2020年の教育改革。その先駆けともいえるのが100年前の大正新教育運動だ。与謝野晶子等の芸術家や教師たちが目指した教育の理想、現代への教訓を探る。 2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしている。今から100年前、それを先取りするような改革があった。大正新教育運動だ。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍した。しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにする。
昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦。海軍で、戦争を回避する避戦派の中心にいたのが連合艦隊司令長官・山本五十六だった。彼の開戦への葛藤と苦悩をたどる 昭和16年、太平洋戦争開戦。その決定には陸軍の強引な主張があったとはいえ、アメリカを仮想敵国として研究を重ねてきた海軍の同意がなければ最終的な決定はなかった。海軍で、避戦派の中心にいたひとりが連合艦隊司令長官・山本五十六である。近年、山本が海軍兵学校同期の堀悌吉に宛てた書簡が発見され、山本の避戦への思いと葛藤が明らかになりつつある。山本の書簡をたどりながら、日本の開戦への道程を掘り下げる。
史上初の武家政権を樹立した英雄、平清盛。権力を手にした晩年、その視線の先にあったのは経済大国・宋だった。宋銭を大量に輸入し、日本に貨幣経済を導入しようとした! 平安末期、強大な武力と巧みな政治手腕で成り上がり、権力の座についた平清盛。「おごる平家も久しからず」と言われるように、貴族化し、権力に溺れて自滅したとも語られてきたが、その実像は、先見性あふれるグローバルな改革者だった。清盛は経済大国・宋から大量の銭を輸入。貨幣がまだ定着していない日本で、宋銭を新たな通貨に定めようとした。ところが、有力貴族や寺社勢力が猛反発。時代に先駆けた大胆な構想に迫る。
頼朝が築いた武家の都「鎌倉」。それは、「頼朝の権威の小宇宙、頼朝ワールドだ」と磯田道史さんはいう。かつて、鎌倉にあった幻の大寺院を徹底分析し、その思いを探る。 奥州藤原氏との戦いに勝利した後、頼朝は、幻の一大伽藍(がらん)永福寺(ようふくじ)を建設した。近年の発掘調査から、それは宇治の平等院をほうふつさせる、池を前にした華麗な寺院であったことが明らかになった。鎌倉の北東・鬼門の方向にあるのは、奥州藤原氏の怨念を封じるためではないかという見方がある一方、京に対抗する武家の都の象徴という見方もある。武家の都・鎌倉の構造から、頼朝の壮大な政治戦略を読み解く。
私たちの遠い先祖たちは、何を考え、どう生きたのか?縄文・弥生・古墳、3つの時代をめぐり、最新の発掘や研究成果から“古代人のこころ”に迫る2時間スペシャル! 個性的でミステリアスな姿が大人気の「土偶」。その顔の表現の変遷から縄文人のどんな心理が読み取れるのか?弥生時代の「テクノポリス」と驚きの「海洋経済ネットワーク」とは?カラフルな幾何学模様で埋め尽くされた「装飾古墳」には、人々のどんな心情が投影されているのか?縄文・弥生・古墳、3つの時代をディープに掘り下げ、現代の日本人にもつながる”古代のこころ”を探求。ロマンあふれる古代史の魅力をひもときます!
