シリーズコロナ第3弾・・・テーマは「祈」。人々の心を豊かにしてきた音楽も伝統芸能もコロナ禍で窮地に陥っていた。福岡市の九州交響楽団では去年、多くの公演が中止・延期となり、創立以来、最大の危機に。全国有数の神楽どころ広島県の安芸高田市では祭りや観光施設での神楽上演が中止に追い込まれた。不要不急とされたものを奏で、演じてきた自分たちにできることは何か?新たな年に向け、彼らは祈る。音楽で、神楽で、病魔退散を。かけがえのない日常が再び戻ることを。
2020年4月、札幌市内の介護老人保健施設で新型コロナウイルスの集団感染が発生し、100人近くが感染し17人が命を落としました。当時、応援に入った看護師は「医療も介護も崩壊していた」と証言。内部調査文書には「救急車を呼んでも来ない」「40人を1人で見なければならない」といった当時の混乱ぶりが記されていました。11月には旭川市内の複数の医療機関でも集団感染が発生。教訓はいかされたのでしょうか。
神戸でライブハウスを経営する松原裕さん。音楽の力で阪神・淡路大震災の“恩返し”をするため、チャリティフェスティバル「カミングコウベ」を立ち上げた。震災の教訓を伝え、「支援の輪」を広げ続けた松原さんに、突然告げられた末期がん。震災を知る世代として、2人の息子がいる父として、限られた時間の中で、彼が次世代に遺した想いとは?全力で走り抜けた彼の姿を通して改めて震災への向き合い方を考えます。
地域の誰もがそらで歌える校歌が金沢にある。郷土の詩人・室生犀星が作詞、山田耕筰が作曲した小将町中学校の校歌。「人は人より学び 人は人をみちびく」歌詞に込められたのは、人と人との絆の大切さ。しかし、コロナ禍の学校では、人と距離を置くことが強いられている。学校行事の中止で校歌を歌う機会が失われる中、生徒たちは偉人たちが校歌に残した思いを知る。奪われた日常を校歌で取り戻したい。学び舎に今、歌声が響き渡る。
新型コロナウイルスで1日に3000人超が亡くなっていくアメリカ。コロナ患者専用のICUを持つテキサス州の医療センターの内部取材が日本メディアとして初めて許可された。防護服に身を包んでの4日間で見えたのは、容体が急変する新型コロナウイルスの恐ろしさ、日々現場で向き合う医療従事者の終わりの見えない闘い。ICU内部の「生と死の音」を通じて、いま何をすべきかを改めて考えるきっかけを投げかけたい。
ペットの枠を超えパートナーとして飼い主の人生に寄り添う愛犬たち。医療の進歩などで寿命はかつての1.5倍に伸び、高齢化で介護を必要とする犬も増えているという。そんな高齢犬を専門に預かる施設が福岡県古賀市のアスルだ。飼い主も高齢の“老々介護”の末預けられた飼い犬や、殺処分予定だったのをボランティアで引き取られた元保護犬が暮らす。「輝くような時間を作ってあげたい。」命に最後まで向き合う日々を追った。
日本中が歓喜した小惑星探査機「はやぶさ2」の地球への帰還。その長い旅路の裏側で、日本の宇宙開発の未来を占う、もうひとつの挑戦が進められていた。それは、27年ぶりの新型ロケット「H3」の開発。開発者は言う。「エンジン開発には魔物が潜む」と。H3ロケットに搭載される新型エンジンの開発過程に“魔物“は現れるのか。独占取材映像をふんだんに交え、魔物の影と、そして総開発費1900億円の重圧と戦う開発者たちの姿に迫った。
広島県竹原市の沖に浮かぶ大久野島。ウサギの楽園として知られるこの島では戦時中、日本軍の毒ガスが作られていた。製造に携わった94歳の元工員が抱える苦悩と葛藤。毒ガスが使用された中国の村では、今も悲痛な苦しみを抱えて生きる人たちがいた。毒ガスはなぜ製造され、使われたのか。毒ガスを使用した日本軍の記録と、元兵士の肉声が残されていた。毒ガスを使われた者、毒ガスを作り、使った者、それぞれの心に残る傷痕とは。
