動かなくなった娘。猪狩ともか(当時26歳)の職業は歌って踊るアイドル。オリコン1位を獲得したこともあるアイドルグループ「仮面女子」のメンバーだった。夢を奪われた娘…一家に、突然訪れた悲劇だった。 定年退職を2年後に控える公務員の父。残りの人生をかけて車椅子の娘を支えていこうと思った矢先、娘は「アイドルを続ける」と言い出した。“車椅子のアイドル”としてやっていくというのだ。芸能事務所もサポートしていくという。こうして“車椅子のアイドル”が誕生する。 アイドルが車椅子で活動する…その注目度を武器に復帰した娘。しかし、そう簡単なことではなかった。「仮面女子」は激しいダンスで、ライブを中心に活動するグループ。車椅子がメンバーの動きを制限してしまう。それどころか、ライブをやりきる体力もない。事務所には「障がい者を見世物にするな」という批判の声が…それでも仕事は次々と入ってくる… ある日、歩くことができなくなった娘と夢をあきらめない娘に父ができることは。車椅子のアイドルと家族の1年を追った。
1980~90年代に来日したフィリピンパブで働く女性とその客である日本人男性の間に生まれた2人の青年がいる。 お笑いコンビ「ぱろぱろ」を結成し、劇場で爆笑をさらう和田昭也(26)。フィリピンパブで働く母と日本人の父との間に生まれた昭也の悩みは、今もフィリピンパブで働く母が家族のもとを出て行ったまま戻らないこと。おそらく原因は、父のパチンコ通いと借金。家族が仲良く一緒に笑って暮らしていた「幸せな時間」をもう一度取り戻したい昭也。 ある日、実家にいる父から「家の電気が止まるのでお金を貸して欲しい」と連絡が入る。別居中の母の口からは「父を殺したい」という言葉が… 相方の大久保健(25)も昭也と同じようにフィリピンパブで働く母と日本人の父との間に生まれた。幼い頃から自分の母が、友達の母と違うことにコンプレックスを抱えていた健。もし母がフィリピンパブで働いていることをクラスメートに知られたらイジメられるかも知れない…そんな恐怖を抱えて生きていた健は、自身のルーツである「フィリピン」を笑いのネタにすることで、コンプレックスを自らの“武器”に変え、劇場での人気を確実なものにしていった。そんな健の心を母の一言が大きく揺さぶることになる… フィリピンパブで働く女性を母に持つ、お笑いコンビ「ぱろぱろ」の家族模様。バラバラになった昭也の家族は、再びあの頃のように一つになれるのか…
家族、友達、恋人…人は常に誰かを求めている… そんな概念を覆す男が登場したのは約1年前のことだ。 はじまりはこんなツイート。 『なんもしない人(ぼく)を貸し出します。常時受付中です。国分寺駅からの交通費と、飲食代等の諸経費だけ(かかれば)ご負担いただきます。お問い合わせはDMでもなんでも。飲み食いと、ごくかんたんなうけこたえ以外、なんもできかねます。』 そもそも、人は働いて稼がなければいけないのか?何かをしないといけないのか? そんな疑問を抱く「レンタルなんもしない人」こと森本祥司(35)が貸し出すのは「何もしない自分」… それは文字通り、何もせずに一緒にいること。 そのサービスがツイッターで広がると「なんもしない人」への依頼が殺到した。 2019年夏…「レンタルなんもしない人」に次々に舞い込むちょっと変わった依頼。 趣味のギターの練習を見守ってほしい、タピオカドリンクを自分の代わりに飲んでほしい、真顔で過ごさせてほしい、“夢日記”を読んでほしい…人々は「なんもしない人」に何を求めているのか? 今やツイッターフォロワー数23万を超える森本。本家「レンタルなんもしない人」を真似たアカウントは日本全国で60を超え、新しいブームとなっている。 「レンタルなんもしない人」の向こう側に見えたのは、「令和の時代」に生きる人々の不思議な人間模様だった…
半グレ集団——暴力団には所属せず、犯罪を繰り返す集団。警察庁は「治安を脅かす新たな反社会勢力」と位置づけている…“最凶”の半グレ集団と呼ばれ、中国残留日本人の2世・3世を中心に結成された「怒羅権(ドラゴン)」の創設メンバーである男は今、東京の下町で静かに暮らしている。 「相手を殴ってどんどん興奮して最後に日本刀で腕切り落として、それでも怒りが収まらずに首を切り落とそうとして、やっぱり切れなかったんだよね。硬くて…」19歳で逮捕された時の話を穏やかな顔で話す男、汪楠(ワン・ナン)は、47歳になった。 現在は、受刑者や出所者を支援する活動を行なっている。それは汪楠の過去の罪への償いでもあるのだ。非道の限りを尽くした末に逮捕され、13年を刑務所で過ごした汪楠を救ったのは、1冊の本をめぐる裁判官の言葉と塀の外から届く手紙。汪楠は過去の罪を悔い、更生を誓う。 出所した汪楠は、全国の受刑者に本を送る活動を始め、出所者の「第二の人生」を支援する活動を続けている。しかし、日本国籍を持たない汪楠は、就労することが許されず、受刑者支援の活動資金は、常に足りない状況だ。 そんなある日、汪楠が面倒をみていた出所者が、活動資金を持ち逃げしてしまう“事件”が起きる…それは、汪楠の婚約者が工面し、寄付してくれた大切な「50万円」だった。活動資金を失い、窮地に陥った汪楠の前に、持ち逃げした男が意外な形で姿を現すのだが…
「東京で夢を叶えたい」「スポットライトを浴びてステージに立ちたい」…共にひとつの夢を追い続けた、ある母と娘の8年間の記録。 2011年、舞台女優を目指し高校卒業後に故郷・長野から上京した渡邊美代子さん(当時18歳)と、その娘を見送った母・美奈世さん(当時48歳)。この母娘の間には、深い心の溝があった。過去の事業の失敗から、日々、借金返済に追われる暮らしを余儀なくされていた渡邊家。そのため母・美奈世さんは、娘が中学校で遭っていたイジメから目を背けてしまったのだ。そんな母への不信感が拭えず、18歳で故郷を飛び出していった娘。 もう一度だけ母を信じてもらいたい…そんな償いの思いから、東京で女優の夢を追う娘のために、自ら“営業”をして仕事を取ってくる母。しかしその行動はどんどん空回りをしていく。母に怒りをぶつける娘、同じ夢を追っているはずなのに、すれ違い続ける二人の想い。それでも、金銭的援助などで過剰なほど娘の夢を応援し続ける、母・美奈世さんの行動の裏側には、彼女の胸に秘めた青春時代の想いがあった。 一方、母と娘の夢は、上京から5年が経ち、新たな方向へと展開していく。 結婚と出産を経て、故郷・長野へと戻る選択をした美代子。ところが、夢をあきらめかけた母娘にある日、意外なオファーが舞い込む。 そのオファーに、娘以上に喜ぶ母・美奈世さんは、まるで自分の青春時代を取り返そうとするかのように奔走する。しかし、再び訪れる思わぬ事態…。それでも夢をあきらめない美奈世さんに、東京で“あるサプライズ”が待ち受けていた。
「働きたくない。好きなだけ寝て、好きなことだけして過ごしたい」という思いを綴った著書「ニートの歩き方」で、日本一有名なニートになったpha(ファ)さん(40)。名門・京都大学を卒業しながら、定職につかず、お金に縛られない暮らしを実践してきた。 「ザ・ノンフィクション」では2014年7月にphaさんと仲間たちの暮らしぶりを「お金がなくても楽しく暮らす方法」として放送、大きな反響を呼んだ。 その後も取材を続け、2017年6月、3年後の彼らの暮らしを描いた「会社と家族にサヨナラ ~ニートの先の幸せ~」を2週にわたり放送した。 今回は、その後の2年間を取材。2017年春、phaさんの京都時代の友人がシェアハウスを訪れた。京都で会社を経営する若手実業家のひらうさん。都内に土地を買い、みんなで楽しく暮らせる9階建てのビルを建てようという計画を立ち上げる。さらに、シェアハウスの住人である無職の似非原(えせはら)さんがゲーム作りに挑み、ひらうさんの会社で発売する計画がスタート。 そんな中、phaさんは40歳を迎え、シェアハウスを解散して一人暮らしを始めることに… 彼らの“楽園”になるはずのビルの建設は…これまで様々なことを試み挫折してきた似非原さん再々再々出発の行方は…好きなことだけをして生きていくことを実践する彼らの生き方に迫る。
「働きたくない。好きなだけ寝て、好きなことだけして過ごしたい」という思いを綴った著書「ニートの歩き方」で、日本一有名なニートになったpha(ファ)さん(40)。名門・京都大学を卒業しながら、定職につかず、お金に縛られない暮らしを実践してきた。 「ザ・ノンフィクション」では2014年7月にphaさんと仲間たちの暮らしぶりを「お金がなくても楽しく暮らす方法」として放送、大きな反響を呼んだ。 その後も取材を続け、2017年6月、3年後の彼らの暮らしを描いた「会社と家族にサヨナラ ~ニートの先の幸せ~」を2週にわたり放送した。 今年4月、phaさんは大きな決断を下す。11年暮らしたシェアハウスを解散し、一人暮らしを始めると言う…いまや伝説となったシェアハウスを立ち上げた男がなぜ今、ひとりになるのか… その一方で、phaさんがこれまで提案してきた「好きなことをして生きていく」「無理しない生き方」「苦しければ逃げていい」…という生き方に触発され、人生の選択をする若者たちがいる。 19歳で「行き場のない人」のためのシェアハウスの運営を始めた今井ホツマさん。大成功を目指さない「しょぼい喫茶店」を始めた池田達也さん(25)など、phaさんの“遺伝子”は受け継がれている。 世の中で「働き方改革」が叫ばれる中、「好きなことだけをして生きていく」若者たちの姿を追う…
中国・長沙に、いま中国で一番人気のある日本語教師がいる。中村紀子さん・49歳。これまでの教え子は約22万人。中村先生の人気の秘訣は、インターネットを使ったライブ授業。パソコンの向こう側には約5千人の生徒がいる…「中村先生の授業は“生きた日本語”を学ぶことができる」「人生が変わった…」と、語学学習にとどまらない魅力的な語りが、生徒たちの心を掴んでいる。 中村さんの幼い頃からの夢は「教師」になること。しかし、大学時代に挑んだ教員試験に不合格、大きな挫折を味わった彼女が選んだのは塾講師の道。だが、そこで人生を揺るがす“事件”が起きる。共に、人生の悩みを抱えていた同僚講師が自ら命を絶ったのだ。もしかしたら自分も同じ選択をしていたかも知れない…混乱する中村さんの目を覚ましたのは、同僚の死を悲しむ生徒たちの姿。「教え子を導くべき者が、教え子を悲しませてはいけない」。改めて教師の道を志すことを決めた中村さんは、16年前、日本語教師として、ひとり海を渡った。 中国で大人気の中村先生の授業を支えるのは、中国人スタッフたち。その中の一人が、今年3月に入社した新入社員の周さん・24歳。愛称はルンルンだ。日本のアニメが大好きだった彼女は、独学で日本語を学び、中村先生との出会いをきっかけに、日本語を使った仕事に就くことを決めた。 しかし、ルンルンは大きな悩みを抱えていた。流暢な日本語を話すスタッフは皆、大学の日本語学科卒。独学で学んだのは彼女だけで、日本語能力が圧倒的に低い。さらに両親は、娘が日本語を使った仕事をすることに反対しており、ルンルンは、家族に内緒で、逃げるように中村先生のところにやって来たのだ。そんなある日、ルンルンの元に届いた「祖母が危篤」という知らせ。彼女は、全てを打ち明けに故郷へと戻るのだが…
2019年10月15日–––世間から「鬼畜」「悪魔」と言われた男・船戸雄大被告(34)に判決が下った…去年3月、目黒区内のアパートで虐待の末に亡くなった船戸結愛ちゃん(5歳)の継父だ。東京地裁は「結愛ちゃんの身体的苦痛、苦しみ、悲しみ、絶望感は察するに余りある」として虐待事案では最も重い部類となる懲役13年を言い渡した。 雄大被告が公判で語った結愛ちゃんに対する思い「私が親になろうとしてごめんなさい」その言葉の意味とは… 5歳の女の子に暴力を続けた雄大被告とは一体どんな人物なのか…小学校の同級生や大学時代の親友、会社の同僚・上司、飲み仲間たちを取材すると「鬼畜」からはかけ離れた素顔が見えてくる。 事件が起きるまで、雄大被告が東京で“兄”のように慕っていた人物のLINEに残っていたのは、結愛ちゃんと出会ってからの約2年間のやりとり… 「香川で今付き合っとる仔と籍を入れることが決まりました…(笑)」「まぁ金はないですけど幸せは幸せです(* ̄▽ ̄*)」※船戸雄大被告のLINE原文ママ 身近な人たちが語るのは「学校一バスケがうまかった」「サークルのリーダー的存在」「同期の盛り上げ役」という雄大被告の意外な素顔。大学時代の親友は「アイツはそんなことしない」という言葉まで…常に輪の中心にいた男が、なぜあんな陰惨な虐待を行ったのか。 取材の中で浮かび上がって来たのは雄大被告の「他人の目を過剰なまでに気にする性質」次第にかい離していく「現実の自分」と「理想の自分」…その焦りと苛立ちが生んだ悲劇。 そして、雄大被告が公判で語った「私が親になろうとしてごめんなさい」という言葉。かつての友人たちは、この言葉をどう受け止めたのか…
20代の腕利き女性料理人としてメディアでも注目されてきた新羅彩乃さん(29)。彼女は今、シングルマザーとして1歳になったばかりの娘・乃逢(のあ)ちゃんと品川区内のマンションに2人で暮らしている。 乃逢ちゃんにはパパがいない。彩乃さんは、相手の男性と別れても「娘の人生は自分が背負う」と覚悟をして乃逢ちゃんを産んだ。 彩乃さんの主な仕事は『出張料理』。ホームパーティーなどで、自宅にシェフを招き、レストランで食べるような料理を気軽に楽しめるサービスだが、その依頼は、不定期で働く時間も予想がつかない…「自分のペースで働ける環境」を探す彩乃さんがたどり着いた答えは、自らのキッチンを作ること。大きな借金をしてまで開業にこぎつけたものの、新しく雇ったスタッフとの間には溝が生まれていく。育児、新事業、子育ての狭間でもがく彩乃さん… そんな彼女を救ったのは、30年勤めた会社を辞めて、上京してきた父の孝志さんだった。シングルマザーとなった娘と孫との共同生活…孝志さんは育児全般のサポートに加え、経理やスケジュール管理、さらに、新たに弁当の移動販売をやりたいという娘を支えるため、手作りでリヤカーを作り始める…
独身で一人暮らし、32歳の美子(よしこ)は、アルバイトで生計を立てる日々。 30代になり、これから自分はどんな仕事をするのか…結婚もしたい…子供もほしい…悩んだ末に出した答えは、なぜか「女子プロレス」。美子は32歳でプロレスの練習生になったのだ。 しかし、練習生の給料はゼロ。借り上げの寮生活で厳しい暮らしと激しい練習の毎日。学生時代は運動の経験がなく、運動神経もゼロの美子は、いくら練習しても、なかなか上達できない。そんな美子を見かねた先輩が呼び出した…「成長が見えなきゃやっている意味がない!」。次々とセンスのある後輩も入門してくる中、次第に追い込まれていく“遅すぎる新人”の美子。 さらに、美子には、隠していることがあった。「プロレスラーを目指していること」「練習生になったこと」を実家の父親に言えずにいたのだ。幼い頃から「美子に幸せな家庭を築いて欲しい」と願う厳格で堅実な父。まさかプロレスラーになるなんて思う由もない…しかし、このまま隠し通すわけにもいかない。 練習生になって3カ月。ついに美子は決断する。父にすべてを打ち明けるのだ。久しぶりに実家で囲んだ家族の食卓。なかなか父にプロレスのことを切り出せない彼女は、勇気を振り絞り、重い口を開くのだが…
2018年11月に公開されたドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」東京のミニシアター1館で始まったこの映画は口コミで評判を呼び、全国で劇場公開され9万3000人を動員。ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットとなった。 そして2019年10月、令和元年度の文化庁映画賞で「文化記録映画部門」の大賞を受賞。今回『ザ・ノンフィクション』では、受賞を記念して、記録映像を再編集・再構成した「特別編」をお送りする。 この映画の始まりは2016年9月に2週にわたり放送された『Mr.サンデー』(フジテレビ/関西テレビ)の特集企画。広島・呉市で生まれ育った「私」(監督・信友直子)は、ドキュメンタリー制作に携わるテレビディレクター。18歳で大学進学のために上京して以来、40年近く東京暮らしを続けている。結婚もせず仕事に没頭するひとり娘を、両親は静かに見守っている。そんな「私」に45歳の時、乳がんが見つかる。めそめそしてばかりの娘を、ユーモアたっぷりの愛情で支える母。母の助けで人生最大の危機を乗り越えた「私」は、父と母の記録を撮り始める。だが、ファインダーを通し、「私」は少しずつ母の変化に気づき始めた… 2014年、母はアルツハイマー型認知症の診断を受ける。その時から、90歳を超えた父が80代後半の母の介護をする日々がはじまる…病気であることを突きつけられ苦悩する母、95歳で初めてリンゴの皮をむく父…認知症の患者を抱えた家族の日々を、娘である「私」の視点から丹念に描いた渾身のドキュメンタリー作品。
今、結婚しない人が増えている…その一方で、結婚したくても、なかなかできない人も多く、特に40代を超えると「婚活事情」はその厳しさを増していく。「それでもやっぱり結婚したい」…そんな男女たちが集う「婚活クルーズ」と、船を下りた後…「それから」の男女の奮闘の日々を追った。 智仁さん43歳、独身。大手芸能事務所に所属するお笑い芸人だが、まだ「売れっ子」とは言えない身。20代の頃は7年一緒に暮らした女性がいたものの、結婚には踏み切れず…グズグズしているうちに愛想を尽かされた。以来、何度か女性とは付き合ってはみたものの、気がつけば40歳を超えてしまった。いまだに、お笑いだけでは食べていけず、アルバイトで食いつなぎながら、ワンルームの部屋に暮らす生活。 「このままじゃいけない!」。一念発起した智仁さんが、向かったのは5泊6日の「婚活クルーズ」。お笑い芸人にもかかわらず、女性に対しては積極的にアプローチできない智仁さん、自分の運命を変えることはできるのか… 「婚活クルーズ」への参加が4回目となるのは、裕二さん51歳、独身。長年、婚活を続けてきたものの、いまだ実を結ばない。せっかく交際までいっても、相手の親から猛反対にあい、あきらめたことも…厳しい現実に傷つきながらも、あきらめない裕二さんに訪れた意外な展開とは…
2018年6月に放送したザ・ノンフィクション「父を殺した母へ~無理心中から17年目の旅~」が、北米最大級のメディアコンクール「ニューヨーク・フェスティバル2019」のドキュメンタリー・人物伝記部門で銅賞を受賞。今回の『ザ・ノンフィクション』では受賞作品を再編集した上で、主人公の青年のその後の姿を追った「特別編」をお送りする。 前田勝さん(当時34歳)に出会ったのは2017年の夏。舞台役者の前田さんは自身の母親を主人公にした公演を行っていると言うが…カメラの前で、勝さんが語り始めた「家族」の話は、あまりにも壮絶だった。韓国で生まれてすぐに両親は離婚。母は日本に出稼ぎへ行き、親戚の家を“たらい回し”にされた幼少時代。7歳からは、台湾の実父の元で育ち、13歳の時に、日本人と再婚した母に呼び寄せられる形で、名古屋で暮らした勝さん。 事件が起きたのは2002年、18歳の春だった…。継父との夫婦仲に思い悩んだ母は、継父を撲殺した後、自ら身を投げた。母親による無理心中事件…。勝さんは被害者と加害者の息子となり、“家族”も身寄りもいない日本で独りぼっちになったのだ。母に対して、恨みと憎しみを持ったまま生きてきた勝さん。母はなぜあんな事件を起こしたのか?母はなぜ自分を棄てたのか?母が遺した携帯電話や手紙を頼りに、母の人生を辿る「旅」に出た…
2017年6月、覚醒剤使用の容疑で逮捕され、懲役1年6カ月・執行猶予3年の有罪判決を受けた月光恵亮(67)かつて月光は、伝説のバンドBOØWY、ZIGGY、リンドバーグなど数々の人気アーティストを手掛け、都心の一等地に30億円のビルを建てるなど巨万の富を築いた。しかし、逮捕をきっかけに音楽業界からは“追放同然の扱い”を受け、仕事も人間関係も信用も…すべてを失ってしまった。 現在の住まいは、江戸川区のアパート。23歳の男性とルームシェアし、月に10万円ほどの年金で生計を立てている。そんな月光に手を差し伸べてくれたのが、小さな芸能プロダクションの社長。女性ボーカルバンドのプロデュースを依頼されたのだ。 音楽しか残されていない月光にとって、そのわずかな報酬でもありがたい。ところが、月光は「これで音楽の仕事をやめる」と宣言する。音楽を生業にするものにとっては、命とも言える耳が聴こえなくなってしまったのだ。 罪を犯し、音楽をやめた月光…今、心に引っ掛かっているのは、自分が逮捕されたことで名前を出されてしまったアーティストたちのこと。本当は会って謝りたい…。だが、会うことで、また迷惑をかけるかもしれない…。これまで躊躇していた月光だったが、ついに会いに行くことを決意。その結末とは… 富と名声をほしいままにした男の転落人生と贖罪の日々を見つめる。
岩立友紀子さん(32)は、500年続く専業農家の長男の「嫁」。 若い女性たちにとって「農家の嫁」といえば「きつい・汚い・危険」の3Kに収まらず「給料が安い・休みが少ない・カッコ悪い」が加わり、いまや6Kなんて声も聞かれる存在… それでも友紀子さんは、自ら望んで農家に嫁いできた。彼女は「農家の嫁」の新しいスタイルを確立することを目指しているのだ。 彼女は6年前「街コン」で知り合った昌之さんと結婚。歴史ある農家、岩立家の敷地で夫の両親と共に暮らしている。 農業の世界に飛び込んだ友紀子さんは「農家の嫁不足」を目の当たりにし、農家の男性を対象にした婚活サイトを立ち上げた。 そこに集う女性たちに「農家に嫁いだからって農業は手伝わなくたって大丈夫」と言い切る友紀子さん。彼女自身、農業は一切手伝わず、次々と新しい婚活事業に取り組む忙しい日々。しかし、自身は突然、失明の危機に見舞われ、都内にオープンした婚活バーは、来る日も来る日も閑古鳥が鳴く始末… 「農家の嫁」とはどうあるべきなのか。「家」と結婚するのか、それとも「夫」と結婚するのか…その間で悩み、揺れ動く岩立家の1年間を追った。
愛知県・岡崎市の山の中に、小さな寺がある。そこはかつて「平成の駆け込み寺」と呼ばれ、非行や虐待、いじめ、薬物依存など、様々な理由から親元で暮らせなくなった子供たちの「居場所」だった…2019年6月に放送した「おじさん、ありがとう」のもう一つの物語。 今回の主人公は、15歳の非行少女・モモコ。無断外泊、深夜徘徊を繰り返し、両親と激しい喧嘩を繰り返すモモコは、中学2年生の時に「おじさん」こと廣中邦充さんの寺に預けられた。「おじさん」や共に暮らす仲間たちの優しさに触れ、モモコは学校にも休まず通い、すっかり立ち直ったかに見えたのだが… 寺に来てから4カ月、モモコは突然、寺から姿を消してしまう。深夜までモモコを捜索する子供たち。ようやく見つけだしたモモコは… 一方、子供たちの精神的な支えであった廣中さんは、ステージ4の肺がんに侵され、その後、脳への転移が発覚。強靭な精神力で病と闘いながら、最後まで子供たちに手を差し伸べ続ける。モモコや寺の子供たち、長年支え続けた妻・待子さんら、多くの人々の思いが交錯する11年間の映像記録。
ギャンブルで作った300万円もの借金が原因で、婚約者に別れを告げられアパートから追い出される青年・快楽亭ブラ坊(33)。プロの落語家だが、寄席や大ホールの高座に上がることはできず、飲食店やスナックで細々と落語会を開く「落語界の“はぐれ者”」である。その師匠である快楽亭ブラックは、ブラ坊の上をいく“はぐれ者”だ。落語界のカリスマ・立川談志の高弟だったが、15年前に2000万円もの借金を抱え、一門を除名された。以来、落語団体に所属しない「フリーの落語家」として生きてきた。下ネタや放送禁止用語を交えた芸風のため、大舞台で落語会を開くことができない。時には、ストリップ劇場や狭い演芸場で落語を披露している。 ブラ坊は、そんな権威にとらわれないブラックの“はぐれ者”という生き方に憧れ、10年前に弟子入りしたのだ。 しかし、師匠・ブラックの生き方は、どんな場所でも落語で客を笑わせることのできる実力と自信に裏打ちされたもの。それに気づかないブラ坊は、“はぐれ者”と“自堕落”をはき違えてしまう。深夜のバイトのため落語会を遅刻し、借金返済のための金をギャンブルにつぎ込む。さらには落語界の不文律を犯し、ブラックから破門を突き付けられた。 ここ数年大きなブームを迎え、きらびやかに見える落語の世界。 そこから、はぐれて生きることを選んだ青年落語家の1年に密着した。
大阪のホストクラブで働くレオ(23)は、フィリピンパブで働く母と日本人の父の間に生まれた。4人きょうだいなのだが「父親は全員別々」という境遇で育った。兄と弟の父はフィリピン人。妹の父はブラジル人だという…そんなレオが父親に会ったのは、13歳の時にたった一度。フィリピンで育ったレオは当時、日本語も話せずコミュニケーションを取ることもできなかったという悲しい記憶だ。 レオが働くのは大阪ミナミにあるホストクラブ。店長からは常々「フィリピン出身」という個性を出せとアドバイスを受けているが、ここでも上手く自分をアピールできず、営業成績は伸び悩んでいる。 そんなレオが一大決心をする。これまで母に気を使って聞くことができなかった父の消息を尋ねたいと言うのだ。10年もの間、話題にすることさえなかった父のこと。レオの真意を知らない母は、息子の久々の帰郷を喜び、自慢のフィリピン料理で陽気にもてなす。 「父と、今度こそ日本語で話がしたい―」意を決して父のことを母に尋ねるレオに、母から意外な言葉が… 当時働いていた職場や、フィリピンパブが大好きだったと言う父の面影をたどるレオの父親捜しの旅。しかし、当時の職場はすでに退職。近しい仲間も数カ月前から連絡が取れていないと言う。そんな中、日本で働くフィリピン人女性たちのネットワークが大活躍!フィリピンパブのホステスや常連客を巻き込んだレオの父親大捜索が始まる… もう一度、お父さんに逢いたいというレオの願いはかなうのか?
夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子。コンビ結成から41年目。結婚後コンビを結成し、デビュー直後から様々な漫才賞レースをものにし漫才師としての「地位」を確立、2017年には紫綬褒章を受賞し「名誉」を手に入れ、おしどり夫婦として知られるように「幸せ」も手にした二人。全ては、44年にわたり夫婦として共に歩んできたから… 2018年3月、そんな二人を突如悲劇が襲う。「余命半年」。余命宣告を受けたのは、妻・花子(65)だった。 腰の骨に見つかった癌は、すでに歩くことも困難なほど、花子の体を蝕んでいた。そこで、大助(70)が下した決断は、周囲に癌を隠しての放射線治療。 花子が癌を患うのは実は2度目。34歳のときに、胃がんになり摘出手術の末、その後の転移も見られず完治していた。その後、大病と闘っていたのは、大助の方だった。 「脳出血」「腰部脊柱管狭窄症」と2度にもわたり、命の危険と闘っていた。その間、大助の看病をし、ひとり舞台に立ち続け、宮川大助・花子を支えていたのは花子の方だった。 治療開始から約10カ月。放射線治療が功を奏し、一時、癌を克服したかに思えた花子だったが、今度は全身に癌が再発していた…診断は「症候性多発性骨髄腫」。花子は、再び「余命半年」の宣告を受けてしまう。血液の癌が全身に広がり、花子は立つどころか、下半身がマヒし足を動かすことすらできなくなってしまう。 花子は、癌を克服できるのか…夫婦で病と闘った700日に密着した。
2019年12月。夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子が揃って開いた緊急会見が、世間を賑わせた…「症候性多発性骨髄腫」。花子(65)が語ったのは、癌の治療中で、復帰の目処は まだ立っていないということだった。 コンビ結成から41年目を迎えた宮川大助・花子。地位も名誉も幸せも夫婦で手に入れた 二人を、突如襲ったのは、花子の癌。しかも医師に告げられたのは「余命半年」。 周囲の人たちはおろか、親にも告げず、人知れず癌と闘ってきた花子と、それを支えた夫・大助(70)。1年8カ月もの闘病を経ての苦渋の会見だった。 順風満帆、おしどり夫婦のイメージがある大助・花子にも、過去には貧しい暮らしや、家庭崩壊の危機、病で命の危険と闘ったこともあった。様々な困難を乗り越えられたのも、夫婦であり相方である、二人だからこそ。しかし、意外にも花子は、夫婦で漫才をすることを決して望んではいなかった。その思いを抱えてのコンビ結成から38年、「夫婦漫才」で紫綬褒章受章の際に、大助に向けて花子が発したのは、「漫才に誘ってくれてありがとう」。 お笑いが好きで、漫才をやりたい大助のために嫌々続けてきた夫婦漫才が、いつしか花子の掛け替えのない人生になっていた。 癌治療と共に、繰り返されたのは、下半身不随になり、動かすことのできない足を引きずってのリハビリ。花子が過酷なリハビリにも耐えられるのは、大助と共に、また舞台で「センターマイクの前に立ちたい」という願いからだった。 夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子が、再び大衆の前で漫才を披露することはできるのか… 花子と大助、夫婦で病と闘った700日に密着した。
電気工事会社を営む切替さん一家が、千葉から秋田・大館市に移住してきたのは6年前… 大晦日の夜になると、なぜか近所の人々が切替家に集まって来る。お目当ては切替家にある大きなスクリーン。大画面で「紅白歌合戦」を楽しむのだ。 一家が引っ越してきたこの家は、築65年、敷金・礼金0で家賃5万円の“ワケあり格安物件”。かつて市民に愛された映画館の廃墟だった。食卓を囲む一家のリビングは、映画館のロビー。雪国なのに風呂さえない暮らしが始まった。 移住のきっかけは、2011年の東日本大震災。インフラが壊滅的な打撃を受けた東北地方で工事が急増。秋田へ住まいを移すことに決めた父・義典さん(46)が、格安物件を探していた時、偶然見つけたのが、2005年に閉館し、廃墟になっていた「御成座」だった。 引っ越し当初は「家族で映画を観よう」くらいに考えていた義典さんだが、この町で暮らし始めると、「御成座」が地元に愛され、惜しまれながら閉館したことを知る。人々が御成座の再開に期待を寄せていることを知った義典さんは、映画館復活を思いつく。 そして、2014年7月、格安物件に引っ越したはずの切替家が、数百万円を投じて御成座を復活させた。電気工事会社を営む一家が、映画館も経営することになったのだ。 しかし、時代はシネコン全盛…東北で唯一の単館映画館はすぐに経営の危機を迎える。 (おそらく)日本で唯一、映画館で暮らす家族の6年を追った…
福田怜奈さん、33歳。外出する時には、杖が欠かせない体…幼少期から様々な病気と闘って きた怜奈さん。今でも、脳脊髄液減少症、反応性低血糖症、難治性重症便秘症…3つの病気と闘いながら生きている。 怜奈さんは、自分自身が糖質制限を余儀なくされていることから、超低糖質のスイーツを開発・販売する会社を始めた。そんな怜奈さんを支えるのは、5年前に結婚した会社員の竜平さん(38)。 怜奈さんは低糖質スイーツ商品のお披露目試食会を開催。健康やダイエットによいとブームの低糖質スイーツにインスタグラマーなどが詰めかけ、多くのSNSで紹介された。しかし、怜奈さんの体調は相変わらず…病院でMRI検査を受けるが不調の原因は見つからない。 そんな中、怜奈さんに、都内の百貨店に出店するチャンスが。しかし、仕事にまい進する 怜奈さんに竜平さんは「妊活に向き合っていないよね?」と問いかける。 夫婦の間に見えない溝が生まれ始めていた… 紆余曲折の末、出店を断念した怜奈さんは、クリスマスに低糖質ケーキを販売、同時に、 糖尿病などで普通のケーキを食べられない人に低糖質ケーキを無償で配り、食べてもらおうという活動を始める。 会社の経営が大変で、自分の給料も家に入れられないのに、ボランティア活動に精を出す怜奈さん。多忙で体調が悪化する中、不満が募り、話も聞いてくれない竜平さん。怜奈さんは、本音で話し合おうとするのだが…
去年春、7人の若者が「令和初の新入社員」として会社員生活をスタートさせた。 その会社は、株式会社モンキーエンタープライズ。栃木・日光市にある「日光さる軍団劇場」を運営する会社である。「反省ザル」でおなじみの村﨑太郎さん(59)率いる19人の猿まわし芸人が所属する「さる軍団」も今や立派な会社組織。入社後に“猿まわし”となることを目指す新入社員も「週休2日のシフト制」厳守。1000年続く伝統芸能の世界も、押し寄せる“働き方改革”の波に揉まれ、大きく揺れていた… 猿と家族同然に過ごし、師匠から弟子へと厳しい指導で受け継がれてきた伝統のスタイルは今や昔…令和の新入社員は、芸の道へ「入門」するのではなく、エンターテインメント企業に「入社」したのだ。 「なんであんなにペコペコしなきゃいけないのかなあ」とボヤくのは、ダンスが得意でオシャレ好きな小林夢子(21)。師匠や先輩たちとの飲み会は苦手なのは、ゲームと貯金が趣味の吉澤佑哉(21)。伝統芸や師弟関係など無縁の世界で生きてきた彼らは、この会社で、猿まわしの芸を極めることになったのだ。 そんな彼らの最初の大舞台は、パートナーの猿が決まってから半年後に行われる「新人発表会」。日々、指導役の叱咤激励を受けながら、稽古に励むのだが、そんな矢先に事件は起きる。新入社員の一人が、突然、劇場から姿を消したのだ…
東京・六本木…この町の夜は今、日本一“熱い”。 そして、全国から「夢」を抱えた女の子たちが、きょうもこの町を目指し、上京してくる。 香川から上京するのは、フリーターのモモ・19歳。夜の六本木でダンサーとして働くため、初めて親元を離れる。上京の日。家族との別れの時、空港で必死に涙をこらえるモモ。実は、モモの上京する理由には「ダンサーになる」ことともうひとつ、彼女が経験した、つらく悲しい記憶があった… モモが働くのは日本最大級のショーホール。しかし、なかなか職場になじめない。そんなある日、先輩から呼び出されたモモ。そこには、泣き崩れる彼女の姿があった… もう1人、六本木を目指し、栃木から上京して来たのは、チャム・19歳。 引越しの荷物を整理していると、出てきたのはキャバクラで着ていたドレス。チャムは中学生の時、年齢を偽りキャバクラでアルバイトをしていたという…19歳のチャムの体に刻まれた壮絶な記憶… 夜の六本木で働くチャムだったが、ある日、突然の無断欠勤。チャムの部屋に行ってみると… チャムは母親に対して、大きな“わだかまり”を抱えていた。幼い頃に「自分は母に棄てられた」という悲しい思い出。その思いを母に伝えるため、実家に向かうのだが、話を聞いた母は、突然、激しく怒り出す… 夜の六本木を目指し、香川から上京したモモと、19歳のチャムの体に刻まれた壮絶な過去と母との関係…六本木で「夢」を追う2人の19歳の物語。
罪を犯し、刑期を終えた「元受刑者」を日本でもっとも受け入れているという会社がある…北海道・札幌市にある「北洋建設」。約50年前から元受刑者を積極的に採用しており、その数は延べ500人を超える。(現在も約10人の元受刑者が勤務している) この北洋建設を率いるのが、社長の小澤輝真(45歳)。きょうも小澤の元には全国の刑務所・少年院から、就職を希望する受刑者からの手紙が届く。 実は、小澤は、進行性の難病「脊髄小脳変性症」を発症し、医師からは「余命3年」と告げられている。人の手を借りなければ歩くこともままならず、言葉も不明瞭な小澤だが、全国の刑務所・少年院に自ら出向き、採用活動を続けている。「再犯者を減らしたい…」そのためには、出所後の仕事と住居が不可欠だという… そんな北洋建設に、この冬もまた新たな元受刑者が入社した。コンビニ強盗を繰り返し2度の服役を終えた男性は、北洋建設で働きながら、税理士になる夢を持ち、勉強を始めるのだが… 今度こそは「更生したい」「社会に認められたい」と願う元受刑者たちに容赦なく襲いかかる現実の厳しさ…塀の外の夢と現実を見つめた。
罪を犯し、刑期を終えた「元受刑者」を日本でもっとも受け入れているという会社がある…北海道・札幌市にある「北洋建設」。約50年前から元受刑者を積極的に採用しており、その数は延べ500人を超える。(現在も約10人の元受刑者が勤務している) この北洋建設を率いるのが、社長の小澤輝真(45歳)。きょうも小澤の元には全国の刑務所・少年院から、就職を希望する受刑者からの手紙が届く。 実は、小澤は、進行性の難病「脊髄小脳変性症」を発症し、医師からは「余命3年」と告げられている。人の手を借りなければ歩くこともままならず、言葉も不明瞭な小澤だが、全国の刑務所・少年院に自ら出向き、採用活動を続けている。「再犯者を減らしたい…」そのためには、出所後の仕事と住居が不可欠だという… そんな北洋建設だがトラブルは絶えない…窃盗の罪で3度の服役をした仮釈放中の50代の新入社員。「今度こそ」と更生を誓い、仕事を始めるが、思い通りにならない毎日に不満が募る…「酒が飲みたい」そんな愚痴ばかり語っていた男性がある日、社員寮から姿を消す… もう1人、人生の岐路に立ち、大きな決断を迫られるのは、少年院から出てきた二十歳の青年。 元受刑者たちに、塀の外で待ち受ける現実…彼らの夢と挫折、新たな人生への旅立ちを追った。
いつもジャイアンツの帽子をかぶっているその男…小堀敏夫52歳、独身。貯金はゼロ、家賃2万8千円のアパートに住み、ガスは止められ、スーパーで割引になったとんかつ弁当と一緒にカップヌードルを食べる暮らし。そんなどうしようもない小堀には、30年近くも続けている“仕事”がある…それが「お笑い芸人」だ。ワハハ本舗に所属し「ガッポリ建設」というコンビを組んでいる。主宰の喰始(たべ・はじめ)からは「クズ芸人」と呼ばれている。芸人として何一つ努力もせず、毎日パチスロばかり。「仕事」と称して出かけるのは、昨今世間で話題になった芸人による「ギャラ飲み」…たとえクズ芸人と呼ばれようが、小堀にとっては「お笑い芸人」でありつづけることが大切なのだ。 小堀の所属するワハハ本舗では、仕事のない芸人を救済するために3カ月に一度、お笑いライブが開かれている。みんなの前で芸を披露し、主宰の喰にアイディアをもらいながら、本番に向けて芸を練り上げていく。小堀も参加するが、やる気は全くない。喰のダメ出しには、いつも言い訳ばかり。そんなクズ芸人・小堀を見続ける喰は「自分は人間を嫌いになれない」「クビは切れない」と言い、長年、見逃してきたのだが…
出会いは18年前…東京・杉並でハナ動物病院の院長を務める獣医師の太田快作さん(40)と愛犬の花子。 太田さんは、野良猫や捨て犬など飼い主のいない動物の治療を積極的に行っている。「獣医師が動物保護の先頭に立つべき」と考え、一般診療の他に、野良猫、捨て犬など飼い主のいない動物や福島で被災した犬と猫などの治療も引き受けている。 そんな太田さんにとってかけがえのない存在が花子(18)だ。人間なら100歳近い高齢で、一緒に病院に出勤し、診療中も花子を見守っている。花子は病院のアイドル犬でもあり、看護師や患者から愛されている。太田さんは獣医学部の学生の時、花子を青森の保健所から引き取った。それがきっかけとなり、人間の犠牲になる動物の命について、深く考えるようになった。当時、獣医師になるためには「外科実習」という生体を使った動物実験が行われていたが、太田さんは拒否。欧米の大学で一般的な「動物実験代替法」によって、単位を取得した。かなり異例のことだった。 休みの日は、ほとんどを動物保護にあてる太田さん。千葉へ野良猫の避妊去勢手術へ出かけ、埼玉では、犬71匹の多頭飼育崩壊現場へ行き、手術を行うなど、365日24時間を動物に捧げている。 そんな時、花子が突然倒れた。高齢のため手術をすることはできない。病院での診療を続けながら、花子の介護を始める太田さん。その献身的な日々に密着した。
出会いは18年前…東京・杉並でハナ動物病院の院長を務める獣医師の太田快作さん(40)と愛犬の花子。 太田さんは、野良猫や捨て犬など飼い主のいない動物の治療を積極的に行っている。「獣医師が動物保護の先頭に立つべき」と考え、一般診療の他に、野良猫、捨て犬など飼い主のいない動物や福島で被災した犬と猫などの治療も引き受けている。 そんな太田さんにとってかけがえのない存在が花子(18)だ。人間なら100歳近い高齢で、一緒に病院に出勤し、診療中も花子を見守っている。花子は病院のアイドル犬でもあり、看護師や患者から愛されている。太田さんは獣医学部の学生の時、花子を青森の保健所から引き取った。それがきっかけとなり、人間の犠牲になる動物の命について、深く考えるようになった。獣医師になった今も「いつも花子だったら」と思い、動物たちを治療している。 そんな花子が突然倒れた。内臓に腫瘍が見つかり、余命いくばくもない。特別な治療や手術はせず、花子との時間を大切にしようと決める太田さん。花子といつも通り、病院に出勤する。末期ガンの犬や喉に腫瘍を持つ猫の手術をしながら、花子を見守る。看護師たちもそんな太田さんと花子に寄り添い、最期の時間を慈しむように過ごす。1匹の犬の看取りを通して、命との向きあい方を問いかける。
大阪・ミナミの繁華街「アメリカ村」にある「アウルクリニック」。ここは全国でも珍しい、夜だけ診察する、精神科診療所だ。開院して6年、これまで4000人近い患者が訪れている。 「眠れない」「会社でパワハラを受けた」「家族との関係に悩んでいる」「生きている意味が分からない」…。患者の多くは20~40代の若者や働き盛りの世代。会社員、シングルマザー、学生、風俗嬢、LGBT、地下アイドル、外国人、教師、医師……職業も立場も様々な人々が、誰にも相談できない“心の闇”を、夜な夜な打ち明けに来る。 患者と向き合うのは、精神科医・片上徹也(35歳)。若い世代が仕事帰りに気軽に立ち寄れるように、という思いから、若者に人気のアメリカ村に30歳で開院した。 昼間は総合病院の精神科で勤務医として働き、夜はアウルクリニックで院長として患者と向き合う。 一日中、患者の声に耳を傾け続ける片上だが、実は27歳の時、くも膜下出血で倒れ生死の境をさまよっている。なんとか一命をとりとめ、懸命のリハビリで医師として復帰したが、左半身の麻痺が後遺症として残った。しかし、自身のハンデを言い訳にすることはなく、逆に自虐ネタで塞ぎ込む患者を少しでも和ませようとする。 「どうすれば患者に寄り添うことができて、気持ちを楽にさせられるか」 心の闇を抱えた若者たちに、ハンディキャップを背負った若き精神科医が向き合う。そんな“夜だけ開く心の診療所”を追いかけた。
佐賀県の山あいにたつ一軒家。ここに暮らす9人の大家族・西山家。 6人の子どもたちと父親が一人。そして、お母さんのゆかりさんと裕子さん。 なぜか、この西山家には“お母さん”が二人いるのだ。 父・嘉克さんは、全国を回る「書道アーティスト」。ゆかりさんは、そんな嘉克さんが好きになり、2012年に結婚。しかし、わずか8カ月後、嘉克さんは、ゆかりさんに衝撃の告白をする。仕事の助手である裕子さんのことも「好きになってしまった」というのだ… 話し合いやケンカを重ね、ゆかりさんと裕子さんは、嘉克さんと3人、“事実婚”の形で一緒に暮らして行くことを決めたのだ。 あれから7年… 生まれた子どもは、父・嘉克さんの戸籍に入れる形で「お父さん一人と二人の“お母さん”と子ども6人」という不思議な生活が続いている。 二人の“お母さん”は、母である前に女性として、互いに嫉妬や怒りを抱えながらも、一つ一つ乗り越えてきた。今では、二人で役割分担をしながら「一つの家族」が成り立っているようにも見える。 そんな中、父・嘉克さんと唯一、血が繋がっていない裕子さんの子、14歳の長男は、 中学卒業後、この家を出て行くべきかどうか悩んでいた。 「家族」とは…「夫婦」とは…「親子」とは…そして「幸せ」とはなんなのか? 西山家が探し続ける「家族のカタチ」を見つめる…
17年間見つめた、ある家族の歴史… ダウン症のある息子と生きてきた待寺家。我々が出会った時、息子・優は13歳。以来、彼の成長と共に喜び、悩み、涙した。そして2020年、優は30歳を迎えた。 両親も年をとり、この先自分たちがいなくなった後、一人で幸せに生きていけるのか…「自立への道」を探して葛藤する日々を見つめる。 生まれてダウン症と分かった時、両親は「暗黒の世界に突き落とされた」という… 当時は情報もサポート体制も少なく、周囲の偏見も強かった。どう育てたら良いのか… 暗中模索しながら必死に育ててきた。そして、優は自分の運命を大きく変える「ダンス」に出会う。ダンスグループに入って才能を認められ“ダウン症のダンサー”として注目されるようになっていった。ダンスは両親にとっても「光」。母親は息子を全力で支え続けた。 しかし注目されることで、優は自分がダウン症であることを突きつけられて葛藤してしまう。夫婦の間にも、サポートの考えの違いで対立が生まれた… そして今、年齢的にダンスグループの中心を外れ、福祉作業所に通う日常を送っていた優に、ダンス活動の集大成とも言える夢のような話が舞い込む。再びダンスに打ち込む優。 しかし、そこには非情な運命が待っていた… 30歳の誕生日、驚きの言葉を両親に伝える優。待寺家の17年の軌跡、そして波乱に満ちたこの1年、優と共に前を向いて進んできた家族の記録。
DVや望まぬ妊娠など、誰にも頼れない問題を抱える少女たちを救い続ける女性がいる。NPO法人「BONDプロジェクト」の橘ジュンさん。年間3万件近くのSOSが寄せられる中、去年秋、一人の女性が橘さんの元を訪れた。19歳のセナ。 彼女は、生まれた直後に乳児院に預けられた後、里親に育てられた。しかし、中学生の時非行グループに加わったことがきっかけで事件を起こし、少年院に1年間入ることになる。 その後は、水商売の世界で生きてきたセナ。しかし去年、元交際相手との間に子供を妊娠。相手からの返事も来ない中、セナは子供を産む決断をする。 一方、そのセナに寄り添い、支え続けてきた橘さん。実は11年前に橘さんが活動を始めるきっかけとなったのも、セナと同じ状況に追い込まれた19歳の女性との出会いだった。 それが、歌舞伎町でネットカフェ暮らしをしていた、マリ。東北地方から上京し、夜の街で生きてきた彼女もある日、妊娠が判明。誰にも相談できないまま、中絶ができる期間を過ぎ、時に橘さんとぶつかり合いながらも無事に男児を出産する。 その後も薬物事件を起こすなど、なかなか生き方を変えられずもがくマリを、支え続ける橘さんの葛藤と、その一方で、我が子を生んだセナの喜びを通して、今、誰にも頼れないまま社会を漂う女性たちの姿を追った…
誰にもみとられることなく自宅で亡くなり、死後、長らく発見されない人々… いわゆる “孤独死” が近年増加の一途を辿っている。そうした中、「孤独死は誰にでも起こりうる」と訴え、その独特な活動で注目を集める27歳の女性がいる。遺品整理人の小島美羽さんだ。 彼女は「孤独死の現場」を“ミニチュア”で再現し、なぜ孤独死が起こるのか、その本質を伝え続けてきた。そしてきょうも…多発する孤独死の現場に小島さんの姿があった。 遺品整理人は、孤独死などで亡くなった人の部屋を清掃し、残された遺品の中から、思い出の品を遺族に引き渡すのが勤め。小島さんが遺品整理人を志したきっかけは、17歳で父と死別したこと。「何もしてあげられなかった」という後悔の念から、自分と同じ境遇にある遺族を救いたいと考えた。そして2014年、東京・板橋にある遺品整理会社に入社、社長の増田裕次さんと二人三脚で日々、孤独死の現場と向き合っている。 増田さんは会社を立ち上げ20年、かつては「遺品整理人」と言っても誰も理解してもらえず、「縁起が悪いから近寄るな」と言われたこともあった。孤独死に対する世間の認識は、なかなか変わらないまま。増田さんと小島さん、二人には超えるべき課題が山積していた… 「孤独死をどう伝えていくか」をめぐり、ぶつかる二人…27歳の遺品整理人が見つめる「孤独死の現場」、その向こう側にある物語を追った…
續(つづき)夕美子さん(48)は、4男6女合わせて10人の子供を持つ母親。たくさんの子どもに囲まれ、賑やかで幸せな日々を過ごしてきた。 しかし、3年前の7月、夫の浩一さんが、突然、病気で他界。42歳の若さだった。 10人の子どもを遺して逝ってしまった父。稼ぎ頭を失った夕美子さんは女手ひとつで子どもたちを育てていくことになった。 ところが、次男(23)は定職につかず、三女(17)は高校を中退し、引きこもり状態に… 夕美子さんは、育児に奮闘するかたわら就職活動に励むものの、どれも思い通りにいかない。 子どもたちともすれ違い、限界寸前の一家にさらなる“事件”が起きる。 そんな窮地で「助け舟」となったのは、母親の一番の理解者である長女(28)。 夕美子さんは、長女と共に家族を再生しようと試みる。 10人の子どもを遺しこの世を去ったパパが“遺してくれたもの”とは一体何なのか。 シングルマザーの大家族が、苦難の末に気づいた大切なものとは…
深夜11時、静まり返った奈良の街に、明かりを灯す一軒の洋菓子店。 その名は「にこにこ庵」。夜ふけに次々と訪れるお客さんたち。そのワケは、店主・木村洋司さん(56)の“ケーキ愛”。「全てが自分の子ども」と話すほどケーキに愛情を込める木村さんは、全て売り切れるまで決して店を閉めない。そのため、ほぼ毎晩、店の厨房の床で仮眠をとりながら、お客さんを待ち続ける日々を過ごしていた。 一方、そんな生活を送る木村さんに複雑な思いを抱いていたのが妻・美絵子さん(54)。店に食事を届けたり、夜中に寝てしまう夫を起こしたり、15年前の店のオープンからずっと影ながら夫を支え続けてきた。その思いを知ってか知らずか、妻子を放ったらかして、家庭を顧みず、ますますケーキ作りに没頭する夫。ケーキと夫、時々、妻…の不思議な“三角関係”。 そんな中、妻・美絵子さんは、ついに洋司さんに「店をやめてほしい」と切り出す。時を同じくして襲う新型コロナの嵐。悩んだ挙句、洋司さんが出した決断は… 真夜中の洋菓子店を舞台に、ちょっと不器用なケーキ職人と、それを支え続ける妻の姿を見つめた。
大阪に暮らす澤井さん一家は、36歳から15歳までの7男6女、13人の子供がいる大家族。一家は大阪駅前の地下街で、まさに「家族経営」の居酒屋を営んでいる。高校を卒業した8人のきょうだいが働く店は、昼も夜も大盛況。定食のランチメニューは、380円の激安価格。さらに、澤井家の子供たちは、空手の大会でも大活躍する有名なスポーツ一家。「お父さん」こと澤井淳一郎さん(55)を中心とした団結力はとても強い。 澤井家に“事件”が起きたのは、3年前…お父さんが「跡継ぎ」に決めていた長男が、誰にも何も言わず、突然、家を出ていってしまった。以来、長男とは音信不通の日々…固く団結していたはずの澤井家にヒビが入ったのだ。そして、進学校に通い、成績優秀にも関わらず、大学進学を諦めた三男も、居酒屋での仕事に「迷い」を感じ始めていた。仕事に身が入らない三男はある日、父と衝突する。家族の団結を願う父と、自分の可能性を試したい三男。 そんな中、忍び寄る新型コロナの影。澤井家の居酒屋、大家族の生活に迫り来る危機。 そして、15人大家族の大黒柱である、お父さんを襲う異変… 「家族って何やろね」そうつぶやくお父さんと大家族は、この大きな試練を乗り越えることができるのだろうか…
大阪に暮らす澤井さん一家は、36歳から15歳までの7男6女、13人の子供がいる大家族。大阪駅近くの地下街で一家は居酒屋を営んでいる。「お父さん」こと澤井淳一郎さん(55)を中心とした団結力はとても強い。しかし、3年前…お父さんが「跡継ぎ」に決めていた長男が、突然、家を出ていってしまった。“一枚岩”で固く団結していたはずの澤井家にヒビが入る…そして、進学校に通い、成績優秀にも関わらず、大学進学を諦めた三男も、居酒屋での仕事に「迷い」を感じ始めていた。ある日、父は三男の迷いを感じとり、激しく衝突する。 大きく家族が揺れた3日後、衝撃が走る。父が新型コロナに倒れたのだ。いくつもの持病を抱える父の容態は急激に悪化していく。家族に会うことも出来ないまま、病床で自ら家族へのメッセージを撮影する。 日毎に父の容態は悪化する一方、人工呼吸器でも回復は見込めず、ついに治療は“最終段階”に… 子どもたちは、父の命と居酒屋経営の危機に揺れ、崖っぷちの状態に立たされる。父は助かるのか。店はなくなってしまうのか。家族の絆はどうなっていくのか…新型コロナの嵐に翻弄される大家族の愛と涙の奮闘を描く。
大学に通っていた息子(24歳)が、卒業間近に突然、自宅に引きこもった。真っ白な顔でゲームに没頭し、昼夜逆転の生活を繰り返す息子…悩んだ末に両親は、富山市にある自立支援施設「はぐれ雲」に息子を預けることに。 「はぐれ雲」では引きこもりや不登校を経験した10~40代の人々が、ひとつ屋根の下で暮らし、就労訓練などを受けながら自立を目指している。 すさんだ生活を送っていた息子は、最初は戸惑いながらも徐々に集団生活になれていくが、両親からの連絡は無視し、関係を拒絶していた。 引きこもりの原因はなんなのか?無気力な息子を見ながら、両親は「何がいけなかったのか?」と自問自答する日々… 「変わりたい」と願う両親と息子。しかし、その関係は簡単には修復できない。引きこもりの日々から脱し「はぐれ雲」で過ごした1年間。両親と子どもの葛藤と苦悩、それぞれの「再生」にかける姿を見つめた…
たった500円で食べ放題。 群馬・桐生市にある小さな食堂は、いつもたくさんの客で溢れている。バイキング形式で並ぶ料理は、筑前煮やカレイの煮付け、焼きナスや山菜の天ぷらなど、懐かしい「おふくろの味」が15品以上。地元だけでなく、県外からも多くの客が訪れる人気の食堂だ。 そんな食堂を22年間、たった一人で続けているのが、今年85歳になる田村はつゑさん。通称・はっちゃん。一年中、素足に下駄で料理から片付けまで全て一人でこなしている。500円では採算が取れず、食堂は毎月7~8万円の赤字。それでも「お腹いっぱいになれば人は幸せになる」といつも笑顔で元気一杯だ。 なぜ、はっちゃんは食堂を始め、赤字でも続けているのか…そこには、小学校にも通えず読み書きすら学べないまま10歳から働き続けてきた壮絶な人生と、57歳の時に人生を変えた、ある「恩人」との出会いがあった。 はっちゃんの食堂にも新型コロナの影響がおよぶ。客は激減し、はっちゃんは食堂の営業を休止する…「人は触れ合わないとダメだよ」そうつぶやくはっちゃんは、まるで生きがいを奪われたかのよう…そして2カ月半後、ようやく食堂の再開を決めるのだが…
今、世間の注目を集める“東大生ブランド”。連日のようにメディアに登場する東大生は、「頭がよいのに面白い!カッコいい!」という、従来のイメージを覆す活躍を続けている。 しかし…もちろん、そんな人たちばかりが、東大生ではない。 『あれが全体って見られると厳しい。そこはしっかりと伝えておきたい。』と熱く語るのは、伝統ある「東京大学相撲部」の部員たち。学内でも存在感は“薄め”の相撲部は、毎年、新入部員を確保するのがやっとの状態。厳しい受験戦争を勝ち抜いてきた“学歴エリート”の彼らだが、相撲では思うように勝てず…彼女もできず…と悩める日々を送っている。 「やりたいことがない」と将来の夢を持てず、進路に悩む2年生部員は、人生で初めての“挫折”を味わう。そのとき彼が取った意外な行動と秘められた思いとは… 人一倍“学歴”へのこだわりを持つ4年生部員は、自らのエリート意識を打ちのめされ、絶望した過去があった。勝てない…モテない…思い描いたキャンパスライフとは、かけ離れた生活を送っていた彼が、東京大学での4年間で手に入れたものとは… 東大には入ったものの…そのブランドと現実の狭間で揺れる、彼らの汗と涙の日々を追った…
“126万人に1人”といわれる希少難病・アイザックス症候群など4つもの重い病を抱えながら生きる男がいる…香取久之さん(49)。症例が極めて少なく、症状も見た目からわかりづらいため、周囲に病気のつらさを理解してもらえない…。発症当時は自殺を考えるほど苦しんだ香取さんだが、いつしか 「自分と同じように、1人で生きづらさを抱えて苦しんでいる人々を救いたい」という思いを抱き、7年前に大手企業を辞めた。 仲間たちとNPO活動を続けるものの、収入源はわずかな募金のみ、1500万円以上の貯金をつぎ込んだ上に、3000万円もの借金を背負ってしまったことで、家族との間に溝が生まれてしまう。なんとか借金を返済しようと事業を始めるが、まったく軌道に乗らず、毎月100万円近い赤字。その上、ステージ4の大腸がんに侵されていることが判明する… すでに肺や肝臓にも転移し、5年生存率は10数%。抗がん剤の副作用にも苦しめられ、身体も心もボロボロな中、それでも活動を辞めない香取さん。 なぜなら、香取さんは1人の少女と「ある約束」を交わしていたのだ。10歳までの生存率が10%未満といわれる深刻な病を抱える、米田ももちゃん(10)。 車椅子の生活を送るももちゃんのため、起死回生の一手を打つ香取さん。そして、ももちゃんに訪れる小さな奇跡… 4つの重い病、借金、ステージ4のがん…次々と訪れる苦境に耐えながら、命懸けの活動を続ける一人の男の姿を追った。
