大林勘助(内野聖陽)は兵法を極めるため諸国を修行する浪人である。15年もの旅を終え、家督を継ぐために故郷・三河へ向かっていた。時は天文四(1535)年、甲斐では武田信虎(仲代達矢)がようやく一国の統一に成功し、さらに南を目指して駿河の今川家との戦の真っ最中にあった。たまたま立ち寄った寒村で勘助は農民の娘・ミツ(貫地谷しほり)と出会う。武田家の家臣・赤部(寺島進)が乱戦に乗じてミツを襲おうとしたところを救ったことから、ミツは勘助に恋心を抱くようになる。一方、武田家の主力が今川と対峙している間に相模の北条氏康(松井誠)が甲斐に攻め込んできた。武田と北条の戦ぶりを見物にいく勘助だが、無理についてきたミツが捕らわれてしまう…。
故郷での仕官がかなわず失意の山本勘助は再び甲斐国に姿を見せた。再会した村娘・ミツは妊娠していた。勘助の子だと言い張るミツだが、勘助は「誰の子ともわからぬ」と冷たく突き放す。一方、武田家では元服したばかりの嫡子・晴信(市川亀治郎)と当主・信虎との不仲が表面化。晴信は趣味の和歌に没頭し、愚か者を演じることで父の憎しみを避けようとしていた。晴信の守り役を務める板垣信方(千葉真一)はそんな親子の対立に心を痛めていた。信虎は甲斐を統一したばかりで早速、信濃国への侵攻を宣言し、戦に明け暮れる日々に家臣や領民の不満が高まっていた。勘助はミツのいる葛笠村で無為な日々を送っていたが、村人の屈託のない生き様に触れるにつけ次第に心を開くようになっていく。そして、ついには村での生活に安息を見出し、ミツとお腹の子とともに生きることを決意するが…。
山本勘助の姿が武田に包囲された海ノ口城内にあった。城主・平賀から策を求められた勘助は城の守りを固めるアイデアを次々に打ち出す。武田信虎は城の敵を小勢と侮り、力攻めにするが策が当たり中々攻め落とすことができない。一方、初陣の晴信は後方に置かれ、戦に参加することはなかった。水を断とうとする作戦も勘助に見抜かれ失敗、一月経って兵糧もつきかけたところに雪が降ってきた。雪が積もれば軍勢は身動きできないため武田勢はついに撤退を決めた。雪が降るまで時を稼ぐ、これこそが勘助の軍略だった。城兵は武田の撤退をこの眼で確かめ喜ぶがひとり勘助だけは油断は禁物と考えていた。城中の気が緩んだ今こそが最も危ない、同じことを考えたのが晴信だった…。
武田晴信(市川亀治郎)による父・信虎(仲代達矢)追放の決意は様々な波紋を呼び起こした。晴信を推す板垣信方(千葉真一)は密かに重臣の説得を始め、駿府では今川義元(谷原章介)と寿桂尼(藤村志保)の間で信虎と晴信いずれに味方すべきか議論になっていた。謀略が進行していることに気づかないまま信虎は領土拡大を目指し信濃に出兵する。狙われたのは真田幸隆(佐々木蔵之介)ら信濃の小豪族だった。駿河でくすぶっていた山本勘助(内野聖陽)は信虎の信濃出兵を聞き、かつて世話になった幸隆を案じて信濃に入るが、すでに真田の城からは火の手が上がっていた。信虎の信濃攻めは成功し、幸隆は関東管領・上杉家を頼り上州へ逃れた。凱旋帰国した信虎は今川家から駿河に招待するという書状を受け取る。…。
武田晴信(市川亀治郎)は父・信虎(仲代達矢)を追放することを重臣一同の前で明らかにした。信虎から可愛がられ家督を継ぐと見られていた晴信の弟・信繁(嘉島典俊)は「よくぞ背かれた」と兄の決断を支持する。信虎派と見られていた重臣・小山田信有(田辺誠一)や諸角虎定(加藤武)も同意し、ここに武田家臣団は晴信支持で一致団結する。一方、何も知らない信虎は駿府訪問を終え予定通り甲斐に戻ろうとしていた。しかし国境で信虎を待ち受けていたのは槍を構えた武田の足軽隊だった。そこへ晴信と信繁、そして板垣信方(千葉真一)・甘利虎泰(竜雷太)・飯富虎昌(金田明夫)ら武田家譜代家臣が現れ、晴信は信虎に追放を通告する。信じられない信虎は家臣たちの名を叫ぶが誰も反応しない。信虎は強引に国境を突破しようとするが槍と弓矢に行く手を阻まれ、ついに家督を晴信に奪われたことを悟る。そのとき今川家から信虎を無事に駿府に連れ帰る命を受けた山本勘助(内野聖陽)が現れた…。