源義経の「一の谷の戦い」を徹底検証。後白河法皇と兄の頼朝とのあいだで板挟みになりながら目覚ましい軍功を上げ、最終的には、悲劇のヒーローとなった義経の素顔に迫る。 源平戦において頼朝の方針は、平氏を軍事的に圧迫し降伏を強いる「長期戦」だった。そこには平氏が連れ去った安徳天皇の身柄と三種の神器を確保し、朝廷と互角の立場で交渉できる武家政権を樹立しようという思惑があった。ところが、 その構想を根底から覆したのが、義経の「短期戦」だった。なぜ義経は頼朝の構想に反する短期決戦を選んだのか?“悲劇のヒーロー”誕生の背景をさぐる。
戦国末期、豊臣秀吉が起こした対外戦争、文禄・慶長の役。明・朝鮮との講和交渉を担った小西行長は、なぜ戦争を止めることができなかったのか。知られざる舞台裏に迫る。 豊臣秀吉が、総勢30万の兵を動員した対外戦争、文禄・慶長の役。明・朝鮮連合軍との戦いの最中、独自に講和の道を模索したのが小西行長だった。行長は、明の勅使を日本に招聘することに成功。しかし、秀吉との面会は実現させたものの、講和を急いだことが仇となり、交渉は決裂、戦争は泥沼化していった。日本の前線基地・肥前名護屋城での調査を交え、無謀な対外戦争をなぜ止めることができなかったのか、その真相に迫る。
江戸時代屈指の名君として知られる上杉鷹山。莫大な借金で潰れかけた米沢藩を一代で復活させるまでにはいくつもの壁があった。門閥重臣たちに改革廃止を迫られた鷹山の選択 上杉鷹山が継いだ米沢藩は、膨大な借金がかさみ、先代は幕府へ領地返上することまで考えたという。現代でいえば会社解散。いったいなぜそのような窮状に陥ったのか?改革に乗り出した鷹山が一代で財政再建をなしとげるまでには数々の壁が立ちはだかる。その最初の大きな壁となったのが門閥の重臣たち。鷹山の再建政策にことごとく反発し、ついには改革廃止を求めて鷹山に直談判に及ぶ。聞き入れなければ強制隠居も。鷹山の選択は?
戦国時代に全国で爆発的に増えた「山城」。それぞれの地形や自然条件を大いに活用し、武将たちは創意工夫を凝らした難攻不落の城を築いた。圧巻!驚異!名城の魅力に迫る。
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一。実は、彼は、幕末、同志を集め、幕府を打倒する作戦を練り、実行目前だった。若き日の栄一の青春に、スポットをあてる。 倒幕計画を断念した渋沢栄一は、一橋家重役・平岡円四郎の計らいで、一橋慶喜の家来になる。領内を駆け回り、500人の農兵を組織し、他方、一橋家の財政を強化するなど、栄一の活躍は目覚ましいものがあった。ところが、慶喜が、15代徳川将軍に就任することになった。栄一は悩む。倒幕の志を捨てて、幕府の家臣となるのか。去年、新たに復活した渋沢栄一のアンドロイドが、その七転八倒の青春時代を振り返る。
大事な場面で意見を翻し、幕末の政局を翻弄した徳川慶喜。人呼んで、二心殿。慶喜は、なぜ将軍となり、自ら幕府を終わらせたのか?謎に満ちた「最後の将軍」の実像に迫る。 江戸時代最後の将軍・徳川慶喜。幕末動乱の時代の舵取りを担った英雄だが、当時から“二心殿”と呼ばれるほど、実像がわかりにくい人物だ。開国を唱えたと思ったら、すぐに攘夷と意見を翻すなど、その言動はしばしば周囲を混乱させた。そんな慶喜に迫られた最大の選択。それが、一度は躊躇した将軍になることだった。慶喜は、どんな未来を見据えていたのか?そしてなぜ自ら幕府に終止符を打ったのか?謎に満ちた慶喜の実像に迫る。
天平時代、日本は天然痘のパンデミックに襲われ、国民の三分の一が失われたという。復興に当たった聖武天皇と宰相の橘諸兄。やがて律令国家の根幹を捨てる選択を迫られる。 今から1300年前、律令国家日本の都・平城京は「咲く花の匂うがごとし」という繁栄を迎える。そこに襲い掛かったのが天然痘のパンデミック。全国民の三分の一が命を落としたといわれる。復興に当たって聖武天皇が政権を任せた橘諸兄は農民の負担を軽くするなど力を尽くすが、天皇は「仏が守る国」を作るために次々と新たな事業を起こす。その財源を確保するため、諸兄が迫られたのは、律令国家の根幹制度を捨てる選択だった。