日本一の歓楽街、新宿・歌舞伎町。 そんな24時間、眠らない街で、様々な人々を支え続ける人がいる。 便利屋「親孝行」の由藤神一さん(37)だ。 昼夜を問わず、24時間休みなしでお客さんの要望に親身になって対応する神一さん。 何事も手を抜かない姿勢から、“夜の街”で生きる人々からの信頼が厚く、仕事の注文が絶えない。 依頼内容は、トイレのつまりから電球の交換、エアコン清掃、店内改装、ペットの世話から、なんとベビーシッターまで…実は神一さん、どんな依頼にも対応するため、20以上の資格を持っている。そのため、仕事は歌舞伎町にとどまらず、渋谷や銀座などにも神一さんを頼る顧客がたくさんいるのだ。 自宅に帰れない日も多く、まさに身を粉にして、歌舞伎町で働く神一さん。 そこまでする理由には、この街で人生を変えた神一さんの過去があった… 今年で10年になる便利屋稼業。故郷・北海道を離れ、自分を救い育ててくれた第二の故郷・歌舞伎町に恩返しをする思いで、懸命に働き続ける日々。そんな中、神一さんは驚きの決断を下す… ところが、時を同じくして、歌舞伎町を襲う新型コロナの嵐。否が応でも、神一さんはその渦に巻き込まれていく…
2020年1月。夢と決意を胸に抱き、上京した若者たち。 最終学歴は「中卒」。高校を中退した者や、そもそも高校に進学する気がなかった者…思うような職には就けず、やりたいことも見つからない悶々とした日々を過ごしてきた。「自分を変えたい」「人生を変えたい」と願う彼らが目指したのは「ヤンキーインターン」という就職支援サービス。 「東京で新しい仕事と人生を見つける」…原宿にあるベンチャー企業が主催するこの再教育プログラムは、地方の中卒・高卒者を対象に、食・住・職を無償で提供し、企業への就職を支援するもの。参加者は6カ月の間に、営業や仕事のスキルを身につけ、就職活動に臨むのだ。 「起業家になって世の中を変えたい」と夢みる18歳は、積極的な取り組みで、営業研修でもインターン史上最高の成績を上げ、正社員待遇に抜てきされるのだが、次第にヤンキーインターンを続けることに疑問を感じていく… 「東京で職を得て、家族を幸せにしたい」と願う21歳は、3日目の朝に姿を消してしまう。彼が見せた涙のわけとは… 彼らはヤンキーインターンを最後までやりとげ、企業の内定をつかむことはできるのか。懸命に未来を切り開こうとする“中卒”の若者たちの行方は…
「前澤社長を超えるようなビッグな人物になりたい!」と野心を燃やすのが、都内の公園でホームレスをする22歳のケイタだ。 今年2月、熊本から10万円を手に上京。公園暮らしを続けながら、アポなしで有名社長を突撃訪問!ビッグになるチャンスを探す日々をSNSに投稿・記録し続けている。 有名社長にダイレクトメッセージを送ったり、実業家が利用していそうな高級ホテルに張り込んだり…突拍子もないアタックを繰り返すケイタだが、そんなことでツテが見つかるほど、現実は優しくない。さらには新型コロナ拡大による外出自粛がケイタの前に立ちふさがる。 家も仕事も、もちろん名刺さえ持たない彼の残金も底を尽きかけた頃、参加した名刺交換会で勧められたスマホでもできるFX取引を始めることに…これがケイタの運命を大きく変えていく。 2万円を元手に1週間で15万円近くを稼ぎ、その後もトントン拍子に残高を増やしていくケイタは、次第にお金の魔力にとらわれていく… 3日間風呂にも入らなかったケイタが1万円のシャツに身を包み、ハチミツで飢えをしのいでいたのが、高級焼肉三昧。1時間近くも汗だくになって歩いていたのも、今や徒歩5分の距離でもタクシー移動。 「東京でビッグになりたい!」夢を熱く語っていたケイタの野望はどこへ向かうのか…
6月上旬、緊急事態宣言が解除された後も、人通りの戻らない街があった…年間2400万人が訪れる横浜中華街。日本で最初に新型コロナに関するニュースの“発信源”となったダイヤモンド・プリンセス号が、横浜港に停泊していたことにより、どこよりも早くゴーストタウンと化してしまったのだ。 観光客の姿も消え、ほとんどの店が営業を休止する中、営業を続けてきた店がある…大通りから入った路地で40年間、店を続ける「龍鳳酒家」。 日本で生まれ育った両親と一人娘が営む、地域に愛される人気店だ。 コロナ禍で客足はすっかり途絶え、収入が激減する中、店の生き残りをかけて、ワンコイン・500円の中華弁当を地域に配達する。 それでも、かつての売り上げには程遠く、長年、店を守り続けてきた父はついに「店をやめるしかない」と口にし始める… 一方、「絶対に店をつぶしたくない」と弁当が詰まったリュックを背負い、自転車のペダルを踏むのは、一人娘の郁瑛(35)。日本人として中華街で生まれ育ち、今も店の上に暮らしながら、“若女将”として店を切り盛りしてきた。彼女に取っては、この中華街、そしてこの店が自分の故郷であり、居場所でもある。「他に行く場所なんてない」そう語る郁瑛は、なんとか中華街の明かりを灯し続けるべく、奮闘するのだが…
かつて罪を犯し、刑務所や少年院から出てきた人物の身元を引き受け、仕事と住居を提供し「親代わり」になっている男がいる。出所しても、2人に1人は再犯してしまうという現在、「お金」と「寝る場所」がないから犯罪に走る…という現実がある。「仕事」と「住む家」があれば、人は罪を犯さないとその男は信じ、再犯防止活動に精力的に取り組んでいる。 大阪で会社の社長を務める、草刈健太郎(47歳)。 罪を犯した人間の採用面接を行なうために訪れた全国の刑務所・少年院は50カ所を超える。 もちろん、仕事と住む家を与えたからといって、全員が更生できるわけではない。 裏切られても、決してあきらめず、元犯罪者の支援に取り組むのには深い理由が…。 15年前、最愛の妹を留学先のロサンゼルスで殺されたのだ。犯人はアメリカ人の夫。 犯罪被害者の遺族となった草刈がなぜ、元受刑者の更生に懸命になるのか。その理由を草刈はこう語る…『加害者を減らせば、妹のような被害者も少なくなる。この取り組みは妹にやれと言われている気がする』 しかし、現実は厳しく、今まで18人を採用してきたが、10人以上はすでに、自分のもとを離れていった。中には再犯に走ってしまった者もいる。 誰よりも犯罪を憎む男が選んだ険しい道程を見つめた…
かつて罪を犯し、刑務所や少年院から出てきた人物の身元を引き受け、仕事と住居を提供し「親代わり」になっている男がいる。大阪で会社の社長を務める、草刈健太郎(47歳)。 罪を犯した人間の採用面接を行なうために訪れた全国の刑務所・少年院は50カ所を超える。もちろん、仕事と住む家を与えたからといって、全員が更生できるわけではない。 裏切られても、決してあきらめず、元犯罪者の支援に取り組むのには深い理由が… 15年前、最愛の妹を留学先のロサンゼルスで殺されたのだ。犯人はアメリカ人の夫。 犯罪被害者の遺族となった草刈がなぜ、元受刑者の更生に懸命になるのか。 『加害者を減らせば、妹のような被害者も少なくなる。この取り組みは妹にやれと言われている気がする』と語る草刈は、かつて罪を犯した人間に、「仕事」と「住む家」を与え犯罪抑止に尽力すると妹に誓ったからだ。 更生の道を順調に歩み、草刈の活動に共感、賛同し、活動を共にする若者が出てくるまでになった。しかし、現実は厳しく、草刈の元を巣立っていった若者が、再び草刈に助けを求めてくることもしばしば。中には再犯に走ってしまった者もいる。 そんな草刈の元に届いた一通のメール。 かつて妹と元夫が共に働いていた会社の上司が、15年の長い歳月を経て、草刈に「どうしても伝えておきたいことがある」と言うのだ。 あれから15年…事件の真相に草刈が流した涙と新たな誓いとは…
新宿二丁目…LGBTが集うこの街で、50年以上のもっとも長い歴史を持つショーパブ「白い部屋」。20代から70代までのキャストが華やかなショーを繰り広げる。 浮世を忘れさせる華やかな空間は、半世紀にわたり、多くの客を魅了してきた。 この店を創業したのは72歳のコンチママ。この街の“生き字引”ともいえるコンチママは、18歳の時に大阪から上京し、新宿二丁目に流れ着いた。二十歳の時に人に誘われて始めたのが「白い部屋」だ。 2020年、「白い部屋」とコンチママを新型コロナが襲う。2カ月半におよぶ休業。その間、店の収入は途絶え、月に100万円以上の固定費が重くのしかかる。膨らみ続ける赤字。コンチママは店の存続をかけて金策に奔走するのだが… 一方で、店を支えてきたキャストたちも休業中の給料はゼロ。店と自分たちの将来について、いつ終わるとも知れない不安を抱える日々が続く… 緊急事態宣言の解除を受け、「白い部屋」は営業再開を目指すも、コンチママとキャストたちの間には、心のすれ違いが生まれていた。長年、店を支えて来たベテランキャストたちが、店を離れることを決意したのだ… コロナ禍の中、新宿二丁目で生きる人々の苦悩をカメラは追った。
新宿二丁目…LGBTが集うこの街で、50年以上のもっとも長い歴史を持つショーパブ「白い部屋」。キャストが華やかなショーを繰り広げ、浮世を忘れさせる華やかな空間は、半世紀にわたり、多くの客を魅了してきた。 この店を創業したのは72歳のコンチママ。この街の“生き字引”ともいえるコンチママは、18歳の時に大阪から上京し、新宿二丁目に流れ着いた。二十歳の時に始めたのが「白い部屋」だ。 今年6月、コロナによる営業休止を続けていた店は、3カ月ぶりに営業を再開した。店が休んでいる間も家賃などの固定費はかさみ、赤字は膨らむばかり。店の経営は危機を迎えていた。一方で、キャストたちは日給制のため、店が営業しなければ収入が途絶えることになる…それぞれが、コロナ禍の中で、自分の人生の歩み方を悩み、苦しんでいた。ベテランキャストのかんたさん(59)は、営業休止期間中に、臨時のバーを開店するなど「コロナには負けない」と奮闘するのだが… ようやく営業再開したものの、「夜の街」は世間から敬遠され、客足は伸び悩み、週に3日しか営業ができない状態となる「白い部屋」。 長年、店を支えてきたキャストが大量に退店を決意。追い討ちをかけるように、かんたさんが新型コロナに感染し、「白い部屋」は再び、営業休止に追い込まれる… 出口の見えない危機を迎える「白い部屋」。新宿二丁目で生きる人々の「それぞれの選択」をカメラは見つめた・・・
前科者、元ヤクザ、薬物依存、そこから抜け出し、やり直したい人々…そんな彼らを支えることに人生をかけている男がいる。遊佐学(45)は、自身も元ヤクザで、覚醒剤で逮捕された前科がある。服役した学を故郷の母は信じて待っていてくれた。家族に支えられて、新しい人生を歩み始めることができたのだ。 「必ずやり直せると誰かに信じてもらうことが力になる」今度は自分が誰かの支えになってあげたい。依存症の回復施設で働き始めた学だが、突然クビになってしまう… 取材を始めた2016年、学は教会に住み込み、そこでヤクザを辞めて社会復帰を目指す青年、タカシ(当時28歳)の面倒を見ていた。人生をやり直したいと願うタカシは、介護施設で働くものの、長続きせず、部屋に引きこもってしまう。そしてある日、覚醒剤に手を出し、逮捕されてしまうタカシ。釈放されたタカシは、その後どんな生き方を選ぶのか… 一方、仕事を失ってしまった学の生活は苦しくなっていくばかり。しかしそんな中で、学は、新たな元受刑者の支援を決意する。過去に覚醒剤の使用を繰り返す、12回の逮捕で計30年間を刑務所で過ごした高齢男性を自宅で引き受けるのだが… これは元ヤクザの2人。学とタカシの5年の物語である。
前科者、元ヤクザ、薬物依存、そこから抜け出し、生き直したいという人々…そんな彼らを支えていくことに人生をかけている男がいる。遊佐学(45)は、自身も元ヤクザで、覚醒剤で逮捕された前科がある。服役した学を故郷の母は信じて待っていてくれた。家族に支えられて、新しい人生を歩み始めることが出来たのだ。今度は自分が誰かの支えになりたいと、依存症の回復施設で働き始めた学。「必ずやり直せると人に信じてもらうことが力になる」 しかし、突然クビになってしまう。次の仕事が見つからず、生活も苦しい中、学は元受刑者の支援を決意する。 今年3月、学は刑務所から出所したばかりの高野さん(仮名・66)を自宅に引き受けた。覚醒剤の使用を繰り返し、12度の服役、合わせて30年間を刑務所で過ごした。妻や子供にも見放されてきた彼にとって学は唯一の希望だった。 1カ月後、学のサポートで一人暮らしを始めた高野さんが始めたのは、父の墓捜し。今回、刑務所の中で知った父の死。唯一自分を見捨てないでいてくれた父にどうしても手を合わせたかった。しかし、手がかりはあまりにも少ない。そして、高野さんはある決意をする。30年、連絡を取れなかった娘、40年、絶縁状態だった母に会いに行くというのだ。果たして受け入れてくれるのだろうか… 今度こそやり直したい。今度こそ普通の生活を手に入れ、家族との関係を取り戻したい。しかし、“事件”は起きてしまう…
2018年夏…日本中の注目を集めていた男がいた。男の名は「山根明」。当時の日本ボクシング連盟の終身会長だ。山根はボクシング関係者300人以上から「助成金の不正流用」や「審判不正」の告発を受け、その独特のキャラクターから、世間の猛バッシングを浴びた。そして、20代の頃からの暴力団関係者との付き合いについて、選手を育成する立場としての責任をとり、会長職を辞任した。 その当時、自宅に詰めかける報道陣に対して、身をていして夫の「盾」となったのが、28歳年下の妻・智巳さん。あの時、日本中からたたかれた夫とその妻… あの騒動から1年。山根はいまだに「会長」という呼び名で親しまれ、大阪でクラブを経営する妻・智巳さんの仕事を手伝い、ひ孫の前で見せる笑顔は、かつて“アマチュアボクシングのドン”と呼ばれた面影はない…夫婦は「あの日」が、まるで幻だったかのように穏やかな日々を送っていたのだが… 2019年夏、山根が突然、新たなボクシング団体の立ち上げを発表する。80歳を目前に、妻が二度と戻らないと信じていたボクシングの世界へ再び戻ろうとする夫… そして2020年、新型コロナの影響で智巳さんのクラブも経営危機に。スタッフの生活と借金返済のために金策に奔走する妻。そんな妻の姿を見て、夫が店に客を集めるために差し出したのは、人生の全てともいえる“宝物”だった。 あの日、日本中から、たたかれた夫と寄り添い続けた妻…カメラは夫婦の「その後の日々」を見つめた…
関東地方のとある病院で、一人の男性が人生を賭けた大手術に向かおうとしていた。元料理人のクマさん(当時41)。その彼を見送るのは、大学生と高校生の子供を持つ、容子さん(当時51)。二人は奇しくも同じ病院で、同じ病と闘いながら、ともに心臓移植を待つ“戦友”だ。 二人が闘う「拡張型心筋症」は心臓が肥大し、血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病だ。悪化すれば、心臓移植しか助かる道はない。しかし、日本はドナーの数が海外に比べると桁違いに少なく、国内で行われる心臓移植は年間約50~80例程度。それに対し、850人以上が心臓移植を待っていて、多くの患者が移植までたどり着けずに亡くなってしまう現状がある。生きるために、容子さんとクマさんは、体に補助人工心臓(VAD)を埋め込み、いつ来るかわからない移植を待ち続けている。 病は二人の人生を大きく変えてしまった。容子さんは、愛する子供たちと離れて暮らすことになり、「自分は人が亡くなるのを待っているのか?人の心臓をもらって生きる価値が自分にあるのか?」と思い悩む。クマさんは仕事をクビになり、妻の友子さんのアルバイト代に頼って生活することにふがいなさを感じていた。そんな中、ケーブルの入り口から入った細菌がクマさんの体をジワジワとむしばんでいく… 心臓移植の待機患者とその家族の、生きることへの渇望と心の揺らぎを追った3年間の記録。
体に機械を埋め込みながら、心臓を待ち続ける人々がいる… 血液を送る心臓のポンプ機能が低下してしまう難病、「拡張型心筋症」と闘いながら 心臓移植を待ち続ける容子さん(当時51)とクマさん(当時41)。 2人の体には、補助人工心臓(通称・バド)という、モーターの力で心臓の動きを助ける機械が埋め込まれている。 2011年に「植込み型バド」が保険適用されて以来、心臓移植を待つ患者は急速に増え、今や毎年約160人がバドを入れて移植待機となっている。しかし、日本のドナー数は海外に比べて桁違いに少なく、心臓移植の平均待機年数は現在約6〜8年という。この長い年月をどうやって乗り切るのか… 移植待機2年半のクマさんは、バドのケーブルの入り口から体に入った細菌が血液に回る感染症で長期入院を余儀なくされていた。妻の友子さんは夫の実家で暮らしながら、アルバイトを2つ掛け持ち、生活を支えていたが、ある日試練が訪れる。 クマさんのバドの中に血栓ができている疑いがあり、機械自体を取り替える大手術に臨むことになった。ところが、術後に状態が悪化し、生死の境をさまようことになってしまう。 一方、移植待機5年目を迎え、いよいよ移植の順番が近づいて来た容子さんだが、ある出来事がきっかけで深く心が傷つき、移植への心構えもままならない状態に… 心臓移植の待機患者とその家族の、生きることへの渇望と心の揺らぎを追った3年間の映像記録。
2018年に公開されたドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」 認知症の母と老老介護する父の暮らしを、映像作家の「私」が撮った作品は「まるで自分の親を見ているようだ」と人々の共感を呼び、全国で18万人以上を動員。異例の大ヒットとなった。今回お送りするのは、映画の「その後」の物語である。 広島県呉市で暮らす90代の両親と、東京で働くひとり娘の「私」(監督・信友直子)。映画の完成後も「私」は両親を撮り続けた。 異変が起きたのは2018年10月。母が脳梗塞で倒れたのだ。幸い一命はとりとめたが左半身に麻痺が残った。母は「家へ帰りたい」とリハビリを始め、父は毎日面会に行って励ました。そして父は、いつ母が家に帰ってもいいようにと98歳で筋トレを始める。 ところが、母は歩けるまでに回復したものの、新たな脳梗塞が見つかり全身麻痺に。それを聞いて寝込んでしまう父。「私」は、一度でいいから母を家に帰してあげたいと「ある秘策」を考える。 2020年3月。コロナ禍で仕事がなくなり、実家に帰った「私」。そして、ゆっくりお別れできる時期を見計らったかのように、母の病状は少しずつ悪くなってゆく… 60年以上連れ添った父と母が、人生の最後の日々をどう生き、別れ、残された父がそこからどう立ち上がってゆくのか…これは私的な看取りの記録だが、誰もが自分や自分の親の姿を重ね、感じてもらえる物語である…
「モバイルハウス」と呼ばれる「移動する家」に住む若者が増えている。 赤井成彰さん(31)もそのひとり。小型トラックの荷台に、約80万円で小さな家を作り、そこを自宅にしている。暑い夏は北海道で暮らし、寒くなったら暖かい場所へ… 北海道大学を卒業し、大手企業で働いていた赤井さんは今、住所にも、家賃にも縛られず、自分なりの「幸せな生き方」を模索している。 最近は、神奈川県・相模原市の山の中で暮らす赤井さん。野菜を作り、川での水浴びがお風呂替わりだ。そんな生活には“相棒”がいる。漫画家の小栗千隼(ちはや)さん(28)。彼の家は、リヤカーの荷台に木の箱を取り付けた、 製作費10万円の「モバイルハウス」…寝返りをうつのも難しいこの家で、日々暮らしている。 そんな小栗さんには、付き合って2年の恋人がいる。「現実的なタイプ」と語る彼女は最近、都内にマンションを購入。マイホームを手に入れた彼女は、二人の将来について、不安を抱えている。 そんな中、リヤカーハウスで暮らす小栗さんは、雨に濡れず、寒さも感じない彼女のマンションに居心地の良さを感じ、いつしか入り浸るように。赤井さんはひとり、山の中で寂しさを感じていた… 幸せな生き方とは何か。快適な暮らしとは何か。それを探し求める若者たちを追った…
東京・足立区の借家。そこでは4人家族と共に、血の繋がらない4人の男たちが共同生活をしている。彼らは、家庭や学校で問題を起こし、この家で生活するようになった。そんな彼らの“父親代わり”をしているのは“会長”こと古川誠一(52歳)。自らジムを運営し、格闘家を育てるトレーナーとして評判が高い古川会長は、彼らを毎日、自らの格闘技ジムに通わせている。精神を鍛え直し、強い人間に育てているのだ。今、古川会長のジムは、子育てに行き詰まった親たちからの“駆け込み寺”になっている。 曽祖母に暴力をふるい、会長に引き取られた小学4年生のユウセイ。このままでは、暴力で問題を解決するような人間になりかねない。会長はユウセイに愛情と厳しさを持って、鍛え直すことにする。小学5年生のコジロウは、家族に暴力をふるい警察を呼ばれる騒動に。苦悩する母親を救ったのが古川会長だった。コジロウを自宅で引き取ることにしたのだ。 そんな中、10年前から古川会長の自宅で共同生活を送る、かつての“悪ガキ”・中野滉太が格闘技の世界で成長を遂げ、初のタイトルマッチが決定する。「チャンピオンになって会長に恩返ししたい」と語っていた滉太だったが…試合前日、“事件”が起きる。滉太が病院に担ぎ込まれてしまったのだ… 子供たちの力を信じる古川会長とひとつ屋根の下で暮らす“悪ガキ”たち。これは彼らの奮闘と成長を追った10年の記録である。
夜の六本木で、彼に出会ったのは2年前… この街でキャバクラのボーイをする ゆうせい(26歳)は、アルバイトの身にも関わらず、仕事中に酒を飲むなど好き放題。遅刻や給料の前借りも当たり前。いきあたりばったりのその日暮らしを続けていた。 大学卒業後に就職した大手企業をわずか3日で辞めてからは、定職に就く気もなく、無計画に生きるゆうせい。愛想をつかした母親から実家の鍵を取り上げられていた。家を借りる金もないゆうせいは、女性の家に転がり込み、家賃や生活費も全て女性持ちという居候生活。今夜の食事ももちろん彼女のおごりである。 かつて、ゆうせいは将来有望な野球少年で、甲子園常連の強豪校に入るなど、プロ野球選手を目指していた。それを一番近くで支えて来たのが母親だった。幼い頃から一人息子の夢を一緒になって応援して来た母… それが今や、金のないゆうせいが頼るのは、母親に持たされた家族カード。支払いが母親なのをいいことに、ゆうせいはクレジットカードも使い放題。洋服を買い、温泉宿に旅行に行ってしまう。ある日、実家宛てに送った買い物を引き取りにゆうせいは実家に向かう。鍵がないので、開いている窓から忍び込むゆうせい。そして、鉢合わせた母の怒りが爆発する… 息子の自立を願う母親と「親の心子知らず」でその日暮らしの生活を続ける息子。母と子の関係に変化は訪れるのか…これは、ある母と“ダメ息子”の3年にわたる記録である…
2019年6月に「ザ・ノンフィクション」で放送され、民放連賞・テレビ教養部門の最優秀賞、ATP賞グランプリ、ニューヨークフェスティバル2020 ドキュメンタリー宗教/哲学部門・銀賞など国内外で数々の受賞をした作品と「その後」の最新映像をお届けする。 愛知県・岡崎市の山の中に、小さな寺がある。そこはかつて「平成の駆け込み寺」と呼ばれ、非行や虐待、いじめ、薬物依存など、様々な理由から親元で暮らせなくなった子供たちの「居場所」だった。 その寺で壮絶な思春期を過ごしたショウとタクマ。非行グループに属していたショウは、バイクの窃盗を繰り返し、13歳にして少年鑑別所に送致される寸前だった。兄貴分のタクマもまた「九州の中学生ヤクザ」と異名を取るほどのワル。二人の出会いは11年前、寺の住職である廣中邦充さんの元にショウが預けられた日にさかのぼる。 廣中さんは20年にわたり、問題を抱える子供たちを無償で預かり、更生に導いてきた。子供たちからは「おじさん」と呼ばれ、第二の父親のような存在だ。おじさんや仲間たちから温かく迎えられ、ショウは少しずつ落ち着きを取り戻していくが、ある日、事件が起きる… 一方、子供たちの精神的な支えであった廣中さんは、ステージ4の肺がんに侵され、その後、脳転移が発覚する… ショウとタクマ、そして熱血和尚と悩める子供たちの心の触れ合いを見つめ続けた、11年間の映像記録。
都心から電車で1時間…東京・青梅にリヤカーでシフォンケーキを売る風変わりな夫婦がいる。久保田哲さん(49)と妻のかおりさん(44)。 哲さんが引くリヤカーは、ルートは決まっておらず、まさに神出鬼没。「幻のケーキ屋」とも呼ばれ、SNSでも話題の人気店だ。 夫婦がケーキ店を始めるまでの経緯も風変わりだった。IT企業に勤める上司と部下だった2人が結婚したのは16年前。幸せで、平穏な日々…そんな生活に異変が起きたのは、夫婦になって5年後のこと。会社の人間関係に悩んだ哲さんが、うつ病になったのだ。休職、そして退職…それまでの順風満帆な夫婦の生活は一変した。 絶望の中で出会ったのが、かおりさんの母が焼いたシフォンケーキ。そのおいしさに、哲さんは「これを売って生きていこう」と決意。リヤカーを選んだのは、歩くことが病気の回復に繋がること、人に会うことがつらくなったら逃げられる…というのが理由だった。 夫婦でケーキを焼き、売り始めて10年、おいしいと評判のケーキと穏やかな人柄で人気になった店を、試練が襲う。新型コロナウイルスによる影響で、人々は外出を控え、活気が失われていく町…このままでは、ケーキ店を続けることができなくなってしまう。この困難を乗り越えるために、夫婦が動き出す…
順風満帆だった歩みから一転、大きな挫折を味わい、高校を中退した若者たちが集まる場所がある… 18歳の恭平は、幼い頃から野球一筋、プロ野球選手になることを夢見てきた。高校は甲子園に出るため他県の強豪校に進学。両親も息子の夢が現実になると信じていた。 しかし、高校で待っていたのは部内の陰湿な“いじめ”。恭平は退部に追い込まれ、結局、高校も中退。人生の目標を見失ってしまう… そんな恭平のために、母が毎朝5時から握るのは、特大おにぎり。高校を中退した恭平には今、毎朝、通う場所があるのだ… 「もう一度、野球がやりたい」「野球で夢をかなえたい」様々な事情で一度は夢破れた者たちばかりが集う野球チーム「BBCスカイホークス」。ここは、大好きな野球を楽しむ場所ではない。再び「野球」を通じて、自らの人生を切り拓くために闘う場所なのだ。プロ野球選手を目指す恭平の闘いが、再び始まる… 2020年、新チームのキャプテンに任命されたのは、群馬からやってきた17歳の成覇(じょうは)。彼もこのチームで再起を目指す一人だ。 甲子園を目指す強豪校でレギュラーになりながらも、校内でトラブルを起こし、高校中退を余儀なくされた。成覇の目標は、通信制で高卒資格を取り、大学で野球を続けること。 思いもよらぬ大きな挫折で夢破れた若者たち…その時、親はどうするのか。再び「野球」に打ち込み、人生を切り拓こうとする若者と家族の1年を追った…
男たちの“秘密の楽園”…とは、昔の話。いまや客席に若い女性たちの姿も目立つ「ストリップ劇場」。そのステージに立つ、国内最高齢といわれるレジェンドがいる… 星愛美、53歳。年間を通して全国のストリップ劇場を巡業しているストリッパーの中で、日本では最高齢といわれる。彼女のステージは、若い踊り子も圧倒されるほどエネルギッシュで、迫力に満ちている。普通なら、引退しているはずの年齢である彼女は、なぜステージに立ち続けるのか… 10代で落ちこぼれ、社会に反発していた少女はやがて、AV女優、ストリッパー、ホステスなどの職業を転々とするうちに、がんを患い7年もの闘病生活。再び働ける体になった時に、再び選んだ仕事がストリッパーの道だった。 そんな彼女が魂を込めたステージは男性だけでなく、若い女性をも魅了する。見ていると「幸せになる」…いつしか、愛美が出演する全国のストリップ劇場を追いかけ愛美をサポートする「星組」というファンのグループもできた。 愛美は、ファンのためにステージに立ち続けたいとは思うものの、年齢による衰えや股関節の激痛、新型コロナへの恐怖などで限界を感じ、引退すべきか苦悩する。しかし、それでも愛美には、ストリッパーを辞めない深いわけがあった…
入社すれば、ケータイも恋愛も、酒もタバコも禁止。さらに男女の区別なく、みんな丸刈り…一流の家具職人を目指し、住み込みでの修行生活。神奈川・横浜市にある家具製作会社「秋山木工」は、令和となった今でも、いわゆる「丁稚制度」を続けている会社だ。 2017年の春。私たちは、自ら「丁稚」の世界に飛び込む4人の若者と出会った…彼らにはそれぞれ「ここで修行する理由」がある。 京都大学に在学中に引きこもりになった内藤くん(23)は、自分を変えるために大学を中退し、秋山木工の門を叩く。久保田くん(18)は、技と心を磨き一流の職人となるためにやって来た。初めて作る家具は、女手一つで自分を育ててくれた母親にプレゼントしたいと語る。茨城県から来た佐藤くん(17)は、糖尿病を抱えながら職人を目指す。加藤くん(22)は、京都で8代続く造園会社の後継ぎ。職人たちを率いるリーダーとなるべく、人間性を磨きにここへ来た。 彼らを待ち受ける5年間の修行生活。入社初日から、社長に怒鳴られ、厳しい職人の世界を目の当たりにし、家族から送られて来た手紙に涙する…時にぶつかり合う、年齢も境遇も異なる同期の4人。「本当に職人になれるのか」「この世界でやっていけるのか」…悩んだ末に、会社を去っていく者も… 一流の家具職人を目指し、丁稚の道を選んだ若者たちの4年間を追った。
入社すれば、ケータイも恋愛も、酒もタバコも禁止。さらに男女の区別なく、みんな丸刈り…一流の家具職人を目指し、住み込みでの修行生活。神奈川・横浜市にある家具製作会社「秋山木工」は、令和となった今でも、いわゆる「丁稚制度」を続けている会社だ。 2017年の春。私たちは、自ら「丁稚」の世界に飛び込む4人の若者と出会った… 京都大学に在学中に引きこもりになった内藤くん(23)は、自分を変えるために大学を中退し、秋山木工の門を叩く。久保田くん(18)は、技と心を磨き一流の職人となるためにやって来た。初めて作る家具は、女手一つで自分を育ててくれた母親にプレゼントしたいと語る。茨城県から来た佐藤くん(17)は、糖尿病を抱えながら職人を目指す。加藤くん(22)は、京都で8代続く造園会社の後継ぎ。職人たちを率いるリーダーとなるべく、人間性を磨きにここへ来た。 入社して1年半、また一人、秋山木工を去っていく丁稚が…年下ながらリーダー格だった久保田くんだった。手作り家具の将来に不安を感じたのだ。 残された3人は「手作りの技」の誇りをかけて、新たな挑戦を始める。若手職人の日本一を決める技能五輪全国大会への挑戦。ただし、23歳以下という年齢制限のため、出場できるのは佐藤くんだけ。持病を抱える佐藤くんが、3人の代表として大会に挑むのだが… 一流の家具職人を目指し、丁稚の道を選んだ若者たちの4年間を追った。