熊本で暮らす七男三女の岸さん家族。英治さん、信子さん夫婦の子育てはアイデアいっぱいで、笑顔が絶えません。そんな岸家に様々な困難が襲いかかります。自宅が全焼し、熊本地震では被災、去年は信子さんが入院。それでもチームワークと笑顔で乗り越えます。「幸せは更新できる!」と話す信子さん。子ども達の多くが巣立ち、夫婦2人だけになる日も遠くありません。大家族を追った20年を通して「家族の絆」を考えます。
原発事故で故郷と引き裂かれ、逃げた先にまた原発が…。福島・浪江町から新潟・柏崎市に避難し、2つの場所が“ふるさと”となった谷田きよさんにテレビ新潟はカメラを向けてきた。避難先で夫と死別。人との出会いを求め居酒屋を始める中、客が交わす原発是非の議論に抱いた思いとは。彼女の波乱の人生をたどりながら原発事故とは何だったのか、「原発」について多くの人々が胸に秘める思いとは何かを浮かび上がらせる。
東日本大震災10年…大津波を逃れた当時中学生だった少女は…犠牲になった人たちを思い、災害と向き合う道を選んだ。瓦礫の中で耐え抜き9日後に救出された少年は、震災を考える事から避けるようになったが…語り部となった。原発事故で故郷を追われた少年は、福島を伝え続けるため、報道記者になった。岩手・宮城・福島の共同制作で、彼らの成長を、当時の映像を織り込みながら伝える。そして「いま、伝えたいこと」を聞く。
福島を襲った東日本大震災、そして原発事故。福島の親たちは「外遊びに出せない」「県産食材を食べさせられない」「将来、差別を受けるかもしれない」そんな思いを抱えつつも、「きっと大丈夫」「私が守りぬく」と心に言い聞かせながら、子育てを続けてきた。あれから10年…迷い、葛藤しつづけた親たちが語るのは「子どもがいたから、やってこられた」。子育てを通して、あらためて福島の「今」を見つめる。
滋賀県木之本町にある県立伊香高校野球部。脳性麻痺のある山本陸さん(18)はマネジャー。入部のきっかけはエースの隼瀬一樹さん(18)の一言だった。「野球が好きなら障害があるかどうかは関係ない」2020年、新型コロナウイルスの影響で、夏の甲子園大会は戦後初の中止に。逆境の中、滋賀県の高校では、仲間とともに前を向き、白球を追いかける球児の姿があった。彼らが見つけた人生の選択そして、“絆”とはー。
外国人技能実習制度とは本来、途上国の若者らが、日本で様々な技術を学びそれを母国の発展に活かすという制度。しかし技能実習生は、人手不足を補う貴重な労働力となっているケースが多く、その数は40万人を超えている。その一方で、労働環境には問題が多く、長時間労働や賃金未払、暴言といったケースが、後を絶たない。彼らにとって日本は「夢見た国」のはずだった。そこで流されるいくつもの涙。この国で彼らがみたものとは。
東日本大震災で児童74人が死亡した宮城県石巻市の大川小学校。あの日から10年。何が変わったのか。司法は踏み込んだ。学校と石巻市の事前防災の不備を指摘し、組織的過失を認めた仙台高裁判決が確定した。「シンプルに小さな命と向き合えていますか?」。当時別の学校の教諭だったある遺族は新任の校長先生たちに呼びかける。災害大国日本では必ずその時がやってくる。悲劇を“せめて”教訓に…。子どもの命の砦となるために。