武田家では晴信(市川亀治郎)が家督を継いだが、山本勘助(内野聖陽)は相変わらず駿府で浪人としてくすぶっていた。同じ浪人の青木大膳(四方堂亘)から武田家重臣・板垣信方(千葉真一)が駿府を訪れると聞き、勘助は板垣を襲えと大膳に言う。襲われた板垣を助けて恩を売るというのが勘助の策だった。そして板垣は突如、大膳に襲われる。作戦通りに動いた大膳かと思われたが、実は大膳は勘助を斬るつもりでいた。圧倒的な剣の力に押される勘助だったが、勘助の知略で何とか大膳を斬り捨てる。勘助は板垣に武田家への仕官を願い出るが、板垣は勘助の策略の全貌を見抜いていた。しかしかつて晴信が勘助を敢えて生かしたことを思い、勘助の命を晴信に託すことにする…。
天文11年(1542)4月、諏訪頼重(小日向文世)と禰々(桜井幸子)の間に嫡男・寅王丸が誕生した。勘助(内野聖陽)はいよいよ諏訪を攻めるよう晴信(市川亀治郎)に進言する。諏訪氏の同族・高遠頼継(上杉祥三)と密かに通じ諏訪を挟み撃ちにするというのが勘助の策であった。高遠の願いを受けて武田が出陣したように見せかけ、頼重の怨みを高遠に向ける、そうすれば頼重は武田に素直に降伏し、結果として晴信の妹・禰々と寅王丸を救うことができると考えたのだ。頼重は予想だにしなかった義兄・晴信の攻撃に、居館を逃れ、僅かな兵での籠城を強いられる。由布姫(柴本幸)は、兄の行動に動揺を隠せない禰々を、武田は裏切り者だと厳しく責め立てる。さらに潜入していた教来石景政(高橋和也)の工作も成功し、頼重に従うものは20人ばかりとなってしまう。討ち死にを覚悟した頼重だったが、そこに晴信の使者として板垣信方(千葉真一)と勘助が和睦を促しに訪れた…。
武田に降伏した諏訪頼重(小日向文世)と妻・禰々(桜井幸子)は、勘助(内野聖陽)によって甲府に護送された。晴信(市川亀治郎)は頼重の嫡男で自分の甥の寅王丸こそが諏訪の当主であると頼重に言い放つ。それは頼重を生かすつもりはないという意思表示に他ならなかった。頼重は潔く甲府にて切腹し、禰々は兄・晴信の裏切りに衝撃を受ける。諏訪に残された由布姫(柴本幸)も武田への憎悪を露わにする。板垣(千葉真一)と勘助は残党を降伏させるために諏訪に出陣する。寅王丸以外の諏訪の一族を根絶やしにし、後の災いの種をつまなければならないと勘助は考えていた。諏訪の残党が籠もる桑原城に攻め込む板垣の軍勢。勘助が踏み込むと、城中に由布姫がいた…。
勘助(内野聖陽)は由布姫(柴本幸)を逃がすことを決意する。勘助は、姫が一人の女性として生きることを望んだが、由布姫は武田への怨みを忘れてはいなかった。同じ頃、勘助が助けたという事に興味を抱いた晴信(市川亀治郎)は由布姫を生かすために側室に迎え入れることを決意する。噂を聞きつけた正室・三条夫人(池脇千鶴)の胸中は複雑であった。夫・諏訪頼重を切腹に追い込んだ晴信に対する禰々(桜井幸子)の怨みを目の当たりにしていたからだった。逃げた由布姫は、道中、浪人者に襲われるが、そこに勘助が現れ、命を救われる。晴信の決意を知った勘助が由布姫を連れ戻しに来たのだった。勘助は浪人者を雇ったのは自分だと嘘をつき、姫の憎しみを敢えて自分に向かわせる。そうやって晴信の慈悲深さを由布姫に植え付けようとしたのだ…。
