山奥に病気で寝たきりの父親と、幼い息子が二人で住んでいた。息子は毎日山で薪を拾っては、町へ売りに行ったり、谷で魚を捕ったりして暮らしていた。 ある日、息子が薪拾いに夢中になってしまい、山の中で野宿し、一夜明けるとどこからか甘い良い香りがしてくる。匂いの元を探して歩いていると、霧で足下が見えなかったので、深い谷底に落ちてしまった。そこには大きな滝壺があって、甘い匂いはその滝の匂いだった。 息子は水を手ですくって一口飲んでみると、体中が熱くなって元気が出てくるような気がした。これは父親の病気にも効くかもしれないと思い、滝の水を持っていた瓢箪に入れて持ち帰って父親に飲ませた。 すると父親は、これは酒じゃと言う。不思議なことに次の日から父親の病気がよくなり、何ヶ月かするとすっかり元気になった。この噂は国中に広まり、感心な息子が年老いた父親を養ったことから、養老の滝と言われて長く語りつがれた。
一休さんが都の将軍様ととんち比べをする話 京のはずれに安国寺というお寺があり、一休という頓知のきく小坊主がいた。寺の和尚は甘いものが大好きでいつも一人でこっそり水飴を舐めており、これは子どもが舐めると毒だと嘘を言っていた。 ある日、和尚さんが出かけたあとに、みんなで水飴を全部舐めてしまう。和尚さんが帰ってくると、一休は、「大切な硯を割ってしまったので死のうと思って毒を食べたがまだ死ねない」と言い、和尚さんを呆れさせた。 またある日、太平という男が寺に碁を打ちにくるのを追い払おうと、いつも太平が毛皮のちゃんちゃんこを身につけていることから、「ケモノの皮をつけた人は寺に入ってはいけない。」と張り紙をする。しかし太平は「寺にある太鼓もケモノの皮ではないか。」と言うと、一休はそれならとバチを持って太平を叩こうと追い回した。 太平はなんとか頓知で仕返ししてやろうと、和尚さんと一休を家に招き、家の前の橋に「このはしわたらないでください。」と立て札をたてるも、一休は橋の真ん中を渡り、太平を感心させた。 やがて一休の頓知は将軍の耳にも届き、お城に呼ばれ、将軍から、屏風の虎が夜になると飛び出して悪さをするから縛って欲しいと言われる。そこで一休は「縛るために絵から虎を追い出して下さい。」と言う。将軍が「絵に描いた虎を追い出せると思うか?」と問うと、「絵に描いた虎を縛れると思うか?」と答え、将軍を感服させた。 その後一休は一休禅師という偉いお坊さんになった。
太古の昔、人々が信濃に住み始め、開拓に汗を流していた。 ここに、人々を束ねる若くてたくましい長(おさ)がいた。さて、長のもとに夜な夜な一人の女が通うようになるが、女の素性はわからなかった。ある夜、長は別れ際に糸の付いた針を女の服の裾に刺した。翌日、糸をたどればそれは山中の岩屋まで続いていた。女の正体は龍の化身だったのだ。正体を知られると女はそれっきり男のところには現れず、やがて長も死んでしまう。 ある日、産川(うぶがわ)から赤ん坊が流れてきたのをお婆さんが拾い上げ、小太郎と名前を付ける。小太郎が成長してしばらくすると、婆さんもまた病で亡くなってしまう。一人ぼっちになってしまった小太郎は、昔お婆さんが「お前は千曲(ちくま)の湖に住む龍の子どもに違いない」と言っていたことを思いだした。 そこで小太郎は、千曲の湖のたもとに行く。湖に向かって「おっかあ」と叫ぶと、湖面に一人の女が現れた。小太郎はこの湖を田んぼにして、百姓の役に立ちたいと申し出る。母親はこの湖が無いと生きてはいけないが、お前の望みを叶えるためにこの地を後にすると決心する。 そして母龍は体当たりで山を切り崩し、湖の水を流して土地を切り開いた。その後、母龍と小太郎はどこかへと姿を消してしまった。
ある村に、ミケランという若者がいました。ある日、ミケランが畑からの帰り道に美しい羽衣を見つけ、どうしても欲しくなって持っていたカゴの中にそっと入れました。しかし、その羽衣は下界に遊びに来ていた天女の物だったのです。天女は羽衣を奪われて天上に戻る事が出来なくなり、ミケランと一緒に暮らすようになりました。 天女は七夕と名のり、何年かたつうちに地上の暮らしにも慣れてきました。ある日、七夕は天井に隠してあった羽衣を見つけました。羽衣をまとった七夕は、「わらじを千足つくって竹の下に埋めて下さいね」とミケランに言い残し、天にのぼっていきました。 数日後、ミケランが千足のわらじを竹の子の周りに埋めると、竹の子が天に向かってどんどん成長しました。さっそく七夕のいる天上界に向かって竹を登りはじめましたが、あと一歩のところで竹の成長が止まってしまいました。一生懸命に自分の名を呼ぶミケランの声に気が付いた七夕は、手を伸ばして愛する夫を天に引き上げました。 二人は再会を喜びましたが、七夕の父親は下界人と結婚した事を快く思っていませんでした。ミケランを困らせてやろうと、父親は炎天下での瓜畑の番を言いつけました。とても喉が渇き我慢できなくなったミケランは、畑の瓜をひとつ取ってかぶりつきました。すると瓜から大量の水があふれ出し、大きな天の川となってミケランと七夕を引き離してしまいました。 二人は天竜星(てんりゅうぼし)と織姫星(おりひめぼし)となり、一年に一度だけ、七夕の日に会う事が許されました。
昔、南会津の山奥を流れる水無川の上流で、四人の木こり達が木を伐っていました。暑さが続き仕事に疲れた木こり達は、明日は仕事を休んで「根流し」で楽して魚を捕ろう、という計画を立てました。 その晩、木の根や葉っぱを鍋で煮て、根(魚を殺す毒)を作っている時の事、一人の坊さんがやってきて「小魚まで死んでしまう、むごい事はやめなされ」と諭しました。木こり達はこの坊さんを気味悪く思い、とりあえず持っていた団子をご馳走しつつ「明日の根流しはやめる」と、坊さんに約束しました。 さて次の日、もともと根流しを止める気などなかった木こり達は、沢山の根を川に流し始めました。もっと大きな魚を捕ろうと上流の「底無しの淵」へ行き、残った根を桶ごと淵へ投げ込むと、見た事もない巨大な岩魚が白い腹を見せて浮かび上がってきました。 その夜、木こり達が巨大岩魚の腹を割いてみると、ポロポロと団子が出てきました。この岩魚が昨日の坊さんだったのだ、と木こり達が知ったとたん、一人がバッタリと倒れて動かなくなりました。やがて谷川の水はきれいになり、魚も住めるようになりましたが、この不思議な話はいまも人々に語り継がれています。
ある日爺さまが蛙を呑もうとしている蛇に、呑まんでくれたら自分の娘を嫁にやろうと言い、蛙を助けた。 ある満月の夜一人の侍が訪れ、自分はあの時の蛇であり嫁を貰いにきたと言う。本当に来るとは思わなかった爺さまは憔悴のあまり寝込んでしまう。 三人の娘のうち、これを承諾したのは末娘であった。嫁入りの前、この末娘の所へ蛙が訪れ知恵を授けた。それに従い末娘は巨大なひょうたんを背負い、千の針を持って再びやってきた侍に従った。 ある淵に来た時、末娘はひょうたんと針を淵に投げ込み、嫁にしたかったら、ひょうたんを沈め針をすべて浮かべてみせろと侍に言う。侍は必死にひょうたんを沈めようとするが埒があかない。 やがて怒り出し大蛇の正体を現すと娘の逃げ込んだお堂を締め上げた。お堂がきしみもはやこれまでという所で急に外が静かになった。 外に出てみると大勢の蛙たちがいた。本当の恩返しに蛙たちが大蛇の腹を食い破って娘を助けたのだった。
昔ある村の田んぼに、大きな大きなカエルが住んでいました。他のカエルも驚くほどの大きさで、世の中で一番大きいと自負していました。 ある時、伊勢参りに出発した大きなカエルが、真っ直ぐ続く一本道を進んでいると夜になってしまいました。そこで道の上で寝ていると、なんとそれは道ではなくて大きな蛇の背中でした。すっかり驚いたカエルはぴょんぴょんと逃げていきました。 その様子を見ていた大きな蛇は大笑いし、蛇も伊勢参りに出かける事にしました。やがて、涼しげな日陰があったので一休みしていると、その影は大きな大きな鷲(わし)の影でした。驚いた蛇は、鷲の羽ばたきで遠くへ飛ばされてしまいました。 鷲はその様子を見て笑いながら三度ほど羽ばたくと、もう海まで来ていました。鷲も伊勢参りに飛び立ったのですが、広い海の上を飛び続けているうちに、次第に疲れてきました。海から出ていた赤い棒に止まって一晩やすみ、翌日も一日中飛び続けました。 するとまた、海から赤い棒が付き出ていて、へとへとの鷲はその棒に止まって休む事にしました。その時、赤い棒が揺れたかと思うと、大きな大きな伊勢エビが姿を現しました。赤い棒は伊勢エビのヒゲだったものだから、ヒゲの一振りで鷲は遠くへ吹っ飛んで行きました。 そして今度は伊勢エビが伊勢参りに出発しました。海の中を歩いていると夕方になったので、うまい具合に空いていた穴に入ってぐっすり休む事にしました。翌朝、目を覚ました伊勢エビは、穴から噴き出した潮と一緒に天高く吹き飛ばされました。 その穴はクジラの潮吹きの穴だったのです。クジラに吹き飛ばされた伊勢エビは遥か彼方まで飛んでいき、岩の上に落っこちてひどく腰を打ち、すっかり腰が曲がってしまいましたとさ。