今、子供たちの憧れの職業となっている「声優」。『鬼滅の刃』の大ヒットもあり、その人気に拍車がかかる中、多くの若者たちがプロの声優を目指し、養成所や専門学校へ通い「輝ける未来」を目指す日々を送っている… 30歳になったことを機に、会社を辞め、大阪から上京したカナコさん(30)は、大手声優養成所の研修生。東京での生活は失業保険を頼りに友人とルームシェアをしながら夢を追っている。まずは最初の関門。約200人から15人に絞り込まれる選抜試験に勝ち残ることを目指すのだが… 同じ研修生のせろ里さん(22)もプロの声優になりたい一人。去年の春、大学を卒業し、内定していた就職先を蹴って鹿児島県から上京。声優の卵たちが集まる「声優シェアハウス」に暮らすのだが、現実は厳しく、昼夜3つのアルバイトを掛け持ちながら、カラオケボックスで発声練習に励む日々… そんな2人に立ちはだかる最初の壁、入所して3カ月後の選抜試験。果たして2人は生き残ることができるのか…夢を追う2人の女性の上京物語を見つめた…
東日本大震災からまもなく10年。 あの日に起きたこと、人々を襲った悲しみ、苦しみ、失ったものを「忘れてはいけない」…そんな思いから、フジテレビでは「わすれない」と冠したドキュメンタリーを、被災者のその後や津波の検証など20本以上放送してきた。 今回は、宮城と福島で、家族や仲間、故郷を失った2人の少年と少女が歩んできた10年を、2週にわたりつづる… 「もう取材はこれで…」そう口を開いたのは、石巻・大川小の「てっちゃん」、只野哲也さん。21歳になった哲也は、目標を失って大学も中退、一人悩んでいた。 全校児童の約7割、74人の幼い命が津波で犠牲になった大川小学校。多くの仲間と最愛の母・妹・祖父を失いながら生き残った哲也は、以来「奇跡の子」として多くのメディアに取り上げられ続けた。 今回、10年の歩みを振り返る“旅”で、初めて明かしてくれた本当の思いとは… もう一人は、あの日、卒業式を間近に控えていた小学6年生の島絵理奈さん。友達にサヨナラも言えないまま始まった避難生活。放射能から逃れ、福島と埼玉で引越しを繰り返す絵理奈。一時帰宅で目の当たりにした変わり果てた故郷。雑草に覆われ朽ちた家を見て絵理奈は言葉を失う。「もう帰れない」そう思わずにはいられない現実… 22歳になった絵理奈が案内してくれたのは、大好きな故郷の思い出の地、そして彼女自身も心を揺さぶられた場所。そこで語ってくれた「10年」の思いとは…
東日本大震災から丸10年。 あの日に起きたこと、人々を襲った悲しみと苦しみ、失ったものを、「忘れてはいけない」という思いで追い続けているドキュメンタリーシリーズ「わすれない」。今回つづるのは、家族や仲間、故郷を失った少年と少女が歩んできた10年。先週に続く<後編>をお送りする。 「もう取材はこれで…」そう口を開いたのは、石巻・大川小の「てっちゃん」、21歳になった只野哲也さん。全校児童の約7割、74人の幼い命が津波で犠牲になった大川小学校で、多くの仲間と最愛の母・妹・祖父を失いながら奇跡的に助かった彼の10年…向けられるたくさんのカメラとマイク。人々に注目され続け、一挙手一投足までをメディアに取り上げられる日々。そんな哲也は今、苦しみの中にいる。明かされたのは、警察官になるという目標を失い、大学も中退したという事実… 私たちは、そんな彼が歩み、背負ってきた10年を巡る“旅”に出る。そして、初めて語ってくれたのは「このままだと生きているようで生きていないような…」という苦悩だった。 「これからは、誰かのためじゃなく自分のために時間を使いたい。だからもう取材はこれで…」打ち明けてくれた彼の本心。その言葉をあとに、私たちは哲也のもとを離れた。 あれから10年の3月11日をてっちゃんは、どんな気持ちで迎えたのか…
2019年9月、新型コロナウイルスが来る前の小学校…ピカピカの1年生の教室。 担任は、社会人になってまだ半年の新米教師、橘川先生(23歳)。 ただでさえ大変な教師1年目に担任まで…そんな新米先生のクラスの中に、授業についていけず、クラスにもなじめないひとりの女の子がいた。中国からやってきた小さな留学生、ナイヒちゃん(7歳)。入学から半年が過ぎても、日本語が分からない…そのため、友達もできず、クラスの中で孤立していた。 「ナイヒちゃんに楽しい学校生活を送らせてあげたい…」新米先生は試行錯誤の日々。「日本で自分の店を持ちたい」という母親と共に中国からやってきたナイヒちゃんは、忙しい母親に「甘えたい…」と涙する日も。母親も「日本語ができなく宿題もできないナイヒの姿を思い出すと泣きたくなる」と涙で語る。 2学期後半、新米先生とナイヒちゃんにとって大きな試練となる「学芸会」。自信がなく日本語を口にするのが怖いナイヒちゃんに3つのセリフが割り当てられた。「声が出ない」ナイヒちゃんを全力でサポートする新米先生。果たして学芸会の行方は… 心を通わせ、共に成長しようとする“ふたりの1年生”。そんな中、世界を襲った新型コロナ。学校は閉鎖されてしまう… 新米先生と海の向こうから来た小さな女の子の2年間の心の交流を見つめた…
春…夢と希望を抱いて故郷を旅立ち、東京を目指す若者たち。 2020年5月、新型コロナの影響でなかなか上京できない一人の青年がいた。 製紙工場の煙突が立ち並ぶ町、北海道・苫小牧市から料理人を目指し上京する、18歳の一摩(かずま)。就職先は、かつて「料理の鉄人」にも出演した洋食の巨匠・大宮勝雄シェフ(70)が経営する有名店「レストラン大宮」だ。 そんな一流の店に、料理を学んだ経験のない一摩が入れた理由…それは祖父の美智男さん(63)にあった。両親が離婚し、父とも死別した一摩は、幼い頃から祖父母に育てられてきた。祖父・美智男さんは、若い頃、東京の伝説的なフランス料理店で活躍。その美智男さんと修業時代を共にしたのが、大宮シェフだったのだ。 がんを患い、料理の世界を引退、療養生活を送っている美智男さんは、大切に育ててきた孫をかつての盟友・大宮シェフに預けることを決めたのだ。 そんな二人の思いを背負い、上京した一摩。大宮シェフや先輩たちは、温かく迎え入れてくれたものの… 生まれて初めて見る東京、初めての職場、初めての料理…何もかもが初めての新生活に、初日から完全に飲み込まれてしまった一摩は、思いも寄らぬ行動に出る… 故郷から遠く離れたスカイツリーのふもとで、夢と現実の狭間でもがく、18歳の青年の上京物語を追った…
春…夢と希望を抱いて故郷を旅立ち、東京を目指す若者たち。 2020年6月、製紙工場の煙突が立ち並ぶ町、北海道・苫小牧市から料理人を目指し上京した18歳の一摩(かずま)。就職先は、かつて「料理の鉄人」にも出演した洋食の巨匠・大宮勝雄シェフ(70)が経営する有名店「レストラン大宮」だ。 離婚、死別により両親がいない一摩を、我が子同然に育ててきたのが、祖父・美智男さん(63)と祖母・静子さん。美智男さんはかつて、東京の伝説的なフランス料理店で活躍してきた。修業時代に苦楽を共にしたのが大宮シェフ。かつての盟友に孫の一摩を預けることにしたのだ。 こうして東京の一流店で、料理人修業をスタートさせた一摩。憧れの大宮シェフや、厳しくも面倒見の良い先輩たちに囲まれながら、仕事を覚えようともがく日々。 しかし、初めて経験する料理人の世界、慣れない都会暮らしも加わり、次第に仕事を休みがちになっていく…そして、上京から約3カ月のある日、一摩からシェフに連絡が…「話があります」。 その頃、故郷・苫小牧では、一摩を送り出した美智男さんが、全身に転移したがんと闘っていた。医師には「余命はもって年内」と告げられていた祖父。 「一流の料理人になる」と祖父母に誓い、やってきた東京。そして、大好きな祖父。19歳になった一摩に「別れの時」が迫っていた…
1995年10月にスタートした『ザ・ノンフィクション』は4月18日(日)の放送で1000回目を迎える。26年にわたる放送の大きな節目にあたり、2週にわたって「放送1000回SP」を放送する。時代を生きる人々のありのままの姿を届けてきた番組の歴史を振り返りながら「『ザ・ノンフィクション』は何を描いてきたのか?」を検証していく特別企画。 阪神・淡路大震災やオウム真理教で日本が激震する年に始まった番組は、今でこそ、市井の人々を取り上げる番組というイメージが強いが、1995年10月15日の記念すべき第一回放送の主人公は、野茂英雄さん。日本人メジャーリーガーの“パイオニア”となったアスリートの挑戦から『ザ・ノンフィクション』の歴史はスタートした。 折しも「平成の大不況」と呼ばれた時代。被写体は、苦しい時代を懸命に“生きる”人々へとシフトしていった。ホームレスの夫婦、うず高く積まれた段ボールをリヤカーに乗せて運ぶ人、借金にまみれて社会からドロップアウトしていく人… そんな人々の背中を押すように、2003年に誕生したのが「生きてる。生きている。」のフレーズでおなじみの番組テーマ曲「サンサーラ」だ。 そして今回「放送1000回SP」の<語り>を担当するのは女優・宮﨑あおい。最初にこの番組のナレーションを読んだのは18歳の時。以来、最多の34回の放送を担当してきた彼女の<語り>とともに番組の軌跡をたどる…
今回の放送で1000回目を迎える『ザ・ノンフィクション』。四半世紀を超える長い歴史の中で『ザ・ノンフィクション』は一体、何を描いてきたのだろうか。 「後編」は、2011年の東日本大震災以降に放送された番組。ある日突然、大切な家や故郷、愛する人の命を奪われるという現実は、日本人の価値観を大きく変えた。「人生にとって本当に大切なものは何なのか…」日本中が悩み始めた時、番組が目を向けたのは「自分らしい生き方」を追い求める人々だった。超高学歴なのに「働かないで楽しく暮らす方法」を追求する人、生まれながらの性に違和感をおぼえ“本当の自分”を取り戻そうともがく人…『ザ・ノンフィクション』は、その時代時代を生きる人々の「心」を描き続けてきた。 そして、長寿番組だからこそ実現できる長期間にわたる映像記録も、『ザ・ノンフィクション』の大きな特徴である。17年にわたり、ダウン症の子供を持つ家族を記録した「ピュアにダンス」シリーズは、人間の成長と子供たちが持つ可能性を見つめ続けた。寺で共同生活をする熱血和尚と傷ついた子供たちを11年にわたり記録した「おじさん、ありがとう」は、国内外で数々の賞を受賞する感動作となった。 1000回目の放送で、最多となる36回目の<語り>を担当するのは女優・宮﨑あおい。数多くの作品に関わってきた彼女の<語り>とともに『ザ・ノンフィクション』の軌跡をたどる。
取材を始めたのは2019年秋。女性キャスト総勢50人。月の売り上げは1億円超え。 当時、銀座でもっとも勢いのあるクラブと言われていたのが「クラブNanae」。経営者である唐沢菜々江ママ(47)は銀座で働いて22年。銀座の伝統を守りながら、型にはまらない柔軟な手法で客足を伸ばし、開業1年で絶大な人気を誇るクラブに成長させたのだが…2020年春。その状況は一変する。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で、菜々江ママは営業休止を強いられた。その厳しい現実を放送したのが2020年5月。カメラは菜々江ママの「それから」の1年を追い続けた… 緊急事態宣言が延長された結果、営業休止は2カ月半におよび、その間、店の収入は途絶え、月に2500万円以上の固定費が重くのしかかる。膨らみ続ける赤字…店を存続させるため金策に奔走するのだが、菜々江ママの体に異変が起きる… ようやく、「クラブNanae」の営業が再開するものの「夜の銀座」は世間から敬遠され、コロナ以前に比べお客さんは激減。お金を稼ぐどころか「収入がない」と店を離れていくホステスや従業員たち。「銀座の一流」を誇りにしていた店は、大混乱に陥ってしまう。そして、追い討ちかけるように、2度目の緊急事態宣言の発令。終わりなきコロナ禍で、菜々江ママは、大きな決断を求められる… 誰もが経験したことのない事態の中、夜の銀座で生きる人々の苦悩の1年を追った。
2021年春…緊急事態宣言下の東京の街を走るタクシードライバーがいた。 恭子さん・45歳。6歳の一人娘を持つシングルマザーだ。彼女がタクシー業界に飛び込んだのは3年前。故郷・茨城の映画館で長年働いていた彼女が転職を決意したのは「離婚」が原因だった。当時2歳だった娘の将来を思い「もっと稼げる仕事」を探した結果、行き着いたのが「東京のタクシー運転手」だったのだ。深夜乗務が基本となる仕事では、一人で子育てはできない。タクシー会社が運営する保育園に娘を預けながら、会社が借り上げた部屋に、70歳の母と3人で暮らす日々… 「娘の将来のために…」タクシー運転手へ転身し、収入を確実に増やしていった恭子さんだったが、2020年春…新型コロナが全てを変えてしまった。度重なる緊急事態宣言で、街からは人が消え、タクシー運転手の頼みの綱とも言える深夜の乗客も激減してしまったのだ。かつてない大打撃を受けているタクシー業界。恭子さんの月収も以前の半分以下になってしまう。持病を抱える母と暮らす彼女は、コロナに感染する不安とも常に背中合わせ。そんな最悪の2020年を終えて、コロナの終息を願い迎えた2021年は、2度目の緊急事態宣言の発令から始まった…そして4月、3度目の緊急事態宣言。 まったく終わりの見えないコロナ禍の中で、きょうもタクシーを走らせるシングルマザーの闘いを見つめた…
2021年春…緊急事態宣言下の東京の街を走るタクシードライバーがいた。 恭子さん・45歳。6歳の一人娘を持つシングルマザーだ。彼女がタクシー業界に飛び込んだのは3年前。故郷・茨城の映画館で長年働いていた彼女が転職を決意したのは「離婚」が原因だった。当時2歳だった娘の将来を思い「もっと稼げる仕事」を探した結果、行き着いたのが「東京のタクシー運転手」だったのだ。 ところがタクシー業界は、去年からのコロナ禍で倒産、廃業が相次ぎ、多くの運転手が去っていった…その一方で、新たにタクシーの世界に飛び込んでくる若者たちもいる。コロナ禍で就職先を失った人々が、やってくるのだ。150人が所属する会社で女性ドライバーは恭子さん一人。そこに2人の新人女性ドライバーが入社し、恭子さんが指導役を任されることになった。 25歳のちひろさん(仮名)は国立大学出身。コロナ禍で職を失い、30社以上も面接を受け、やっと入れたのがタクシー会社。23歳の直子さん(仮名)は、一流店で働いていた元・料理人。仕事での挫折を機に、タクシー業界の門を叩いた。 希望を胸にタクシードライバーとして走り出す2人の女性。しかし、街に溢れるのは「空車」のタクシーの列。緊急事態宣言で夜の街からは客の姿は消えていった…かつてない苦境に立たされる中で、東京の街を走り続ける3人の女性タクシードライバーの生き様をカメラは追った。
東京・六本木。華やかなスポットライトの下で踊るのは、ショーダンサーのミレイ(20歳)。ショー以外の時間は接客をするのだが、実は彼女は、お酒も接客も苦手。それでもミレイには六本木のステージに立つ理由があった。自らの夢を叶えるために… 2020年秋、コロナ禍の東京に、ミレイは母の反対を押し切り、故郷・熊本から上京。女手一つで自分を育ててくれた母との別れ。必死に涙をこらえるミレイと母。これまで二人三脚で歩んできた母娘の思いが溢れ出す。 初めての一人暮らし、初めて働く東京…次第にミレイの心はすり減り、ついにショーの練習を休んでしまう。自宅には疲れ切ったミレイの姿があった… そして、同じ店で働くもう一人の二十歳。2年前、香川から上京したモモは、最初は店に馴染めなかったが、今はすっかり人気者になっていた。常連客を増やすために、SNSでの発信や動画投稿に取り組んだ結果、フォロワー総数は40万人を超えた。「人気者」になるために、六本木にやってきたモモ。その夢が現実となってきた今、モモは想像しなかった問題に直面する。注目を集めるほど増えていくSNSでの誹謗中傷、「キモい」「死ね」…そんな中、営業中のフロアからモモの姿が消えた。カメラが追うと、そこには泣き崩れるモモの姿があった。 夢を追い上京してきたミレイとモモ。「六本木で輝きたい」と必死にもがく、2人の二十歳をカメラは見つめた…
茨城県日立市の「塙山(はなやま)キャバレー」は、13軒のトタン張りの居酒屋が軒を連ねる飲食店街。店主はみな女性。取材許可がおり、去年の12月から密着取材した。「ふじ」は開業34年、店主は塙山飲食店組合の会長を務めている。看板メニューは店主の手料理、ボリューム満点の鍋がひとつ500円など。週3回通い詰める常連の男性は「吉野家と張り合える」と答えた。店主は30歳で夫と別れてから店を開き、夫にとられた息子を稼ぎで取り戻したという。 「いずみ」には居酒屋なのに酒を飲まない客がおり、店主がペットボトルのコーヒー牛乳を200円で出していた。店主は別の町でスナックを成功させたが、40歳でこの地に店を移したという。儲け度外視で店をやっており、訳ありの客が多く来るという。故郷の村が原発事故で入れなくなったという男性などがいた。
茨城県日立市のトタン屋根の居酒屋街「塙山(はなやま)キャバレー」のママたちを密着取材した。居酒屋の主人はみな女性。朝の飲み屋街を取材すると、ママの1人が共用のトイレを掃除していた。夜、組合長の店「ふじ」では常連にサービスのおつまみがふるまわれた。 「いづみ」の常連は毎日ビールを飲みに来る。「のぼる」と呼ばれている男性は塙山キャバレーの一角でラーメン店を営んでいたが火事で消失し、生活保護を受けながら暮らしている。他の店には出入りできなくなったがこの店には入れてくれるといい、朝には店のために草むしりに来ているという。 別の店「京子」では、「ラブ」の店主がカラオケを楽しんでいた。娘と2人の息子を嫁ぎ先に残して家出した過去を持つ。前回の放送では娘が店を訪ねて再会した。別の日に「ラブ」を訪ねると、娘が母に家出をした理由を問い詰めていた。実家の借金を背負うことになり、嫁ぎ先の家族との関係が悪化。厳格な家のため子どもを連れて出られず、ひとりだけで家出したという。その後娘から取材スタッフに、自分から母を捨てて去ることにしたとの連絡が届いた。カラオケの映像は娘と絶縁した後のものだった。
都内にある一戸建ての家。ここに暮らす大家族がいる。 “ママ”の美香さん(55)と“ダディ”のトニーさん(61)と6人の子供たちに血のつながりはない。美香さん夫婦が育てているのは、いずれも育児放棄や虐待、経済的理由など、複雑な事情を抱え、実の親と一緒に暮らすことができなくなった子供たちだ。 美香さんの家で暮らす“きょうだい”の中で、最年長のあき子さん(23)は、家庭内暴力が原因で、物心がついた頃、児童養護施設に預けられ、美香さんの家にやってきたのは、12年前のこと… あき子さんの部屋には、心に刻まれた深い傷を物語るものがある。箱にしまわれた大量の「小さな折り鶴」。あき子さんはつらいことがあると鶴を折り続けてきた。家庭内暴力で傷ついた母の姿。学校で受けたいじめ。「自分は本当に生まれてきてよかったのか?」あき子さんはずっとそう考えて生きてきた。そして、その思いを拭い去ることができないまま、里親である美香さんの家を出られないままでいる。 “前に進めない”あき子さんの姿を見守ってきた美香さんは、ある日、意外な提案をする。「あなたのお母さんを捜そう」。 20年近く、音信不通で生きているかどうかも分からないあき子さんの実の母親。「自分は本当に生まれてきてよかったのか?」それを確かめるため、血の繋がらない母と娘の「実の母親捜し」が始まる…
名古屋の町に、ある怒りと闘いながら日々を生きている男がいる。 革ジャンがトレードマークの阪田泰志(36)。彼が全てを注ぎ込む仕事は“猫の保護活動”。自由奔放な気分屋で、普通の会社員になることは考えたこともなく、自らを“活動家”と呼ぶ“はぐれ者”だ。 7年前に自分の行き場を失った時に一人で始めた保護活動だが、運営するシェルターは火の車。1000万円もの借金を抱えながら、たくさんの猫を保護し続けている。 ペットブームやコロナ禍の巣ごもり需要…猫を飼いたいという人々が増える中、その一方で保護の相談が後を絶たない。その数は、毎月20件以上もあるという。 ある日、依頼があって向かった先にいたのは“捨てられた子猫”。保護すると、驚くような悲惨な姿だった。一体誰がこんなことを…市の動物愛護センターからも猫を引き取り、新たな飼い主を見つけるまで、昼夜を問わず、世話をし続ける生活。 阪田は“人間の身勝手な行動”で、猫が犠牲になっていることが許せないのだ。そんな阪田の元に届いた一通の手紙。薬物所持での罪で刑務所に服役する女性が「飼い猫を預かってほしい」と頼んできたのだ。 さらに、崩れかけた家族関係によって起こった“多頭飼育崩壊”。劣悪な環境の中でやせ細る猫たち。怒りをこらえていた阪田だが… 小さな命を救う闘いを続ける男と行き場を失った猫たちの向こう側に見えてきたものとは…
「東京でお笑い芸人になる」と言って、娘が家を出たのは9年前… 27歳の「幸世(さちよ)」は、芸歴7年の売れないお笑い芸人。毎月のようにオーディションやコンテストに挑戦するものの落選続きで、芸人としての収入はほとんど無い。 女性として生まれた幸世だが、中学生の頃に「自分は男性だ」と違和感を覚え始める。それでも家族や友人には言えずに過ごしてきた。高校卒業後、幼い頃からの夢だったお笑い芸人になるために上京。月に1度のホルモン注射を打ち続け、少しずつ顔つきが男性らしくなり、声も低くなっていった。 「誰も男性として認めてくれないつらい経験を「笑い」にして伝えたい」と、幸世は自身の体験を元にネタ作りをしているが、その思いとは裏腹に、客席からは笑いは起きず、戸惑いの空気が流れるばかり…自分を追い越して売れていく後輩芸人たちの姿に焦りが募る。 生まれ育った静岡には両親と姉がいる。上京後にカミングアウトされた両親は、幸世のことを理解しようと努めるものの、今も複雑な気持ちを抱えている。元漁師の父親は、58歳になった今も、睡眠時間を削り、水産加工工場など3つの仕事を掛け持ち、母親は占い師をして、幸世のサポートを続けている。いつまでも親に援助を求める幸世に憤る父は、芸人になった娘のネタを一度も見ようとしない。 「芸人になるため」そして「男性になるため」に上京した娘とその両親。ある家族の葛藤を見つめた。
「お帰りなさいませ。ご主人さま」そんな掛け声が飛び交うメイドカフェ。 TikTokで約52万人のフォロワーを持ち、外国人客の人気観光スポットとなっている人気店に、この街でも数少ない30代のメイドがいる…34歳の「もち」は、10年前からこの店でメイドとして働き、去年、創業者から運営を譲り受けた。 しかし…2020年春からのコロナ禍で、秋葉原の街からは人が消えた。外国人観光客でにぎわっていたメイドカフェも一転、客足が途絶え売り上げは激減。終わりの見えないコロナ禍で「もち」も追い込まれていく。 そんな中、始めた連日連夜のオンライン配信によるグッズ販売は4000人以上のユーザーを引きつけ、業界屈指の人気店の経営を支え続けている。 この仕事に反対している両親、友人も恋人もいない。それでもなぜ「もち」は働き続けるのか… 「絶対にこの店をなくしたくない」彼女の覚悟の向こう側にある、つらく苦しい過去とは…
2021年3月16日、父・静徳(しずのり)さん(60)は自宅に戻ってきた。 既に首から下を自力で動かすことはできない。神経を圧迫する首の骨にできた癌は、肺にも転移。 緩和ケア病棟から自宅に帰る決断をしたのだ。 そんな父親には、どうしてもかなえたい願いがあった。自身が校長を務める小学校の卒業式に出席すること。今年で定年退職、自分にとっても教師人生「最後の卒業式」だった。 3月25日に行われる卒業式で、最後の教え子にどうしても伝えたいメッセージ。病状が悪化していく中、この願いをかなえることができるのか… そんな静徳さんには、心配事がもう一つあった。それは長男・将大(まさひろ)さん(33)のこと。教師の仕事に人生をかけた父は、家庭の事や子育ては妻に任せっ切り。幼い頃からいじめを受け、次第に心を病んでいった将大さんとの間には、深い溝ができていた。変形したストーブ、壁に空いた穴。家のあちこちに、将大さんの怒りが刻まれている。 寝たきりとなって帰宅した静徳さんは、将大さんとの会話を試みるも、普通の親子の会話はできない。しかし、卒業式に出席したいという父の願いをかなえるため、介護を続けているうちに、将大さんの中で何かが変わろうとしていた。 父の願いをかなえるため、懸命に看病を続ける中でひとつになっていく家族。一番近くにいるのに、バラバラになってしまった家族の再生の物語をカメラは見つめた…
成田山新勝寺へ続く参道沿いに、親子3代、80年以上の歴史を持つ寿司店がある。現社長である3代目の和也さん(59)の子供は、一人娘のすみれさん(24)。伝統ある店を継いでくれる跡取り息子はおらず、自分の代で店を閉じることも考えていた… そんな時、現れたのが一人娘の交際相手である雅貴さん(31)。長年勤めている美容院を辞め、「婿入り」を志願。結婚して寿司職人として一から学びたいというのだ。 「一人前になるまで10年」と言われる職人の世界。これまで料理どころか、包丁すらまともに握ったことがなかった雅貴さんが、まず飛び込んだのは、基礎技術を2カ月で学べる養成学校。共に学ぶ生徒の中では優秀な成績で卒業、伝統ある店に飛び込み、修行を始めるものの… 雅貴さんは、次第に合理的とは思えないスタッフの動きや勤務管理の方法に疑問を感じ始める… そんな雅貴さんが訴えた相手は、店を60年近く切り盛りしてきた、妻・すみれさんの祖母である大女将。これまで大女将に意見をする新人など、誰一人いない。それでも雅貴さんは、自分の考えをぶつけてしまう。 一方、日にちが近づいていたすみれさんと雅貴さんの結婚式の行方は… 伝統ある寿司店に飛び込んだ“お婿さん”と一家の10カ月を追った。
69歳の女装愛好家、キャンディ・H・ミルキィさんが女装を始めて40年以上、かつては原宿の歩行者天国に出没し、話題の人となった。 23歳で結婚し、3人の息子にも恵まれたが、キャンディさんの女装趣味が収まることはなく、真実を知った妻は「生理的に受け入れられない」と家を出ていった。女装によって崩壊してしまった家族。今は一人で暮らすキャンディさんの元を訪れる息子。当時の「父親」を息子たちはどう思っていたのか… 今、70歳を手前にしたキャンディさんは、肺の病を患っている。症状は悪化するばかりで、残された時間を意識した「終活」を始めたという。最後の最後までやりたいことを貫く人生。そんなキャンディさんを訪ねて来たのは、4歳年上の姉。幼い頃、隠れて姉の服を着ていたことが、女装の原点だった。弟の女装姿を初めて目の当たりにする姉は一体、何を思うのか… 「コスプレ」や「LGBT」などの言葉もなかった時代から、世間の偏見や差別にめげることなく、女装を続けて来た一人の男の人生を追った…
「私が病気と闘う姿を記録してほしい」… 2020年冬、私たちが出会ったのは、料理研究家の高木ゑみさん(35)。8歳の一人息子と2人で暮らすシングルマザーだ。 2020年10月、長引くコロナ禍の中でも、オンラインで料理教室を開催するなど、精力的な活動を続けていたゑみさんは、腰に強い痛みを感じる。病院に行き検査をすると、そのまま緊急入院。腰の痛みの原因は、肺から転移したがんによるものだった。突然、医師から宣告された「ステージ4」のがん。すでにがんは体のあちこちに転移していたのだ。 そんな彼女が始めたのは、病気のことを包み隠さず、世の中に伝えること。入院中の病室から、いつもと同じようにメイクをし、常に笑顔を絶やすことなく、毎日のように病状や今の心境を報告していった。 気がかりなのは8歳の息子のこと。ゑみさんは「この子のためにも生きる」と、前向きに病気を乗り越えようとする姿をSNSで発信を続けていく。 去年12月、35歳の誕生日を迎えたゑみさんの病状は回復を見せ、退院できることに…彼女はすぐに、オンライン料理教室やセミナーを開始、新商品の開発に乗り出した。治療の影響で髪が抜けても、ウィッグをつけ楽しんで見せることで、“笑顔で生きる”を実践。息子との平穏な暮らしを少しずつ取り戻していった。 がんと闘いながらも、いつも明るく笑い続ける母と、そんな母が「世界で一番大好き」という一人息子の日々をカメラは見つめた…
終わりの見えないコロナ禍に見舞われ、苦境が続く“夜の街”。相次ぐ緊急事態宣言で客足も途絶え、回復の見込みは立たない。そこで長く働き、生活をしてきた女性たちは今、将来に強い不安を感じている。「昼の仕事に就きたい」…企業の新規採用も厳しい中で、“夜の街”に別れを告げようとする彼女たちは今… 横浜出身のルカさん(24歳)は、去年11月から、中卒・高卒者限定の就職支援をする「ヤンキーインターン」に参加。自分の顔の整形費用を捻出するため、夜の街で働き始め、キャバクラやクラブなどを転々としてきた。昼の仕事に就いて、「何事にも自信を持てない自分を変えたい」と半年間の研修に飛び込んだルカさん。自信のなさゆえの人見知りな性格がわざわいし、電話営業なども腰が引けてしまう。ここでも自分を変えることはできないのか…ルカさんの新たな苦悩の日々が始まった。 静岡から研修へやってきたマリカさん(21歳)は18歳のころからやガールズバーやスナックで働いてきた。コロナ禍で収入が減る中、“夜の街”を離れることを決心した。営業活動など初めて経験する仕事にも、持ち前の社交性を発揮し、講師からも絶賛されるほどの順調な滑り出しだったが…開始から3カ月後、マリカさんは研修を辞めることを決意。なぜ彼女は東京を離れるのか… 長引くコロナ禍をきっかけに「人生を変えたい」と奮闘する彼女たちの1年を追った。
自らを「ダメ人間」と呼ぶマエダは44歳のパチスロライター。 都心の裕福な家庭の一人息子として生まれ、幼稚園からエリート街道を歩むものの、同級生の中でただ一人、大学に進学せず、ギャンブルにのめり込み、トラック運転手やパチスロ店、豆腐店、転売業など職を転々としてきた。 20歳で最初の結婚をしたが今は「バツ2」で、元妻たちとの間には3人の子供がいるが会うことはない。現在は、年老いた母と二人で暮らしている。 40代になり、ようやく巡り会えた天職がパチスロライターの仕事。記事を書き、番組やDVDにも出演、“ゲス”なキャラクターとスーツ姿で、ファンに愛されてきた。 2020年2月。そんなマエダが余命宣告を受ける。過去に手術したがんが進行し、全身に転移。医師からは「余命は3カ月から半年」と言われた。マエダは友人たちに全てを語り、「最後まで楽しく死にたい」と、自らの“終活”に付き合ってもらうことに… 日々、がんの進行が進み、治療や薬の副作用で体が悲鳴を上げても、酒もタバコもやめず、仲間たちと一緒にうまいものを食べる。そんなマエダの姿に仲間たちも特別扱いすることなく、マエダの“終活”に寄り添い続ける。 そして2020年6月、余命宣告の時期に差し掛かったころ、マエダは、新型コロナに感染し入院してしまう… 「自分が死ぬまで撮影してほしい」と語るマエダの“終活”をカメラは見つめ続けた…