由布姫(柴本幸)は晴信(市川亀治郎)の側室となることを承諾した。三条夫人(池脇千鶴)は、由布姫に京から持参した笛を与えた。それは三条なりの姫への共感の証だった。諏訪と武田の結びつきを象徴する出来事を印象づけるため、晴信は姫を迎えるに当たって敢えて正式の祝言の形を取る。諏訪の旧臣は、晴信と勘助(内野聖陽)の狙い通り、その扱いを喜び武田家に忠誠を誓う。しかし、姫自身はいまだ武田への恨みを胸の奥に隠し持っていた。初めて、晴信と床を並べたその夜、姫は一晩中、笛を吹きあかし晴信を近づけようとしない。一方、姫の心を動かすことに成功したと信じた勘助は早くも次の戦の策を練るため信濃に向かう。姫の笛の音を耳にしながら旅立つ勘助。しかし、晴信と姫の寝所で起こっていたのは思いがけない出来事だった…。
天文12年(1543)9月。武田勢は信州長窪城を包囲した。勘助(内野聖陽)は力攻めを戒め、策を用いて城を落とそうと謀っていた。家老・諸角虎定(加藤武)が勘助を正式に軍師として用いるよう晴信(市川亀治郎)に進言する。晴信は城攻めが成功すれば勘助を軍師とすると決める。城に籠もっていたのは相木市兵衛(近藤芳正)を始めとする各地で武田に敗れた信州の豪族たちであり、その中に平蔵(佐藤隆太)とヒサ(水川あさみ)の姿もあった。しかし、その相木こそが勘助が城に送り込んだ裏切り者だった。武田勢は相木と呼応して瞬く間に城を落とす。策が当たった勘助はついに武田家軍師として認められた。しかし、武田家には気がかりなことが残っていた。由布姫(柴本幸)が晴信に心底から従わないことであった。晴信に愛情を感じる一方で武田への恨みを捨てきれず姫は苦しんでいた…。
由布姫(柴本幸)は亡父・諏訪頼重の供養と称して三条夫人(池脇千鶴)を寺参りに誘う。そこで姫が三条に勧めた甘酒を萩乃(浅田美代子)が飲み干した。毒が入っているのではと疑ったのだ。毒こそ入ってなかったものの由布姫の奇矯な言動に波紋が広がる。あくまで姫をかばう勘助(内野聖陽)は重臣たちから激しく非難される。大井夫人(風吹ジュン)は「そなたはもう武田家の人間」と諭すが姫は泣き崩れるばかり。晴信(市川亀治郎)は姫を諏訪に戻すことを決断する。家中の動揺を鎮めるとともに由布姫の心を落ち着かせるためであった。しかし、諏訪への道中、由布姫は隙を見て逃げ出してしまう。勘助は独り姫を求め雪中の諏訪を彷徨(さまよ)う…。
北条氏康(松井誠)は武蔵国で苦境に陥っていた。要衝・河越城を関東管領・上杉憲政(市川左團次)の大軍に包囲され敗色濃厚、このままでは三代に亘って築いた関東での覇権を失い、さらには滅亡さえ間近に迫っていた。勘助(内野聖陽)は僅かな兵を率い北条の援軍として河越に向かった。勘助の真の狙いは上杉家に仕える真田幸隆(佐々木蔵之介)と会い、武田へ仕えるよう説得することにあった。信濃攻略には真田の力が不可欠と見ていたのだ。浪人に変装し上杉の本陣に潜入する勘助。そこで見た上杉軍は勝利を確信し油断しきっていた。新興の北条に次々領地を奪われた憲政だったが今度こそ勝てるとみてのんびり包囲を続けていた。氏康から託された伝言を籠城する北条勢に伝えることに成功した勘助は、幸隆との再会を果たす…。
河越の夜戦で鉄砲で撃たれた勘助(内野聖陽)は真田幸隆(佐々木蔵之介)に命を救われ、幸隆が仮住まいする上野国の寺で傷を癒していた。幸隆は勘助の勧めに従い武田への仕官を決意していた。しかし武田は真田家を信濃から追い落とした仇敵であり、幸隆の妻・忍芽(清水美砂)や家臣団は猛反対する。一方、諏訪では勘助が撃たれたとは露知らぬ由布姫(柴本幸)に待望の男児・四郎(後の勝頼)が誕生していた。晴信(市川亀治郎)は勘助が或いは討ち死にしたのではと思っていたが由布の前では気遣って口にしない。由布から勘助がいたからこれまで負けなかったと言われた晴信は密かに反発し、勘助なしで戦いを進めることを決意する。同じ頃、越後では守護代・長尾家が下克上によって実権を握り、当主・晴景の弟、景虎(Gackt)が頭角を現しつつあった…。