今年は、戦国最強といわれた武田信玄の生誕500年。信玄が、死の直前、生涯最大の敵・織田信長・徳川家康と激突すべく西へ侵攻した「幻の西上作戦」を徹底分析する。 戦国最強の猛将といわれた信玄のイメージは、ここ10年あまり、周到で緻密な戦略家という姿が、浮き彫りになってきたという。中でも、信玄最晩年の「幻の西上作戦」は、その最高傑作と言われる。怒とうの快進撃で、西を目指した信玄軍は、突如、家康の浜松城の近くに現れ、三方ヶ原の戦いで、家康軍に徹底的な打撃を与えた。徳川領にとどまり、家康を討つのか?西へ向かい信長を討つのか?信玄の最終決戦の選択に迫る。
江戸時代後期、災害や飢きんで荒廃した農村を救うすご腕の復興請負人が現れた。二宮金次郎。型破りな方法で農村と人の心を復興。薪を背負う少年像とは違う実像に光を当てる 江戸時代後期、農家に生まれた二宮金次郎は災害で没落した実家を再興、奉公先の武家の家計も再建。その腕を買われ、災害と飢きんで荒廃した北関東の農村の復興を任される。10年かけて成功、復興請負人として引く手あまたになる。しかし、金次郎の型破りな手法の前には常に役人の壁が立ちはだかる。金次郎の「時代を先取りした経済感覚」と「大胆な手法」の根底にある考え方と官僚機構との摩擦の中に、現代に通じる教訓を探る。
平安貴族の頂点を極めた実力者、藤原道長。傲慢なイメージで語られることの多い人物だが、自筆日記からは意外な姿が見えてきた。平安のカリスマ型リーダーの実像に迫る! 三人の娘を三代の天皇にわたって后(きさき)として送りこみ絶大な権力を握った平安貴族、藤原道長。「この世をばわが世とぞ思う 望月の欠けたることもなしと思へば」と、自らの権勢を「満月」に重ね合わせて詠んだ歌で有名だ。しかし自筆日記からは意外な実像が…それは、権力欲に駆られた強引な男というイメージからはかけ離れた、繊細で心配り上手なリーダーとしての姿だった。藤原道長の知られざる実像と権力掌握の秘密に迫る
1867年パリ万博。将軍・徳川慶喜は、弟の昭武(15歳)を代表とする幕府使節団を派遣する。実は、使節団には、幕府の巻き返しを図る密命が託されていたのである。 昭武たち幕府使節団に託された密命は、フランスからの600万ドルの借款計画を実現せよというものだった。幕府のキレモノとして知られる小栗上野介が、駐日フランス公使ロッシュと練り上げた計画。600万ドルの資金を調達して、軍艦や武器を購入し、薩長に対抗しようという幕府の起死回生の策である。ところが、パリで昭武たちに立ちふさがる薩摩の妨害を前に、徳川慶喜はさらなる選択に迫られる。知られざる幕末外交秘話。
毎年、台風の猛威にさらされる日本。歴史に残るスーパー台風と先人たちはどう格闘してきたのか?天災は繰り返す。想定外の災害に備える叡智を歴史から学ぶ。 毎年、台風の猛威にさらされる日本。歴史に残るスーパー台風と先人たちはどう格闘してきたのか?江戸時代の佐賀藩を襲ったシーボルト台風。雄藩への足掛かりを築いた復興の秘策とは?昭和9年の室戸台風では学校校舎が次々に倒壊、大勢の児童・教員が死亡した。災害避難のあり方を探る。戦後最悪の高潮被害をもたらした伊勢湾台風。浸水被害を予測した地図はなぜ活かされなかったのか?想定外の災害に備える叡智を歴史から学ぶ。
戦国時代最大の山岳戦といわれる戦いがある。関東の覇者・北条氏康と武田信玄が激突した「三増峠の戦い」だ。挟み撃ちをしかける氏康と裏をかく信玄。名将二人の知恵比べ。 戦国時代屈指の名将として知られる北条氏康と武田信玄。この二人が激突したのが戦国最大の山岳戦「三増峠の戦い」だ。関東に侵攻して氏康の小田原城を囲んだ武田軍2万。だが撤退ルートにあたる三増峠には氏康の命で2万の軍が待ち構え、追撃する氏康本隊との挟み撃ちを狙っていた。一方の信玄は別ルートを進む動きを示して氏康を迷わせる。拙速な追撃は逆に待ち伏せされる恐れもある。名将二人の知恵比べ。そして意外な結末が。