自らを「ダメ人間」と呼ぶマエダは44歳のパチスロライター。 都心の裕福な家庭の一人息子として生まれ、幼稚園からエリート街道を歩むものの、同級生の中でただ一人、大学に進学せず、ギャンブルにのめり込み、トラック運転手や豆腐店、転売業など職を転々としてきた。20歳で最初の結婚をしたが、今は「バツ2」で現在は、年老いた母と二人で暮らしている。30代半ばで、ようやく巡り会えた天職がパチスロライターの仕事。 “ゲス”なキャラクターとスーツ姿で、ファンに愛されてきた。 2020年2月。そんなマエダが余命宣告を受ける。医師からは「余命は3カ月から半年」と言われた。マエダは友人たちに全てを語り、「最後まで楽しく死にたい」と、自らの“終活”に付き合ってもらうことに。 「やりたいことは我慢しない」と、酒を飲み、タバコを吸い、麻雀に興じ、旅に出るマエダだが、余命宣告から半年が過ぎ、体は悲鳴を上げ始めた。 がんの進行は止まらず入退院を繰り返す中、手術も難しい状況となり、母と2人、緩和ケア専門のホスピス探しを始める。全身の痛みと歩行困難な中、年老いた母の肩を借り、足をひきずりながら歩く。大量の痛み止めの薬を飲みながら「今、敗戦処理をしてるんだなと思うと悲しくなっちゃう」と自分の運命を嘆くマエダ。 「自分らしく生きること」「最後まで幸せに生きること」だけを願ったマエダの終活を追った1年の物語の結末は…
実家の母に借金のお願いをする44歳の姉と資産家の息子である夫…夫婦の預金残高はわずか4873円…親から譲り受けた家を売却し姉は人生初の職探しを始めるのだが…
母と息子が切り盛りする小さな定食屋では、いつも口論が絶えない。接客担当の母・貴美子さん(63)と料理担当の息子・大貴さん(27)の2人。 2020年1月、文京区・本郷で開店したものの、翌月には新型コロナに見舞われ、客足は伸びず赤字続き。どう見てもうまくいっていないこの店を続ける理由…それは、母と息子の過去にあった。 幼い頃から成績優秀で「将来は弁護士になる」と夢を語っていた大貴さんは、中学生の時、突然の不登校に。その現実を受け入れられず、息子に厳しく接し続けた母。「死にたい」と追い詰められた息子は、発達障害の疑いがあるとの診断を受ける。ようやく不登校の「本当の理由」を知った母は、自分を責め続けた。 しかし、自宅で引きこもる中、初めて作った料理を母に褒められたことが大貴さんの人生を変えることに。「料理であれば、自分も周りを喜ばせることができる」と料理人の道を歩み始めたのだ。その姿を一番近くで見ていた母は、人生を賭けて息子を支える決意をする。こうしてオープンしたのが、大貴さんが思う存分、料理を作ることができる定食屋だった。 ところが、赤字もお構いなしに町の定食屋に見合わない高級食材を仕入れる大貴さんのこだわりと、長引くコロナ禍で、店の経営は火の車に。息子の大切な居場所である店を懸命に守ろうとする母だが、蓄えもついに底をつきかけ。母が息子のために開いた小さな定食屋の行方は…
いま、父の中から家族の記憶が消えようとしている… 緑に囲まれた千葉・睦沢町で暮らす高校3年生の息子、大介さん(17)は、父の介護を続ける、いわゆる「ヤングケアラー」だ。父・佳秀さん(65)は、50歳の時に、若年性アルツハイマー型認知症と診断された。それから15年、病の進行は進み、家の中を歩き回り、今では家族との会話もままならず、トイレに一人でいくこともできなくなった。いつも笑顔で、優しいスーパーマンみたいだったお父さんが… 母・京子さん(53)と大介さん、2人の妹が続けてきた介護生活は、いま“限界”を迎えようとしていた。進行していく父の認知症を前に、一家は父を介護施設に入所させるかどうかと悩み始める。 毎日、顔を合わせることで、ようやく繋がっている父の中の家族との記憶。もしも、この家を出て、介護施設に入れば、認知症が一気に進行してしまうかもしれない。コロナ禍もあって、入所すれば、半年以上、家族との面会は許されないという現実。この家を出て行けば、父の頭の中から、自分たち家族の存在は、完全に消え去ってしまうのではないか。それは、実質的に、父と家族の「お別れ」を意味する… カメラは、若年性認知症の父の介護で揺れる息子と、その一家のひと夏を見つめた。
今年、奇跡のような夏を迎えた家族がいる。番組が18年間追い続けた待寺家。 取材を始めた頃は、まさかこんな日が来るとは夢にも思わなかった… 出会った時、13歳だった待寺優はダンスに夢中、弾けるように踊っていた。 ダウン症のある優は、“ダンスが好き”という一心で踊り続け、道を切り開いてきた。 これまで、自分の障がいに向き合って葛藤し、両親は優のサポートに対する考え方の違いで対立したりと、いくつもの困難にぶつかってきた。 そして時が過ぎ、少年は、今年31歳になった。ダンサーとしてのピークは過ぎ、今は、いつか両親がいなくなったとき、どのように自立し生きていくのかが大きな問題だ。 「ダンスをできる限り続けさせてあげたい」母と、「ダンスより自立への力をつけさせるべき」と考える父が対立する。優自身も将来への不安を抱えていた。 2020年、人生最大のチャンスが目の前にやってくる… 障がいのあるパフォーマーたちを世界中の人たちが見つめる最高のステージ。東京2020パラリンピックの開会式への出演だ。一生に一度の大舞台。優はその舞台に立ちたいという夢を持ち、選考会に挑む。しかし、優の夢を阻んだのは、世界を揺るがす新型コロナ。果たして、優の挑戦の結末は…2021年夏、待寺家に訪れた奇跡の夏の物語。
大切な人を見送るとき、人は何を思うのだろうか… 「人生の最後の時間を自宅で過ごしたい」と願う末期がんの妻。病院に迎えに来たのは夫の一(はじめ)さん(73歳)。仕事一筋の人生で、家のことは妻・悦子さんに任せきり。妻に先立たれたら、ひとりぼっちになってしまう。何より、妻に幸せな最後の時間を過ごさせてあげることはできるのだろうか。 「主人といい時間を過ごしたい」…退院の1週間前、悦子さんが話をしていたのは、作務衣に身を包んだ女性。余命宣告をされた人が多く入院する緩和ケア病棟で患者の悩みや不安を聞く、僧侶の玉置妙憂さん(57歳)だ。看護師でもある彼女は、多くの死の現場に立ち会ってきた。そして47歳の時、夫を自宅でみとったことをきっかけに出家し、“看護師僧侶”として患者や家族の心のケアを続けている。 妙憂さんが訪れたのは、愛する人を失った悲しみから抜け出せずにいる38歳の女性。8年前、新婚だった夫を突然亡くし、以来、自宅に引きこもる日々が続いているという。そんな彼女の心に、妙憂さんは、そっと寄り添い、話を聞き続ける。 そんな妙憂さんに悩みを打ち明けるのは、寝たきりになった母の介護を続ける娘。「最後は自宅で迎えたい」という母の願いをかなえてあげたいと思いつつも、ささいなことでぶつかり合う母と娘。「幸せな人生だった」最後はそう思ってほしいのに… 愛する人を見送る人々、看護師僧侶が出会った3つの家族の物語。
新宿・歌舞伎町…ホストクラブのネオンと喧噪が響く街角に、夜8時に開店する薬局がある。深夜に薬局を訪れる客の8割は女性。ほとんどが“夜の街”で働き、歌舞伎町に暮らす人も。そんな彼女たちから「歌舞伎町のお父さん」と呼ばれ信頼を寄せられているのが、たった一人で薬局を切り盛りする、中沢宏昭さん(43歳)だ。 ただ、中沢さんとおしゃべりをする女性、人生相談をしにくる女性、話題は、仕事や恋愛の悩みなど実に様々だ。夜な夜な薬局にやってくる客は、処方箋を手に薬を求めるだけでなく「自分の居場所」を求めて、ここへやってくる。 そんな中沢さんのもとを決まって「火曜日の夜」に訪れる女性がいる。20代の智花さんは、高校生の頃から気持ちの浮き沈みに悩み、心療内科への通院を続けている。 この薬局に通い始めたのは1年ほど前。常連客の中では珍しく、智花さんは歌舞伎町で働いているわけでもなく、住人でもない。それでも智花さんがここに通う理由は、中沢さんが「おかえり」と言ってくれるから。地方から上京し、都会で一人暮らしをする智花さん。中沢さんがまるで家族のように、迎え入れてくれることが、彼女にとって心の安らぎになっているのだ。 そんなある日、智花さんが、薬を大量に飲み救急車で搬送されたという知らせが… 世界有数の“夜の街”、新宿・歌舞伎町の「真夜中の薬局」で交わされる心のやり取りをカメラは見つめた。
今からちょうど10年前…2011年11月21日、「天才」の名をほしいままにした男がこの世を去った。落語家・立川談志(享年75)。歯に衣着せぬ過激な言動や破天荒な振る舞いばかりが注目された談志が、家族の前で知られざる素顔をのぞかせる未公開映像が見つかった。テープにして約750本、1000時間、12年間にわたって、晩年、マネージャーを務めた長男・慎太郎が撮影したものだ。 そこには、孫と遊ぶ優しい表情、これまで公開されたことのない最愛の妻との日常や、ビートたけし、中村勘三郎、森繁久弥、和田アキ子など大物芸能人たちとの私的な交流なども映されている。 さらに、談志本人が部屋で一人撮影した「自撮り」映像も多数、残されていた。カメラに向かって語っているのは、襲いかかる「老い」への不安、いら立ち。「生きるというのはつらい」「死にたい」。半世紀にわたって表舞台に立ち続けた談志が、日々衰えていく肉体にうろたえ、ときに心が壊れそうになりながら、もがき、苦しむ。それでも自らをカメラにさらし「落語家なんだから、恥もすべてぶっさらす」とうそぶく。それは「落語とは人間の業の肯定」と語り続けた男の宿命だった。 そして談志は、落語家にとって命ともいうべき声を失い、七転八倒する姿を、死の直前までカメラにさらし続けていく。 天才落語家であり、一家の主である父・立川談志。その最期の日々をカメラは映し出していた…
私たちがその家族に出会ったのは12年前… 大林美和さん(当時34歳)が嫁いだのは、北海道・新冠町の小さな牧場。札幌で生まれ育ち、スローライフに憧れた美和さんは結婚して7年。父がつくった牧場を継いだ夫と保育園に通う2人の息子とともに、競走馬を育てる毎日。 命と向き合う仕事は、早朝から深夜まで続く重労働。もちろん休日もない。嫁いで来た当初、毎日馬房で泣いていたという美和さん。長引く不況で競争馬は売れなくなり、生活は苦しくなるばかり。そんな時、稼ぎ頭だった牝馬が放牧中に足を骨折してしまい、やむなく安楽死処分に。牧場経営を揺るがす大ピンチに陥り、夫は経営難で無気力になってしまう。美和さんはそんな夫を支え、経営を少しずつ立て直していくのだが… そして2017年、美和さんは、都会に住む不登校の小学生、双子のきょうだいを預かる決意をする。雄大な自然や馬に囲まれたこの場所なら、2人の傷ついた心をいやすことができると美和さんは信じていた。美和さんの息子2人との不思議な共同生活。次第に息子たちと一緒に学校へ通い始めるきょうだい。大林家で暮らし始めて1年、この地で卒業式を迎えることになる… 美和さんが子供たちに伝えたいこと。そして、どうしても守りたいものとは…カメラが見つめた北の大地で生きる家族の12年の物語。
37歳の息子を突然失った母は、毎朝、息子の写真に手を合わせるたびに思うことがある。 「もっと良い写真があれば…」。遺影写真は友人と一緒に撮ったスナップ写真を引き延ばしたもの。その顔は少しピントがボケている。 「自分の写真はちゃんと残しておきたい」という母が向かったのは、東京・中野にある写真スタジオ・素顔館。ここは「遺影写真」専門の写真館だ。 素顔館の館主・能津喜代房さん(73歳)は13年間で5000人以上の「遺影写真」を撮ってきた。「元気な時の一枚は家族への贈りもの」と語る能津さんは、その人の一番良い表情を引き出し、シャッターを切る。かつては、数々の賞を受賞する広告カメラマンだった彼がなぜ、「遺影写真」を専門に撮るようになったのか…そこには、大きな人生の後悔があった。 能津さんの元を次々と訪れる「遺影写真」の撮影希望者。それは決して高齢者だけではない。依頼者は54歳の男性。腎臓にがんを患っていた。妻と2人の子供に元気な時の自分の写真を残し、手術に向かう… 末期がんで余命宣告を受けた貴美子さん(68歳)は、父に贈られ大切に育ててきたバラの花と一緒に写真を撮りたいと言う。「かわいい時のおばあちゃんを忘れないで」。孫にそう言って撮影した貴美子さんの「遺影写真」は、思いもよらぬ運命へと彼女を導いていく…
「無料Wi-Fi使えます」「スマホ充電できます」… 都内の公園、生活困窮者のための炊き出し会場に掲げられた看板。そこに続々と集まってくるのはスマホを手にした若者たち。彼らは職や家を失ったホームレス。その命を繋ぐツールが「スマートフォン」。電話料金が払えず、使えなくなったスマホだが、無料Wi-Fiを利用し、インターネットに接続すれば、炊き出し場所の検索、安価なネットカフェの予約、支援相談窓口への相談もできる。まさに彼らにとって通話のできなくなったスマホは、生きていく上での“最後の命綱”なのだ。だから、きょうも彼らは、無料Wi-Fiスポットを求めて都会の街をさまよう。 そんな貧困に苦しむ若者たちを救おうと闘う男がいる。佐々木大志郎さん(42)は都内で生活困窮者の支援を続ける団体のメンバーだ。彼のもとには、毎日のように困窮した若者たちからSOSが舞い込む。仕事を失い離婚、3歳の一人娘に会いたい思いを抱えながら行き場を失い苦悩する30代の男性。順風満帆だった生活からコロナ禍で解雇され、ホームレスとなった元イタリアンの料理人。家族との断絶に悩みながら、貧困から抜け出そうともがくトランスジェンダーの男性… スマホと無料Wi-Fiが繋げるホームレスたちの命、現代の貧困の風景を追った…
連夜、若者たちでにぎわう1軒のバー。 今、世界で最もダイナミックに変化を遂げる町の中心にその店はある。急速な発展を続ける中国・深圳。1700万人に膨れ上がった人口の平均年齢は33歳。数々の世界的企業が次々と生まれる都市だ。 バーの切り盛りをするのは、ゆきさん(35)。店に集うのは、海を渡り、深圳で暮らす日本人の常連客たち。夢や生きがいを追い求めてこの町にやってきた若者たちだ。 店長のゆきさんは、小さな頃から日本で生きづらさを感じてきたという。仕事は長続きせず、世界中を旅しながら自分の居場所を探し求め、たどり着いたのが深圳。日本では、婚活に熱中するも連戦連敗。ところが、深圳に来てすぐに運命的な出会いがあった。友人の紹介で知り合った夫のリャンさん(32)。世界的IT企業のソフト開発エンジニアだ。異国の地で実現した「結婚」。しかし、次第に2人の関係は変化し、ケンカが絶えないように… 投資会社に勤める鈴木さん(26)は、駆け出しのアナリストながら数億円の運用を任され、いつの日か大きな富を手にし「成功」することを夢見ている… 電子機器のエキスパート、高須さん(47)は、世界中から深圳に集まってくる最先端技術を世界へ発信、日本企業との橋渡し役をしながら、日本では味わえなかった刺激的な日々を送っている… 「結婚」「お金」「生きがい」…この町で人生を変えたいと海を渡った「夢」の行方は…
コロナ禍は「結婚」にも暗い影を落としている… 2020年の国内婚姻件数は52万5490組と、前年より12%以上も減り、戦後最少の水準となった。「リモート」や「外出自粛」、「ソーシャルディスタンス」が、人々の距離を遠ざけ、出会いのチャンスを奪っている現実… そんなコロナ禍で「婚活」を始めた女性がいる。飲食店従業員のミナミさん(仮名・30)は、度重なる休業要請による待機生活で孤独を深め、「結婚して温かい家庭をつくりたい」と願うようになった。恋愛経験がなく、男性とのコミュニケーションが苦手なミナミさんは、結婚相談所に入会し、婚活アドバイザーの指導を受けることに… お相手選び、お見合い、デート…楽しいとばかり思っていた婚活は、決して簡単な道のりではなかった。それは、自分が歩んできた人生を見つめ直し、自分の内面ととことん向き合う作業。そんな中、ミナミさんはお見合いで出会った40代の資産家男性とのデートを重ねる。穏やかで心優しい彼は、「専業主婦になりたい」というミナミさんの条件をすべてかなえてくれる相手だった。 ところが、時を同じくしてお見合いをした、30代の介護士男性に心を奪われてしまうミナミさん。初めて抱く恋心に心は弾むのだが… 人生初の恋か、それとも将来の安定か…2人の男性の間で揺れ動くミナミさん。 果たして彼女は、望んだゴールにたどり着くことができるのか…コロナ禍の婚活をカメラは見つめた…
コロナ禍で孤独を深め、結婚相談所に入会して婚活を始めた、飲食店従業員のミナミさん(仮名・31歳)。恋愛経験がなく、男性とのコミュニケーションが苦手なミナミさんは、婚活アドバイザーの指南を受けながら、お見合いで出会った40代の資産家男性とのデートを重ねていた。彼は、「専業主婦になって温かい家庭をつくりたい」というミナミさんの条件を全て叶えてくれる相手だった。 ところが、時を同じくしてお見合いをした、30代の介護士の男性に心を奪われてしまうミナミさん。人生で初めて抱く恋心に心は弾むのだが、さほど年収が高くない彼と結婚したら「共働き」「ワンオペ・ワーキングマザー」という未来が待っていることをアドバイザーから告げられる。理想の結婚生活は送れないと知ってもなお、介護士の彼とデートする度に恋心は募るばかり… 一方、人を思う気持ちを知ったことで、ミナミさんは外見も内面も大きく変わっていく。これまで、恋愛経験がないがゆえに相手の欠点ばかりが目についてしまっていたが、資産家の男性を見る目も徐々に変わり、彼の優しさが胸に染みるようになる。人生初の恋か、それとも将来の安定か…二人の男性の間で揺れ動くミナミさん。ついに決断をするのだが、その先には思いもよらない事態が待っていた。 婚活を通して自身と向き合い、成長していくミナミさんの姿をカメラは見つめた。
結婚したい…2人の男性の間で揺れる「婚活中」のミナミさん・31歳…お互いとデートを重ねついに決断するのだが…ミナミさんはアドバイザーを激怒させる行動に出る…
アフロヘアがトレードマークのその男は、長身で、ちょっぴりコワモテな風貌… 高橋大輔(40)は、その見た目とは裏腹に、不動産業者の代表だ。 屋号は「おせっかい不動産」。唯一無二の不思議な仲介業者の一番の特徴が、その名の通り「おせっかい」だ。 彼の担当する客のほとんどが、複雑な“事情”を抱える「ワケありな人々」。時には病院から…時には障害のある人から…そのほとんどが“普通”の不動産業者では対応すらしてくれない人たちだ。 「自分以外に誰もやらない」と語る高橋は、ワケあり客たちを断るどころか歓迎し、必ず希望に見合った物件を見つける。 高橋の仕事は部屋探しだけでは終わらない。その客たちに「おせっかい」をしていくのだ。「困っていそうだから、こっちが好きでやること」。余計なお世話かどうかは気にしない。 ある日の依頼は、火事で全てを失った男性。さらに、「ステージ4」のがんを患う生活保護受給者…そして、亡くなった人の部屋の後片付け…「この人のためにできることは何か?」高橋が始めた「おせっかい」とは… そして、高橋の元に初めて30歳の女性新入社員が飛び込んでくる。 彼らの「おせっかい」によって、ワケありな人々の“何か”が変わっていくのだろうか…
「もう限界かもしれません」… この一文から始まる張り紙が物議を醸し、話題となった1軒のラーメン店がある。 2021年5月、コロナ禍での度重なる休業要請で、苦境に立つ経営への思いを店先の張り紙で訴えたのは、店主のえつ子さん(35歳)。ずっと水商売の世界で生きてきた彼女が、心機一転、ラーメンの世界、それも激戦区である東京・荻窪で勝負しようと決めたのは理由がある… えつ子さんの父・裕也さん(54歳)は、埼玉県を中心に居酒屋やキャバクラを展開する飲食店グループを経営する社長。順調に売り上げを伸ばし、事業を拡大していたのだが、コロナ禍となり、グループの売り上げは10分の1に。そこで、えつ子さんは、“夜の街”よりも影響を受けづらいと考えたラーメン店を開店したのだ。 しかし、コロナ禍の現実は厳しく、2020年6月の開店以来、ずっと赤字続き。無料サービスを充実させても、新作ラーメンを出しても、いっこうに客足は伸びない。父が経営する店も経営難は加速し、キャバクラは休業を強いられていく…追い詰められていく父と娘は、ついに大きな決断を求められる。 一向に出口の見えないコロナ禍の中で、飲食業界の現場では一体、何が起きているのか…ある父娘の姿を通して、その実態を追った。
最寄駅から車で2時間、平均年齢が80歳に迫る「限界集落」に、約40年ぶりとなる赤ちゃんがやってきた… 和歌山県の山奥で「働きたくない若者たち」が共同生活を送っている。自らを「山奥ニート」と呼ぶ20~30代の約10人が一つ屋根の下で暮らすシェアハウス。彼らは皆、社会や家族とのつながりから離れ、互いに干渉することもない「理想郷」を追い求め、この地にたどり着いたのだ。 3年前、愛知県からやってきた30代のももこさんは、2021年5月、突然の結婚発表でみんなを驚かせた。お相手は、同じシェアハウスの年下男性。しかも、ももこさんは妊娠しているという…「私はここで子育てがしたい」と話すももこさん。自由気ままな暮らしを続け、社会の現実とは距離を置くことを望んで生きる山奥ニートたちが新しい命という「現実」に向き合うことになったのだ。 出産を控える夫婦が頼りにしていたのは、隣の山の限界集落に暮らす中岡さん(86歳)。 ももこさんは彼女から子育てを教わろうとするが、シェアハウスで子育てをしようという夫婦に中岡さんは不安を募らせていく… 赤ちゃんという「現実」は、若者たちの理想郷に何をもたらすのか…山奥ニートたちの1年を追った。
令和の時代に若者たちを徹底的に叱って育てる会社がある。 神奈川県横浜市にある家具の製作会社「秋山木工」。一流の職人を目指し入社した新人たちは、住み込みで5年間修行する、いわゆる“丁稚奉公”。酒もタバコも恋愛も禁止、ケータイ電話は私用で使えず、家族への連絡は手紙だけ。おまけに修行期間は、男性も女性も区別なく丸刈り。 2017年の春。秋山木工の門を叩いた4人の若者と出会った…彼らにはそれぞれこの会社に来た理由がある。 久保田くん(18)は、シングルマザーとして女手ひとつで育てくれた母親に、職人となり親孝行する為に…京都大学を中退して来た内藤くん(23)は、実家の家具会社を継ぐ為に…加藤くん(22)は、地元・京都で8代続く造園業を営む父親の後を継ぎリーダーとなる為に…1型糖尿病と2歳の時に診断された佐藤くん(17)は、職人となり支えてくれた家族に恩返しをする為に… 順調に成長しているように見えていた2017年組4人の修行生活だったが、次第に同期たちの間に不満や亀裂が生まれていく。 そんな中、リーダー格だった久保田くんが秋山木工を去り、同期たちの運命は、それぞれの道へ大きく別れていく… 家族からの手紙に涙し、時にぶつかり合う年齢も境遇も異なる4人の若者たち。 2017年入社した“泣き虫同期”4人の5年の記録。
令和の時代に若者たちを徹底的に叱って育てる会社がある… 横浜市にある家具の製作会社「秋山木工」。一流の職人を目指し入社した新人たちは、住み込みで5年間修行する、いわゆる“丁稚奉公”。酒もタバコも恋愛も禁止、ケータイ電話は私用で使えず、家族への連絡は手紙だけ。おまけに修行期間は、男性も女性も丸刈り。 2017年春。秋山木工の門を叩いた3人の若者と出会った。 京都大学を中退して来た内藤くん(23)は、実家の家具会社を継ぐために…。加藤くん(22)は京都で8代続く、実家の造園会社のリーダーとなるために…糖尿病を抱える佐藤くん(17)は、支えてくれた家族に恩返しをするために… 2019年春。“丁稚”となった2017年組の3人に「後輩」ができることに。「流されやすく甘えがちな自分の性格を改善し、人として成長したい」と入社してきた山田くん(18)。入社を認められ、伝統の丸刈りにすることができたことにうれし涙を流す。 同じ釜の飯を食い、共に修行を続ける4人の丁稚の間に、次第に生まれていく大きな溝…「言うことを聞かない」と後輩に不満を募らせる2017年組と「もっとしっかりしてくれ」と不満をぶつける山田くん。そんなある日、山田くんが突然、会社から姿を消してしまう… 「このまま職人を目指すのか…」自身の将来を考え、悩み迷い続ける4人の丁稚たち。一流の職人への道を歩む令和の丁稚たちの5年間の記録。
今から5年前、厳しい丁稚奉公の世界に飛び込んだ3人の若者がいる… 横浜市にある家具の製作会社「秋山木工」。一流の職人を目指し入社した新人たちは、住み込みで5年間修行する、いわゆる“丁稚奉公”。酒もタバコも恋愛も禁止、ケータイ電話は私用で使えず、家族への連絡は手紙だけ。おまけに修行期間は、男性も女性も丸刈り。 2021年春。秋山木工に入社した2人の新人の指導役を任されたのは、2017年に京都大学を中退して入社した内藤くん(27)と同期の2人、そして2019年に入社した山田くん(20)。実はこの半年前、山田くんは、3人の先輩たちへの不満から、会社を飛び出してしまった。以来、先輩と後輩の関係は悪く、その溝は深まるばかり。社長からは、新人の指導を巡って「もっと命懸けでやれ」と叱られる毎日… そんな中、若手職人日本一の技術を競う技能五輪に2017年組の佐藤くん(22)と山田くんが秋山木工の代表として、出場することに。会社の伝統と誇りを背負い、ライバルとして競い合う先輩と後輩。しかし、この2人が秋山木工を大きく揺るがす事態を引き起こすことに… 厳しい修行に臨む若者たちの迷い道と別れ道。一流の職人への道を歩む令和の丁稚たちの5年間の記録。
秋田県の山村に、猟銃を持った若い女性が向かっていた… 永沢碧衣さん(27)が訪ねたのはマタギの里。マタギとは独自のしきたりを守りながら集団で狩猟を行う人々。その頭領である鈴木英雄さん(74)のもとで、修行を続けているのだ。今、マタギの第一人者である鈴木さんのもとには、若者が続々と修行に集まっている。 幼い頃から自然が好きだった永沢さんは、美術大学を卒業後に就職し、その後、東京の飲食店で働いたものの、自然と触れながら大好きな絵を描くために故郷に戻った。そこでマタギと出会い、猟をするようになる。「生き物を殺して食べる」ということがどういうことなのかを知りたかったのだ。 大阪大学で「脳細胞の研究」をしていた山田健太郎さん(27)は、周囲が当然のように就職していく中で「マタギになりたい」と単身、マタギの里に移住した。 彼らの出現に驚いたのは「マタギは自分の代で終わり」と覚悟していた鈴木さんの方だった。代々、マタギを受け継ぎ9代目に当たる鈴木さんの息子は、今は町に出て会社勤め。マタギの里も高齢化と人口減少のために、後継者がいないのだ。そんな時に、都会から20代の若者たちが「マタギを教えてほしい」と集まってきたのだ。 時代の流れで消滅の危機にあるマタギの元に、「生きることの意味」を求めて集う若者たち。第一人者である老マタギと、そこで猟を学ぶ若者たちの1年を追った…
春…夢と希望を抱いて故郷を旅立ち、東京を目指す若者たち。 2021年4月。料理人を目指し上京してきた3人の若者がいた。栃木県から上京してきた同じ高校出身の千春さん(18)と楽壱(らいち)くん(18)。彼らより1つ年上で、茨城県からやってきたあかりさん(19)。就職先は、かつて「料理の鉄人」にも出演した洋食界の巨匠・大宮勝雄シェフ(71)が経営する有名店「レストラン大宮」だ。 新人3人の中で、料理への思いが特に強い千春さん。仕事が終わっても、寮の自室で自炊し料理の腕を磨いていた。千春さんが料理人を目指すきっかけ…それは中学時代、がんとの闘病生活で食欲のない祖母のために料理を作ったこと。食の大切さを実感し、料理人を目指す千春さんは、往復2時間半も掛けて調理科のある高校へ進学。パティシエ部とそば打ち部に所属し、料理漬けの高校生活を送った。夢に向かって、真っ直ぐに突き進んできた千春さん… しかし、彼女の配属はホール担当。一方、同期入社の2人は調理担当に。時が経つにつれて同期と大きく差をつけられていく千春さん。気持ちが焦れば焦るほど失敗し、空回りしていく…一人悩みを抱える中、彼女が向かったのは… 大きな夢と立ちはだかる現実を前に揺れる18歳の上京物語を追った…
春…夢と希望を抱いて故郷を旅立ち、東京を目指す若者たち。 2021年4月。料理人を目指し上京してきた3人の若者がいた。栃木県から上京してきた同じ高校出身の千春さん(18)と楽壱(らいち)くん(18)。彼らより1つ年上で、茨城県からやってきたあかりさん(19)。就職先は、洋食界の巨匠・大宮勝雄シェフ(71)が経営する有名店「レストラン大宮」だ。 新人を指導するのは、9年目の七久保先輩(26)だが、3カ月たっても、仕事を覚えてくれない新人たちに疲れ果てていた…18歳の時、栃木県から上京してきた七久保先輩。腕を磨き、新丸ビル店を任せてもらえるまでになった。入社時からの夢は「海外で活躍する料理人になること」。しかし、新型コロナウイルスのまん延で、海外へ渡る夢は、先延ばしとなり、目標を失いかけていた。 一方、そんな先輩のもとに配属されてきたのが新人の千春さん。中学時代から料理人を目指し、3人の新人の中でも特に料理への思いは強い。入社当初は接客がメインのホール担当だったが、半年を経て、念願の調理担当になったのだ。 しかし、現実は厳しく、調理場で七久保先輩に怒られる毎日…次第に「自分は料理人に向いてないのではないか」と悩みを深めていく。 上京したその先に抱く夢をかなえようとする先輩と、夢と現実の狭間で揺れ動く18歳の新人。一流の料理人を目指した上京物語の続きに待っていた「旅立ちの時」が近づく…
2020年の年の暮れ…東京・高円寺で50年愛され続けた洋食店が全焼した。 店の名は「薔薇(ローズ)亭」。無口なマスター・正氏さん(80)の作る安くて大盛りの料理と、派手な髪飾りでお客さんを我が子のようにもてなすママ・千種さん(78)の人柄が名物の人気店だった。 火事から1カ月、夫婦は営業再開に向けて動き出すのだが、家賃の高騰や人気商店街ゆえの物件不足など、厳しい現実に直面する。そんな矢先、マスターの体を襲う異変により2人は店の再開断念を決断する。 50年間、夫婦の歩みそのものだった店を失った2人は、趣味や習い事など「新たな生きがい」を探し始めるが、突然、訪れた「夫婦水入らずの時間」をどう過ごしていいか分からない。小さな家で顔を合わせればいがみあう2人… 客との触れ合いが忘れられないママは商店街に出かけ、かつての客たちとの出会いに癒しを求める。一方、気持ちの行き場を失ったマスターは自室に閉じこもるようになっていった。 そんなある日、ママの79歳の誕生日パーティーを夫婦が「子どもたち」と呼ぶ常連客たちが開催する。「もう一度、あの味が食べたい」「昔のようなママとマスターに戻ってほしい」という願いが夫婦の関係を好転させていく… 人生にとって「生きがい」とは…「夫婦」とは…ある老夫婦の火事からの1年を見つめた。