由布姫(柴本幸)と晴信(市川亀治郎)の間に産まれた四郎(後の勝頼)を、勘助(内野聖陽)は諏訪家の跡継ぎにするため画策を始める。諏訪家の嫡男は晴信の甥・寅王丸。勘助は寅王丸を出家させ駿河の雪斎(伊武雅刀)に預けるとの案を出し、自ら駿河に向かう。今川義元(谷原章介)は、信虎に続いて武田は厄介者を押し付けると不満を示すが寿桂尼(藤村志保)は寅王丸は利用価値があると受け入れる。この一件は武田家に大きな波紋を起こした。大井夫人(風吹ジュン)は争いを避けるためには仕方がないと承諾するが、やがて武田家の跡継ぎをめぐって四郎と嫡男・太郎が争わないかと心配する。三条夫人(池脇千鶴)は太郎の家督が安泰であることを晴信に詰め寄るが、「誰に家督を譲るかは自分が決めることだ」と晴信は激情する。それは晴信がかつて父に言われた言葉そのものだった…。
信濃国佐久郡・志賀城主、笠原清繁(ダンカン)が武田に抗い兵を挙げた。佐久がいつまでも治まらないことに晴信(市川亀治郎)は苛立つ。村上義清(永島敏行)は笠原から援軍を要請された。武田についた筈の信濃衆、相木市兵衛(近藤芳正)がその村上を密かに訪れた。相木は、武田につく信濃衆を切り崩しているところなので、謀略がなった後に武田と戦って欲しいと請い、村上は笠原への援軍は見合わせる。勘助(内野聖陽)は相木に疑念を抱くが、それは村上の出陣を防ぐための晴信の謀略であった。武田軍が志賀城を討つために出陣すると、笠原を支援する関東管領の軍が信濃に侵入、しかし板垣(千葉真一)が迎え撃ち、援軍を大いに破った。今や志賀城降伏を促すべきと勘助は進言。晴信は、降伏させるにしても脅しが必要だと、討ち取った将兵の首を志賀城の周りに並べるよう命令を下す…。
志賀城を強引に攻め落とした晴信(市川亀治郎)は重臣を集め、いよいよ村上義清(永島敏行)と戦うことを宣言する。勘助(内野聖陽)は暗に諌めるが晴信にその言葉はもはや届かない。敢えて負けを味あわせることで晴信の眼を覚まさせようとするかの勘助の態度に甘利(竜雷太)は怒りを露わにし、どのような手を使っても勝つと言い放つ。合戦が続くことに領内からも不満が高まり、このまま信濃最強の村上と戦うことに板垣(千葉真一)は不安を覚える。一方、村上方の間者となって甲斐に潜入していた平蔵(佐藤隆太)は武田出陣の情報を持って信濃に向かう途上で何者かに捕らえられる。平蔵を泳がせて監視していた真田(佐々木蔵之介)や相木(近藤芳正)は捕らえた者が甘利の家臣と知り、疑念を募らせる。その甘利が突如、信濃に姿を現し、村上に面談を求めた…。
天文17年2月、晴信(市川亀治郎)は信濃に出陣、対する村上義清(永島敏行)も兵を挙げ、両軍は上田原で激突した。武田の先陣は板垣(千葉真一)、甘利(竜雷太)の両名。既に死を覚悟していた板垣は、勘助(内野聖陽)に「まことの軍師となれ」と遺言し、合戦では本陣にあって晴信を守るよう命じた。そして自分の兵のみで村上を討つべく突撃する。夜、甘利は予ねての約束通り武田を裏切り、単身、村上本陣に駆け込んだ。裏切りを知った晴信は激怒、しかし勘助はこれこそが甘利の策だと見抜いた。勘助の読み通り、甘利は隙を見て村上に斬りかかるが、平蔵(佐藤隆太)のとっさの矢に阻まれ、捕えられる。一方、板垣は深追いを禁じた晴信の命を無視して突出し、敵に囲まれていた。板垣を救うため全兵力で攻めかかる武田軍。同時に村上も総攻撃を命じた…。
上田原の合戦で武田は板垣(千葉真一)、甘利(竜雷太)の両雄を失った。初めての敗戦を認めたくない晴信(市川亀治郎)は陣の構えを崩そうとしなかったが、大井夫人(風吹ジュン)からの潔く負けを認めよとの手紙にようやく甲斐へ引き上げる。晴信は自問自答を繰り返し、敗北の原因が己の心そのものにあることにようやく気づいた。武田の敗戦により各地で反武田の動きが目立つようになり勘助(内野聖陽)はその対策に追われていた。信濃守護・小笠原長時(今井朋彦)は武田を怨む高遠頼継(上杉祥三)に焚き付けられ、反武田勢力を結集して諏訪の塩尻峠にいよいよ出陣する。対する武田は出陣こそしたものの、その動きは緩慢で敗戦の影を引きずっているようだった。しかし、それこそが敵の油断を誘う勘助の策だった…。