強盗殺人犯として逮捕された男。検察は都合の良い証拠だけを使い無期懲役判決が下る。29年間投獄された男は、仮釈放から14年後にようやく無罪となった。この「布川事件」で潔白を勝ち取った男だったが、今度はがんにより余命一年の宣告を受けた。今、残された時間で冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている。事件を20年以上追跡してきた日本テレビの映像により壮絶な人生に迫る。
長野県の松本深志高校を1976年に卒業した3年8組だけは、卒業から40年以上たっても、年に1度母校に集うホームルームを開く。教壇には、伍朗ちゃんと呼ばれるかつての担任、小さな机につくのは社長や官僚、教師などになった大人たち。毎回、伍朗ちゃんから哲学の話を聞き、人生を語り合う。いくつになっても戻りたい、まさに“ホーム”な空間だ。この教室から、戦後日本に導入されたホームルームの本質が見えてくる。
息子さんが事故に遭いました、即死です―深夜2時半、電話で知らされた突然の死。10年前、山本美也子さん(52)は長男・寛大さん(当時16)を飲酒運転の車に奪われました。「飲酒運転は殺人です」美也子さんは、事故の直後から悲しみを胸に秘め訴え続けてきました。しかし、いわれのない誹謗中傷を受け、心が折れそうになったことも。それでも、我が子に誓いました「飲酒運転をゼロにする」。母は、あきらめずに前へ。
「ギャンブル依存の弟を何とかしてほしい」。報道部にかかってきた1本の電話。取材班がみたのは、年金を使い果たし食べるものにも事欠く高齢男性。状況は深刻だった。依存症患者の高齢化。「貧困」「孤独」そして「病」が付きまとう。パチンコに2000万円つぎこんだ元高校教師。依存症治療の最中、糖尿病の影響で両目の視力をほぼ失った。戻ってこない金と時間。ギャンブル依存の果てに、患者はいま何を思うのか?
プロレスラーの木村花さんが、ネットでの誹謗中傷を苦に命を絶ってから1年。しかし、その後も匿名の悪質な書き込みは絶えない。そこで今、沈黙していた被害者たちが、書き込んだ相手を探し出そうと動きだした。番組では、去年5月に被害を受けた一人の男性に密着。プロバイダーとの攻防や長期に渡る民事裁判を通して、匿名によって見えない存在だった相手の個人情報にたどり着くまでの一部始終を取材した。
新潟県の魚沼地方は国内屈指の高級米の産地だ。この地でコメを作る小林利栄さんはコシヒカリに強いこだわりがある。父が「魚沼コシヒカリ」誕生に深く関わったからだ。ただ暑さに弱いコシヒカリは近年の猛暑で品質に影響を受けることも。そうした中、全国の産地は暑さに強い品種を開発しブランド力で魚沼を追う。これからもトップブランドを守り、この地で美味しいコシヒカリを作り続けられるのか。コメ農家の誇りと葛藤を描く。
43人が犠牲となった雲仙普賢岳の大火砕流から30年。多くの報道関係者を亡くした取材拠点「定点」は、地元住民のマスコミに対する感情もあり、ほぼ当時のまま放置されていた。節目の今年、地元有志らによって被災車両などが掘り起こされ、遺構として整備された。複雑な思いを抱え続けてきた地元遺族と「命を守る報道」を模索してきた記者。「定点」を巡る思いと、そこから語り継いでいくべき災害の教訓を考える。
“読み書き障がい”と言われる“ディスレクシア”。「学習は文字から」という社会の習慣からうまれた障がいだ。当事者は学習のチャンスや、学校生活さえ奪われることもある。「紙と鉛筆」以外の学習ツールで、彼らの可能性は広がる。たとえばタブレットがあれば、文字の変更、音読だって自動でできる。そして、周りの理解で、ディスレクシアは障がいではなくなる。2人の青年の経験から、ラーニングダイバーシティ(学習の多様化)を考える。