昔、ある所での話。 お婆さんがそら豆を運んでいると、一粒だけコロコロとこぼれ落ちた。それから火を焚きつけようと藁(わら)を運んでいると、一本だけ抜け落ちた。お婆さんがかまどに火をつけると、一つだけ炭がはじけて外に飛び出した。そうして出会ったそら豆と藁と炭は、幸運にも生き延びたことに感謝し、伊勢参りに出かけることにした。 旅の途中、腹を空かせたネズミに出くわした。三人の中で、そら豆だけが食べ物なので大ピンチだったが、炭が自分の体から火をおこし、ネズミに体当たりして退治した。炭のおかげで助かったそら豆だが、自分だけが食われそうになった事が不満で、腹を立てながら旅を続けた。 やがて三人は、橋のない川に出くわしたので、背の高い藁が橋になる事にした。最初に炭が渡っていたが、あまりの怖さに炭の体から火が出てきた。その火は、みるみるうちに藁に火が燃え移り、炭と藁は川へ落ちていった。 それを見たそら豆が大笑いすると、頭の皮がパチンと破れてしまった。頭が割れて泣いていると、通りかかった若い娘さんが針と黒い糸で割れた頭を縫ってくれた。その縫い跡が、今のそら豆の黒いスジとなった。
京都の永福寺に、善光(ぜんこう)という若いお坊さんと年老いた母親が住んでいました。 ある時、母親が大変重い病気になり、それを案じた善光は母親が食べたいという「タコ」を買いに行くことにしました。しかし、仏に使える身である善光は、生き物の殺生は禁じられていましたので、困ってしまいました。 母親の命には代えられない、とやっと決心した善光は、タコを買いに魚屋に行きました。魚屋は、坊さんの姿では買いにくいだろうと、嫌がる善光を女装させてタコを持たせました。善意とはいえ、女装したお坊さんは逆に目立ってしまい、善光はお寺まで必死に走りました。 なんとかお寺までたどり着くと、近所の口やかましい和尚さんが立ち話していました。案の定、この和尚さんに生臭い臭いを感づかれ、無理やり桶のふたを開けられてしまいました。しかし、中からはタコではなくありがたいお経の巻物が出てきました。 善光自身にも一体どうした事かわかりませんでしたが、薬師如来様のしてくれた事と思い感謝しました。おかげで善光は母親にタコを食べさせることができ、病気もすっかり良くなりました。この薬師様はタコ薬師様と呼ばれ、今での多くの信心を集めています。
昔、ある海辺にそれはもう仲の良い、猿と亀がいました。とはいっても二人の住むところは別々で、猿はいつかは美しい竜宮城へ行ってみたいと思っていました。 ある時、竜王の一人娘の乙姫が重い病にかかり、猿の生き胆を食べさせれば病気が治る、と占い師に告げられました。そこで竜王は、亀なら陸へ行けるので猿の生き胆をとってくるように言いつけました。亀は褒美に目がくらみ、猿を騙してまんまと竜宮城へ連れていきました。 猿は、竜宮でたいそうなご馳走や踊りでもてなされ、猿はお酒を飲みすぎてその場でぶっ倒れてしまいました。倒れた猿を運ぼうと、門番のカレイとクラゲが出てきて「バカな猿め、生き胆をとられる事も知らないで」とクスリと笑いました。 猿は意識もうろうとしながらもこの話を聞き、大慌て。そこで亀を呼び出し「陸の木の上に、生き胆を干したままにしてきた」と嘘を言い、再び陸まで連れ戻るように仕向けました。陸に戻った猿は、さっさと木の上に登り「よくも騙したな!カレイとクラゲの話を聞いたんだ」と、亀に向かって石を投げつけました。その石は亀の甲羅に当たり、ヒビが入ってしまいました。 猿を取り逃がした事を知った竜王はカンカンに怒って、カレイの体を二つに断ち割り、クラゲの体から骨を抜きました。そのうえ竜宮からも追い出したので、今でもクラゲは竜宮に帰れず、海の上の方でプカプカ浮いているそうです。 その後、亀と猿はどうしたかというと、いくら亀が呼んでも猿は知らん顔でした。友達を裏切った亀は、ひとりさびしく海へ帰っていきましたとさ。
むかし、ある村に観音様を深く信仰しているお爺さんがおった。ある日のこと、お爺さんがいつものように観音様にお参りに出かけると、観音堂の石段で大きなひょうたんが一つ、かぽんこぽんと転がりながらお爺さんの後をついてきた。 お爺さんがひょうたんを拾い上げると、中から金七と孫七という小さな男の子が飛び出してきて、一緒に連れて行ってくれという。お爺さんは観音様からの授かりものじゃと思うて、二人を家に連れて帰り、お婆さんと一緒に育てることにしたそうな。 次の日の朝、お爺さんとお婆さんが起きてみると美味しそうな朝ごはんができておる。驚く二人に、金七と孫七は、このひょうたんからは何でも好きな物を出すことができると教えてくれたのじゃった。 それからしばらくして、お爺さんは金七と孫七を連れて町の天神様のお祭りに出かけた。そうして金七と孫七が勧めるとおり、富くじを買うてみた。すると、その富くじは大当たりしてしもうたそうな。こうして、お爺さんとお婆さんは何不自由ない暮らしが出来るようになった。 ところがある日のこと、欲張りの馬方がやって来て、ひょうたんと馬を取り換えろとしつこく言うてきた。金七と孫七の勧めもあり、お爺さんはしぶしぶひょうたんと馬を取り換えてやった。お爺さんは、あのひょうたんは観音様からの贈り物だと思っておったので寂しい気がしたが、金七と孫七は、あれはもうただのひょうたんじゃからと平気な顔をしておった。 ひょうたんを手に入れた馬方は早速ひと儲けしてやろうと、お殿様の所へ出かけて行った。そうして、お殿様の前でひょうたんから馬を出そうとしたのじゃが、どんなにひょうたんを振っても何にも出てこんかったんじゃと。おかげで馬方はお殿様から大目玉をくらったそうな。 そうして、お爺さんとお婆さんは金七と孫七を育てながら、いつまでも仲良く暮らしたということじゃ。
昔まんまる山で、鳥たちが愉快に宴会をしていました。カラス、フクロウ、鷹など、いろんな鳥たちが仲良く酒を飲んでいるうちに「鳥の中で一番強いのは誰か?」という話になりました。 みんな口をそろえて「鷹が一番強い」と言いましたが、一番小さなミソサザイは酔っぱらった勢いで「俺様が一番強い!」と言いだしました。鷹はミソサザイの挑発にのっかり、とうとう鷹とミソサザイはイノシシをやっつける勝負をすることになりました。 翌朝、酔いも覚めてすっかり青ざめてしまったミソサザイでしたが、もう後には引けません。こわごわイノシシに挑みましたが、何とした幸運か見事イノシシをやっつける事に成功しました。 勝ち誇るミソサザイに対抗して、鷹は同時に2匹のイノシシをやっつけようと果敢に挑んでいきました。しかし、2匹のイノシシの背の上で、鷹は体を真っ二つに引き裂かれてしまいました。こうしてミソサザイは、鳥の大将になったという事です。
昔、ある山のふもとに二人の木こりの爺さんが住んでいました。年はとっていましたが働き者の爺さんと、怠け者の爺さんの二人でした。 ある日、働き者の爺さんが池のそばで木を切っていると、斧の刃が柄から抜けて池に落ちてしまいました。途方に暮れた爺さんは、池の水神様に「おらの斧を出して下さい」とお願いしてみました。すると、池から水煙があがりその中から水神様が二つの斧を持って現れました。 水神様は「お前の落とした斧というのはこれか?」と金の斧を差し出しましたが、正直な爺さんは自分の落とした方の斧を受け取りました。すると水神様は「正直者で欲が無い者には、褒美としてこの金の斧もあげましょう」と言って、金の斧を残して水の中に帰って行きました。 この話を聞いた隣の怠け者の爺さんは、斧を持って池まで走っていきました。斧を火にくべて無理やり斧を柄からもぎとり、池の中に投げ込んでから水神様に祈りました。水神様は前回と同じく、金の斧と普通の斧を持って出てきましたが、怠け者の爺さんは欲を出して金の斧の方を自分の斧だ、と言いました。 すると、水神様は「お前の様な不正直者には金の斧はやれない、帰れ」と、そのまま水の中に消えていきました。結局、爺さんは金の斧をもらえなかったばかりか、自分の斧まで無くしてしまい、家ではご馳走を用意して待っていた婆さんの借金も払えなくなり、ますます貧乏になりましたとさ。
昔、九州のお大名の家来で、勘助という飛脚がいました。ある時、大名から頼まれた珍しい刀を江戸の将軍様のところへ運ぶため、勘助は東海道を走っていました。 興津の宿を出て薩堆峠(サッタ峠)へ向かう途中、一匹の猿が化け物のような大ダコにさらわれようとしていました。勘助は脇差(小刀)を取り出して、波打ち際にいる大ダコめがけて切りつけましたが、全く刃が立ちません。そこで大名から預かった刀を取り出し、すでに海の中へ潜っていた大ダコめがけて飛びかかりました。 海の中に入った勘助はタコの足に噛みつき猿を救出し、持っていた大名の刀で切りかかりましたが、ポキンと折れてしまいました。猿を助けたものの、大切な刀が折れてしまって落胆している勘助に、仲間の猿たちが一本の刀を持ってきました。 それは珍しい名刀だったので「これなら将軍様に献上しても大丈夫だ」と喜んでいるところに、再びあの大ダコが迫ってきました。しぶしぶ勘助はもらった名刀を抜き、もう一度大ダコに立ち向かっていきました。この刀の切れ味は鋭く、あっという間に大ダコの頭を真っ二つにスライスしてしまいました。 勘助が猿からもらった刀は名人「五郎正宗」の作で、将軍様もたいそうお喜びになり、いつまでも家宝として大切にしたそうです。