塩尻峠の戦いで晴信(市川亀治郎)、勘助(内野聖陽)が信濃守護・小笠原勢を打ち破ったと同じ頃、越後に新たな動きが起きていた。長尾家の家督争いが決着し、弟の景虎(Gackt)が兄・晴景から当主の座を譲り受けたのである。ただ、越後はいまだ群雄割拠が続き景虎は国内の統一を果たせないでいた。統一の鍵を握っていたのが宇佐美定満(緒形拳)だった。宇佐美は景虎が真に国主に相応しい男か見極めんと模様眺めを続けていた。信濃情勢が落ち着きを見せる中、勘助は旅に出た。新兵器・鉄砲こそが将来の合戦を左右すると見抜いた勘助は、その産地である根来寺に出向き百挺もの買付けに成功した。運搬には舟と港が必要とあって、駿河に立ち寄った勘助は港の借用を今川義元(谷原章介)に願い出る。その席で、北条氏康(松井誠)に追い詰められた関東管領・上杉憲政(市川左團次)に景虎が損得抜きで援軍を送ったと聞き、勘助は景虎に興味を抱く…。
勘助(内野聖陽)は鉄砲商人に扮し、偽名を使い長尾景虎(Gackt)に会う。十挺の鉄砲を用立てるという勘助に景虎は百挺用意するよう命じる。数が揃うまで勘助を人質にするというのだ。元々鉄砲を売るつもりなどない勘助は長尾家の内情を探る好機と喜んで人質となる。しかし、景虎は勘助を武田家の者と半ば見抜いていた。一方、晴信(市川亀治郎)は、村上方の砥石城攻略に出陣した。真田(佐々木蔵之介)の謀略の成功で村上(永島敏行)が劣勢にあると判断したのだ。晴信の出陣を知る由もない勘助は、景虎にお供して宇佐美定満(緒形拳)の居城に赴き、その城に留め置かれることになる。長尾家の軍門に下らず中立を保つ宇佐美を味方に引き入れたいと景虎は考えていた。勘助は景虎と宇佐美が手を結べば越後は難敵になると警戒する…。
鉄砲商人を装って越後に潜入した勘助(内野聖陽)だったが宇佐美定満(緒形拳)は、勘助の氏素性をすっかり見抜いていた。勘助を宇佐美に預けた景虎(Gackt)の狙いは、武田が越後を狙っていることを宇佐美に悟らせ、越後が一つにまとまる必要を訴える事にあった。宇佐美は景虎の器にほれ込み、遂に長尾家に仕えることを承諾する。甲斐では、勘助はもう戻らないと諦めが広がっていた。勘助を救うためには景虎の要求通り、鉄砲百挺を越後に届けねばならないが、先に買い付けた百挺は既に砥石の大敗で失われていた。そんな中、大井夫人(風吹ジュン)が病に倒れた。病床にあって夫人は晴信(市川亀治郎)に勘助を救うようにと訴えかける。宇佐美を得たことによっていよいよ、景虎は越後統一に乗り出した…。
越後で捕われていた勘助(内野聖陽)は晴信(市川亀治郎)によって救われ甲斐へ戻った。勘助不在の間に武田は村上義清(永島敏行)に大敗、その原因を作った真田幸隆(佐々木蔵之介)に対する家中の視線は冷ややかだった。難攻不落の砥石城を攻略して汚名をそそぐ以外に真田が生き残る道はなかった。そんな真田に勘助は秘策を伝授する。村上方に属する真田の弟・常田隆永(橋本じゅん)を武田に寝返らせるというのだ。そのためには兄弟の主家・海野家を晴信の手によって再興する必要があった。真田は晴信の了承を得て、上州で海野家の姫を守っている河原隆正(河西健司)に使者を送る。河原は忍芽(清水美砂)の兄なのだが武田を憎んでいた。兄が了承するはずはないと考えた忍芽は常田の屋敷に乗り込む。そして自らの命と引き換えに真田についてくれと懇願するが常田は応ぜず、勝手に自害すればよいと冷たく言い放つ…。