2020年の年の暮れ…東京・高円寺で50年愛され続けた洋食店が全焼した。 店の名は「薔薇(ローズ)亭」。無口なマスター・正氏さん(80)の作る安くて大盛りの料理と、派手な髪飾りでお客さんを我が子のようにもてなすママ・千種さん(78)の人柄が名物の人気店だった。 火事から1カ月、夫婦は営業再開に向けて動き出すのだが、家賃の高騰や人気商店街ゆえの物件不足など、厳しい現実に直面する。そんな矢先、 マスターの体を襲う異変により2人は店の再開断念を決断する。 50年間、夫婦の歩みそのものだった店を失った2人は、趣味や習い事など「新たな生きがい」を探し始めるが、突然、訪れた「夫婦水入らずの時間」をどう過ごしていいか分からない。小さな家で顔を合わせればいがみあう2人… 客との触れ合いが忘れられないママは商店街に出かけ、かつての客たちとの出会いに癒しを求める。 一方、気持ちの行き場を失ったマスターは自室に閉じこもるようになっていった。 そんなある日、ママの79歳の誕生日パーティーを夫婦が「子どもたち」と呼ぶ常連客たちが開催する。「もう一度、あの味が食べたい」「昔のようなママとマスターに戻ってほしい」という願いが夫婦の関係を好転させていく… 人生にとって「生きがい」とは…「夫婦」とは…ある老夫婦の火事からの1年を見つめた。
ネオンきらめく、とある歓楽街の片隅で暮らす母と息子がいる。 大道芸人のあんざいのりえさん(44歳)は、アコーディオンひとつで、一人息子のろっちゃん(4歳)を育てるシングルマザーだ。大学卒業後すぐに、夜の駅でアコーディオンを弾き始めたのりえさん。以来23年、大道芸人としての誇りを胸に生きてきた。 中でも上野公園は、パフォーマーたちが芸と人気を競い合う“主戦場”。母・のりえさんにとっては、自分の存在価値を実感できるホームグラウンドでもある。この場所で息子のろっちゃんは「座長」と呼ばれ、多くのお客さんに愛されていた。 ところが、コロナ禍となり、収入のほとんどを占めるイベント出演が軒並みキャンセルに。感染防止対策で上野公園の大道芸も中止となってしまう。 仕事も収入も失ったのりえさんは、これを機に芸の幅を広げようと日々アコーディオンの練習に取り組むものの、一向に出口の見えないコロナ禍の中、持病が悪化し体が動かなくなってしまう。貯金を切り崩す生活にも限界が見えはじめ… そんな中、半年ぶりに入ったイベントの仕事で、ろっちゃんが思わぬ行動に出る。果たして母とろっちゃんは、再び上野公園でお客さんの前に立つことができるのだろうか… コロナ禍に翻弄される大道芸人の母と息子の、愛と闘いの日々を追った。
妻が「余命半年」の宣告を受けたのは今から4年前のこと… 夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子。コンビ結成から43年、結婚生活46年。今ではめずらしい、夫婦でのコンビ芸人。漫才師としての確固たる地位を築き、2017年には紫綬褒章を受賞、名誉も手にしたおしどり夫婦だ。 しかし、その道のりは、決して順風満帆というわけではなかった。花子の胃がん、大助の脳出血と腰の大手術…何度も生死の境をくぐり抜けてきた2人。そして今、花子が闘っているのが「症候性多発性骨髄腫」。血液のがんだ。 全身にがんが転移し「あと1週間遅かったら死んでいた」と医師に言われるほどの状態から始まった治療。「余命宣告」を受けたほどの病状は、奇跡的な回復を見せ、花子の体からがんが消えていく…苦しい治療とリハビリに耐えるのには、理由があった。 「もう一度、なんばグランド花月のセンターマイクの前に立つこと」 かつて大助が倒れた際は、夫が戻るべき場所として、花子がひとりで守った「センターマイク」。今は初めて自分のために「再びセンターマイクの前に立ちたい」と願っている。 芸人の命でもある「話術」は、戻りつつあるものの、自分の足で立ち、漫才をやりきるだけの回復までには、まだまだ出口の見えないリハビリを続ける必要がある。花子の願いはかなうのか…夫婦でがんと闘う4年をカメラが見つめた…
2022年春…赤いランドセルを背負った少女が新宿区の小学校へ入学した。 レギナちゃん(6)は、わずか3週間前、戦火の中を脱出し、日本へとたどり着いたウクライナからの避難民だ。 新宿区に住む和真さん(35)・アナスタシアさん(22)夫妻。日本とウクライナで暮らしていた2人はマッチングアプリを通じて知り合い国際結婚。日本で新婚生活を始めた。 あれから2年半…突然、母国を襲ったロシアによる侵攻。アナスタシアさんの故郷には、母・マーヤさん(44)と年の離れた妹・レギナちゃん(6)、弟・マトヴェイくん(4)が暮らしていた。昼夜を問わず町に鳴り響く空襲警報と防空壕に逃げこむ毎日… 3月上旬、母子は、アナスタシアさんが暮らす日本へ避難することを決意する。アナスタシアさん家族の1万kmにおよぶ脱出行が始まった。避難民であふれる列車に揺られ、バスを乗り継ぎ、歩いて国境を越え、隣国ポーランドまで40時間の道のり。そして飛行機を乗り継ぎ、故郷を出てから2週間後の3月17日、3人は日本へたどり着いた。 全く言葉の分からない異国の地で始まった新生活。和真さん夫妻の自宅に身を寄せながら、レギナちゃんは小学校に入学。マトヴェイくんは幼稚園へ通うことに。一方、母・マーヤさんは、ウクライナへ帰りたいという切実な思いを抱えていた… 戦火に翻弄され、遠く離れた日本へたどり着いたある家族の2カ月を見つめた…
引越しに迫られても、なかなか部屋を貸してもらえない… 高齢や生活保護、心の病を理由に住まいを借りるのが難しい「ワケあり」な人々の部屋探しを手伝うのが、横浜市にある不動産店の代表・齋藤瞳(43)だ。 客のほとんどは「部屋を借りたい」と申し入れてもなかなか難しい人たちだ。オーナー側は、隣人トラブルや事故、家賃滞納を恐れ、部屋を貸すことに慎重になってしまう。 齋藤は、自分を頼りにやってきた客に対し、決して「無理」とは言わない。部屋を探し「契約して終わり」ではなく、客のその後の人生に関わっていきたいと言う。 仲介手数料、いわゆる営業利益は家賃1カ月分。ところが、部屋を見つけるのに半年かかることも珍しくない。 2021年夏、齋藤が出会ったのは、大家から立ち退きを言い渡された親子。70代の母と40代の息子だ。聴覚過敏や「人の目が気になる」と、心の病を抱える息子は、ただでさえ限られる物件でも、転居を決断することができない。退去の期限は「年内」…齋藤は親子の新居を見つけることができるのだろうか… 部屋を借りられない客に、齋藤は新居だけでなく、仕事まで用意し「お客さんが今日も元気に働いている」ということを安心材料にしている。部屋を貸しても心配はないと、オーナーや管理会社が納得してくれるように。 山あり谷ありの客の人生に耳を傾ける、「無理」とは言わない不動産店の部屋探しを追った…
ニューヨーク・フェスティバル・ドキュメンタリー普遍的関心部門・銅賞を受賞…認知症の父と家族の別れ…離ればなれになった家族のその後の物語…父の誕生日に訪れた奇跡
もう一度夜の街で輝きたい…コロナ禍の苦境を乗り越え再起を目指す29歳のキャバクラ嬢…初開催されるナイトクイーングランプリに挑む…「お水の世界」で闘う女たち
2021年秋…夜の六本木で、飲食店の扉を次々とたたいて回る女性がいた。 流しの歌手・あい(27)。日本中のスナックやクラブなどの飲食店に飛び込み、客のリクエストに合わせて歌声を披露、居合わせた客からチップをもらう。そんな生活を7年も続けてきた。幼いころから、歌うことが大好きだった彼女にはどうしても叶えたい夢がある。それは、いつの日か「ライブの聖地」日本武道館で、ワンマンライブをすること。 プロデビューもしていない無名の歌い手が「武道館でライブをする」という前代未聞の挑戦。武道館ライブの準備金として、飛び込みで歌い、チップを集める日々… 最初は半信半疑だった人々も、夢を実現するために歌い続ける姿にひかれていく。あいの存在は、次第に「夜の街」で評判を呼び、酒場で出会った人々や企業の社長たちが、あいへの支援を約束してくれるように。その輪は徐々に広がっていき、途方もない夢の実現に向けて、支援者が集まり始める。 誰も成し遂げたことのない「夢」を追って奔走する27歳。流しの歌姫の夢の行方は…
なぜか“居候”たちが集う家…困っている人は放っておけない母・愛さんが呼び寄せる同居人たち…“居候カップル”に新たな命が生まれようとしていた…
自然の中で生きていきたい…東京での競争に疲れ人間関係に苦しんできた青年と「田舎でカフェをやりたい」女性…27歳の2人の間に芽生える恋心…夢と恋の行方は…
自然の中で生きたい…自分探しにやってきた青年が出会った「自分で山を開拓する」という夢…違う夢を追う彼女との将来は…理想と現実・夢と恋の間で迷う2人の決断は…
東京・浅草の人力車に夢を乗せる若者たち…コロナ禍で職を失った研修生最年長の30歳に社内一の指導役がマンツーマンで徹底的な指導を続けるのだが…夢と涙の結末は…
京都で舞妓を目指す15歳少女の5年の記録…頼れる先輩が次々と花街を去り孤立を深める修業生活…コロナ禍でお座敷はなくなり部屋にこもる日々…追い詰められた彼女は…
2021年春…異例の新人が花街にやってきた…22歳大卒で芸妓を目指す新人の修業が始まる…一方で3歳下の先輩舞妓は芸妓になれるかどうかの崖っぷちに立たされていた…
ゴミであふれる小さな部屋で暮らす26歳…東大入学を機に女性服を着るようになった彼から離れていく家族や友人たち…それはゴミではなく彼らとの大切な思い出だった…
他では受け入れてもらえない“ワケあり”な人々が集まる介護施設…問題行動にも笑顔で接するスタッフだが我慢も限界を迎え…理想と現実に揺れる「いしいさん家」の1年
他では受け入れてもらえない“ワケあり”な人々が集う介護施設…激しさを増す問題行動にスタッフの不満が爆発…意見の対立から5人が退職し施設は危機的な状況を迎える…
別番組の取材中に出会ったのはカメラの前で口論を始める母と娘…お金に縛られず自由に生きたいと旅を続ける娘とその価値観を全く理解できない母親…すれ違う親子の行方は…
3代続く芸者一家の母と娘…コロナ禍でお座敷はなくなり箱根の花柳界はかつてない危機を迎える…そんな嵐の中にアメリカ帰りの二十歳の女の子が飛び込んでくるのだが…
ただ人の話を聞く男がいる…夜になると現れる「聞き屋」の看板…道行く人の話を聞くだけで人生のアドバイスなどは何もない…なぜ人はそんな「聞き屋」にひかれるのか…
父との「涙の別れ」からの1年…直接面会することが許されない家族…父のいなくなった家で動き出す新生活…高校を卒業し就職した息子が手にした初任給で買ったものは…
高校を卒業し造園会社に就職した18歳の息子…仕事の先にあるのは家族の未来を思い描いた夢…父との涙の別れからもうすぐ1年…ついに家族と父の対面の時が訪れる…
前回の放送から2年…モバイルハウスで旅を続け山の中で自由気ままに暮らしていた2人が迫られる「新しい家族」の存在…自由と責任のはざまで揺れ動く2人の決断は…
元エリート銀行員の配達員…カプセルホテルで暮らしながら借金返済のために街を駆ける日々…コロナ禍で職を失った42歳はホームレスを脱するために配達員を始めるが…
今年7月の放送直後にフジテレビに掛かってきた電話「うちで働いてみないか?」…浅草で人力車の俥夫になることができなかったアツシの夢が軽井沢で再び動き始めた…
なぜあの日8歳の自分を捨てたのか…家を出て行った父との再会の先にあったのは認知症の父の行動に振り回される日々…記憶があるうちに…憎み続けた父と旅に出る…
学校に行けない子どもたちの居場所をつくりたい…夫婦の収入は以前の10分の1に…生きづらさを抱える子どもたちと家族の笑顔を取り戻すために奮闘する元教師夫婦の記録
人気ラーメン店を経営するフィリピン出身のシングルマザー…娘と2人で肩寄せ生き抜いた19年の奮闘の記録…コロナ禍と物価高騰で閉店の危機が…母と娘のラーメン物語
刑期3年を終えて出所した元・受刑者…違法薬物の依存に苦しむ彼を雇用し更生しようとするのは妹を殺された過去を持つ男…裏切られても絶対諦めない…罪を憎む男が選んだ道
ある日突然最愛の娘がいなくなる…3年前…キャンプ場から姿を消した7歳の小倉美咲さん…いわれなき誹謗中傷と闘いながら娘を捜し続けた母親と家族…苦悩と葛藤の3年
あなたの代わりにラブレターを書きます…SNS全盛の令和の時代に「手紙」で思いをつづる…ラブレター代筆屋の元にはきょうも「愛を伝えたい人々」からの依頼が舞い込む…
日本で救急医になりたい…そんな夢を抱えて海を渡った一人の研修医…研修先は“陸の孤島”といわれる鹿児島県・大隅半島…観測史上最大級の台風が病院を襲う
塙山キャバレー「その後」の物語…火事で店を失った“のぼるちゃん”がアパートで孤独死…20年ぶりに娘と再会したママも大切なパートナーを亡くし悲しみの中にいた…
夜ごと人間ドラマが紡がれる塙山キャバレー…20年ぶりママの結婚…最年長ママは病を乗り越え店に立つ…無口なママが番組スタッフに突然のお願い…意外な元夫婦の愛の形
ストリップ劇場で、涙を流しながら踊り子をみつめる女性たちがいる。 彼女たちの視線の先にいるのは、日本で最高齢のストリッパー・星愛美さん(56歳)。 愛美さんを見つめる女性たちの瞳からは、涙があふれて止まらない。彼女たちは愛美さんの踊りに何を見ているのだろうか… 愛美さんを全国各地に追い掛ける「星組」と呼ばれる熱心なファンたち。彼女を応援することがきっかけとなり、互いを支え合う“ファミリー”のように、強い絆で結ばれている。 そんな「星組」の中心メンバー、元警察官のスーさんは10年前に退職後、ふらりと入った劇場で、愛美さんと出会った。全身全霊で舞台に立つ愛美さんの姿にすっかり心を奪われたスーさんは、以来、全国各地へ愛美さんの応援に駆けつけるようになる。そんなスーさんをがんが襲ったのは2018年。生きている限り、愛美さんの舞台を見続けると決意し、余命宣告を受けてからも、全身の痛みに耐えて、全国を巡っている… 一方、愛美さんも年々、踊ることが体力的に厳しくなっている。がんにより子宮を全摘出をした体は、リンパの流れが滞り、体中に痛みが絶えない。そして股関節も悲鳴を上げている。それでもスーさんが劇場に足を運んでくれる限りは、踊り続ける愛美さんだが… そんな中、スーさんとの連絡が途絶えてしまう。スーさんの身に一体何が起きたのか…
2022年秋、デビュー33周年イベントの準備を進めていた日本で最高齢のストリッパー、星愛美さん(56歳)のもとに、悲しい知らせが届いた… 愛美さんを応援するために、全国の劇場に駆けつけるファン「星組」の名物メンバーである、元警察官のスーさんが、長い闘病生活の末にこの世を去ったというのだ。 がんと診断され余命宣告を受けながらも、痛みに耐え、各地へ応援に駆けつけてくれていたスーさんは音信不通となっていた。「生きている限りは愛美さんの舞台を見続けたい」そんなスーさんの思いに応えようと、愛美さんも必死に踊り続けてきた。だからこそ、「33周年イベントは絶対にスーさんに見にきてほしい」そう思っていた愛美さん。さらに「星組」のリーダー格・ひこにゃんさんも難病を患い、長期入院をすることに… 踊ることが体力的に厳しくなり、体中の痛みと闘いながら、全身全霊をかけて踊る姿を応援することがきっかけとなり、“ファミリー”のように強い絆で結ばれている「星組」やスーさんの存在は、愛美さんの支えとなっていた。 「星組」中心メンバーたちの支えを失い、踊り続ける気力も体力も消え失せ、ついに「引退」をも意識し始めた愛美さん。デビュー33周年を迎えた最高齢のストリッパーは、どんな決断を下すのか…
東京の下町にある「起業家シェアハウス」…新しいホテル予約サービスのアイデアで起業を目指す21歳のポンタ…「人生を変える」と意気込むポンタのビッグな夢の行方は…
赤いランドセルで新宿の小学校へ通う少女…戦火のウクライナから日本へたどりついた家族…都営住宅で暮らし始めた3人の親子…帰りたいけれど帰れない…母の涙の行方は…
泣き叫ぶ息子を残して母は一人日本を発った…ロシアによる攻撃が激化する故国・ウクライナへ…故郷で病に倒れた母…帰りを待つ2人の子どもと家族の東京生活
新宿二丁目で53年続く深夜食堂を営むのは77歳の名物ママと料理を作る77歳の夫…午前0時オープンの店に訪れるワケあり人生を背負った人々の人生模様を見つめた…
「あと1年で店を辞めようかと思う」…新宿二丁目で53年続く深夜食堂を営むのは77歳の名物夫婦。この街の人々の心を癒やしてきた夫婦が考え始めた“引き際”の行方…
東京・浅草の人気洋食店で一流の料理人を目指し上京した3人の若者たち…あれから1年…仕事も任されるようになった2年目に待ち受けていた夢の迷い道…揺れ動く心
上京2年目…同期の1人が店を去ったことで残された者たちの心は大きく揺れ始める…厳しい料理の世界でそれぞれの夢に向かい修業する若者たち…「二十歳の決断」の行方は…
ケータイ・恋愛・酒・タバコは禁止の共同生活…男女問わず全員丸刈り…令和の時代に「丁稚奉公」で職人を目指す家具製作会社に飛び込んだ2人の涙と迷いの6年の記録
4年目の弟弟子が突然の退社…ついに「丁稚」は職人昇格を見送られている6年目の同期2人だけに…果たして「職人」になることはできるのか…夢追う若者2人の6年の物語
名門大学を卒業した女子大生が“就職”したのはスナックのママ…世代を超えたコミュニティーの場を作りたい…スナック経営者になった23歳の新米ママの奮闘を追った
浅草で人力車に魅せられた女たち…かつての「歴代最長の研修生」は今や悩める研修生の指導役に…自らはアナウンサーになるという夢に破れ大学卒業後の進路に悩んでいた…
ある日突然体が動かなくなった男…人生を狂わせる原因不明の難病…妻と娘とは別居…介護してくれる年老いた両親の元を離れ1人暮らしを目指す男の酒と涙の日々の行方は…
冬の夜…横浜駅前で目覚めた男は全ての記憶を失っていた…自分の顔も名前も分からない…俺は一体何者なのか…なぜ記憶を失ったのか…本当の自分を探す日々が始まった…
子供が欲しい…故郷で暮らしたい…台湾出身の妻の願いに思い悩む夫…国際結婚の夫婦に迫る決断の時…移住か離婚か…一人実家に帰省した夫が母に語った本当の思いとは…
タクシードライバーを続けながら芸能界での成功を夢見る2人…女優になるため30歳を過ぎ上京して5年…彼女が流す涙の意味…声優になりたい彼の姿が職場から消えた理由…
2023年5月9日、夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子が4年ぶりに大阪・なんばグランド花月(NGK)のステージに帰ってきた。悲願でもあったセンターマイクを挟んで… コンビ結成から44年目のベテラン漫才コンビ、宮川大助・花子は、デビュー直後から数々の賞レースをものにし、漫才師としての「地位」を確立。2017年には、紫綬褒章を受賞、「名誉」も手に入れた。おしどり夫婦として知られ、「幸せ」も手にした2人がどん底に突き落とされたのは今から5年前のことだ。 2018年3月、医師から告げられたのは「余命半年」…宣告を受けたのは、妻・花子(当時63)だった。腰椎にできたがんは、すでに歩くことも困難なほど花子の体を蝕んでいた。周囲にがんを隠しての放射線治療…大助と花子のがんとの闘いが始まった。 病名は「症候性多発性骨髄腫」。血液のがんが全身に広がり、花子は立つどころか、下半身がマヒし、足を動かすことすらできなくなってしまう。それでも花子が過酷なリハビリにも耐えられるのは、大助と共に、またなんばグランド花月の「センターマイクの前に立ちたい」という願いからだった。 一進一退の闘病生活が続くなか、2022年10月。自宅で突然、呼吸困難に陥った花子。救急車で病院に運ばれるも、意識を失い心肺停止寸前の危機に… たくさんの危機を乗り越え、ついにたどり着いた1450日ぶりのNGKの舞台。夫婦が起こした奇跡、5年の記録。 【語り】青葉市子
二十歳の若者たちが就職先に選んだのは「猿まわし」の会社…サルを世話し一緒に暮らしながら厳しい稽古の日々が続く…そして1人の新人が突然姿を消した…
入社から8カ月…新人が会社から姿を消した…さらに興行中の新人の動画がSNSで“炎上”会社を大きく揺るがす事態に…芸と命と向き合う仕事を選んだ新入社員たちの1年
夜の街で輝きたいという彼女に私たちが出会ったのは、2年前の夏… コロナ禍で苦境が続く「夜の街」を盛り上げるために開催された「ナイトクイーングランプリ」に出場しようとしていた、歌舞伎町のキャバクラで働くサキ(30)。取材を始めると、彼女から突然告げられた…「私、いま妊娠しているんです」。 サキは、夜の街で働く傍ら、昼間はカフェの経営者。2016年に念願だったカフェを新宿にオープンさせ、雑誌やテレビでも紹介される人気のお店に。しかし、コロナ禍で経営が急激に悪化…店を維持するために、夜は歌舞伎町のキャバクラで働き始めた。妊娠が分かったのは、その直後のこと。相手はひと月前に別れた男性で、周囲からも「産まない方がいい」と出産を反対されるのだが、サキにとって「妊娠」は特別なことだった。実は、23歳の時に子宮頸がんになり、医師から「妊娠は難しい」と言われていたのだ。「授かった命を絶対に産みたい」…サキは、ひとりで産むことを決めた。 徐々に大きくなっていくおなか。しかし、長引くコロナ禍でカフェの経営はどんどん悪化、つわりもひどく、仕事も思うようにできなくなり、経済的にも追い込まれていくサキ。「生まれてくる子どものためにも何とかして稼がなければ…」という思いで、サキは周囲も驚く意外な行動に出る… 自分の夢を追いながら、ひとりで子どもを産むことを選んだサキの決断の行方は… 【語り】川栄李奈
出産を3週後に控え、引っ越しに追われる彼女。ひとり、大きなおなかを抱えながら… 新宿でカフェを経営するサキ(31)は、コロナ禍で経営が悪化した店の運転資金を稼ぐため、昼はカフェ、夜は歌舞伎町のキャバクラで働いていた。そんな中、突然分かった妊娠。相手はひと月前に別れた男性で、周囲からも出産を反対されるのだが、サキにとって「妊娠」は特別なことだった。実は、23歳の時に子宮頸がんになり、医師から「妊娠は難しい」と言われていたのだ。「授かった命を絶対に産みたい」…サキは、ひとりで産むことを決めた。 安定期に入ったサキは、カフェを維持するため、生まれてくる赤ちゃんとの生活のため、夜の銀座で働き始める。しかし、カフェは問題が山積み…時短要請が解除され通常営業ができるようになったものの、アルバイトスタッフが定着せず、サキがシフトの穴を埋める日々。さらに1人暮らしの部屋は単身者用のため、赤ちゃんと生活はできない…生まれる前に、部屋を出ていかなければならず、時間も、お金もない中、大きなおなかを抱え、サキは、ひとり追い込まれていく。 予定日を1週間過ぎた頃、ようやく陣痛が始まり、入院することになったサキ。しかし、その4日後、サキからスタッフに送られてきたメッセージには、「新生児仮死」の文字が… 自分の夢を追いながら、ひとりで子どもを産むことを選んだサキの子育て生活が始まった。
大阪・西成にある通称・三角公園。この場所で響いていた歌姫の歌声が、ある日を境に聞こえなくなった… 2022年の冬。異色のジャズシンガー・坂田佳子(51)は、深い葛藤を抱えていた。「西成の歌姫」とSNSで話題となり、歌声を聴きにくる人々が詰めかける一方で、酒にのまれ暴れる坂田の姿や激しい発言を動画に収めようとする人たちとのトラブルが続いていた。歌い手としてではなく、「見せ物」になってしまっている現実… かつては、ライブハウスに引っ張りだこだった彼女だが、その自由奔放な言動や、アルコール依存症による問題行動で、数々の店を出入り禁止に。その末にたどり着いたのが、自分を受け入れてくれた三角公園だった。それなのに…ついに坂田は、三角公園でのライブをやめる決断をする。 そんな坂田佳子の歌に「救われた」と涙ながらに語る人々がいる。いつか失明する難病を抱えながらも一人で居酒屋を経営する女性。末期がんを宣告され、一時は自ら命を絶つことも考えたという女性… そんな人々の思いに応えようとガード下の店先でライブを再開する坂田。人々の思いに応えるためにも、以前の自分を取り戻そうともがくのだが、その重圧からなのか再び、酒をあおり、まともに歌えなくなる日も…周囲が心配する中、かつて、坂田が出演していた大阪の老舗バーで歌うことを許される。波瀾万丈の魂のシンガーは再び、あのステージへ帰ることができるのか…
新婚にも関わらず、まだ、ひとつ屋根の下に暮らすことのできない夫婦。離ればなれの生活の中で2人は今、同じ夢を追い掛けている… 来月、東京で開催されるW杯バレー2023で、パリオリンピックへの切符を争い戦うバレーボール日本代表チームで、共にチームを支える西田有志(23)と古賀紗理那(27)。2022年12月に結婚をしたばかりだが、互いの所属チームの関係で「別居婚」状態が続いている。夢であるパリ五輪出場を懸けた戦いも始まり、夫婦が一緒に過ごせるのはわずかな時間だけ。「1時間だけでも会えるなら…」と、忙しいスケジュールの合間を縫って、夫婦の時間を作ってきた。 日の丸を背負い世界で戦う2人は、夫婦揃って「大の負けず嫌い」。2人で一緒にいる時は、食事の片付けやお風呂掃除の担当、ソファから離れた場所に置いてあるテレビのリモコンをどっちが取るかも、勝負にこだわる。互いの気持ちが分かる2人だからこそ「つらいときには、距離は関係なく一番近くに感じる存在」なのだと語る。 華々しい活躍を続ける中で、多くの挫折や苦難を乗り越えてきた2人。妻は、リオ五輪メンバーからの落選や東京五輪初戦でのケガ。夫は、原因不明の病に襲われ不調が続く。一時は、結婚を諦めようとしたこともあったという。さらに、2人が出会うきっかけを作ってくれた恩人の死… そんな全てを乗り越え世界で戦う、「日本一負けず嫌いな夫婦」の夢と未来を見つめた… 【語り】斉藤舞子(フジテレビアナウンサー)
もう一度、2人で売れたい…再び、世の中を笑わせるために、あがき続けるお笑いコンビがいる… 90年代に人気番組『ボキャブラ天国』でブレイクしたお笑いコンビ「松本ハウス」。若き日の爆笑問題やネプチューンたちとしのぎを削り、人気となった2人の当時の最高月収は300万円を超えたという。しかし、松本ハウスは人気絶頂の中でテレビから姿を消した… 売れっ子となり、忙しくなったことのプレッシャーから、ボケ担当のハウス加賀谷が統合失調症を悪化させて長期入院。残された松本キックは、一人で活動しながら、相方の復帰を待つことに…しかし、ピン芸人としては鳴かず飛ばずの日々が続く。 ようやく「活動を再開したい」と加賀谷から連絡があった時は、活動休止から10年の月日が過ぎていた… 2009年、再びステージに戻ってきたかつての人気コンビだが、その芸は「完全復活」にはほど遠いものだった。病気の影響からか、ハウス加賀谷はネタを覚えることも難しく、手の震えが止まらない。舞台上で体調を崩すこともある。一方、相方の病気を学び、体調に合わせて、試行錯誤を続けて復活を目指す松本は、活動休止期間に結婚をし、週5日のアルバイトをしながら2人の子どもを養うギリギリの生活を続けていた。さらに追い打ちを掛けるコロナ禍で、ライブもなくなり… 再起を懸けて、笑いのステージに立ち続けるベテランコンビの夢と人生の行方は… 【語り】仲里依紗
小さなアパートの1室で大量のゲームソフトに囲まれて暮らす男がいる… ゲーム芸人・フジタ、45歳独身。華麗なゲームの技の裏側には、悲し過ぎる生い立ちが深く関わっていた。小学校入学直前、母親が急死し、父と二人きりで暮らすことに。ところが父は、フジタの同級生の母親と恋仲になってしまい家に帰ってこなくなったのだ。小学2年生で始まった孤独な暮らし。自分をこんな目に遭わせる父を憎み、その苦しさと寂しさを紛らすために、フジタはゲームに没頭した。 父が家を出ていって約35年。憎み続けた父と相手の女性は、今も内縁関係を続けていた。長年の怒りをぶつけたいフジタだったが、父の様子がおかしい。診断の結果は「認知症」。年金もすぐに使い切り、カードローンのキャッシングで膨らむ借金…しかし、何に使ったのかは記憶がないという。 【語り】宮﨑あおい
30年以上絶縁状態だった父と息子の同居生活…初めて語られる父の過去と当時の思い…認知症による徘徊を始める父…「自分も家族が欲しい」息子が決意した家族の再生
「今晩泊めてください」というフリップを抱え街角に立つ男…その日出会った「家主さん」の部屋で夜を明かす生活を始めて4年…クリスマスイブ・大晦日に彼が出会う人々は
今夜も一夜限りの宿を借りながら、出会った人の人生に耳を傾ける… リュック一つで全国をさすらい、夕方になると街角で「今晩泊めてください」と書かれたフリップを掲げるのは、シュラフ石田(32)。なぜか、泊めてくれる人は毎日のように現れ、夕食をごちそうになったり、過去の話を聞かせてもらったりと、一期一会の出会いを楽しんでいる。この生活を始めて4年…石田は泊めてくれる人を「家主さん」と呼び、 これまでに300軒以上の家を泊まり歩いてきた。 「死ぬまで人の家を泊まり歩きたい」石田が今の生活にこだわる理由が垣間見えたのは、街頭でフリップを掲げることが難しい雨の日のこと。この夜、石田が訪ねたのは、1週間前に泊まった20代女性の部屋。一緒に食事をし、マンガや音楽などのたわいのない話をしながら過ごす。彼女は「孤独で乗り越えられない夜」に、石田が隣にいることで救われたという。石田もまた、 自分の存在が必要とされることを心地よく感じているのだ。 そんな中、夜8時を過ぎても“家主”が見つからない石田が向かったのは80代女性の家。1人暮らしの彼女は、いつ来るとも分からない石田のために大好きなビールを冷やして待っていた… 自由気ままに生きる男と、彼を受け入れる人々の一期一会では終わらない不思議な関係。このつながりの先にあるものとは… 【語り】あの
この家から父がいなくなって2年が過ぎた… 子どもたちは、それぞれの時間を過ごすようになり、当たり前となった父不在の生活の中で、母はある決意を固めていた。 2021年夏。私たちが出会ったのは、緑に囲まれた千葉・睦沢町で暮らす林さん一家。50歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断された父・佳秀さん(65)を、高校3年の大介さんを中心に、母・京子さん(53)と2人の妹たちで介護をしてきた。しかし、家族との会話もままならず、トイレに一人でいくこともできないほどに病は進行。「これ以上、子どもたちに負担をかけたくない」…京子さんは、佳秀さんを介護施設に入所させることを決めた。しかし、離れて暮らせば、父の記憶から家族の存在は消えてしまう…それは実質的な父との「別れ」を意味していた… コロナ禍の影響で、佳秀さんと一度も直接会うことができていない日々…ようやく面会が許されたのは、2022年夏のこと。覚悟はしていたが、佳秀さんの変わり様に驚きを隠せない京子さん。ひとつ屋根の下で暮らせないのは佳秀さんだけでない。重度の障害を持って生まれ、病院で暮らしている長男・安土さんの存在も京子さんにとっては気懸かりだ。 「また家族一緒に、みんなで暮らすことはできないか…」ずっと思い悩んできた京子さんは、大きな決断を下し、動き始める… 【語り】富田望生