昔、ある山奥にたいそう貧しい村があって、その村には一本の大きな松の木が立っていた。 ある日、村に住む独り者の吾作が、隣村で酒をご馳走になって帰る途中、松の枝からぱぁっと明るい満月が出てきた。あまりの美しさにみとれていると、村人たちも松の木の下に集まってきて、みんな口々に月を褒めたたえた。翌日も美しい満月が出たので、大勢の村人たちが松の木の下に集まって、貧しいながらもおいしく食事をとったり、楽しく歌ったりして過ごした。 夜も更けて、村人たちはみな家に帰ったが吾作がまだ月を眺めていると、そのうち雨が降りはじめた。どんどんひどく降る雨の中、それでも満月は煌々と輝き、不思議に思いながらも吾作も家に帰ることにした。その後の数日間は、どうしたことか美しい月は出なかった。 心待ちにしていたある夜、久しぶりに美しい満月が輝いた。吾作が喜んでうっとりと眺めていると、雲の切れ目からもう一つの半欠けの月が顔を出した。驚いた吾作が声をあげると、満月はあわてて松の枝の中に引っ込んだ。狸か狐の仕業だろうと考えた吾作は、松の木の満月に声をかけた。「おーい、満月の方がよっぽど綺麗だぞー、もっと上だったぞー下だぞー」等とからかっているうちに、狸がドサッと木から落ちてきた。 吾作は、頭にタンコブを作った狸を手当てしてやり、これからも美しい満月を出し続けてくれるようにお願いした。狸は喜んで、毎晩美しい満月を出してあげた。そして、この松の木の枝を「月見の枝」とよぶようになった。
昔ある村に重兵衛という男がいて、町に買い物に出かけようと朝早く家を出ました。途中の山道にさしかかると、茂みの中で狐が何やら熱心に土を掘っていました。 重兵衛は、狐を驚かしてやろうと息をひそめて近づき、突然に大声を出しました。すると狐は飛びあがって驚いて、坂道をゴロゴロと転がって崖下の深い淵へ落ちていきました。その様子を見た重兵衛は、大笑いしました。 楽しい気分で町へ向かった重兵衛は、雪の時期に備えて必要な買い物をすませ、お昼頃には帰路につきました。日暮れまでには村に戻れるはずが、山道にさしかかった頃にはもうすっかり日が暮れてしまいました。はて困ったと真っ暗やみの中手探りで歩いていると、重兵衛の目の前に山小屋らしき家がありました。 提灯でも借りようと家に立ち寄ると、薄暗い囲炉裏ばたにお婆さんが一人で座っていました。いろいろ話しかけてもうんともすんとも応えないお婆さんに、重兵衛はとりあえず今晩泊めてもらう事にしました。一人で勝手にしゃべり続ける重兵衛に全く反応しないお婆さんでしたが、何を思いついたか大きな包丁を研ぎはじめました。 何やら気味悪くなってきた重兵衛は、冷や汗を垂らしながらただ息をひそめて座っていました。すると、お婆さんは突然「ベロベロベロ、バァ~!」と大声を出しました。びっくりして小屋から飛び出した重兵衛は、坂道を転がり落ちて崖下の深い淵へ落ちていきました。 このお婆さんは今朝の狐が化けたもので、仕返しに重兵衛を同じ目に合わせたのでした。重兵衛はようよう淵から這い出してずぶ濡れになって村へ戻りましたが、雪に備えた買い物は全て失ってしまいました。面白がってめったに狐など驚かすものではない、というお話じゃ。
岩手県の大槌あたりのお話です。 ある村の若者が、町へ行く途中で大槌川の橋の上で、一人の婆さまから呼び止められました。婆さまが「病気の娘の為に町で薬を買ってきてほしい」というので、若者は言われた通りにしてあげました。 薬を受け取った婆さまは「是非、家に寄って下さい」というので、若者はちょっと興味がわいて婆さまの後をついて行くことにしました。すると、神社の境内にある大きな岩の中が婆さまの家で、そこには美しい娘が布団で寝ていました。 娘は起き上がって薬のお礼を言い、若者をいろいろともてなしてくれました。やがて若者は、娘の美しさに惹かれ、毎晩娘の岩屋へ通うようになりました。 ある日、若者がいつものように岩屋へ行くと、娘は泣いていました。婆さまは「実は私たちはキツネです、もう二度と来てはいけません」と打ち明けました。若者は衝撃の事実に茫然として、岩屋を出ました。 しばらくの間、ぼんやり歩いていた若者はハッと足を止め、娘がキツネであろうと離れることはできない、と考え直し、もと来た道を一目散にかけて岩屋に戻りました。しかし不思議なことに、あったはずの岩屋の入り口が見当たらず、ただ大きな岩があるだけでした。それっきり若者は娘と会う事はなく、神社の近くでキツネを見る事もありませんでした。
ある村に、田植えが終わり一段落ついた嫁と婆さん(姑)がいました。夫は隣村まで田植えの手伝いに出かけ、終日留守ということで、二人は久しぶりにぼた餅を作る事にしました。昔のお百姓さんにとってぼた餅(おはぎ)は、めったに食べられないくらい貴重なものでした。 二人で作ったぼた餅を、二人で仲良くお腹いっぱい食べました。沢山作ったぼた餅は、残りあと4つ。このぼた餅を、明日の朝一人占めして食べようと考えた婆さんは「嫁の顔を見たらカエルになれよ」と言いつけ、鍋の中に隠して就寝しました。 翌朝、隠していたぼた餅を一人で食べようと、鍋のフタをあけた婆さんの目の前に、カエルが4匹飛び出してきました。あわててカエルを追いかけましたが、カエルはピョンピョン飛び跳ねながら田んぼに逃げ込んでいきました。 「オラのぼた餅が泳いで行っちまっただよー」と、婆さんは悔しがったが、嫁の方が一枚上手(うわて)だった、という事ですね。
昔ある所に、狐がたくさん住む森があって、いつも森を通る人々を騙してばかりいました。この森の近くに住む、権(ごん)さんという男は、森の中では何でも狐に見えるらしく、誰かれにでも石を投げつけていました。 さすがの狐たちも、権さんの乱暴ぶりにはお手上げ状態で、どこか他の森に引っ越そうかと相談していました。すると年寄りの婆さん狐が「わしが権さんをこらしめる」と言い出しました。 婆さん狐は、森の出口をごまかして、足をくじいて困っている武州屋のおかみさんに化けて、権さんを待ち伏せしました。森から出ていたつもりの権さんは、まさかキツネが化けているとは思わず、美しいおかみさんを馬に乗せて武州屋まで送って行く事にしました。 まんまと婆さん狐に騙された権さんは、一晩中森の中を歩き回りヘトヘトになり、馬の背に乗せていたお土産の魚も盗まれてしまいました。 家に帰った権さんは、嫁さんから小言をいわれすっかりいじけて、もう森へは近づかなかったそうです。
八丈島に太兵衛(たへえ)と佐吉(さきち)という二人の腕の良い漁師が住んでいた。佐吉は島でも一番の男前で、太兵衛は島一番の力持ちだった。二人は子供の頃から大の仲良しだった。 二人とも船主の娘、ヨネが好きになってしまった。勿論ヨネもこんな二人が好きだった。それを知った父親の船主が、こう言った「わしはどちらか稼ぎの多い方に嫁にやりたい」それからあれほど仲の良かった二人はまるで敵同士のようになり、魚の獲り合いを始めた。 ある波の静かな日、その日は太兵衛の方にはさっぱり魚が寄り付かず、なぜか佐吉の方だけに魚がどんどん食いついてた。佐吉の船底はみるみる魚で一杯になり、獲れるだけ獲って太兵衛を追い抜いてやろうと夢中になるうち、魚の重みと大波をかぶって佐吉の舟は沈んでしまった。 佐吉はお前の舟に乗せてくれと太兵衛に頼むと、ヨネを譲ってくれるなら乗せてやると言う。「それとこれとは話が別だ」と佐吉が断り、太兵衛の船のふちに手をかけると太兵衛は木の舵で力いっぱい佐吉を殴った。 「貴様がヨネをよこしさえすりゃぁ、こんな事には…」太兵衛は何度も佐吉を殴り、血まみれになった佐吉は海の中に沈んでいった。 村へ帰ると太兵衛は、自分のやった事のあまりの恐ろしさに家の中へ閉じこもり、ヨネのことなどすっかり頭になかった。外では佐吉が漁に出たままいなくなったと大騒ぎになっていた。 それから何日か経ったある日、太兵衛が魚を釣っていると遠くからゆっくりと船が近づいてきた。 「佐吉か・・生きていたのか!?」 現れたのは佐吉の亡霊だった。 佐吉は「・・・柄杓を貸してくれ」「柄杓を・・」と言う。 太兵衛が柄杓を差し出すと、佐吉は無言で海の水を太兵衛の船の中に汲み入れはじめた。太兵衛は佐吉に謝るが、佐吉は海水を入れ続け、太兵衛の船は沈んでしまった。溺れそうになった太兵衛は佐吉の船に近づき、乗せてくれと頼むが佐吉の船はスッと消えてしまう。太兵衛はしばらくは海に漂っていたが、そのまま大きな波にのまれて姿を消してしまった。