広島地方裁判所の刑事第一部。通称“イチケイ”で働く任官4年目の判事補に異例の密着取材が許された。任官5年に満たない“見習い裁判官”。普段は入ることのできない裁判官室や自宅、裁判員裁判の裏側…。その日常にカメラを向けると、法廷では見せない意外な素顔が見えてきた。1年半に及ぶ取材から、人が人を裁く裁判官の姿を見つめる。【制作:広島テレビ】
「同意のない性行為を犯罪に」今、性被害者らが刑法改正を求めて声を上げている。なぜなら今の性犯罪の刑法には「暴行・脅迫を用いたもの」などの規定があり、性被害の実態に見合っていないからだ。一方、冤罪のリスクなどを理由に反対の声も。国は、刑法改正の議論を進めている。他にも「性交同意年齢」「時効」など課題は山積みだ。「私たちは、どんな法律を、どんな社会を選ぶべきか」。被害者や専門家への取材を通じて考える。
「中学校のクラスに2人程度」が家族の介護や世話を担うヤングケアラーという衝撃的な数字。今年4月、政府の実態調査で明らかになった。取材で見えてきたのは苦しみを打ち明けられず孤立していく実態。小学生の時から始まった長期のケアが学業や人間関係、就職に深刻な影響を及ぼし人生の選択を狭めるケースもあった。経験者の語りから探る支援へのヒント。ヤングケアラーたちが自分の人生を生きるためにあなたは何ができますか。
NNNドキュメント NNNドキュメントとは Outline 過去の放送内容一覧 Backnumber ご意見・ご感想 Feedback 放送内容2021年7月18日(日) 25:05【拡大枠】 遺族とマスコミ ~京アニ事件が投げかけた問い~ 36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件から2年。警察が犠牲者の名前を発表した際に示された“遺族の意向”。マスコミはその意志に反し、実名を報じ、遺族取材の在り方に至るまで報道の姿勢を厳しく問われた。実名報道や取材を“承諾”した遺族の言葉。「勝手に知らされるべきものなのか」と“拒否”を主張した遺族の訴え。過去の事件や専門家の分析にも耳を傾け、『遺族とマスコミ』の在り方を考える。
性暴力被害者がつらい記憶から一歩踏み出せるのは、どんな支えがあったときなのか。大学生の女性は、高校時代の性被害を仲間に告白し、自分にしか語れないメッセージを伝え始めた。元上司から性被害にあった写真家の女性は、自分自身、そして同じ性被害者の心情をフィルムで表現する。口にしたのは『あの日から世界はモノクロ』…。2人の女性が、被害の影響に苦しみながらも社会へと歩みだす姿を追った。
JR広島駅周辺は再開発が進む。この地区の道端に、朽ちて忘れられた手押しの水汲みポンプがある。76年前の原爆を乗り越えた「被爆ポンプ」だ。たった一人でポンプの保存活動をした被爆2世。被爆2世がポンプに残したメモに気づき、絵本を書いた少女。少女がきっかけで原爆の記憶を初めて語った被爆者。偶然ポンプに気づいた人々により、その知られざる歴史が紐解かれる。今、被爆ポンプが私たちに語りかけることとは。
2020年、春。コロナ禍で全国のすべての学校が一斉休校になった。東京でも初の緊急事態宣言が発令され、街から人影は消えた。日本テレビの報道カメラは、前代未聞の最中、都内の小学校6年1組に長期取材。新1年生の歓迎会はリモート。全員マスクで給食は黙食。そんな中で先生も子どもたちも考えた。楽しみにしている移動教室は?運動会は?卒業式は?自分たちでできることって何だろう?