勘助(内野聖陽)は原虎胤(宍戸開)から突然、妻をめとるよう勧められる。紹介されたのは原の娘・リツ(前田亜季)。リツは以前から勘助に恋していたようで、その熱烈さに勘助はあきれ返る。長らく訪ねていなかった由布姫(柴本幸)に会いに諏訪に向かう勘助は道中、美しい姫を守る不審な一行に出会う。姫は武田の一族で晴信(市川亀治郎)の命で甲府に向かう途中という。晴信に側室がいるとリツから聞かされていた勘助はその於琴姫(紺野まひる)こそが新しい側室ではと疑惑を抱く。晴信の訪れもなく時間をもてあましていた由布姫は勘助から大井夫人(風吹ジュン)が病いと聞き甲府に見舞いに出向きたいという。由布姫を連れ甲府に戻った勘助は側室について晴信を問い質す…。
自らの死が近いことを悟った大井夫人(風吹ジュン)は初めて勘助(内野聖陽)を呼びつけ、晴信(市川亀治郎)の行く末を勘助に託す。同じ頃、関東管領・上杉憲政(市川左團次)は新興の北条氏康(松井誠)に追い詰められていた。家老・長野業政(小市慢太郎)の進言に従い、憲政は長尾景虎(Gackt)を頼って越後へ落ち延びることを決意する。いよいよ関東制覇を目前とする氏康の元を勘助が訪れた。武田・今川・北条の三国同盟を結ぶよう氏康に打診するためだった。武田と北条が同盟を結べば、越後の長尾に共同で対抗できると勘助は考えていた。一方、越後に落ちた憲政を景虎は手厚く保護し、いずれ氏康を討つと約束する。甲斐に戻った勘助は、晴信の娘を北条家に嫁がせるよう進言する…。
晴信(市川亀治郎)はいよいよ信濃の仇敵、村上義清(永島敏行)を討伐すべく軍を起こした。勘助(内野聖陽)を中心とした調略が功を奏し信濃の領主たちは次々と戦わずして降伏し、村上はたちまち孤立した。二度に亘って武田を破りながら村上は策略によって追い詰められたのだった。勝ち目がないと悟った村上は長尾景虎(Gackt)を頼って越後に落ちることを決意する。村上は、自らは敵中突破を試み、妻の玉ノ井(中島ひろ子)にはより安全な道を行くことを命じた。妻の一行には平蔵(佐藤隆太)の子をお腹に宿したヒサ(水川あさみ)の姿があった。しかし、思惑とは逆に妻の一行の行く手には、戦意に燃える馬場信春(高橋和也)の軍勢が待ち構えていた…。
天文22年8月、長尾景虎(Gackt)率いる越後勢が信濃川中島に出陣した。第一次川中島の戦いが勃発したのである。景虎の勢いは凄まじく、次々と武田に属する城を落としていった。その狙いは晴信(市川亀治郎)の首にあると見た勘助(内野聖陽)は反撃策を退け、なるべく南に景虎を引きずり込み、武田領で孤立した越後勢を討つ策を立てる。景虎の目標はかつての村上義清の本拠地・坂木と見た勘助は、そこでの反撃を計画していた。しかし、景虎の軍師・宇佐美(緒形拳)は勘助の狙いを見破り、武田の信濃の拠点・深志城方面へ進路を転じた。深志を狙えば、晴信の本軍をおびき出せると見たのだ。深志の手前には諸角(加藤武)の守る城があったが晴信は撤退を命じた…。
長尾景虎(Gackt)との初対決を終えた晴信(市川亀治郎)は久々に諏訪の由布姫(柴本幸)を訪れた。勘助(内野聖陽)とリツ(前田亜季)の結婚話を晴信が進めていると聞き、由布は複雑な思いを抱く。天文22年の冬、景虎は官位を賜った御礼を述べるため京へ上洛の途についた。この好機を見計らって勘助はかねてからの構想である三国同盟の実現に乗り出す。既に武田と今川は盟約を結んでいたが、今川と北条は仇敵の間柄。その両者を和解させるために勘助は敢えて北条に挙兵を促す。尾張で戦いの最中にある今川は背後を北条に突かれれば武田の仲介に応じるしかない。その機に乗じて一気に三国同盟を成立させるのが勘助の策だった。北条出兵の知らせに雪斎(伊武雅刀)は勘助の策に乗るしかないと悟り、積極的に同盟成立に動く…。
