43人が犠牲となった雲仙普賢岳の大火砕流から30年。多くの報道関係者を亡くした取材拠点「定点」は、地元住民のマスコミに対する感情もあり、ほぼ当時のまま放置されていた。節目の今年、地元有志らによって被災車両などが掘り起こされ、遺構として整備された。複雑な思いを抱え続けてきた地元遺族と「命を守る報道」を模索してきた記者。「定点」を巡る思いと、そこから語り継いでいくべき災害の教訓を考える。