昔、栃木県の小木須(こぎす)という山の中に、一人の木こりのお爺さんとアカという名の犬が仲良く暮らしていた。アカは、お爺さんと一緒に山へ薪(たきぎ)を取りに行く時も、町に売りに行く時もいつも一緒だった。 ある日、山道の藪の中で、一頭の熊が怪我をして動けないでいた。可哀そうに思ったお爺さんは、傷の手当てをしたり餌を運んだしてせっせと世話をした。おかげで熊はすっかり元気になり、アカと一緒にお爺さんの手伝いをするようになった。 やがて何年かして、お爺さんはめっきり年をとり、やがて亡くなってしまった。残されたアカと熊は、お爺さんの墓の前から離れず餌もとらずに座り続け、数日後にアカはお爺さんの後を追うように息を引き取った。アカが死ぬと、熊は山の木立の中に立ち去っていった。 その後、お爺さんの家に近い坂の登り口に、熊の形に良く似た大きな石が現れた。この石に荷車の後押しをお願いすると、まるで熊が後押ししてくれるように楽に坂を登る事が出来た。その付近を「アカ熊」と呼び、いつしか「かぐま」と言うようになった。また、その石の事を「かぐまの力石」と呼ぶようになった。
昔、志摩半島の村の沖合にある大王島(だいおうじま)に、だんだらぼっちという一つ目の大男がいました。 だんだらぼっちはたいへん力の強い大男で、いつも村の漁師たちが捕った魚を船ごと持って行ったり、米も俵ごと強奪していくのでした。困った村人たちが網元の家で対策を相談していると、頭のいい子供が名案を思いつきました。それは、だんだらぼっちより大きな「千人力の大男」をでっち上げ、だんだらぼっちを怖がらせようという作戦でした。 翌日、何も知らないだんだらぼっちは再び食べ物を探しに村にやって来て、大きなカゴと大きな魚のえさ袋を見つけました。このカゴは千人力の大男が使うタバコ入れで、えさ袋は千人力が着る着物だ、と村人が説明しました。 さらに、片方だけの巨大なワラジを見つけただんだらぼっちは「こんな大男がいるのではかなわない」と恐怖に震え、ワラジを取りに戻ってくる前にと大急ぎで大王島へ逃げ帰ってしまいました。その後は、もう二度と村にはやってこなかったそうです。
昔、鹿児島県は志布志に、たいそう美人と評判の、千亀女という娘とその母親がいました。その美しさを一目見ようと、千亀女が通るたびに、多くの人々が集まるのでした。そんなわけでしたから、母親は千亀女を連れて町を歩くのが何よりの楽しみでした。 ところがある日、お寺に美しい観音様が迎えられます。すると観音様を見た人々は、「あの千亀女も観音様にはかなうまい。千亀女は二番じゃ」と、噂しだします。ショックを受けた母親は、試行錯誤しながら千亀女を一番にさせようとしましたが、結局一番美しいのは観音様だ、と言われてしまいます。泣き出してしまった千亀女を見て、母親はある行動に出ます。 真夜中のことです。千亀女と母親は、誰もいないお堂から観音様を引きずり出し地面に寝かせました。そしてなんと、観音様のお顔を燻し始めたのです。そうして観音様のお顔が煤(すす)で黒くなったのを確認すると、何事もなかったかのように、観音様をお堂に戻しました。「これでまた、千亀女が一番じゃ・・・」そういうと、千亀女を母親は満足そうに帰っていきました。 その翌朝。自分の顔を鏡でみた千亀女は驚きました。顔が煤だらけになっていたのです。そしてそれは、どんなに洗ってもこすっても、二度と落ちることはなかったのです。母親は後悔しましたが、もうどうしようもないことでした。ただ、こんなことになった娘を、前よりも一層大事にしたのでした。 また、不思議なことに、煤で汚れたあの観音様のお顔は、元通り綺麗になっていたということです。
あるところに仲良しのおじいさんとおばあさんが住んでいました。 ある日、畑仕事をしていると、おばあさんが「オラもう死ぬだ」と言い残し、死んでしまいました。お葬式をだしてやろうと、おじいさんは近くの寺の和尚さんに頼みに行きましたが、「金が出せないなら葬式はできない。」と断られてしまいます。その和尚さんは欲ばりな和尚さんで、狐の皮の上にいつも座っています。 仕方なく、おじいさんは近くのお墓におばあさんを 埋めてやろうと、一人で穴を掘りました。そのとき、掘った穴の中から金で出来た釜が出てきました。不思議なことに、掘り出した釜は一人でに動いて、おじいさんの家に行ってしまいました。おじいさん は後を追って、中にあった小判1枚で葬式をしてあげようと考え、再び和尚さんのところに行きました。 和尚さんは、その小判を見て「葬式をやろう。」と快諾しました。しかし、欲張りな和尚さんは、おじいさんから金の釜の話を聞くと、おじいさんの家にあるその釜を奪いにいく計画をたてました。 そして、和尚さんは狐の毛皮をかぶり、おじいさんの家を襲いに行きました。おじいさんは驚いて、素直にカマを渡しました。しかし、和尚さんは釜の呪いにかかってしまいました。狐の毛皮が体から離れなくなってしまい、本物の狐になってしまったのです。 そして、おじいさんは隣村の和尚さんを呼んで、おばあさんの葬式を行うことができました。更におじいさんは、よくばりな和尚さんがいなくなった寺を代わりに守っていくことにしたそうです。
昔、ある山奥に親子三人が暮らす一軒家がありました。 ある日、おっとうが油を買いに村へ行く途中で、子供たちに棒でたたかれている一匹の狐を見つけました。可哀そうに思ったおっとうは、狐を買い取り、そのまま逃がしてあげました。 その後、おっとうが油を買って家に帰っていると、急にあたりが暗くなり、華やかな嫁入り行列が現れました。おっとうは誘われるがまま結婚式に出席し、その夜は花嫁の家に泊まる事にしました。 寝床を準備してくれた花嫁は、「決してこの長持ちの箱の中を見ないで下さい」と念を押しました。しかしどうしても箱が気になったおっとうが、こっそり箱を開けてみると中には鏡が貼ってありそこにはキツネの顔が映っていました。 おっとうは、何のことやらわからないまま眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと自分の顔がキツネになっていました。こんな姿では家にも帰れないと、おっとうは花嫁の家に置いてもらう事になりました。花嫁は大変喜んで、毎日毎日たいそうなおもてなしをしてくれました。 毎日を楽しく過ごし、三年が経った頃、おっとうは家に残してきたおっかあと子どもの事が気になり始めました。泣いて引きとめる花嫁に別れを告げ、おっとうは顔を見られないようにしながら、家に帰りました。 しかし、家に帰ったおっとうの顔は、キツネではなく人間の顔で、三年と思っていた月日も実は三日しかたっていませんでした。おおかた、助けたキツネが恩返しのつもりで、花嫁に化けておもてなしをしたのでしょう。
昔、ある山あいの村のはずれに、一人の風変りな婆さまが住んでいた。婆さまは、丘の上にある水神塚の横に住んでいて、毎日水神様の祠に手を合わせていた。 そして口癖のように「水が一番ありがたい。水を穢せば(けがせば)罰かぶる。」と言いながら川の掃除をするのだった。ところが他の村人は、この婆さまを“川婆さん”と呼んで馬鹿にして、婆さまの言うことをロクに聞かなかった。そればかりか、川にゴミを捨てて川を汚していたのだ。 そんなある年の夏の事、今まで誰も経験した事のない日照りが村を襲った。日照りは七十日以上も続き、川の水は干上がり、田畑の作物は枯れ始めていた。村の者が雨乞いをする中、婆さまは一人祠の前で祈っていた。村人が川を汚すので、水神様がお怒りなって雨を降らせないのだと思った婆さまは、村人に代わって水神様に詫びていたのだ。 すると七十七日目に、ようやく待望の雨が降り始めた。しかし村人は雨が降り出すと、婆さまが止めるのも聞かず、また川にゴミを捨て始めたのだ。 するとどうだろう、空には雷鳴がとどろき、雨は激しさを増した。川はみるみるうちに水かさを増し、村の田畑や家々を押し流す。村人は必死になって逃げ、村の高台にある寺に逃げ込んだ。しかし、一人婆さまだけは祠の前で祈り、水神様の怒りを鎮めようとしていた。今や、濁流は祠もろとも婆さまを呑み込もうとしている。 その時だった。なんと水神様の祠から、村の高台にかけて大きな虹がかかった。そして不思議なことに、気づくと婆さまはその虹の上を歩いていたのだ。こうして婆さまは、虹の橋を渡り、無事高台に降り立った。 これを見た村人は、今まで川を汚していた自分たちの行いを恥じ、その後は決して川を汚すことはなかったそうな。