アメリカ人のメアリー(29)。大学生のとき訪れた長崎と広島で祖国が投下した原爆の惨状を知りました。「自分たちは恨まれているのではないか?」そう感じていた彼女は憎しみを置いたまま前へ進もうとする被爆者たちと出会い、広島平和記念公園でピースガイドを始めます。被爆から76年、被爆者の声が直接聴けなくなっていく中、彼女は国を超え、世代を超えて伝え続けます。繰り返してはいけないこと、忘れてはいけないことを。
瀬戸内海がゴミで溢れている。正体はプラスチックゴミだ。そのゴミを拾い続ける岩田功次さん60歳。「潮や風で集められたゴミスポットのゴミを拾い続ければ、海のゴミはなくなる」。そのスポットは瀬戸内海に500か所あるという。ほとんどの場所は陸から見ることができない。誰も知らない間に、日本最大の内海がゴミ箱と化している。累々と重なるプラスチックゴミの山に挑む岩田さん。この美しい海はゴミ箱じゃない。
大阪教育大学附属池田小学校の乱入殺傷事件から20年。8人の子供が犠牲になった事件の後、全国の小学校では、設備の安全や、子供を守るためのマニュアル、研修などが導入されている。しかし、幼い命が犠牲になる事件は後を絶たない。「子どもたちを守ることができなかった…」当時の教師たちの深い後悔から生まれた「学校の安全」への誓い。事件当時在校生だったディレクターが、現状と課題を取材する。
鳥取市の長谷川奨くん(13)。生まれつき動かなかった両足を手術で切断しました。両親の願いは「障がいがあることを隠してほしくないー。」家族の支えと持ち前の明るい性格で壁を乗り越えています。車いすバスケなどやりたい事はなんでも挑戦。「障がい者がどういうことができるのか知ってほしい!」奨くんは聖火ランナーに応募。新型コロナによる1年延期。開催への賛否が飛び交う中、笑顔で前へ進み続けた奨くんの記録。
富山県にある大道芸人の会社。コロナ禍でイベントの仕事は、ほぼゼロになった。そんななか、社長の田辺桂也さんがひらめいたのが“ご当地ヒーロープロジェクト”。女性パフォーマーの雫さん扮する“きときと戦士キットムーン”の動画配信やショーで子どもたちに笑顔を届けようという取り組みだ。不要不急とされたエンターテーメントの力を信じて“笑顔”をキーワードに自分たちの存在意義をもかけた大道芸人たちの挑戦が始まった。
2008年、経済連携協定(EPA)に基づいて介護福祉士候補生として日本にやってきたインドネシア人のロフマンさん。来日4年目に介護士の国家資格を取得し、延べ13年、お年寄りと向き合った。国は、団塊の世代が75歳以上となる2025年度に約32万人の介護人材が不足すると試算。少子高齢化は予想以上の速さで進む。ロフマンさんは売り手市場となっている日本の介護現場に、あるビジネスを見出す———。
ネイリストの中野由佳さんは5年前、交通事故で車いす生活となり、手にもマヒが残った。仕事の継続も難しくなり、生きる意味さえ見失った彼女が病室で掲げた2つの夢は「必ず歩く」「仕事復帰」。嫌な思い出を塗り替えたいと、事故からちょうど2年の日に広島県三次市の実家にネイルサロンを開く計画を立てた。大事なものは一つも無くしたくない―。様々な壁にぶつかっても決して諦めず、挑戦を続ける由佳さんの2000日の記録。
間違った判断は多くの犠牲を生む。判断を下した者が倒れた後もその判断は生き残り、犠牲は拡大し続ける― 76年前に多くの犠牲者を出した沖縄戦。これを指揮した牛島満司令官。牛島司令官は「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と命令を下し自決した。住民を巻き込んだ終わりなき沖縄戦の始まりとされている。祖父はなぜ非情な命令を決断したのか。司令官の孫は今、祖父の決断の責任を自ら問い続け、何度も沖縄を訪れる。