明治14年、この国のカジとりをめぐって、大隈重信が辞任に追い込まれる。仕掛けたのは伊藤博文。複雑怪奇な政変の真相にメスを入れる。 世にいう「明治十四年の政変」は、「開拓使官有物払い下げ事件」をきっかけに藩閥と結託した伊藤博文が、開明派の大隈を追放したといわれる。しかし、その背景には、大きな謎がある。伊藤は大隈と同じく開明派であり、明治初頭には鉄道敷設や廃藩置県など進歩的な施策を協同で実施していた。なぜ伊藤は政変のさなか、わずか半年のあいだに態度を急変させ、大隈を追放したのか?複雑怪奇な政変の真相に迫る。
時代を動かした謎多き若武者・北条時行。幕府執権の父を裏切り、討幕に寝返った足利尊氏への復しゅうを果たすため、幾度も窮地を逃げ延び、不屈の戦いを続けた生涯を追う! 鎌倉幕府の滅亡時、実権を握った北条高時をはじめとする一族、重臣は自害して果てた。しかしこの時、燃えさかる鎌倉から高時の遺児・北条時行が脱出していた!北条氏を裏切った足利尊氏への報復と、鎌倉幕府再興の夢を胸に、時行の終わりなき戦いが始まる。2年後、信濃で挙兵すると一気に鎌倉奪還へ!時行の戦いを契機に、歴史は動乱の南北朝時代へとなだれ込む。人気漫画の主人公としても話題を集める謎多き若武者の生涯に迫る。
江戸時代中期、将軍側近から老中に出世して政権を握った田沼意次。近年評価の高い経済政策は「山師」と呼ばれる人々の発案だった。そしてすべてが天明の大飢饉で覆される。 賄賂政治家として名高い江戸中期の老中田沼意次。近年は財政危機の幕府を立て直すべく、先進的な経済政策を打ち出した政治家として評価が高い。東西で分かれていた金銀通貨の統合、印旛沼の干拓等々。実はその政策の多くが、「山師」と呼ばれたベンチャー起業家たちのアイデアを採用したもの。しかし、得意の絶頂で起きた天明大飢饉が田沼の運命を暗転させる。磯田氏発掘の新史料も登場、田沼が大出世を遂げた秘密にも迫る。
2020年5月、京都御苑内で発見された秀吉最晩年の城、「京都新城」。幼い秀頼に、どう天下を継承させるか。新発見の城が物語る、秀吉の知られざる“終活”プランとは? 2020年5月、戦国史を揺るがす大発見があった。京都御苑の一角で、豊臣秀吉が亡くなるわずか一年前に築いた幻の城の遺構が姿を現したのだ。「京都新城」である。当時まだ5歳だった秀頼のために築いた城といわれる。城郭考古学者・千田嘉博さんは、秀吉の狙いを豊臣家の生き残り戦略と分析する。果たしてその真相とは?新発見の京都新城の分析を軸に、英雄・秀吉の人生最後の戦略、知られざる“終活”プランに迫る。
天才浮世絵師・葛飾北斎。近年、国内外で相次ぐ北斎画の新発見を交えながら、絵を描くことに生涯を捧げた画狂・北斎の知られざる苦境とそれを乗り越えた人生の選択を描く。 今なお世界的に巻き起こる北斎ブーム。いったい何が人々をそこまで魅了するのか?今回、東京・日本橋でみつかった「知られざる美人画」やイギリス・ロンドンの大英博物館に眠る「幻の作品」など、近年、相次ぐ北斎画の新発見を4Kカメラで撮影&徹底分析。代表作「冨嶽三十六景」出版にいたる北斎の「選択」を描く。さらに北斎の娘・お栄のもうひとつの「選択」を探り、北斎親娘が人生を賭して挑み続けた画の境地に迫る。
国際情勢を的確に把握し、世界との貿易を推し進めた“開国派”、徳川家康。その家康がなぜ禁教令を発したのか?そしてなぜその後日本は“鎖国”に?家康の選択に迫る。 徳川家康といえば、江戸時代の“鎖国”の礎を築いた人物というイメージ。だが、当時日本を訪れた外国人が見た家康は、国際情勢を的確に把握し世界との貿易を推し進めた“開国派”だった。この家康の全方位外交は、やがて政権中枢に思わぬ事態を招き寄せてしまう。配下に多くのキリシタンが潜伏していることが発覚したのだ。そして発した禁教令。家康の真意とは?なぜ日本は“鎖国”へと向かったのか?家康晩年の選択に迫る。