むかしむかし、年神さまという神様がいた。その年神さまの仕事というのは、年(とし)の晩に一軒一軒家を回って年を一つずつ配るという仕事だった。年神さまは村人から嫌がられていたので、毎年憂鬱で胃を痛めていた。 ところで、村外れにお爺さんとお婆さんが住んでいた。この二人も年神さまと同じ様に毎年年の晩が近づくと憂鬱な気持ちになるのだった。そんな中でも二人は若い頃を思い浮かべながら懐かしさに浸っていた。こうしてお爺さんとお婆さんは、年神さまから年を貰わないで済む方法を毎日一生懸命になって考えた。 そしていよいよ年の晩がやってきた。年神さまは仕方なく痛む胃を押さえながら、人々に年を配る準備を始めた。年神さまは次々に人別(にんべつ)帳の名前を呼ぶと、袋の中へ人々に配る年の札を入れていった。ちょうどその頃、村外れのお爺さんとお婆さんは家を抜け出した。お爺さんとお婆さんは、年神さまが年を配っている間に少し離れた竹やぶに身を隠すことに決めた。 年神さまは嫌がる村人を見ると、段々元気が無くなっていった。そんな中、有難がる老夫婦や喜ぶ子供、そして年を貰うことによって立ち上がる赤子に感動し、気の滅入っている年神さまも少しは自信をつけた。除夜の鐘が鳴るまでにお爺さんとお婆さんに年を配っておかないと、二人は正月が来ても年を取らないことになる、年神さまは急いでお爺さんとお婆さんの家へ行ってみたが誰もいなかった。 さあ、大変な事になってしまった。二人に何とか年を配らねば、年神さまの役目が果たせないのだった。年神さまは焦った。焦ってあっちこっち探し回ったがどこにも見当たらなかった。何と年神さまは誰も見ていないのをいいことに、残った二枚の年札をポイと捨てて帰ってしまった。そして何と捨てたはずの年札が、偶然空から竹やぶの中にいたお爺さんとお婆さんの元に届いてしまった。 こうして、竹やぶに逃げ込んだお爺さんとお婆さんは結局年を一つ取ってしまったが、その後も増々二人仲良く元気に暮らしたそうだ。
能登半島の珠洲(すず)に梨山という山があり、その山懐には大きな沼があった。沼には太古から天をも突くという大蛇が棲んでいると言い伝えられていた。 その付近一帯は梨山の天辺に屋敷を構えるおやすさま(地主さん)の土地となっており、おやすさまはこの繁栄も大蛇さまのおかげと、日々山の上の祠の前で大蛇さまを拝んでいた。 そんなある夜、庭からおやすさまを呼ぶ声が聞こえる。声の主は何と沼から山頂の屋敷にとどく巨大な鎌首をもたげた大蛇であった。大蛇は沼に千年住んだ自分は次に海に千年住まねばならない。ついては沼を出る際、おやすさまの土地を荒らしてしまうかもしれない、とことわりを入れてきたのだ。 しかしおやすさまは承服できない。さらなる繁栄のため、もう千年、いや二千年沼にいるように大蛇に申し渡す。さらに翌日からは大蛇が沼をでる事のできないように、蛇の嫌う鉄気、すなわち巨大な鉄杭で沼を囲ってしまう。 加えて、それぞれの鉄杭に蛇封じの札を貼る作業を百姓の茂兵衛にまかせた。茂兵衛がおっかなびっくりお札を貼っていると大蛇が現れた。 茂兵衛は腰を抜かすも、大蛇の話を聞く内に気の毒になり、自分の土地なら使ってもよいと申し出る。大蛇は喜んだ。その夜、沼から長大な鎌首をもたげた大蛇は茂兵衛の土地に一旦身を着けると、後はどこにも触れることなく海へと滑り込んで行った。 翌日、茂兵衛の土地は大蛇の接地でめちゃくちゃになっていたが、小山ほどもある大蛇の糞が残されていた。その糞は黄金でできており、茂兵衛はやがて長者となった。一方、守り神に出ていかれたおやすさまの家は、それからしばらくして衰退してしまった。
昔、陸奥の岩手での話です。 ある年の春の日、年老いた六部(ろくぶ:旅の僧)が一夜の宿をもとめて、一軒の長者屋敷を訪ねました。何代も続いている長者屋敷は大変立派で華やかで、ここに暮らす長者の孫左衛門もやさしい顔つきの老人で、六部を厚くもてなしてくれました。 その晩、眠っていた六部が物音で目を覚ますと、布団の周りで三人の娘たちが手まり唄を歌いながら毬(まり)で遊んでいました。子供たちに心癒された六部は、走り回っている娘たちに思わず「そんなに走ると危ないぞ」と声をかけてしまいました。その瞬間、娘たちの動きがパタッと止まり、そのままどこかへ逃げていきました。 翌朝、朝飯を済ませた六部は、昨夜の出来事は夢でも見ていたのだろうと思い、孫左衛門にお礼を言って、そのまま屋敷を出ました。 それから、何年か月日がたったある日の事、その六部がひさしぶりに長者屋敷の近くを通りかかりました。すると屋敷から三人の娘たちが出てきました。六部が「あんたたちは、長者屋敷の者かね?」と尋ねると、娘たちは「これから出ていく所だ、隣村の長左衛門の屋敷に行く」と言って、立ち去って行きました。 長者屋敷の孫左衛門はもう亡くなっていて、今は見るからに欲深そうな若い当主に代替わりしていました。それで六部は、さっきの娘たちは座敷童子だったのだろうと気が付きました。座敷童子に出ていかれた長者屋敷は、まもなく不幸な出来事が続きみるみるうちに没落し、隣村の長左衛門の屋敷は、とんとん拍子で栄えていったという事です。
昔、あるところに伊平、六助、八兵衛の同い年の男がいた。 ある年の秋の終わりのこと。来年、三人は厄年を迎えるので、厄払いの為に善光寺参りをすることになった。信心のおかげか雨に降られることなく、三人は無事に善光寺参りを済ませ帰りの旅路についた。 やがて山ひとつ越えれば村へ帰れようかという辺りに来た時、思いもよらぬいざこざが起こった。喉が渇いていた三人は、民家の敷地に立つ柿の木から実を取って食べようとしたが、家の主に見つかってしまい、慌てて逃げた。 また、別の民家の犬に追いかけ回され、六助は仕方なく持っていた杖で犬を叩いて追い払った。ところが家から出てきた飼い主は、三人が犬を苛めたと誤解して怒ったものだから、またも三人は慌てて逃げた。伊平と八兵衛は六助のせいで自分たちまで悪者扱いされたと、六助を責めるのだった。 さて、もう山を越えれば村へ帰れる所まで来たが、ここで急に雲行きが怪しくなり雷雨に見舞われた。三人は古寺に入り雨宿りをしたが、荒れ狂う雷は恐ろしくて三人は震えるばかりだった。 その時、伊平は「誰かが悪さをしたからその人に雷を落とそうとしているのでは?」と言い出し、八兵衛は「六助が柿を取ったり、犬を叩いたりしたからだ。」と言う。六助は「お前たちも気持ちは同じだったし、悪さをしているだろう」と弁明するも、伊平はなおも続ける。 伊平が言うには、自分たちの笠を外に出して、それが風に吹かれたり、雷に打たれたりしたら笠の持ち主を悪者とし、古寺から出ていくのだと。そこで三人は自分たちの笠を外に出した。すると六助の笠だけが風に飛ばされてしまい、六助が寺を出ることになった。 すると、雨に打たれながら必死に念仏を唱える六助の近くに雷が落ちた。だが落ちたのは六助の所ではなく、二人がいる古寺だった。六助は焼け落ちた古寺へ向かい意識を失った伊平と八兵衛を助け出した。二人は意識を戻したが、六助を悪者扱いした自分たちの愚かさを恥じ、六助に謝った。 六助は「えらい目に遭ったのはお前たちであり、これで一足先に厄落としが出来たものだ。」と言ってふたりを許し、三人は笑いあった。こうして三人は仲良く村へ帰るのだった。
昔、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の山頂に一人の山姥(やまんば)が住んでいた。この山姥は、夜になると目をさまし、島の泉で一風呂浴びてから食事をするのが常でした。 ある日、船頭(せんどう)の親子が突風にあおられ海で立ち往生していた。仕方なく近くの気味悪い小島に船を付け、海岸で焚き火をしていると、大きな山姥が現れた。人を捕って食ってしまうという山姥に、身の危険を感じた親子は隙をみて逃げ出し、急いで船を出した。 船が海岸から離れ岬の先端に近づくと、先回りした山姥がニタニタと笑って立っていた。山姥は着物を脱ぎ大きな乳をあらわにすると、白い乳をピューピューと船に向かってかけはじめた。山姥の乳が船にかかると船が動かなくなるという言い伝えがあるので、親子は必死で逃げた。 しかし、一滴だけ船の舳先(へさき)にかかってしまい、船の艪(ろ)が動かなくなった。親父は「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と、一心に念仏を唱えながら、乳のかかった舳先を小刀で削り続けた。必死に唱えている念仏を聞いた山姥は乳を出すのをやめ、泣き始めた。山姥にも念仏のありがたみがわかるのか、いつまでも岬の先端に立って泣き続けた。 親子の船は再び動けるようになり、無事にこの島から逃げ出す事が出来た。岬の事を「鼻」という事から、この岬を「念仏の鼻」と呼ぶようになった。