由布姫の死は勘助(内野聖陽)の心に深い傷を残した。そして最後に言い残した「嫁を取り、跡継ぎをつくるのです」という言葉が重く響いていた。迷いを振り切るため晴信(市川亀治郎)に置手紙を残し、勘助は旅に出た。一方、長尾景虎(Gackt)の下で統一された越後では、長く戦乱が続いた名残りで豪族同士の領地争いが絶え間なかった。いがみ合う家臣たちに失望し、景虎は突如出奔してしまう。勘助が向かったのは霊場・高野山。若き勘助が守り神である摩利支天を授かった地であった。かつて教えを受けた高僧・清胤(佐藤慶)と旧交を温めていた勘助は意外な人物に出会う。越後を出奔した景虎だった。何故、景虎がここにいるのか、探る勘助を刺客と思い込んだ景虎は護身用の仕込み杖で襲い掛かる。
勘助(内野聖陽)はリツ(前田亜季)を養女に迎え、婿を取らせることとした。勘助に恋するリツは渋々ながら従った。長尾の重臣・大熊を寝返らせることに成功した晴信(市川亀治郎)は勢いに乗って、北信濃の長尾勢力の一掃を図った。越後の深い雪に閉ざされ身動きがとれなかった景虎(Gackt)が兵を挙げたのは翌弘治三年の春。しかし武田は決戦を避けたため、景虎は戦果をあげることはできなかった。この武田、長尾の対決は思わぬ形で決着した。時の将軍、足利義輝が両者に和議を結ぶよう命じたのだ。晴信は信濃守護の職と引き換えに受け入れたが、景虎は信濃出兵の大義名分を失った。関東管領・上杉憲政(市川左團次)が救いの手を差し伸べた。景虎を養子に迎え、関東管領職を譲ろうと申し出たのだ。管領は守護より上位、景虎は再び武田を討つ名分を得た。景虎は、将軍より関東管領を継ぐ承諾を得るため上洛することを決意する…。
平蔵(佐藤隆太)は宇佐美(緒形拳)の策に従い駿河へ向かった。今川家に預けられている諏訪家の遺児・寅王丸(柄本佑)に会い、武田へ怨みを抱くよう仕向けるためだった。寿桂尼(藤村志保)は平蔵が寅王丸に会うことを許す。出家し長笈(ちょうきゅう)と名乗っていた寅王丸は、父・諏訪頼重が自分の家督相続を条件に切腹させられたこと、姉・由布姫が信玄の側室となって子をなした後、見捨てられて死んだことを聞かされ憎悪をたぎらせる。甲斐へ向かうことを黙認された寅王丸は平蔵とともに出奔した。もし、仇討ちが成功すれば武田の家督は今川の姫と結婚した嫡男・義信(木村了)が継ぐことになる。失敗しても失うものはない。それが寿桂尼の計算だった。勘助(内野聖陽)は信玄(市川亀治郎)のもとに見知らぬ若い僧侶が出入りしていると聞き不審を抱く…。
宇佐美(緒形拳)の信玄暗殺の謀略は失敗し平蔵(佐藤隆太)は越後へ逃げた。勘助(内野聖陽)は同盟を結びながら策を黙認した寿桂尼(藤村志保)、ひいては今川家に不審感を募らせる。永禄3年(1560)、今川義元(谷原章介)は上洛を決意、大軍を率いて織田氏が支配する尾張へ出兵することを決めた。勘助は信玄(市川亀治郎)に、織田が勝つには義元の首を取るほかないと語り、密かに策を練り始める。義元軍の進路を探り、桶狭間という地を織田方がさかんに調べていることを知ると、勘助は単身、駿河を訪れた。勘助は義元が進路に迷っていることを聞き、桶狭間を通らない行程を進言する。五月、今川軍は出陣、圧倒的な戦力で尾張に入った。しかし、義元はいまだに進路を迷っていた。勘助を毛嫌いする義元は最終的に勘助の進言とは逆の道を選んだ…。
永禄3年(1560)、長尾景虎(Gackt)は遂に上杉憲政(市川左團次)を奉じて関東に出陣した。北条氏康(松井誠)を倒し、関東の旧秩序を回復するのが目的だった。同じ頃、由布の忘れ形見・四郎(池松壮亮)が元服し、諏訪勝頼を名乗ることとなり、勘助(内野聖陽)は感激とともに来たる越後勢との決戦に向け身を引き締めた。上野国に進撃した景虎のもとには関東の武将がはせ参じ、たちまち十万もの大勢力となった。勝利の暁には憲政より関東管領職を譲り受ける約束の景虎だが、いつしか驕りが生じていることを宇佐美(緒形拳)は危ぶんでいた。景虎は武蔵国忍城を治める成田長泰(利重剛)の妻・伊勢(井川遥)に心を奪われ、人質として同行するよう命じる。大勢力となった景虎の軍は、一気に北条の本拠地・小田原城を囲んだ。しかし、それこそ氏康の思う壺であった…。