自由気ままに生きてきた男たちに「家族」ができた。彼らは今、「自由」と「責任」のはざまで揺れ動いている… 移動式の「モバイルハウス」で自由を謳歌していたちはやさん(31)とナルさん(34)。お金に縛られることなく、山で動物を捕り、風呂代わりに川で水を浴びる。「好きなことだけをして自由に暮らしたい」そんな彼らと出会って3年…2人の生活には大きな変化が起きていた。 リヤカーを改良した一畳ほどのモバイルハウスで暮らしていたちはやさんは、2年前、交際していたゆりかさんと結婚。今は都内のマンションに暮らしている。それでも、プロの漫画家を目指して毎日、漫画を描く生活は変わらない…そんな夫婦の間に赤ちゃんが誕生したのは、2023年7月のこと。定職に就かないちはやさんは、家事にも育児にも積極的に取り組むものの、これまで家計を支えていた妻が育児休暇に入り、家計は火の車…なんとか連載を実現しようと出版社へ作品を持ち込むも、編集者からは厳しい評価を受ける。将来の不安を募らせるゆりかさんからは「あと1年だけ」と、夢を追う“猶予”を与えられた。一方、「家族が欲しいと思わない」と話していた赤井さんも、男の子2人を育てるシングルマザーの女性と一緒に暮らすことを決めた。モバイルハウスを離れ、新しい家族のために仕事を始める… 「自由」を求めながらも、家族を持つことの「責任」と向き合う男たちの揺れる心を見つめた… 【語り】多部未華子
女性の肌に書を記す「女体書道」…「私も書いてほしい」という女性が次々と訪れる…「今の人生を変えたい」という彼女たちが「女体書道」に集うそれぞれの事情とは…
日が暮れると、この家からは、いつもおいしそうな匂いが漂ってくる。 石川県金沢市の住宅街にある古びた一軒家。ここでは、20代から70代の男女7人が、一つ屋根の下で生活を共にしている。全員が血縁関係のない“他人同士”だ。障害や家庭の問題などで居場所を失った3人の若者たち。そして、彼らを見守る大人たち。毎晩、一緒に囲む食卓が、家族ではない彼らをつないでいた。 家の主は、金髪の“おばちゃん”こと山本実千代さん(62)。この家を「サポートハウス」、通称「サポハ」と名付け、行政の支援を受けることなく、複雑な事情を抱えた若者たちを受け入れてきた。彼女がサポハを始めるきっかけとなったのは、知的障害のある息子の存在…。同じ境遇の親子の力になりたいと、施設を立ち上げた。 そんな彼女が何より大切にしているのが「食事」。毎晩の食卓には、自ら育てた新鮮な野菜で作る大皿料理がズラリと並ぶ。どれも手間暇かけて仕込んだものばかり…「生きることは食べること。食べることは生きること」。若者たちは、山本さんの料理に背中を押されながら、自立を目指している。 2023年6月。山本さんが向かったのは大阪刑務所。実は、山本さんには「サポハ」の若者たちにも打ち明けていない、ある事情を抱えていた。 食卓を囲み、山本さんの料理を食べることで、家族のような絆を深めていくサポートハウスの日々を見つめた。 【語り】飯豊まりえ
今夜もこの家の食卓には、心尽くしの手料理が並ぶ。 石川県金沢市の住宅街にある古びた一軒家。ここでは、20代から70代の男女7人が、一つ屋根の下で生活を共にしている。全員が血縁関係のない“他人同士”だ。障害や家庭の問題などで居場所を失った3人の若者たち。そして、彼らを見守る大人たち。毎晩、一緒に囲む食卓が、家族ではない彼らをつないでいた。 家の主は“おばちゃん”こと山本実千代さん(62)。この家を「サポートハウス」、通称「サポハ」と名付け、複雑な事情を抱えた若者たちを受け入れてきた。彼女が何より大切にしているのが「食事」。「生きることは食べること。食べることは生きること」が信念。若者たちは、毎晩全員で食べる山本さんの食事に背中を押され、自立を目指している。 2023年夏。住人の1人で、“先生”と親しまれる、元教師の平山さんの体にがんが見つかり、手術を受けることに。障害を抱える息子が中学時代にお世話になり、今も良き話し相手として、常に若者と向き合う山本さんを支えてくれる平山さんの不在…山本さんは、住人たちのささいな失敗にもイラ立ちをみせるほど追い詰められていた。そんな中、サポートハウスでは、また大きな問題が… みんなで料理を囲むのも、誰かのために料理を作るのも、社会に出るための第一歩。「山本さんちの食卓」で心を再生させていく人々の日々を見つめた。 【語り】飯豊まりえ
新宿二丁目を見つめ続けて53年…午前0時開店の深夜食堂を営む名物夫婦に決断の時が迫っていた。 LGBTQが集う街・新宿二丁目で、午前0時から朝の9時まで営業する「クイン」は、1970年(昭和45年)のオープン以来、この街に流れついた人々の心を癒やしてきた。多くの客の目的は、名物ママ・りっちゃん(78)に会うこと。恋愛の悩みや人生相談など、ここでしか話せない悩みをぶつければ、返ってくるのは、優しいアドバイスや、時に厳しい叱咤激励…心の中にポッカリ空いた穴を埋めてくれるのだ。さらに、夫の加地さん(77)が作る「焼き魚」や「しょうが焼き」、「おにぎり」や「500円定食」など、安くて温かな家庭料理が、お腹を満たしてくれるのだ。 78歳を迎える夫婦が客のいなくなった店内で語り合うのは、「店の今後」について。店舗の賃貸契約が2024年夏に更新を迎えるからだ。年々、体力の衰えを感じ、今では、閉店時間の朝9時を待たずに店を閉じる日も…それでも、「店を辞めないで」という“二丁目の住人”たちの声に応え、満身創痍の身で、営業を続けていた。 2023年夏。夫婦は来夏の賃貸契約の更新を機に「クイン」を閉店することに決めた。 残りは、あと1年…心のよりどころを失うことに動揺しながらも、「最後まで見守りたい」と声援を送る常連客たち。しかし、そんな中、連日続いた記録的な猛暑で、夫・加地さんが、突然倒れてしまう… 【語り】吉田羊
53年の長きにわたり、新宿二丁目で営業を続けてきた深夜食堂が、ついにその歴史を閉じる… LGBTQが集う街・新宿二丁目で、午前0時から朝まで営業する「クイン」は、1970年(昭和45年)のオープン以来、名物ママのりっちゃん(78)と厨房を担当する夫の加地さん(77)の夫婦二人三脚で、この街に流れついた人々の心を癒やしてきた。おにぎりや焼き魚…真夜中の優しい味で親しまれてきた店は、この街になくてはならない存在だ。 店の歴史は半世紀を超え、すでに夫婦の体力は限界の状態…それでも「辞めないで」という“二丁目の住人”たちの声に応え、「1年後に迫った賃貸契約の更新までは…」と、満身創痍の体で営業を続けていた。しかし、りっちゃんの座骨神経痛は日に日に悪化。さらに、加地さんがこの夏の記録的猛暑で倒れ、救急車で運ばれる事態に…「クイン」は臨時休業を余儀なくされた。そして、店を再開して1カ月後、入口の壁に張られたのは「閉店のお知らせ」。夫婦は、1年後の契約更新を待たず、2023年9月末に閉店することを決めたのだ。 突然の知らせに驚く常連客たち。店には涙する人も多くいた。 数え切れない孤独や絶望を受け止めて、人々の背中を押してきた深夜食堂「クイン」。 53年の歴史に終止符を打つ決断をした名物夫婦。閉店へのカウントダウンの日々を見つめた…
「余命半年」を宣告された夫がYouTubeを始めました…妻から番組宛てに届いた取材依頼…一人娘に贈る「メッセージ動画」の制作…父が娘に遺しておきたいものとは…
体中の痛みと闘いながら、全身全霊で踊リ続けるストリッパーがいる。 日本最高齢のストリッパー星愛美さん(57歳)。エネルギッシュで、圧倒的な迫力に満ちた彼女のステージは、男性だけでなく、多くの女性ファンも劇場に足を運び、涙を流す。 年々、踊ることが体力的に厳しくなっている愛美さんを支えているのは、全国各地のステージに駆けつける「星組」と呼ばれる熱心なファンの存在。彼らもまた、愛美さんを応援することがきっかけとなり、互いを支え合う“ファミリー”のような強い絆で結ばれていた。そんな「星組」の中心メンバーのスーさんが、2022年に、がんでこの世を去ってしまう。一時は引退も考えた愛美さんだが「待っていてくれる人がいる限りステージに立ち続けたい」と、57歳の誕生日イベントを機に、新たなスタートを切った。 2023年7月。愛美さんがSNSに記した「休養」の知らせ。数カ月前から、思うように踊れないことが続き、病院で検査を受けると、肺に、がんが見つかったという。がんの摘出手術を受けるため、ステージをしばらく降板することになったのだ。 8時間に及んだ手術は成功したものの、2カ月がたっても復帰のめどが立たないことに、愛美さんは焦りを感じていた。 57歳のストリッパーは、再び、あのステージに戻ることはできるのか… 【語り】本仮屋ユイカ
多くの人々の人生を背負って踊り続ける彼女は、再び、あのステージに帰ることができるのか… 日本最高齢のストリッパー星愛美さん(57歳)。エネルギッシュで、圧倒的な迫力に満ちた彼女のステージに、男性だけでなく、多くの女性ファンも涙を流す。 年々、踊ることが体力的に厳しくなっている愛美さんを支えているのは、全国各地のステージに駆けつける「星組」と呼ばれるファンの存在。一時は引退も考えた愛美さんだが「待っていてくれる人がいる限りステージに立ち続けたい」と、57歳の誕生日イベントを機に新たなスタートを切った。 しかし、2023年7月、肺に見つかったがんの摘出手術を受けるため、舞台を降板することに。手術は無事成功…誰もが、その復帰を待ち望んでいた。 しかし、手術から2カ月がたっても体は思うように動かせず、復帰のめどが立たない現実に、愛美さんは生きる気力を失いかけていた。「みんなに心配を掛けたくない」と踊り子仲間とも距離を置いていた。そんな中、連絡を取り合ったのは、実の家族のようにかわいがってきた後輩ストリッパーのるりさん。るりさんの「愛美姉さんを待ってる」という一言に、愛美さんは、再びステージに復帰することを決意した。 2023年11月。 万全とは言えないまま迎えた復帰のステージ。全国から多くのファンたちが詰めかける中で57歳のストリッパーは、かつてのように踊ることができるのか… 【語り】本仮屋ユイカ
大都会の片隅に、家を飛び出した者たちが集うシェアハウスがある。 月の家賃は3万円台。人生をリスタートするために、様々な事情を抱えた若者たちが、全国からやってくる。 都内を中心に10棟あるシェアハウスを、1人で運営するオカさん(45歳)の元には、入居希望者からの連絡が絶えない。24時間、新たな入居者を迎え入れ、必要があれば、シェアハウスまでの交通費も肩代わり。時には身元引き受け人として、警察に入居者を迎えに行くことも。そこまでするのは、オカさん自身も、社会のレールからは外れた人生を送ってきたから…「ここで生活を立て直し、新たな道を切り開いてほしい」。きょうも、入居者の“親代わり”となり、それぞれが抱える悩みに耳を傾ける。 そんなオカさんが特に気に掛けているのは、22歳のハマちゃんだ。高校卒業後、大阪の実家を飛び出し、オカさんのシェアハウスにやってきた。しかし、何かあるたびに、飛び出しては、また戻ってくることを繰り返し「家出のプロフェッショナル」と呼ばれている存在。アルバイトも長続きせず、稼いだお金も無計画にほとんど食費に使ってしまうため、家賃も一部しか払えない。「それでも少しずつ…」オカさんは、ハマちゃんに声を掛け続ける。そんな中、ハマちゃんが、シェアハウスから姿を消した。今度こそ戻らないつもりなのか… 人生をやり直すために居場所を求めてもがく、家出人たちを見つめた… 【語り】三浦透子
誰かと顔を合わせて話す機会が極端に減ったコロナ禍の3年間…婚活の世界にはある大きな変化が起きていた。 政府の調査によると、20代男性の約7割に配偶者や恋人がなく、そのうちの4割は、女性とデートをした経験がないという。リモートワークなどの影響からか、コミュニケーション能力の低下が目立ち、結婚相談所では、なかなか交際に発展しないケースが増えているという。特に男性は、きめ細かいサポートが必要な事態となっていた。 そんな中、誰かと共に生きる未来を目指して、婚活アドバイザー・植草美幸さんの元を訪れる人々…実家で母と暮らす進藤さん(仮名・29)は、中高一貫の男子校出身で、女性との交際経験はゼロ。植草さんの指導を受け、身だしなみを整えることから学び始めた。しかし、女性を前にすると極度に緊張してしまい、ついつい母親の話題を出してしまう。 もう一人は、建設会社役員でバツイチの内田さん(55)。25kgの減量や、全身脱毛など、自分を磨く努力を続けているが、女性の心が読み取れず、早とちりや失言を繰り返してはフラれ続けていた。 そして、親戚夫婦の仲むつまじい姿に憧れて「婚活」を始めた28歳のゆかさん(仮名)。なかなか条件に合う相手と「お見合い」が成立せず、焦りを感じ始めていた。「何とかお見合いを成立させたい…」と考えた彼女は、ある決断をする… 結婚を目指して奮闘する3人。令和の時代の「婚活」を見つめた… 【語り】小雪
誰かと共に生きる未来を目指し、婚活アドバイザー・植草美幸さんの元を訪れる人々… コロナ禍でのリモートワークなどの影響からか、コミュニケーション能力の低下が目立ち、結婚相談所でもなかなか交際に発展しないケースが増えている中、3人の会員が「婚活」をスタートさせた。 恋愛経験がなく、実家で母と暮らす進藤さん(仮名・29)。極度の緊張から、お見合い相手を怒らせてしまうことも…「そんな自分を変えたい」と、努力を続ける進藤さんに、生まれて初めての「恋心」を抱く女性との出会いが訪れる。何とか自分をアピールしようと、「1人暮らしへの決意」を語るが返って、すれ違いを生んでしまうことに… 早とちりや失言を繰り返しては、フラれ続けている内田さん(55)は、40代の会社経営者の女性と交際をスタートさせた。しかし、その直後、植草さんに対して「成婚退会」の申し入れが…すでに「プロポーズを済ませ結婚を決めた」と語る内田さん。慌てて植草さんが、交際相手の意思を確認するも、返ってきた答えは、意外なものだった… そして、婚活が少しでも有利になればと、二重まぶたの整形手術を受けた28歳のゆかさん(仮名)。プロフィール写真を撮り直し、再スタートを切った。理想の相手とも巡り合い、順調にデートを重ねるが、男性から「以前の写真と顔が違うのでは?」と問い合わせが… 【語り】小雪
13回目の結婚記念日を祝う夫婦と3人の男の子。こうして家族5人が揃って、この日を迎えられるは、まさに“奇跡”のようなことだった… 今から約4年前、救急医療を特集するテレビ番組の取材カメラの前に、一人の妊婦が搬送されてきた。出産予定日までは、あと2カ月。金山あさ奈さんは、職場で意識を失い、病院へと運び込まれた。原因は脳出血。すぐにでも手術をする必要があるが、その時、おなかには、3人目となる男の子を宿していた。病院に駆けつけた夫の文哉さんは、無事を祈る一方で、「愛する妻を失うのか、まだ見ぬ我が子を失うのか、もしかしたら二人とも…」そんな不安と闘っていたという。 医師たちは、2つの命を救うための緊急手術に挑む。帝王切開で赤ちゃんを取り出すと同時に、あさ奈さんの開頭手術…懸命な処置により手術は無事成功。1794gの男の子は早産児のため、新生児集中治療室に運ばれ、あさ奈さんは一命を取り留めた。 しかし、脳に負ったダメージは大きく、あさ奈さんには、右半身のまひに加え、会話や読み書きが思うようにできなくなる障害が…以前のようには動かない体、生まれたばかりの我が子に会えない日々…我が家には母と弟の帰りを待つ2人の息子たち。救急搬送から2週間、言葉も発することができない体で、ようやく我が子と対面できる瞬間が訪れた… ある日、突然の病に倒れ、運命に翻弄される3児の母と家族の4年を見つめた。 【語り】上戸彩
自由が利かない体で、きょうも3人の息子と向き合い続ける母親がいる。 今から約4年前、救急医療を特集するテレビ番組の取材カメラの前に、一人の妊婦が搬送されてきた。出産予定日まで、あと2カ月。金山あさ奈さんは、職場で意識を失い、病院へと運び込まれた。原因は脳出血。医師たちは、2つの命を救うため、帝王切開で赤ちゃんを取り出すと同時に、あさ奈さんの開頭手術を行うことを決めた。手術は無事成功し一命を取り留めたものの、右半身のまひに加え、会話や読み書きが思うようにできなくなる障害が… 救急搬送から5カ月。ようやく自宅へと戻ることができたあさ奈さん。夫の文哉さんと2人の男の子、そして、あさ奈さんより先に退院した三男の煌泰(こうた)くんに迎えられ、ようやく家族5人揃っての生活が始まった。しかし、右半身にまひが残る体では、今まで、当たり前にこなしてきた家事にも一苦労、家族のために料理を作ることも難しい…それでも「自分一人でできることを増やしたい」と、笑顔を絶やさず、こつこつと努力を続けてきた。4年がたった今では、家のことばかりでなく、職場復帰も果たすまでに。 しかし、言葉をうまく発することができず、子どもたちとの会話がままならないことに、あさ奈さんは、もどかしさを感じていた。時には、いら立ちを爆発させてしまうことも… 家族のために努力を重ねる息子3人の母と、それを支え続けた家族の4年の記録。 【語り】上戸彩
居場所のない若者たちがたどり着き、肩を寄せ合って暮らすシェアハウスがある。 都内で4カ所のシェアハウスを運営する荒井佑介さん(34)は、10代の頃から周囲と折り合いが悪く、家族の中にも居場所を見つけられずにいた。そんな自身の経験から、若者たちの居場所をつくり、自立支援を行うシェアハウスの運営を始めたのだ。荒井さんの元に集まってくるのは、家出、家庭内暴力、ひきこもり…など、心に傷を負った若者ばかりだ。 居場所がない実家を飛び出して上京、所持金もなく、公園で野宿をしていたタクヤさん(仮名・23)は、シェアハウスに入居してからも、なかなか自立に向けて動き出せずにいた。親との関係がうまくいかず、心に傷を追った彼は、ある日、シェアハウスから姿を消してしまう。タクヤさんは、誰にも言えない、ある事情を抱えていた… 感情的に怒ることが多かった親の影響で、人と関わることが「怖い」と感じるようになったと語るユウタさん(仮名・25)。大学時代に、就職活動の面接におじけづき、実家にひきこもるようになってしまった。「このままでは前に進めない…」社会とのつながりを取り戻すため、実家を飛び出したユウタさん。入居後、少しずつ他の住人とも会話ができるようになった彼は、再び就職活動をスタートさせるのだが… シェアハウスの暮らしで、心の傷を癒やし、人生をやり直そうと懸命に生きる若者たちを見つめた… 【語り】八木莉可子
都会の片隅の夜の街で、ワケありの人々に手を差し伸べるママがいる。 東京・府中を中心に7店舗を経営するママ、高橋映子さん(45歳)。銀座でも歌舞伎町でもないこの街に店を構えて12年、働くスタッフの数は150人以上。今では「府中でナンバーワン」と言えるほどになった。 映子ママの元には、様々な事情を抱えた人々が全国から集まってくる。18歳の時、3万円を手に新潟から上京してきた女性。多額の借金を抱えた60代の元常連客。周囲となじめず、職を転々としてきた男性… そんなある日、店のキャストが、未婚のまま出産を決意したことを知る。ママが彼女に特別な思いを抱くのにはワケがあった。実は自身もシングルマザーとして夜の街で働きながら子どもを育てた一人なのだ。ママは未婚の母になる彼女の居場所づくりに動き始める… グループの業績が好調な中、ママの頭を悩ませているのが、唯一の赤字店「歌って踊るアイドルに会えるコンセプトカフェ」。アイドルオタクならばうってつけと店長を任せたのは、人との関わりが苦手な37歳の男性社員。水商売の世界に飛び込むも、周囲となじめず、職を転々とする中で出会ったのが映子ママ。なんとかママの期待に応えようと策を練るものの、赤字は膨らむばかり。ついに、ママはタイムリミットを宣告することになる… 府中の夜の街にたどり着き、それぞれの居場所を求めて奮闘するママと仲間たちの姿を追った… 【語り】清野菜名
都会の片隅の夜の街。ママの元に集うのは、全国からやってきたワケありな人々… 東京・府中を中心に7店舗を経営するママ、高橋映子さん(45歳)。銀座でも歌舞伎町でもないこの街に店を構えて12年、働くスタッフの数は150人以上。今では「府中でナンバーワン」と言えるほどになった。 グループの業績が好調な中、ママの頭を悩ませているのは唯一の赤字店舗。新たに出店した「歌って踊るアイドルに会えるコンセプトカフェ」だ。 店長を任せたのは、自身もアイドルオタクである野地さん(37)。大学卒業後、水商売の世界に飛び込むも、周囲となじめず、職を転々とする中で出会ったのが映子ママ。店長という大抜擢に応えようと、張り切って臨んだ新業態だったが、客は1日1組程度。連日、店内には閑古鳥が鳴いていた。 ついに「稼ぎ時の12月に黒字を出さなければ閉店」というママからの最後通告。ようやく見つけた自分の居場所を守るため、野地さんの崖っぷちの闘いが始まる… 一方、いつも明るくみんなを引っ張る映子ママの姿が、ある日、店から消えた。欠勤の理由はスタッフも知らないという… その後、番組スタッフに届いたメッセージには「手術のため入院します」。 ママは、誰にも相談することなく、6時間にもおよぶ脳の病の手術に臨んでいた… 府中の夜の街にたどり着き、それぞれの居場所を求めて奮闘するママと仲間たちの姿を追った… 【語り】清野菜名
令和の時代に若者たちを叱って育てる会社が今、大きく変わろうとしていた… 横浜市にある家具製作会社「秋山木工」。一流の職人を目指し、入社した新人は住み込みで5年間修業する、いわゆる“丁稚奉公”。タバコも恋愛も禁止、スマホを持つことも許されず、家族への連絡は手紙だけ。 しかし、ここ数年、新人が入ってきても長続きせず、毎年10人以上いた入社希望者も減り続け、2022年にはついにゼロに…「半世紀近く続けてきたやり方は、もはや時代に合わないのか…」秋山利輝社長(80)は、大きな決断を下す。これまでの丁稚制度を見直し、家から通う「外弟子」を取ることを決めた。内弟子はこれまで通り、住み込みの共同生活で修業をするが、外弟子には厳しいルールは求めず、全てが自由だという。 迎えた2023年春…秋山木工には、内弟子と外弟子、合わせて4人が入社した。内弟子を選んだのは、中学を卒業したばかりの松下(15)と中学・高校時代に不登校を経験した友添(25)。目指すのは、「一流の職人」…10歳違いの内弟子2人の共同生活がスタートした。 そんな新人たちに一番近い兄弟子が、2カ月前に丁稚を卒業し、職人となったばかりの加藤(28)。本来ならば、手本を見せるべき立場だが、禁止されていたスマホが解禁されたことで夜更かしをし、寝坊を繰り返していた。「職人たちのリーダーになる」そう語っていた加藤が大きな決断を迫られていた… 【語り】大島優子
令和の時代に続く「丁稚制度」…中学を卒業して、そこに飛び込んだ15歳の夢が動き出した… 横浜市にある家具製作会社「秋山木工」。一流の職人を目指し、入社した新人は住み込みで5年間修業する、いわゆる“丁稚奉公”。タバコも恋愛も禁止、スマホを持つことも許されず、家族への連絡は手紙だけ。しかし、ここ数年は、新人が入ってきても長続きせず、入社希望者も減り続け、2022年にはついにゼロに… 「もう一度、人が来る会社にしたい」…秋山利輝社長(80)は、半世紀続けてきた丁稚制度を見直し、家から通う「外弟子」を取ることを決めた。内弟子とは違い、外弟子には厳しいルールは求めず、全てが自由。新体制でスタートした秋山木工には、内弟子と外弟子、合わせて4人の新人が入社した。 2023年7月。内弟子の松下(15)が、若手職人の日本一を競う「技能五輪」の県予選を突破し、全国大会出場を決めた。「金メダルを取り、母親に親孝行がしたい」…入社前からの夢に向かって、練習に打ち込む松下。かつては、獲得メダルの最多記録を誇っていた秋山木工の誇りを取り戻すため、先輩たちの指導にも熱が入る。そして、始まった全国大会の会場には、遠路はるばる駆けつけた松下の母の姿が… 一流の職人を目指し“丁稚奉公”に励む若者たちの1年を追った。 【語り】大島優子
2023年春、二十歳の若者が故郷・山形を離れ東京へ。飛び込んだのは菓子職人の世界… 東京・千歳烏山にあるフランス菓子店「ラ・ヴィエイユ・フランス」。本場フランスで11年修業を重ねたオーナーシェフの作るスイーツを求めて、お店には常に行列が絶えない。多くの若者がシェフの仕事に憧れ、その門を叩くが、菓子作りには一切の妥協を許さない厳しい指導が待ち受けている。 この店の新人、金野来(こんの・らい)さん(20)。10代の頃から、やりたいことが見つからず、高校卒業後は父親が営む洋菓子店で働いていた。しかし「一度は、外に出て修業をするべき」という父との約束で、山形から上京してきた。 父の下で2年の菓子作りの経験はあるものの、伝統の技を守り、こだわり抜いた「ラ・ヴィエイユ・フランス」の菓子作りは実家の洋菓子店とは大違い。そのギャップに戸惑いながら、厳しいパティシエ修業の日々が始まった。 そんな新人の来さんを指導するのは、キャリア8年目の草野さん(30)。シェフの右腕として店には欠かせない存在だ。草野さんの実家も、長崎市内に4店舗を構える洋菓子店。「いつかは故郷に帰り、父の店を継ぐ」そう思い描いていた。 しかし、4年の交際の末、結婚を申し込んだ彼女に「長崎には行けない」と告げられてしまう。故郷へ帰り、父の店を継ぐのか…それとも東京で生きていくのか… 人生最大の決断を迫られていた。 【語り】伊原六花
生まれ育った故郷か、それとも東京か…菓子職人の世界に飛び込んだ若者が人生の岐路に立っていた… 東京・千歳烏山にあるフランス菓子店「ラ・ヴィエイユ・フランス」。本場フランスで11年修業を積んだオーナーシェフに憧れ、多くの若者が門をたたく。行列の絶えない人気店ではシェフの下での厳しい修業が待ち受けていた。 2023年春、山形から上京してきた新人の金野来(こんの・らい)さん(20)は、シェフの下で働き始めて半年。父親が営む実家の洋菓子店で、2年の経験を積み、基本的な仕事はできると思っていたが、レベルの違いを痛感。今は失敗してはシェフに怒られてばかりだ。洋菓子店にとっては一年で最も忙しい12月、クリスマスを前に「少しでも、店の戦力になりたい…」と自主練習に励んでいた。 そんな新人を指導するのは、キャリア8年目の草野さん(30)。店には欠かせないシェフの右腕的な存在だが、30歳を迎え、長崎に戻り、実家の洋菓子店を継ぐことを意識し始めていた。ところが、4年間の交際の末、結婚を申し込んだ女性に「長崎には行けない」と告げられてしまう… 故郷へ帰り、父の店を継ぐのか?それとも東京で生きていくのか?東京を訪れた父親に草野さんが告げた決断とは… 洋菓子店を営む家に生まれ、有名シェフの下で修業を重ねる2人の若者と息子の幸せを願う故郷の父親。それぞれの揺れる心を見つめた… 【語り】伊原六花
姿を消した行方知れずの父は、遠い異国の地で生きていた… 私たちが、マニラ近郊の町で彼に出会ったのは2014年。 日本でトラック運転手や土木作業員をしていた平山さん(64)は、妻と別れ、フィリピンパブに通う日々。2004年、友人から誘われるままに、フィリピンへ渡った。しかし「一緒に日本料理店を開こう」という知人に、借金をしてまで用立てた開業資金をカジノで使い込まれてしまう。一文無しで帰国資金さえ失った平山さんは、日本に帰ることもできず、現地で知り合った人の家を転々とする生活…それから10年、乗り合いバスの呼び込みでチップをもらい、何とか食いつないできた。今は、そんな暮らしの中で出会ったフィリピン人女性との間に娘も生まれ、家族として暮らしている。 電気代が払えず、暗闇で食事をすることもしばしば…経済的には決して豊かとは言えない暮らし。時おり日本の歌謡曲を口ずさみながら、新しい家族との暮らしを楽しんでいるように見える平山さん。ある日、昔話をしながら口にしたのは、日本に残してきた娘のこと。「日本にいる娘にもう一度会いたい…」。しかし、すでに結婚し、故郷を離れているため、居場所も分からないという。私たちは、日本で平山さんの娘を探し始めた… 言葉も分からない異国の地で全てを失いながら、新たな居場所を見つけた男の10年間の記録。 【語り】尾野真千子
2024年春、東新宿にある小学校の入学式に向かう母と息子… マトヴェイくん(6)とマーヤさん(46)は、2年前、ウクライナの戦火から逃れ、日本にたどり着いた避難民だ。次女のレギナちゃん(8)は、小学3年生になった。 「ウクライナに帰りたい」母・マーヤさんが、そう願い続けても、一向に終わりの見えない戦争。一方で、子供たちは学校や幼稚園に通う中で日本語を覚え、友達を作り、東京での生活になじんでいく。 仮住まいのつもりだった都営住宅での暮らしは終わりが見えないまま、東京で3度目の春を迎えた。子供たちの成長に喜びを感じながらも、母は孤独にさいなまれていく。 そんな中、日本人の和真さん(37)と結婚し、2019年から、日本で生活してきた長女のアナスタシアさん(24)が念願だった日本の大学に合格。母・マーヤさん、年の離れた2人のきょうだいの生活をサポートしながら、人生の転機を迎えたアナスタシアさんの心にも変化が生まれていく… 2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻…それから3度目の春を故郷から遠く離れた東京で迎えた家族。彼らの願いはいつ、かなうのだろうか… 【語り】芳根京子
不適切なほどの過激な芸で知られる電撃ネットワークのリーダー南部虎弾…数々の病で舞台に立てない危機を救ったのは妻がくれた腎臓…芸に命をかけた男と妻の35年の物語 この小さなアパートで、夫婦はずっと2人で暮らしてきた。 70歳を過ぎた夫は、過激な芸を売りにするパフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のリーダー・南部虎弾。テレビに引っ張りだこだった全盛期には、月収が1000万円を超えることもあったというが、貯金もせず、芸にすべてをつぎこんでしまう南部がぜいたくな暮らしをすることは一度もなかった。 1990年に結成された電撃ネットワークは、体を張った芸でブレイクするも、次第に「不適切過ぎる芸」と見なされ、テレビに出られなくなる。 南部は、日本での活動に限界を感じ、活躍の場を世界に求めた。オーストラリアを始め、各国での公演は大成功。「TOKYO SHOCK BOYS」の名は、またたく間に世界に知れ渡ることになった。電撃は、世界に初めて通用した日本の芸人だったのだ。 しかし、過激な芸と不摂生は、南部の体を痛めつけていく。2011年に糖尿病と診断、2017年には、心不全を起こし、バイパス手術で一命を取り留める。芸人・南部虎弾の体は限界だった。 それでも「生涯現役を貫きたい」という願いをかなえたのは、18歳年下の妻・由紀さん。「私の腎臓を一つあげてもいいよ」。こうして2019年に行われた妻から夫への「夫婦間生体腎移植」。妻からもらった“命”で南部は再び舞台に戻り、芸人としての復活を果たした。ところが… これは、芸に命をかけた一人の芸人と妻の物語である。 【語り】河合優実