昔、三重県の桑名あたりの山の中に、早くに両親を亡くしたハナという女の子が住んでいた。 ある嵐のあとの朝のこと、一人の薬売りがハナの家を訪ねて来た。薬売りが家の中を見てみると、家の中は雨漏りだらけ。まだ小さいハナには屋根を直すこともできないのだ。「オラのお爺やったら上手に直してくれんやけどなー。」薬売りは屋根をながめて言う。 ハナはこの薬売りのおじさんにお茶を出したが、お茶うけのなすび(ナス)が何とも小さい。ハナが畑で作るなすびは、これより大きくならないのだった。これを見た薬売りは、自分のお婆が作るなすびはもっと大きくなったと言う。 ハナはこの話を聞いて、自分にもお爺やお婆がいれば、いろんなことを教えてもらえるので、どんなにかいいだろうと思うのだった。 そんなある日、ハナが夕飯を食べていると、裏の崖から何やら大きな物がドシーン!!と落ちてきた。ハナが戸を開けてみると、何とそこには大きな赤鬼がひざを擦りむいて泣いていた。ハナは赤鬼に傷の手当をしてあげ、またお腹を空かした赤鬼に畑で取れた瓜(うり)を食べさせてあげた。 ところがこの瓜もまた小さい。「どうして瓜がこんなに小さいんじゃ?」赤鬼が言う。そこでハナは、薬売りが言ったことを話して聞かせ、自分にもお爺やお婆がいたらと言う。 すると赤鬼は、お礼に南瓜(かぼちゃ)の種と小槌(こづち)を渡し、この種を畑に蒔き、実をつけた南瓜の中で一番大きなものを小槌でたたくようハナに言うと、山の中に帰っていってしまった。 ハナは赤鬼に言われた通り、その日の夜に南瓜の種を畑に蒔いた。すると驚いたことに、翌朝には南瓜は芽を出し、実をつけていたのだ。さらに、その中の一つの南瓜がみるみる大きくなり、とうとう家よりも大きくなってしまった。 ハナがこれを小槌でたたくと、大きな南瓜が割れ、なんと中からはお爺とお婆が出てきた。ハナは南瓜の中から出てきたこのお爺とお婆に、色々なことを教えてもらい、三人末永く幸せに暮らしたそうな。
昔、埼玉の比企(ひき)の高坂という所に、怠け者の長太という百姓がおったそうな。 長太は毎日子供らに小博打をけしかけて遊んでおり、自分の田んぼの田植えをしようともせんかった。この辺りでは、川越の殿様の田畑見回りまでに田植えが済んでいなければ、お咎めで道普請の労働に行かなければならなかったそうじゃ。 じゃが、「あくせく働くのは嫌なこった。」と、その日も長太は田んぼの畦で怠けておった。するとそこへ、鐘を鳴らしながら一人の坊様が通りかかったそうな。早速長太は無理やり坊様にインチキ博打をけしかけた。勝負はもちろん長太が勝ち、負けた坊様に自分の田んぼの田植えやらせておいて、長太は一旦家に帰った。 しばらくして、長太が美しい妻を連れて田んぼに戻ってみると、一坪を残して田植えが済んでおり、坊様の姿は消えておった。長太が不思議に思っておると、また鐘の音が聞こえてきて、さっきの坊様が通りかかった。 長太はまた坊様に博打をけしかけたが、絶対勝つはずのインチキ勝負に長太は負けてしもうた。その上、坊様の体が次第に重くなってきて、長太は坊様の下敷きになって動けなくなった。 長太がふと目を覚ますと、長太は田んぼの畦でお地蔵様の下敷きになっておったのじゃった。なんとかお地蔵様の下から這い出し、自分の田んぼを見ると、一坪残して田植えが済んでおる。「夢の中に出てきたお地蔵様が田植えをしてくれたんじゃ!」と、喜んだ長太は家に帰って妻にそのことを話したそうな。 ところが妻はかんかんに怒っておった。実は、長太が畦で昼寝をしておる間に妻が田植えをしてくれておったのじゃった。坊様も美しい妻も全て夢だったのじゃ。残りの一坪は亭主のお前が植えろと妻に怒鳴られて、長太はしぶしぶ田植えをしたそうじゃよ。 その後長太が真面目に働くようになったかどうかは分からないが、夢の中に現れたお地蔵様は、今も高坂の田んぼの畦に立って、皆が働くのを眺めていらっしゃるということじゃ。
昔、島根の広瀬から富田川(とだがわ)沿いに少し山に入った所に、布部(ふべ)という小さな村があり、ここには清兵衛という鍛冶屋の爺さまが住んでいた。 ここら辺りの土は硬く、小石も混じっているので、畑を耕していると鋤や鍬の刃がすぐに欠けてしまう。そこで清兵衛爺さんは、どうにか村人のために刃こぼれしない鋤や鍬を打てないものかと考えていた。 爺さまは、村から少し離れた目谷(めいだに)の山の中に小屋を作って、そこを仕事場にしていた。ここで爺さまは、強い刃を打つべく樫、ナラ、松など色々な木を使って炭を作ってみたが、どれも火力が足りず、刃に上手く焼きが入らなかった。 そんなある夜のこと、爺さまが仕事をしていると、どこからともなく一人の小僧が現れ、小屋の入り口に太い木の枝を置いたかと思うと、またすぐに暗闇の中に消えてしまった。そして、そんなことが何日か続いたある晩、この不思議な小僧は爺さまにこう言った。「この椿の枝を使って炭を作るといい。そうすれば、硬くて火の勢いの強い炭が出来るよ。」 爺さまが小僧さんに言われた通り、この椿の枝で炭を作ると、たたらの火は勢いよく燃え、焼きの入った強い刃が出来た。爺さまは鍬を完成させると、何を思ったか、隣にある椿原へと入って行った。ここには、椿の古木がたくさん生えており、その中でも一番古い木の前に爺さまがやってくると、何と木の枝は全て切り取られている。 そして爺さまが木を見上げると、木の上には小屋に来たあの小僧が立っていた。小僧が爺さまに言うには、自分はこの椿の木の精で、爺さまが一所懸命に鍬や鋤を打っているのを見て、手助けしたかったのだそうだ。それで、自分の枝を切って、爺さまに分けていたのだ。爺さまはこれを聞いて、手を合わせてこの椿の古木に感謝した。 それからと言うもの、小僧が毎夜現れた爺さまの窯は、小僧がまと呼ばれるようになった。また、椿の古木は村人たちによって大切に祭られ、今でも春になると白い一重の花を、枝いっぱいに咲かせるのだそうだ。
岐阜県は瑞浪市釜戸町の西の外れ、百田という所での話だった。人里離れたこの場所に草堂を結び、一人で暮す老僧がいた。僧は自然を相手にした生活の中、くる日もくる日も木材に鑿を打ち弁天像を作っていた。 出来上がった弁天像を川のほとりの平原に安置したところ、いつの日からか白狐が像の傍らに寄り添うようにしてじっと像を見ているのに僧は気づいた。獣の身ながら仏心の篤い狐であると一人で暮らすその老僧は興味を持ち声をかけた。 狐は言葉を喋ることは無かったが白狐は老齢であって又弁天像を貰い受けたいと思っているのだと分かった。僧は経を解するようになれば狐に観音像をやろうと言い、経を習いにくるように言った。それから朝の読経を終えるころにはいつも狐は僧の庵を訪れるようになった。そして僧は狐の持ってきた木の葉に少しずつ経文を書いて渡してやった。 ところがある日、いつもの様に訪れると思っていた狐が読経を終えてもまだ姿を現わさない。僧はあたりの山じゅう狐を探し歩いた。すると岩穴の中で冷たく横たわる白い狐を見つけた。狐は僧の書いた木の葉の経文の上に身を横たえながら眠るようにして死んでいた。 一人で死んで行くのが寂しくて狐は弁天像を欲しがっていたのだと僧は気づき、像を遣り渋ったような自分を深く後悔した。僧は像を狐の傍らにそっと渡すと丁寧に狐を埋葬した。その晩僧の夢の中に狐が現れた。 礼を述べると自分を埋めた岩の近くの土を掘るようにと笑顔で狐は言った。次の朝、村人たちと共に僧は辺りの土を掘ると温泉が沸いてきた。そこで温泉は白狐の湯と呼ぶようになった。
むかしむかし、ある夏のことじゃった。いつもは顔を合わせることもない『お日さん』と『お月さん』と『雷さん』が、お伊勢参りの旅をすることになったそうな。 道中の雷さんは鬼のパンツで元気いっぱい、背中の太鼓を打ち鳴らし、あたりに雷を落としながら、そりゃあ騒がしく歩くんじゃ。お日さんとお月さんが文句を 言っても、雷さんは「いやぁ、すまんすまん!」と、またうるさく笑い飛ばしたそうな。じゃが、まずまず、三人は仲良く旅を続けたそうな。 やがて日も暮れたので、三人は宿に入った。お日さんとお月さんはゆっくりとお風呂に入ったが、雷さんはお風呂が嫌いで、次々に酒を運ばせては飲んでおった。 お日さんとお月さんがお風呂から上がる頃には、雷さんはすっかり酔っ払っており、酒臭~い息を吐きながら二人にさんざん酒をすすめ、太鼓をたたいて大声で歌いながら踊りだした。そのうるさいこと下手くそなこと。お日さんもお月さんもすっかり参ってしもうた。 そ うして騒ぐだけ騒いだ雷さんは酔いつぶれて眠ってしまったそうな。お日さんとお月さんはほっとして、雷さんを布団に寝かし、自分達も布団に入った。雷さん は初めのうちは静かにスースー眠っておったが、しばらくして、その『スー』が『ガー!』に変わったからたまらない。ほんに布団が吹っ飛ぶような大イビキ じゃった。 「眠らせてくれぇ~!」お日さんとお月さんは布団をかぶって苦しんでおったが、とうとう「儂……、儂、先に行くわ。」と、お日さんが逃げ出した。お月さんもそれについて、二人はまだ夜も開けないうちに雷さんを置いて宿を出発したのじゃった。 一 方の雷さんは夕方近くになって目を覚ました。お日さんとお月さんが先に出発したと聞いた雷さんは「月日のたつのは早いもんじゃなぁ。ほんなら儂は夕立とし ようかぁ!」と騒いで、直ぐに二人の後を追ったそうな。そうして雷さんが去った後には、稲光が走ってザーッと夕立が降ったということじゃ。