関東管領を継いだ上杉政虎(Gackt)は、その就任式の帰路、馬を降りて挨拶しなかった成田長泰(利重剛)を無礼であると激怒、鞭で打ち据えた。しかし、成田は下馬せずに挨拶することを古来許されてきた名門だった。怒った成田は人質となっていた妻・伊勢(井川遥)を残し兵を引き上げた。残された伊勢は古来からの慣例を知らぬ政虎の無知と短慮を罵った。小田原の包囲が長引き、動揺していた関東の武将も次々に逃げ出し、政虎の関東統一は失敗に終わり、北条氏康(松井誠)は危地を脱した。政虎は知らず知らずのうちに慢心していたことを悟り、武田との決戦に思いを新たにした。勘助(内野聖陽)もいよいよ決戦が近いことを悟り、養女としたリツ(前田亜季)に香坂弾正(田中幸太朗)との祝言を勧める。そして遂に決戦の時がやってきた…。
永禄4年(1561)8月、政虎(Gackt:ガクト)率いる上杉軍は川中島に向けて出陣した。知らせを受けた信玄(市川亀治郎)は直ちに出陣を決意。勘助(内野聖陽)はリツ(前田亜季)に見送られ、いよいよ決戦に旅立つ。途上、勘助は諏訪に立ち寄った。由布姫(柴本幸)の一粒種・勝頼(池松壮亮)の初陣を墓前に報告するためだった。勘助はそこで由布の幻影を見た。由布は「いってはならぬ」と勘助の袖を引き、悲しげにかぶりをふった。勘助は張り切って現れた勝頼に、とっさに嘘をつき領内にとどめることとした。川中島では政虎は、敢えて武田領に深く入り込む形で妻女山に登り陣を布いていた。勘助は武田軍をおびきだそうという政虎の意図を見抜き、先制攻撃は不利と見、両軍はにらみ合いの形となった。対陣が二週間に及んだ9月9日、思いがけない知らせが届いた…。
不思議な老婆・おふく(緑魔子)から明日、川中島に深い霧が出ると聞いた勘助(内野聖陽)は遂に動く時と判断した。全軍を二手に分け、一万二千の別働隊が、上杉軍が布陣する妻女山を背後から襲う。信玄(市川亀治郎)の率いる八千の本隊は麓で待ち構え、追い落とされた敵を別働隊とともに挟み討つ。これが勘助の立てた「啄木鳥の戦法」だった。しかし、その策は宇佐美(緒形拳)に見抜かれていた。しかも、宇佐美は明日、霧が出るという情報を同じようにおふくから得ていた。武田の籠もる海津城に飯炊きの煙が上がるのを見た政虎(ガクト)は敵が動くと確信する。深い霧の中、異変に気づいたのは武田の別働隊だった。奇襲のつもりで攻め入った妻女山がもぬけの殻だったのだ。朝を迎え、霧が晴れ始めた川中島で勘助は前方に信じられないものを見た。それは「車懸かりの戦法」で武田陣に殺到する上杉軍一万三千だった…。
永禄4年9月10日。川中島での武田、上杉両軍の死闘はそのピークを迎えていた。軍勢を二手に分けて挟み討つ勘助(内野聖陽)の「啄木鳥(きつつき)の戦法」は宇佐美(緒形拳)によって見破られ、政虎(ガクト)率いる上杉軍は「車懸かりの戦法」で武田の本隊に襲い掛かった。信玄(市川亀治郎)は弟信繁、重臣諸角を失い、武田軍は崩壊の危機にあった。しかし、上杉本陣に向かっていた武田の別働隊が戦に参加すれば戦況は一気に逆転する。別働隊の復帰を信玄は本陣で待った。武田勢の予想以上の粘りに宇佐美は撤退を進言したが政虎は聞き入れず、自ら武田本陣に向かう。それを見た勘助も手勢を率いて突撃した。宇佐美は勘助に共に兵を引くよう叫ぶが鬼神と化した勘助は宇佐美に斬りかかる。一頭の白馬が乱戦を突き抜けて、信玄の本陣に向かった。政虎は、単騎本陣に飛び込み、信玄に太刀を振り下ろす…。