世田谷の小さなアパートで小さな食卓を囲む夫婦は、特別な絆で結ばれていた。 18歳年下の妻は自分の「腎臓」を一つ、夫に分け与え、夫は妻からもらった「腎臓」で命を永らえ、芸人としての人生を最後の最後まで全うすることができた。 夫の名は、南部虎弾(72)。過激なパフォーマンスで知られる「電撃ネットワーク」のリーダーだ。夫婦は30年以上、この古いアパートで暮らしてきた。 1990年に南部が結成した「電撃ネットワーク」は、体を張った芸でブレイクするものの、危険を顧みないパフォーマンスは「不適切すぎる」と見なされ、次第にテレビに出られなくなる。さらに不摂生がたたり、南部は60歳で「糖尿病」を発症、病状は悪化の一途をたどった。人工透析に踏み切れば、南部はもう舞台に上がることは難しい。そんな南部に「夫婦間腎移植」を提案したのは、妻の由紀さん(53)だ。移植は成功、妻の献身的な支えや健康管理があり、南部は再び、舞台に上がることができた。そして、腎移植から5年…地方公演に行く前夜に南部は脳卒中で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。 35年、ハチャメチャな夫に連れ添った妻の由紀さんは、南部をみんなで明るく送り出したいと、ド派手な衣装を身にまとい、葬儀の喪主をすることになった。 ザ・ノンフィクションだけが撮影を許された、前代未聞の「お葬式」でカメラは妻の深い悲しみを目撃することになる… 【語り】河合優実
「1歳児と暮らしませんか?」 2023年9月、そんな呼びかけに応じ、一つ屋根の下に集った“赤の他人”同士の不思議な共同生活が始まった。 発起人は、夫と一人息子と暮らす茉里依さん(27)。夫とはマッチングアプリで知り合い意気投合。夫婦別姓のため、2年前に事実婚をした。ほどなく息子を出産。しかし、茉里依さんは子どもが欲しかった一方で、子育てには、大きな不安を抱えていた。10代の頃から、感情的になると周りが見えなくなってしまうのだ。子育てのイライラを息子にぶつけてしまうのではないか。息子を傷つけるような言葉を口にしてしまうのではないか… 夫が育休を終えて職場復帰することになった時、母一人での子育てに不安を感じた茉里依さんが呼びかけたのが、他人と子育てをシェアする「子育てシェアハウス」だった。 ゲストハウスも兼ねるこの家には、SNSを通じて、抱える背景も国籍もバラバラな人間が集まってくる。茉里依さんの思いに賛同した知人の小説家、休職中の教師、世界を放浪中のベネズエラ人家族、ウクライナから来た母子… 誰かと子育てをシェアすることで、自分の「やりたいこと」を始める茉里依さん。 しかし、何事も思い通りにいかないのが「子育て」。次第に夫や住人からは、不満の声があがる。 自分らしく生きるために茉里依さんが選んだ「新たな家族のカタチ」の行方を見つめた… 【語り】上野樹里
「私だって生きられるなら死にたくない」…そんな思いを抱えながら命の決断をした母がいる。 家族4人でゲームを楽しみ、笑い、語り合う…夫と2人の娘と暮らすマユミさん(44)と家族は、この楽しそうな姿からは想像できないほどの苦悩と向き合ってきた。 3年前、マユミさんに見つかった子宮頸がん。抗がん剤治療などを尽くしてきたものの、がんは再発を繰り返し、全身に広がっていった。そして脳への転移。耐えがたい苦痛の中で、彼女はある選択肢を考え始める。 スイスでの“安楽死”。日本では認められていない選択肢である。悩み抜いた末にマユミさんは、スイスへ渡ることを決断する。 母の決断に対し、病と闘う母の姿を見てきた高校3年生の長女(18)は理解を示すものの、小学6年生の次女(12)にとっては、すぐに理解できるものではない。そして、人生を連れ添ってきた夫のマコトさん(48)は、当初は戸惑いながらも、その決断を受け入れた。 最愛の妻の最後の願いに応えようと、共にスイスへ渡航し、最期の瞬間に付き添う夫。最期の日を前に、スイス観光を楽しむ2人。子育てと仕事に追われ、夫婦旅など考えもしなかったのに、それが実現したのは、まさか妻が人生を終える時だなんて… そして迎えた人生最期の日。ベッドの横には夫、そして、スマホにはテレビ電話でつないだ娘たちの顔…生きることと死ぬこと。自ら人生の幕引きを決めた母の決断に向きあった家族の記録。 【語り】清原果耶
毎年、約3万人の志望者がいると言われる「声優」の世界。しかし、声優になれたとしても、年収100万円以上を稼げるのは全体の6割にも満たない厳しい現実が待ち受ける。それでも、多くの若者たちが「輝ける未来」を夢見て、それぞれの日々を送っている… 宮城県南三陸町出身の彩さん(31)は、昼は保険事務の派遣社員、夜は養成所に通いながら、声優になる夢を追い掛けている。高校卒業と同時に上京し、公務員として働いていたが、翌年、東日本大震災による津波で兄を亡くし、故郷へ戻ることに。「両親を安心させたい」と、町の職員として6年間働いたが、「人生は明日どうなるか分からないから後悔したくない」と、27歳の時、憧れていた声優を目指し、再び上京、養成所の門を叩いた。 2023年冬…夢を追い始めて4年が過ぎたが、いまだにデビューへの道は開けない。 熱狂的なファンを集め、ライブを行うなど、まるでアイドルのような存在となり、活躍する若手の人気声優たち。そんな世界に今から飛び込もうとする彩さんは30歳を過ぎ、年齢も重い現実として「壁」となっている。 今、通っている養成所も、もうすぐ卒業…故郷の両親からは「いつまで夢を追い続けるのか?」と言われてしまう。 そして、彩さんは、3月に行われる養成所の卒業オーディションに合格できなければ、夢を諦めることを決めた… 一度きりの人生を後悔したくない。夢に向かって懸命にもがく日々をカメラは見つめた… 【語り】成海璃子
“おくりびと”と呼ばれる仕事がある。 通夜や葬儀の前に、遺族の目の前で亡き人の状態を整え、棺に納め、お別れの時間を作る納棺師たち。家族だけで故人への思い出や悲しみを分かち合い、死を悼む時間として…近年、納棺師が執り行う「納棺式」の需要が高まっているという。 そんな“おくりびと”になることを志し、17年勤めた会社を辞めた陽子さん(48)。納棺師を育成する「おくりびとアカデミー」に入学した。遺体を扱う技術や知識、別れに寄り添うための心構えを半年間にわたって学ぶ。 シングルマザーとして2人の娘を育ててきた陽子さん。ずっと娘たちのために働く人生だったが、48歳になり納棺師を目指すようになった。きっかけは、母の葬式で見た納棺式。生前の母に尽くせなかった後悔や無念を抱いていたが、納棺師がつくる“別れの時間”で心が洗われる思いだったという。その時の体験から「自分も納棺師になりたい」と決断したのだ。 アカデミーを卒業し、納棺師として働き始める陽子さん。来る日も来る日も、人の死に立ち会い、家族の悲しみと愛を感じている中、故郷・北海道の父の病状が思わしくないという知らせを受ける…納棺師になった自分が愛する家族と別れるときに何をするべきか。“おくりびと”を志した一人の女性の揺れる心を見つめた… 【語り】中村佳穂
東京23区内で家賃2万5000円。広さは4畳半、もちろん風呂はない。東京の賃貸マンションの家賃が過去最高の水準に高騰する中、それでも彼らには、この部屋に住み続ける理由がある… 石川県から4年前に上京してきた金子翔さん(33)が暮らすのは、蒲田にある築80年の木造アパート。家賃2万5000円の風呂なし、トイレは共同の4畳半で、自炊をしながらつましい暮らしを続けている。すべては、「俳優になる」「演劇の世界で生きていく」という夢をかなえるためだ。 映画や演劇、俳優を養成するスクールを卒業したものの、時はコロナ禍。俳優としての活動もままならないまま、今は、銭湯の掃除と映画館でのアルバイトで生計を立てていた。しかし、いつまでも変わらない現状に「活躍の場を自ら作ろう」と、自らが主宰する劇団を立ち上げようするのだが… 東中野にある築40年の木造アパートに住むのは、芸能事務所に所属するピン芸人・竹迫ゆうじ(27)。テレビに出て売れっ子芸人になることを夢見ているが、芸歴5年目になっても一向に芽は出ず、家賃2万4000円のゴミだらけの四畳半での生活から抜け出せずにいた。 女性との交際経験がゼロの竹迫の持ちネタは「彼女との妄想恋愛」。客にはまったく受けず、スタッフからは「テレビに出られるネタじゃない」とバッサリ切り捨てられてしまう… 大都会の片隅にある小さな部屋で、大きな夢を追う若者たちを見つめた… 【語り】多部未華子
彼らにはこの小さな部屋に住む理由がある… 東京23区内で家賃2万5000円。広さは4畳半、風呂なし・共同トイレの木造アパートだ。 石川県から4年前に上京してきた金子翔さん(33)が暮らすのは、蒲田にある築80年の部屋。自炊をしながら、生活費を切り詰めて追うのは「俳優になる」「演劇の世界で生きていく」という夢だ。 2024年の正月、震災に見舞われた故郷へ里帰り。引きこもりだった自分の人生を変えてくれた地元の市民劇団の演出家が関わる公演を目にし、思いを新たに。あの部屋で一人で立ち上げる劇団の脚本を書き続ける。そして、劇団の旗揚げ公演をするべく、奔走するのだが、会場に選んだ地元の区民施設は、たった2日間貸し切るのに、金子さんの家賃のおよそ4カ月分もするのだった… 東中野にある築40年の木造アパートに住むのは芸歴5年目のピン芸人・竹迫ゆうじ(27)。テレビに出演し、売れっ子芸人になることを夢見ているが「テレビに出られる芸ではない」とダメ出しを受ける日々… 竹迫の持ちネタは、女性との交際経験ゼロから生まれた「妄想恋愛」。しかし、たまたま2人で飲んだことをきっかけに、同期の女性芸人を意識するように。肝心のお笑いそっちのけで人生初の恋愛に浮かれまくってしまう。 人生の岐路に立った2人が、4畳半で追い続ける夢の行方は… 【語り】多部未華子
2024年1月1日、能登半島を襲った大地震が街の光景を一変させた。石川・輪島市の観光名所「朝市通り」では、大規模な火災も発生し、通りのほとんどを焼き尽くした。 朝市通りに暮らしていた輪島塗八代目の桐本滉平さん(31)と妻の萌寧さん(27)夫婦の自宅兼工房も火災で全焼。初詣に出かけていた2人は無事だったが、飼っていた3匹の猫が行方不明となった。 跡形もなくなった自宅があった場所で猫を捜す滉平さん…その姿を海外メディアが取材し、世界で報じられた。 しかし、なかなか見つからない愛猫たち。猫がやってきそうな場所に捕獲器を仕掛けるものの、見知らぬ猫が入っていることもしばしば…「自分たちのように誰かがこの猫を探しているかも知れない」…桐本さん夫婦は、自分の猫を捜すだけでなく、他の人の猫も保護し、飼い主の元に届けることを決めた。 早速猫を保護しては、張り紙やSNSで情報を発信するように。いつしか、同じように飼い猫を捜す人たちが集まり、被災地の猫を捜索する輪は大きくなっていった。そして、「活動を支援したい」と、世界中から大量の支援物資も届くようになる… いつの間にか「猫捜索隊」の中心となった滉平さんには、依頼が殺到するようになった。 そんな中、滉平さん夫婦の飼い猫が見つかったという連絡が… 震災で家も仕事も失い、愛する飼い猫を捜し続ける夫婦を待ち受ける、思いもしない運命とは… 【語り】石田ゆり子
2024年1月1日、能登半島を襲った大地震。各地で大きな被害が出る中、番組が18年取材を続ける、七尾市の和倉温泉・多田屋も甚大な被害を受けていた。 創業140年の老舗旅館「多田屋」。地震発生時に館内にいた約150人の宿泊客、従業員を全員避難させ、安堵したのもつかの間…若女将の弥生さん(46)が目にしたのは、信じがたい光景だった。天井が落ち、至る所に入った亀裂、七尾湾に面した自慢の大浴場や、客室の露天風呂も無残な姿に… 嫁ぎ先の仏間に掛けられた「花嫁のれん」をくぐって嫁入りするという能登のしきたりに倣い、弥生さんが多田屋に嫁いだのは18年前。若女将として、夫で社長の健太郎さんと共に、様々な困難に立ち向かってきた。しかし、今回の震災では、再開のめどはまったく立たず、不安な気持ちばかりが募っていた。 そんな中、多田屋の再建だけでなく、和倉温泉の復興プロジェクトリーダーとしても、各地を駆け回っていた健太郎さんは、ある決意を固めていた。それは、父親たち先代が築き上げてきた高級温泉旅館からの決別…震災からの復興を機に、まったく新しい宿泊施設として生まれ変わるというもの。その強い思いに、健太郎さんに付いていこうと覚悟を決める弥生さんだが、会長である父からは疑問の声が… 多くの試練を乗り越えながら、能登の地で老舗旅館を守ってきた家族の18年の記録。 【語り】波瑠
高円寺のガード下にあるライブハウス…2000円払えば誰でも立てるステージで歌う人々…大好きな憧れの先輩の名を叫ぶ男…そこにあるのは不思議な愛のカタチ
新宿二丁目の深夜食堂が53年の営業を終えた2023年夏の終わり。あれから約1年、あの名物ママは今… 深夜食堂「クイン」が開店するのは、日付が変わった午前0時。閉店する午前9時まで客足は絶えない。多くの客の目的は、名物ママのりっちゃん(当時77歳)に会うこと。恋愛の悩みや人生相談など悩みをぶつければ、返ってくるのは優しいアドバイスや、時に厳しい叱咤激励…心の中にポッカリ空いた穴を埋めてくれるのだ。そして、夫である孝道さん(当時77歳)が作る焼き魚やハンバーグ、おにぎりに500円定食など、安くて温かな家庭料理がお腹を満たしてくれるのだ。 2023年夏。客が引けた店内で語り合うのは「夫婦の今後」について。すでに夫婦の体力は限界。それでも「辞めないで」という“二丁目の住人”たちの声に応え「1年後に迫った店の賃貸契約の更新までは…」と満身そういの体で営業を続けていた。しかし、りっちゃんの座骨神経痛は悪化。さらに孝道さんが、この夏の記録的猛暑で倒れ、救急車で運ばれる事態に…店は臨時休業を余儀なくされた。 店を再開してから1カ月…入口の壁に張られたのは「閉店のお知らせ」。夫婦は、1年後の賃貸契約更新を待たずして、2023年9月末に閉店することを決めたのだ。突然の知らせに驚き、涙する常連客たち。 53年の歴史に終止符を打つ深夜食堂。名物夫婦「最後の1日」へのカウントダウンの日々を見つめた… 【語り】吉田羊
新宿二丁目の深夜食堂が53年の営業を終えてから約1年。あの名物ママは、初めて過ごす穏やかな暮らしの一方で、持病である糖尿病が悪化、さらに、がんの手術に臨んでいた… 2023年9月30日。新宿二丁目で数え切れない孤独や絶望を受け止め、人々の背中を押してきた深夜食堂「クイン」が“最後の夜”を迎えていた。 別れを惜しむように店にあふれる客。店内に入りきらない客が、店外の階段で列をなしていた。わざわざ休暇を取って駆けつけた会社員。自分の店を抜け出してやってきた“二丁目の住人”たち。名物ママのりっちゃん(当時78歳)と料理担当の夫・孝道さんを笑顔と感謝で送り出そうと店に詰めかけていた。 そして、最後の夜が明けた朝、店にやってきたのは、二人の娘と孫たち。 多くの常連客に惜しまれつつ、人々に愛された深夜食堂「クイン」は53年の歴史に幕を下ろした。 真夜中の0時に開店し朝の9時まで営業という生活を半世紀以上も続けてきた夫婦は、約15年ぶりに列車に乗って温泉旅行に出掛けるなど、初めて夫婦水入らずの“普通の生活”を手に入れていた。 2024年夏、「クイン」の常連客たちが、久しぶりにりっちゃんを囲む会を開催。そこに現れたりっちゃんは、持病である糖尿病が悪化し週に3日の人工透析に通う体になってしまっていた。さらに、4日後にがんの手術を行うと語り始める… 【語り】吉田羊
母と息子にとって、この小さな料理店は、絶対に守らなければいけない大切な居場所… 東京・護国寺にある「酒・食事処 大(たい)」。調理担当の息子・大貴さん(31)と接客担当の母・貴美子さん(67)の二人三脚で営む店には、自家製デミグラスソースを掛けた名物のハンバーグを目当てに、お昼時は多くの客が訪れる。 幼い頃から成績優秀だった大貴さんは、中学生の時、突然の不登校に。その後、発達障害の診断を受け、自宅に引きこもる日々を送っていた。そんな大貴さんを変えたのが、初めて作った料理…母が喜んでくれたことをきっかけに料理人の道を歩み始めた。その姿を一番近くで見ていた母は「大貴が思う存分、料理が作れる場所を…」と、2020年1月、文京区・本郷に食堂を開店させたのだ。ところが、開店直後からのコロナ禍で、店の経営は火の車…わずか2年で閉店することに。 一度は居場所をなくした大貴さんだったが、ディナーメニューを研究し、日本酒も取り揃えた本格的な飲食店として、母と新たな店をオープンさせたのだ。しかし、採算のとれない食材を使おうとする大貴さんのこだわりは変わらず、売り上げは伸びずじまい… そんな中、これまで店の赤字を補填し、経済的にサポートしてくれていた父・充明さん(84)が、高齢のため歯科医を廃業することに…「今度こそは、この店を軌道に乗せなくてはならない」…大きな後ろ盾を失った母と息子の再出発の行方は… 【語り】永作博美
息子のために母がつくった店は、いつしか家族みんなの「大切な居場所」になっていた。 東京・護国寺にある「酒・食事処 大(たい)」。調理担当の息子・大貴さん(31)と接客担当の母・貴美子さん(67)の二人三脚で営む店は、こだわり抜いた日本酒と自慢の一品料理が売りだ。 発達障害があり、人と接するのが苦手だが、料理は大好きな息子のために、母が食堂を開店したのは2020年1月。コロナ禍に見舞われる直前のこと。人々の外出さえ自粛が続いた時期に経営は赤字続き…わずか2年で閉店することになった。 それでも母は「息子が料理だけで生きていけるように」と2022年5月、夜も営業する料理店として新たな店をオープン。しかし、採算が取れない高価な食材を使う息子のこだわりは変わらず、売り上げは伸びない。さらに、これまで経済的に店を支えてきた父・充明さん(84)が高齢のため歯科医を辞めることに…「もう失敗はできない」家族3人の生活は店の売り上げに掛かっているのだ。 母子の再出発から1年半…少しずつお客さんも増え始め、「自分も何か力になりたい」と、父も店を手伝い始める。店の経営がなんとか軌道に乗り始めようとする矢先、突然、天井から水漏れ。さらに状態は悪化し、店は長期休業を余儀なくされる。 再開のめどがまったく立たず、一家が途方に暮れる中で、母・貴美子さんは、この店を守るために、大きな決断を下すのだが… 【語り】永作博美
毎夜、日本全国、どこかの街角に立ち、誰かを褒める人がいる… 「すごくほめます」と手書きの段ボールを掲げる「褒めますおじさん」(42)。 この2年間、足を止めてくれた人を、ひたすら褒め続けてきた。容姿から始まり、会話で気が付いたささいなこと…おじさんに褒められた多くの人は、笑顔でその場を後にする。 かつては、地元・栃木で会社勤めをしていた褒めますおじさんだが、ギャンブルにのめり込み、生活はひっ迫…父が病に倒れ、住宅ローンが支払えなくなった実家は差し押さえとなり、気が付けばホームレスになった。仕事も失い、追い詰められた末に思いついたのが「路上で人を褒めること」。幼い頃から、路上パフォーマーに憧れていたこともあり、「人を褒めることだったら、自分にもできるかもしれない」と、今の生活が始まった。意外にも、「褒めてほしい」とやってくる人は後を絶たない。1人暮らしを始めたばかりの若者から仕事に疲れた会社員、定期的に訪れる常連の存在も。彼らはなぜ、褒められたいのか… ある夜、褒めますおじさんの前に現れたのは、映画監督になることを夢見る中国人留学生。コンビニでアルバイトをしながら、難関・東京藝術大学大学院に入るため猛勉強中だという。彼が、見ず知らずのおじさんに、褒められたい理由とは… 人を褒めるおじさんと、おじさんに褒められることで心の中の「何か」を埋めていく人々…令和の路上物語を見つめた。 【語り】黒木華
7年間、路上で一人芝居を続ける男がいる。 自らを「路上役者」と名乗り、「芝居を見ていきませんか」と道行く人に声を掛ける亮佑さん(35)。足を止めてくれた人に芝居を披露するのだ。 20歳の時、原宿で芸能事務所にスカウトされ、俳優としての道を踏み出した亮佑さんだが、仕事は鳴かず飛ばず…事務所を辞め、小さな劇団の舞台俳優として演劇を続けてきた。そんな時、公演のチケットを売るためにパフォーマンスとして始めたのが、路上での一人芝居。通行人から初めて投げ銭をもらい、リアクションを間近で感じた喜びから、以来、アルバイトで生計を立てながら「路上役者」としての活動を週に6日、続けてきた。 そんな亮佑さんの一番の理解者が、アルバイト先で出会い、4年前に結婚した妻の華恵さん(33)。生活のためにはお金も必要だが「亮佑さんには夢を捨ててほしくない」と、アルバイトをしながら夫婦の暮らしを支えている。 路上役者として8年目を迎えた2024年、亮佑さんは大きな決断を下した。所属している劇団を辞め、「路上役者の活動だけで生計を立てる」と言うのだ。これまでの一人芝居のやり方を変えて、多くの投げ銭を得るべく、新たな路上での芝居に挑むのだが… 夢を諦めることなく追い続ける夫と、その背中を押す妻の日々。夫婦の夢の行方は… 【語り】土屋太鳳
再開発が進む巨大団地。“シャッター商店街”の一角に、多くの客が詰めかける酒店がある。 東京・赤羽の駅から歩いて20分。この地で創業75年の「三益酒店」。店頭には全国各地の酒蔵から仕入れたレアな地酒が並び、店のとなりに併設された「角打ち」で“酒のさかな”と共に楽しめる。店の評判は広まり、いまや全国からたくさんの人々がやってくるのだ。 そんな酒店を切り盛りするのは3人の姉妹。三代目を継いだ長女・美保さんが店全体に目配りし、仕入れ担当の次女・由美さんは酒蔵の熱い思いを客に届け、三女・美香さんは「角打ち」を担当、得意の料理と笑顔で客の心をつかんでいる。事業が拡大した今では長女と次女の夫たちも社員として店で働き、先代である三姉妹の両親も店を手伝う。 全てがうまくいっているように見える三姉妹の店だが、大きな変化を迎えようとしていた。高齢化が進み、大規模な再開発が計画される中で活気が失われつつある地元商店街を何とか盛り上げようと様々な企画を始める三姉妹。 人手不足を補うために、家族・親族以外の人を初めて社員として迎え入れることに。「家族経営」でやってきたこれまでのやり方が通用しない…店の方針を巡り、事あるごとに、姉妹で言い争いとなることも増えてきた。 そんな中、三姉妹は店のさらなる発展を見据えて、「三益酒店」の2号店を出そうと動き出すのだが… 【語り】清野菜名
「この店をもっと良くしたい…」それぞれに同じ思いを抱えながら、支え合い、ぶつかり合う三姉妹がいる。 東京・赤羽の駅から徒歩20分、創業75年の「三益酒店」。店頭には全国各地から仕入れたレアな地酒が並び、店の隣の「角打ち」では、お酒が楽しめる。店を切り盛りするのは看板娘の三姉妹、社長である長女・美保さん、仕入れ担当の次女・由美さん、角打ち担当の三女・美香さん。3人が力を合わせ、店を人気店に押し上げた。 だが、店を構えるのは“シャッター商店街”の一角…大規模な再開発が進む街でいつまで商売を続けていけるのか…人手不足を補うために、家族・親族以外の人を初めて社員として迎え入れ「2号店」を構えるべく物件を探すのだが、そこには多くのハードルが… 新たなイベントの開催、オリジナルの日本酒造りなど、店を盛り上げようと力を合わせるものの思うように進まない2号店の計画…これまでの「家族経営」のやり方が通用せず、店の方針を巡り、姉妹が言い争うことも増えてきた。同じ「家族経営」を続けてきた人気の酒蔵では「会社経営は家族や姉妹という甘えをなくすべき」と指摘され、姉妹で本音がぶつかり合う。 そんな中、社長として店を引っ張る長女・美保さんの妊娠が判明。三代目として先頭に立ってきた美保さんだが、これまでと同じように働くことはできなくなり… 三姉妹が抱くそれぞれの夢。大都会の片隅で三姉妹が営む人気の酒店の行方は… 【語り】清野菜名
お互いに支え合いながら毎日を生きる男女がいる。夫婦でも恋人でもない二人の不思議な関係… 原田浩司さん(37)が長年、特別な思いを寄せるのが、学生演劇時代の先輩で5歳年上の舞台女優・帯金ゆかりさん(42)。彼女には夫がいるが、その夫も公認で週に3日は一緒に過ごす間柄だという。 仕事の傍ら、ライブハウスのステージに立つ原田さん。歌うのはすべて「帯金ゆかり」のこと。それは彼女へのラブソングであり、応援歌だ。コロナ禍に重いうつ病を患い、一度は「生きることを諦めかけた」という原田さんだが、帯金さんの生き方に救われたという。道半ばで演劇を諦めた自分とは違い、脚光を浴びることはなくても、いまだ舞台に立ち続ける帯金さん。「こんなふうに諦め悪く生きていきたい」そんな思いで原田さんは、今夜も「帯金ゆかり」の名を叫んでいる。 一方で、帯金さんにとっても、原田さんの存在は、演劇の道を“諦めない”原動力になっていた。「自分が演劇を続けることが、原田の人生を支えている」 そんな中、原田さんは、新たな挑戦を始めた。それは、キックボクシングの試合に出場すること。「弱い自分を変えたい」…本格的なトレーニングと減量の日々が始まった。 一歩でも前に進もうともがき、互いに支え合いながら生きる、ちょっと不思議な男と女の愛の形を見つめた… 【語り】井手上漠
キッチンカーに夢を乗せて走る2人の25歳がいる… コロナ禍による「巣ごもり需要」の追い風を受け、街角で当たり前のように見かけるようになったキッチンカー。今、そんなキッチンカーの開業を目指す若者が増えているという。購入しようとすれば数百万円は掛かるキッチンカーの車両を月々10万円ほどでリースできる会社では、初期費用が低く抑えられることから、開業を目指す若者たちの「納車待ち」が続いているという。 関西の大学を辞めて1年半前に上京してきた康法(やすのり)さん(25)。六本木のキャバクラでボーイをしていたが「このまま人に使われるだけの人生でいいのか」と悩んでいる時に目にしたのがキッチンカー開業の広告だった。仕事で貯めた150万円を元手に母のオリジナルレシピ「タマネギカツレツ」で開業することに。しかし、納車までは半年待ち…車のデザインやレシピの研究をしながら、ようやく納車の日を迎えたものの、さっそくトラブルが… おかゆを販売するキッチンカーの開業を目指す愛香さん(25)。会社を辞め、交際相手の家で暮らしながらアルバイト生活をしていたが「仕事で成功している彼に頼る生活から抜け出したい」と開業を決めた。運転免許も取得するところから始め、順調にオープン初日を迎えるが… キッチンカーで成功したいという夢を乗せて走る2人の25歳。念願の開業の先に待ち構えていたものとは… 【語り】山下美月
キッチンカーに夢を乗せて東京を走る2人の25歳…何とか開業を果たしたものの、すぐに大きな壁にぶつかっていた。 街角で当たり前のように見かけるようになったキッチンカー。車両を貸し出す企業も現れ、初期費用を低く抑えて手軽に開業できることから、キッチンカーを始める若者が増えているという。しかし、人が集まる立地の良い出店場所は、都内でもほんの一握り…おいしいだけでは生き残ることができない厳しい世界だ。 交際相手の亡き母から教わった「おかゆ」で勝負に出た愛香さん(25)。オープン当初は女性を中心に人が集まったものの客足は遠のくばかり…猛暑の中、熱いおかゆではやっていけないと「かき氷」をメニューに追加するも、一日の売り上げが1万円にも届かない現実…「このままではやっていけない」…愛香さんはある場所に向かった… 母のオリジナルレシピ「タマネギカツレツ」で開業した康法(やすのり)さん(25)は、好条件の出店場所を確保するのに奮闘していた。仲介業者にお金を支払い、良い場所を確保するのが“常識”の中で「仲介業者には頼りたくない」と自分の足で出店場所を探していた。開業から1カ月が過ぎ、ようやくイベント会場での出店にこぎ着け、初めて行列を作ったものの、その後は食材を余らせる日々が続いていた。開業から3カ月…何とか常連客が付き始めた時、康法さんは大きな決断を下す… 【語り】山下美月
新宿二丁目…今や世界でも知られるLGBTQの人たちが集う街。 この“二丁目”の代名詞とも言えるのが56年の歴史を持つショーパブ『白い部屋』。名物のショータイムではキャストたちが華やかな時間を彩り、訪れる客を楽しませている。半世紀を超えてこの街を見続けてきたのが、名物オーナーのコンチママ(76歳)だ。 2020年から始まったコロナ禍で経営危機に陥った店。それでもコンチママは、店を何とか存続させようと、自らの貯金を取り崩すなど耐え忍んできた。 2022年冬、コロナ禍が落ち着きを見せ始めると客足も徐々に回復。『白い部屋』にかつての賑わいが戻ってきた。そんな矢先、コンチママの元に届いた知らせ。それは、2023年夏までに店を立ち退く必要がある。というものだった。 『白い部屋』の歴史を途絶えさせないためには、新しい移転先を見つけなくてはいけない。だが、76歳になるコンチママ。再び一から店を立ち上げるには、莫大な費用も掛かる。それを実現できる体力、気力はあるのか…揺れる心は弱気に傾き、「引退」の二文字が頭をよぎる。 コンチママは、この街の象徴とも言える『白い部屋』を後継者に託すことを考え始める。 歴史あるこの店を継いでくれるのは誰なのか…新たな移転先は見つかるのか…コンチママの迷い道の行方を追った… 【語り】松本まりか
新宿二丁目で半世紀を超える歴史を刻んできた老舗のショーパブ『白い部屋』。その明かりが消えかけていた… 新宿二丁目の代名詞とも言えるのが56年の歴史を持つショーパブ『白い部屋』。名物のショータイムではキャストたちが華やかな時間を彩り、訪れる客を楽しませている。店とともに、半世紀を超えてこの街を見続けてきたのが、名物オーナーのコンチママ(76歳)だ。 2023年冬…コロナ禍を乗り切った『白い部屋』が開店以来最大の危機を迎えていた。今年中に現在の店から立ち退くことが決まっているのだが、一向に新たな移転先を見つけられずにいたのだ。自身は引退を決め、店の後継者に指名したチーママの真琴さんと共に、物件探しに奔走するコンチママだが、『白い部屋』こだわりのショーを見せるに不向きな物件ばかり…「自分たちはどうなるのか…」キャストたちにも動揺が広がっていた。 立ち退きまで残り2カ月…店にはコンチママの引退を知り、最後に一目会いたいと駆け付けるお客さんで連日の大盛況。そんな中、突然、真琴さんから「後を継ぐことを辞退したい」と驚きの連絡が入る。コンチママあっての『白い部屋』…歴史ある店を継ぐことは自分には荷が重すぎる…悩んだ末の決断だった。 頼りにしていただけに意気消沈するコンチママ。後継者もいない…移転先も見つからない…まったく先行きが見えないまま『白い部屋』は最後の営業日を迎えようとしていた…