昔、秋の夜に虫たちが食材を持ち寄って、煮込み汁を食べた。 ところがカマキリどんが、カブトムシどんの持ってきたキュウリを全部食べてしまい、腹痛を訴え始める。医者のモグラ先生を呼びに行く役に、足が千本もあるムカデどんが選ばれる。 しかし、いくら待ってもムカデどんが戻って来ないので、様子を見に行くと、なんとムカデどんは、まだわらじを履いている途中だった。 結局、カブトムシどんがモグラ先生を連れてきて、カマキリどんは事なきを得たのだった。
昔々、要蔵(ようぞう)と言う男が居りました。近所に大きな野良猫が住みついてからと言うもの、どう言う訳かここしばらくの間、酷く運が悪いのでした。 ある時、要蔵がアマゴ(サツキマス)を釣りに出かけると、飛びきり大きなアマゴが釣り針に掛かりました。夢中で釣竿を振り上げると、その拍子にアマゴは後ろの藪の中に落ちました。藪の中には大きな野兎が居て、驚いた拍子に山芋のつるに絡まってしまい、山芋を何本も地面から引きずったまま動けなくなりました。 駆け付けた要蔵は思わぬ「大漁」に大喜び。早速アマゴと野兎と山芋を縛って持ち帰ろうと茅(かや)に手をかけると、茅の茂みの中には山鳥が巣を作っていて13個の卵がありました。 その日の晩は山芋と山鳥の卵でとろろ汁を作り、アマゴと兎の肉は串焼きにして、とっておきの酒の瓶を開け、久し振りに楽しい夕食のひと時を過ごしました。 ところがその日の夜、あの野良猫がこっそりとやって来て、すり鉢の中に残っていたとろろ汁をぺろぺろと舐め始めました。 翌朝、要蔵が目を覚ますと、あの野良猫がすり鉢の中に入り込み、もぞもぞと動いています。日頃の不幸を猫の仕業と考えている要蔵は腹を立て、すり鉢に忍びよって猫を捕まえてしまいました・・・ところが、要蔵が握りしめたのは猫の尻尾ばかり。 猫はあまりにもとろろ汁が美味しいので夢中ですり鉢を舐めているうちに、舌先がすれ、頭がすれ、体がすれ、尻尾を残してみんなすれてしまったのでした。 こうして疫病神の野良猫は居なくなったのですが、居なくなったら居なくなったで、要蔵は何となく寂しさを感じたのでした。
富山県小矢部というところの、峰村(みねむら)でのお話。この村には大きな一本の杉の木があり、子供が大好きな天狗が住んでいた。 この村の夫婦は喧嘩が激しく、子供たちも不安になり悲しい思いをしていた。天狗は子供たちがかわいそうになり、こっそり仏壇の鐘をチーンと鳴らし念仏を唱えた。誰もいない所から鐘の音がするので、気になってとりあえず夫婦喧嘩は収まった。 しかし毎晩のようにあちこちで夫婦喧嘩が始まるので、天狗はもうくたくたになり逃げる時に姿を消しそこなって、障子に長い鼻の影が映ってしまった。それを見た村の者は、天狗が心配してくれている事に気が付き、もう喧嘩をしないようにお互いに気遣うようになった。 こうして峰村には笑いが絶えなくなり、この天狗の事を念仏天狗と呼ぶようになった。天狗の一本杉にも、多くの子供たちが遊びに来るようになり、毎日を楽しく過ごした。
昔、正直で働き者のおじいさんが、山で木を切っていた。 昼になったので、おばあさんが作ったお弁当(焼きオムスビ2つ)を食べようと包みを開けたが、うっかりおむすびを転がしてしまい、木の下の穴に落としてしまった。 すると、穴の中から何やら可愛らしい歌声が聞こえてきたので、おじいさんはもう一つのおむすびを穴の中に転がした。聞こえてきた歌に夢中になっていると、おじいさんまで穴の中に転がり落ちてしまった。 落ちた所はネズミの屋敷で、おじいさんはネズミたちの餅つき踊りで熱烈歓迎され、きなこ餅をたくさん御馳走になった。帰りには、小判の詰まったお重をお土産にもらった。 自宅でたくさんの小判を前にして、おじいさんとおばんさんが大喜びしていると、それを見ていた隣のよくばり婆さんは、自分たちも真似して小判を手に入れようと計画した。 よくばり爺さんは、抱えきれないほどの沢山のおむすびを持って山に出かけた。穴を見つけたよくばり爺さんは、大量のおにぎりを穴に投入し、自分も無理やり穴に飛び込こんだ。 ネズミの屋敷に着いたよくばり爺さんは、餅つき踊りを披露されていたが、隙を見て小判を強奪しようと猫の鳴きまねをした。しかしその作戦は失敗し、よくばり爺さんはネズミたちに痛い目にあわされ、命からがら家に逃げ帰った。 その後は、よっぽど応えたのかあまり欲をかかなくなったそうだ。
大昔のこと、福島の磐梯山(ばんだいさん)の辺りには、火山がいくつもあって、そのため大変地震が多かった。そして、その磐梯山の頂には明神様が住んでおられた。この明神様、山の頂から遠くの山や海を眺めて、のんびりと昼寝をするのが何よりも楽しみだった。 ところが度々地震が起きるものだから、昼寝をしていると、注連縄(しめなわ)を押さえている石が頭の上に落ちてくる。明神様は、その度に頭にたんこぶを作って大層難儀していた。困った明神様は、磐梯山のふもとの岩穴に住むナマズどんの所へ行った。そして地震が起きる前に、自分に知らせに来てほしいと頼んだ。 さて、その次の日。地震を察知したナマズどんは、飛び跳ねながら山の上の明神様の所に知らせに行った。「明神さま~、明神さま~~、地震が来ま~す!!」こうして、ナマズどんが知らせてくれたおかげで、明神様は頭にこぶを作らずに済んだ。
昔、ある所に焙烙(ほうろく)売りの若者がいた。 ある日のこと、若者がいつものように焙烙を売り歩いていると、湖で娘たちが水浴びをしているのに出くわした。湖畔の松の枝には、目も覚めるような美しい着物が掛けてある。若者は、どうしてもこの着物が欲しくなり、一人分の着物を取って行ってしまった。 夕方になり、若者がまた湖に戻って来ると、そこには一人の娘が裸で泣いている。若者は、この見たこともないような美しい娘に一目惚れしてしまった。そこで、着物がなくて帰れないならオラの家で一緒に暮らしてくれと言い、この娘を嫁にしてしまう。若者と娘はそれから仲睦まじく暮らし、二人の間には子供までできた。 しかしそんなある日、嫁は天井の梁に吊るしてある包みに気づき、これを開けてしまう。その中には、嫁が湖で取られた着物が隠してあったのだ。嫁はこの着物を着ると、戻って来るよう懇願する若者を後にして、子供を抱えて天に昇って行く。嫁は、自分に会いたかったら草鞋(わらじ)を千足編んで、竹の根元に埋めるよう若者に言い残した。 若者は、それから嫁に会いたい一心で草鞋を編み始めた。ところが、千足に一足少ない九百九十九足の草鞋を竹の根元に埋めたため、地面から伸びてきた竹は今一つの所で天には届かなかった。そこで若者は天にいる嫁を呼び、嫁の手を借りてどうにか天に昇った。 ところが天にいる嫁の両親は、自分たちの許可なく娘を嫁にした若者を快く思っていなかったのだ。それで父親は事あるごとに若者に難題を吹っかけてきた。ざるで水を汲むという難問は、嫁の知恵でざるに油紙を敷いてクリアしたが、今度は畑の瓜を褒美にやるという。但し、瓜は必ず縦に切れと言うのだ。若者が言われた通り、畑の瓜を縦に切ると、何と瓜からは水があふれ出し、その水は天の川となって若者を押し流してしまった。 流される若者に向かって、嫁は七日に会いましょうと言うが、若者がこれを七月七日と聞き間違え、二人は毎年七月七日に、天の川をはさんで一日しか会えなくなってしまった。そして、これが七夕の始まりだということだ。
昔、三重県桑名に、飴忠(あめちゅう)という飴屋がありました。 夏のある夜のことです。あめちゅうの親父が皆が寝静まったあと一服していると、「飴を一文ください」と一人の女が飴を買いに来ました。親父は夜中ではあったけれども快く飴を売ってやりました。 次の日、親父が銭勘定をしていると、銭箱の隅に樒(しきみ)の葉が入っているのです。そんな事が2、3日続き、流石に疑問を感じた親父は「さてはあの女は狐か狸か」と思って、正体を見極めてやろうと次の晩を待つことにしました。 次の日は朝から雨で夜までずっと降り続きました。親父も「さすがにこの雨では狐らも諦めたろう」と思っていると、女が現れたのです。女が傘もささずにやってきたのに全く濡れていないことに気づいた親父は、こっそり女の後をつけてみることにしました。すると、浄土寺の方にきてすぅっと消えてしまったのです。 「やはり狐か狸だな!」と思った親父は、朝になると浄土寺の住職に狐退治を依頼しましたが、住職はもう一度最後まで見極めてみてはどうかと提案し、親父はしぶしぶもう一度最後まで確かめてみることにしました。 その夜、女をつけた親父は、女が寺の裏手にある無縁仏の墓の前で消えるのを目撃しました。「幽霊だったのか」と震える親父が土饅頭に耳を当ててみると、赤子の泣き声がします。住職に了解をとって掘り返してみると、墓の中で赤子が泣いているではありませんか。 この墓は5日前に浄土寺の前で亡くなった身重の女性のものだという住職は、「死んでから産まれた赤子を育てようと飴を買いに行ったのだろう」と言って、女を改めて供養しました。そして、飴屋の親父はその子を引き取って育てることにしました。 この話が広まって、あめちゅうの飴は「幽霊飴」として評判になり、今でも八月の地蔵盆では「幽霊飴」が売られているそうです。