福岡市で老舗提灯店を営んでいた伊藤半次さん。32歳で沖縄で戦死するまで得意な絵を添えた絵手紙を戦地から送り続けました。兵士たちの日常や家族への思いが描かれた手紙は400通におよびます。孫の博文さん(52)は手紙を頼りに祖父の足跡をたどり、手紙が途絶えた激戦の地、沖縄へ。家族を守るために戦い、戦地で生き抜こうとした祖父の姿が浮かび上がります。絵手紙が伝える戦争と絵手紙で願った平和の尊さを見つめます。
戦後、約57万人を超える日本人がソ連に捕えられ約5万5千人が凍土と化した「シベリア抑留」。体験者が減少する中、語り部活動を続けてき京都府綾部市の原田二郎さん。5年前、かつての抑留地のロシア・ハバロフスク市を訪れ、ノルマに追われながらも懸命に生きた証「赤レンガ」との“再会”を果たした。「シベリア抑留」という言葉さえ知らない人が増えている現代。今年夏、96歳で人生を閉じた古老が残したメッセージとは。
35年にわたり自宅にひきこもる54歳の娘。市営団地で一緒に暮らすのは92歳の父。暮らしの支えは、父の退職金と年金。そんな状況の中、去年末に「お父さんが亡くなった」と娘から記者に電話が。高齢化するひきこもり家族にとって、いずれ来るとわかっていたその日。そして偶然見つかった遺書。ひきこもりから脱却し自立するため、娘は54歳にして人生初の1人暮らしを始めた。しかしそこには多くの壁が・・・。
大阪の進学校、府立箕面高校。注目を集める強豪ダンス部 = 通称「みのだん」。副部長のリュウキは、幼いころからダンスを続けてきたエース。毎年春、両国国技館で日本一を決める大会「ハイダン」を目指し、仲間とともに練習に励んでいた。しかし、新型コロナウイルスの猛威は夢を追う部員たちをも襲い、まさかの出場辞退を余儀なくされた。コロナ禍の時代に翻弄された、高校ダンス部の1年間に密着した。
コロナ禍で休業や廃業する旅館が相次いだ石川県の加賀温泉郷。その一つ片山津温泉の旅館では感染拡大の波で窮地に立たされるが、厳しい資金繰りの中、従業員が一丸となって創意工夫し難局に立ち向かう。温泉郷の別の旅館ではコロナ対応の特別融資を生かし施設をリニューアル。今後を見据えた勝負に出た。多くのものが失われた一方、コロナ禍で気づき、変わろうとする人々。座して待つより…と苦境の中で前を向く温泉地の姿を追う。
野球がしたい!その思いで全国から女子高生が集まる広島県立佐伯高校。全校生徒74人のうち14人が「女子硬式野球部」に所属する。主将の齊藤きらりさんは岡山県出身。小学生からソフトボールを続けてきたが、野球への思いを断ち切ることはできなかった。創部7年目の佐伯ナインは、まだ公式戦で勝ったことはない。応援してくれる人のために初勝利を…青春のすべてを野球に捧げた女子高生の笑顔と涙の1年を追った。
福井県に暮らす菴連也さん(20)。生まれながらに高IgD症候群という全身に激しい炎症が起きる難病を患い、感染症を防ぐためにマスクが欠かせない生活を送ってきました。それでも、家族や仲間に支えられ、自らの可能性を信じていくつもの壁を乗り越えてきました。連也さんが大切にしてきたのは『人との出会いとつながり』。多くの人が何かをあきらめ、我慢を強いられたコロナ禍の今、連也さんの生き方が私たちの心に響きます。
去年12月、元死刑囚が息を引き取った。免田栄95歳。初の「死刑冤罪」として知られる免田事件の主人公は、人生の三分の一を拘置所の中で死刑と隣り合わせに暮らした。当時免田が死刑におびえつつ獄中でつづった膨大な手紙や手記を元に今も取材を続ける記者たちがいる。その目的とは。戦後日本の司法制度を根本から変えたといわれる「免田事件」とは何だったのか。遺族、裁判官、そして検事。彼らが今、初めて重い口を開く。
福岡県小竹町にある兵士・庶民の戦争資料館。戦時中に日本兵などが使っていた遺品にふれられる、全国的にも珍しい私設資料館です。「遺品は語る」初代館長・武富登巳男さんの遺志を継ぎ、戦後生まれの長男・慈海さん(73)が館長を務めています。戦争経験者が年々いなくなる中、未来を担う子どもたちにどう平和のバトンをつないでいくのか―。名もなき兵士の遺品を通じて、戦争の現実を伝え続ける小さな資料館を見つめました。