むかし、埼玉のある村のはずれに、杉の木の皮で屋根を葺いた古い一軒屋があった。その家には、おじいさんとおばあさんが二人きりで住んでいた。 ある日のこと、山から腹を空かせた狼が一匹下りてきた。狼は川で洗濯しているおばあさんを見ると、おばあさんに狙いを付けた。狼は、おばあさんを食べようと畑まで後をつけるも、近くにはいつも鎌を持ったおじいさんがいるので、おばあさんを襲うことが出来ない。仕方なく狼は二人に先回りして家に戻り、家の縁の下で様子をうかがうことにした。 さて、二人が野良仕事から帰って来ると、家の周りに狼の足跡がある。これを見たおじいさんは、「大変だ狼が家の周りにいる」とおばあさんに言う。しかし、おばあさんは家には鍬や鎌があるので、家に入って来たら鍬や鎌で追っ払えばいいので心配ないと言う。更におばあさんが言うには、こんな雲行きの日には“むりどん”が来そうだ。むりどんは狼よりもおっかないと言うのだ。 これを縁の下で聞いていた狼は、色々な動物を思い浮かべるが、“むりどん”などと言う動物は思い当たらない。二人が言うには、むりどんは戸締りをしても、どこからでも入って来るのでかなわないそうだ。これを聞いた狼はいよいよ怖くなり、“むりどん”とは化け物の類に違いないと思うのだった。 むりどんが恐ろしい狼であったが、もしむりどんが来なければ二人が寝静まった後、二人とも食べてしまうことが出来るので、怖いのを我慢してもう少し様子を見ることにした。 そうこうしている内に、雲行きがあやしくなり雷が鳴り出した。とうとう雨が降り出し、家の中では「むりどんが来た!!」と言って大騒ぎになった。おじいさんとおばあさんは慌てていたので水がめを倒してしまい、水が縁の下にいた狼にかかった。すると狼はむりどんに襲われたと勘違いして、大慌てで縁の下を飛び出し、腹を空かせたまま山に帰っていってしまった。 家の中はそこらじゅうで雨漏りしていて、雨漏りがするところの下には皿や茶碗が置かれ、落ちてくる雨しずくを受けていた。“むりどん”とはこの地方で雨漏りをさす言葉だったのだ。
メシを食わない女なら嫁にする、と言っていた男の元に飯をくわない女が嫁に来た。 確かに、この嫁は顔の口からはメシを食わなかったが、男が居ない間に頭のてっぺんにある大きなお口で米をがんがん消費した。 それを目撃した夫が女に離縁を突きつけると、嫁は鬼女に戻って夫を樽に入れて連れ去ろうとする。夫は何とか逃げ出し、菖蒲の葉の中に身を隠した。 追ってきた鬼女が菖蒲の葉を怖がり一命をとりとめた。それから、鬼は菖蒲に弱いとして、魔よけに菖蒲を飾るようになった。
昔、長崎の八天岳(はってんだけ)の麓に百姓夫婦が住んでおって、八天岳の天狗どんに子供ができるように毎日お願いしておったそうな。するとある晩、おかかは八天岳の天狗どんが腹に飛び込んだ夢を見て、元気な男の子を産んだそうじゃ。この子は大蔵と名付けられ、親孝行で気の優しい、大変な力もちになった。 そんなある日、大蔵が芝を刈りに八天岳に出かけると、大岩の上から天狗どんが呼びかけて来たそうじゃ。それから毎日、大蔵は天狗どんと相撲をとるようになり、近在で一番相撲が強くなった。そうして大蔵が江戸に上ることになった時、天狗どんは大蔵に天狗の力を授け、人情に負けてわざと相手に負けるとその力はなくなってしまうと忠告したそうじゃ。 こうして江戸で相撲取りとなった大蔵は、投げ技が速いことから「稲妻」という四股名(しこな)をもらい、毎日素晴らしい取り口で勝ち続けた。そうして明日は千秋楽という日の夜、龍ヶ岳という黒星続きの相撲取りが大蔵を訪ねてきた。龍ヶ岳は「明日、田舎から両親が相撲を見にやってくる。どうか明日は自分を勝たせてくれ。」と大蔵に頼んだそうな。大蔵は龍ヶ岳の頼みを一旦は撥ねつけた。 じゃが翌日、稲妻大蔵と龍ヶ岳の取り組みが始まると、大蔵の目に龍ヶ岳の年老いた両親が必死になって息子を応援する姿が映った。大蔵は思わず体の力を抜き、龍ヶ岳に負けてしもうたそうじゃ。 こうして情けに負けた大蔵は、それから天狗どんが言うたとおり力が入らなくなり、とうとう相撲を辞めて長崎へ帰ることになった。じゃが、あの時、涙を流して喜んだ龍ヶ岳の両親のことを思い出すと、これで良かったのだと、大蔵はまた気持が晴れ晴れとしてくるのじゃった。 その後大蔵は、また昔のように両親を助けて百姓仕事に精を出したそうな。そうして、天狗どんからもらった神通力がなくなっても、まだまだ何をやっても普通の人よりずうっと力が強かったそうじゃよ。
昔むかし、百姓の五作の家にとんでもなくでっかい釜がありました。五作が生まれた時からあったこの大釜には言い伝えがあり 「この釜は家の守り本尊。お宝の逃げぬ為の重し。動かせば盗っ人に楽に仕事をさせる。」 というものでしたが、五作ははよく意味がわからないままそれを唱えつつ大釜を家宝として守っていました。 五作はいつも家宝が盗まれいないかと気になって、昼間も家中に心張り棒をして出かける念の入れようでしたがそれでも心配で畑仕事が手につかず、夜ともなれば物音ひとつに盗っ人ではないかと驚いて十分眠る事もできないのでした。 ある晩五作は釜の中にいれば気が付かぬうちに盗まれる事もなかろうと思いつき、中に入って久々にぐっすり眠っていました。ところがそこへ怪力の泥棒が戸を破って現れて、五作が中にいる事も気づかずに大釜を持ち上げて外へでてしまいました。 こんな怪力の盗っ人に見つかったらひねり殺されてしまうと、五作が出るに出られず釜の中で震えおりますと、とうとう腹が減った泥棒が食い物でも入ってないかと道の途中で釜の蓋を開けました。五作はもう開き直って立ち上がり、どうしてそんなところにいるのかという泥棒の問いに、夢中であの言い伝えを唱えて答えました。それを聞いた盗っ人は喜んで五作を置いてどこかへ飛んで行きました。 次の日、五作が重い釜を引きずってやっとこさ家に戻ってみると、釜が置いてあった床が剥がされ軒下の地面に穴が空いていました。「お宝の場所を教えてくれてありがとよ」という盗っ人の置き手紙をみつけ、そこで初めて五作は床下に宝が埋めてあったのだと悟り、俺は何と知恵がないのかと歯ぎしりしました。 しかしふと思い直してみると、お宝がなくなったおかげで五作の心配事はすっかり無くなりました。そうして五作は夜にぐっすり眠れるようになり、大釜は裏庭に転がしたまま昼は畑仕事にせいを出して、のびのび幸せに暮らせるようになったという事です。
昔、ある所にお花という傘を売って歩く働き者の女の子がいました。雨の日も風の日も、両親が作った傘を売り歩いていましたが、雨の降らない日は傘は売れないのでいつも帰りが遅くなってしまうのでした。 ある夜の事、帰り道を急いで歩いていたお花に、体の大きな婆様が話しかけてきました。暗い道が怖かったお花はホッとして、しばらく一緒に歩いていましたが、婆様の手足にうろこが付いている事に気が付きました。この婆様は女川(めかわ)の主の河童の化け物だったのです。 慌てて走り出したお花を捕まえようと、化け物も正体を現して猛スピードで追いかけてきました。命からがら塩たき小屋にかけ込んだお花は、塩カゴの中にかくまってもらいました。さらに塩たき爺さんは、お花の回りにたくさんの魔除けの塩をまいてくれました。 化け物が、塩に触れないように体を長くのばしてお花に近づこうとしたその時、塩たき爺さんは高く積み上げていた塩カゴを引き倒しました。大量の塩が化け物に降りかかると、化け物の体が半分溶けてしまい、残った足だけが真っ暗な夜道を逃げていきました。 こんな事もあって、お花と塩たき爺さんの話は評判となり、お花の傘は良く売れるようになりました。
世界一の良か嫁ごを探して旅するネズミの男がいた。旅の途中、腹がへって倒れているところに、やさしいネズミの娘さんに出会った。 ネズミの娘さんは「皆を温かく包み込む太陽が一番偉い」と言うので、男は太陽を嫁さんにしようと決めた。ところが、男は人に頭を下げるのが苦手なので、代わりに娘さんにたのんで、太陽さんのところに行ってもらい、嫁になってもらえるようお願いした。 しかし、ネズミの娘さんが太陽にお願いに行くと、「月さんの方が偉いよ」と言われた。 月さんにお願いに行くと、「雲さんの方が偉いよ」と言われる。 雲さんにお願いに行くと、「風さんの方が偉いよ」と言われる。 風さんにお願いに行くと、「風も通さない壁に穴をあけるネズミの方が偉いよ」と言われる。 その事をネズミの男に伝えると、「じゃあお前を嫁にすることに決めた」と言ったが、娘はそれを断った。 娘は男のことが嫌いな訳ではなかったが、男の身勝手さゆえに求婚を断ったのだった。 求婚を断られた男は娘の家を去り、失意に打ちひしがれて道をトボトボと歩いていた。するとこれを見て可哀想に思った雷様が、見かねて男に雷を落とした。ネズミの娘はびっくりして家から出て、男のそばに駆け寄り男を看病した。 その後、心を入れ替えて身勝手さを直した男はこの娘と結ばれた。ネズミの男は、ようやく世界一の良か嫁をもらう事ができたのだった。