26人もの命を奪った静岡県熱海市で起きた土石流。原因とされる「盛り土」の取材を進めると、あまりにも無責任で、ずさんな実態が次々と明らかに。その危険な凶器は私たちの身近なところにも潜んでいた。「おばあちゃんは紙飛行機に乗ってお空へ飛んでいった」。最愛の妻を奪われた高齢男性は火葬場で孫がぽつりと漏らした言葉が今でも耳を離れない。やり場のない怒りを抱える遺族、それでも懸命に前を向く姿を追う。
あの日、巨大地震から1時間足らずで押し寄せた大津波。福島第一原発・通称1F(イチエフ)は全電源を失い、危機を迎えた。状況が悪化する現場には原発の暴走を食い止めようとする作業員、消防や自衛隊の隊員がいた。想定外だった水素爆発、ガレキと放射能が襲う。そして、最悪の事態を想定した密かな計画…、もしあの日、あの場所に、彼らがいなければどうなっていたのか。事故から10年が経過し…当時の「リアル」を語った。
去年7月、福岡県中間市で5歳の倉掛冬生ちゃんが保育園の送迎バスに取り残され、熱中症で死亡した。事件直後から、園長が1人でバスを運行していたことや、園児の出欠を職員間で共有していなかったことなどが、次々と明らかに。取材に応じた元職員は、ずさんな安全管理が常態化していたと証言し、「明らかに間違っていても、指摘するのにためらう空気があった」と語った。「どんなに暑かったか」遺族の心は張り裂けたまま。
コロナ禍で客が減り続けた盛岡の朝市。51歳の「若き」組合長が場違いな、美容店や呉服屋さんの出店を誘致し空気は一変。売り上げが9割減った運転代行の男性は心機一転、ホットサンドに挑戦して行列のできる店になった。沿岸から2時間かけて浜の味を届ける店にも行列ができた。地元テレビ局の、女性キャスターが自分のカメラで追い続けた1年10か月の朝市日記。コロナにも負けず頑張る小さな市場の人情溢れる物語を紡ぎます。
神楽に登場する悪役といえば、〝鬼〟。新型コロナの感染拡大で公演の延期、中止が続き、〝鬼〟の出番が無くなった…。広島県安芸高田市美土里町にある広森神楽団。〝こども神楽団〟の時代から一緒に神楽をしてきた仲間たちが困難に直面している。緊急事態宣言下で神楽は不要不急とされ、鬼の面を被れなくなった団長や、がんになり舞うことができなくなった団員。相次ぐ逆境にメンバーはどう立ち向かうのか?
大学生・ICUの看護師・野菜ソムリエ、彼女たちのもう一つの顔はカーレーサー。しかし、女性レーサーというジャンルは過酷でありながらまだまだマイナー。学業と両立する者、夜勤明けにトレーニングする者、野菜販売でレース費用を捻出する者など、選手の生き方は様々。目指すは女性限定レース『KYOJOCUP』の頂点。今回、コロナ禍で行われた2021年シーズンに参戦した3選手に1年間密着。ゴールの先に待つものとは?
16歳で激動のロシアへ渡り、世界各地で活躍したバレリーナ針山愛美さん(44)。8年前、ドイツの国立バレエ団を退団後、日本でバレエの魅力を子どもたちに伝える活動を続けています。3年前、ある“試練”に直面したことをきっかけに「もう一度踊りたい」という気持ちが芽生え、コロナ禍で不安の中にいる子どもたちに世界有数のバレエダンサーとの共演の機会を企画しました。針山さんの生き方が映し出すものとは。
「なんでママが死んでしまうん?」大好きなママを卵巣がんで亡くした7才の少女。一羽のスズメが現れて悲しみを癒してくれました。あれから13年、少女は20歳になり絵本を書きました。かけがえのない親子の絆を伝え、同じ悲しみを繰り返さないために。がん検診の大切さも呼びかけます。20歳の誕生日に届いたのは、天国のママからの手紙。ママは何を伝えようとしていたの?少女の20年間の成長の記録です。