初回放送日: 2021年10月13日 国際情勢を的確に把握し、世界との貿易を推し進めた“開国派”、徳川家康。その家康がなぜ禁教令を発したのか?そしてなぜその後日本は“鎖国”に?家康の選択に迫る。 徳川家康といえば、江戸時代の“鎖国”の礎を築いた人物というイメージ。だが、当時日本を訪れた外国人が見た家康は、国際情勢を的確に把握し世界との貿易を推し進めた“開国派”だった。この家康の全方位外交は、やがて政権中枢に思わぬ事態を招き寄せてしまう。配下に多くのキリシタンが潜伏していることが発覚したのだ。そして発した禁教令。家康の真意とは?なぜ日本は“鎖国”へと向かったのか?家康晩年の選択に迫る。
初回放送日: 2021年9月29日 天才浮世絵師・葛飾北斎。近年、国内外で相次ぐ北斎画の新発見を交えながら、絵を描くことに生涯を捧げた画狂・北斎の知られざる苦境とそれを乗り越えた人生の選択を描く。 今なお世界的に巻き起こる北斎ブーム。いったい何が人々をそこまで魅了するのか?今回、東京・日本橋でみつかった「知られざる美人画」やイギリス・ロンドンの大英博物館に眠る「幻の作品」など、近年、相次ぐ北斎画の新発見を4Kカメラで撮影&徹底分析。代表作「冨嶽三十六景」出版にいたる北斎の「選択」を描く。さらに北斎の娘・お栄のもうひとつの「選択」を探り、北斎親娘が人生を賭して挑み続けた画の境地に迫る。
初回放送日: 2021年10月20日 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産が決まり、日本列島の古代に注目が集まっている。今回は、土偶やハニワの顔の研究から、古代人のこころに迫るスペシャル。 東京大学名誉教授・設楽博己さんは、顔にイレズミとみられる表現が、縄文から弥生、古墳時代にかけて、形を変えて現れることを発見した。縄文的なこころが、形を変えて、弥生時代や古墳時代に伝えられているのだろうか?最新の考古学の知見をもとに、「顔」が語る古代人の「こころ」をひもとく。そこから、弥生時代後期から古墳時代にかけて、大和地方に顔をめぐる驚くべきミステリーが浮かび上がってきた。
初回放送日: 2021年9月8日 江戸時代中期、将軍側近から老中に出世して政権を握った田沼意次。近年評価の高い経済政策は「山師」と呼ばれる人々の発案だった。そしてすべてが天明の大飢饉で覆される。 賄賂政治家として名高い江戸中期の老中田沼意次。近年は財政危機の幕府を立て直すべく、先進的な経済政策を打ち出した政治家として評価が高い。東西で分かれていた金銀通貨の統合、印旛沼の干拓等々。実はその政策の多くが、「山師」と呼ばれたベンチャー起業家たちのアイデアを採用したもの。しかし、得意の絶頂で起きた天明大飢饉が田沼の運命を暗転させる。磯田氏発掘の新史料も登場、田沼が大出世を遂げた秘密にも迫る。
初回放送日: 2021年11月3日 幕府と天皇への忠誠を貫きながらも、明治新政府によって「朝敵」として征討された会津藩の“悲劇”。激動の幕末、藩主・松平容保は何を目指し、どこで挫折したのか? 戊辰戦争最大の悲劇として語り継がれる会津戦争。会津藩は薩長を中心とする新政府軍の猛攻を受け、多大な犠牲を出して敗北。このときの藩主・松平容保は、激動の幕末に困難な選択を次々と迫られた。運命を大きく変えたのが京都守護職への就任。京で一橋慶喜らと共に政権の中枢を担うことに。容保が追い求めたのが、朝廷と幕府が一体となって国の難局にあたる公武合体の実現。その夢はなぜ破れたのか?“会津の悲劇”の真相に迫る。
初回放送日: 2021年8月25日 時代を動かした謎多き若武者・北条時行。幕府執権の父を裏切り、討幕に寝返った足利尊氏への復しゅうを果たすため、幾度も窮地を逃げ延び、不屈の戦いを続けた生涯を追う! 鎌倉幕府の滅亡時、実権を握った北条高時をはじめとする一族、重臣は自害して果てた。しかしこの時、燃えさかる鎌倉から高時の遺児・北条時行が脱出していた!北条氏を裏切った足利尊氏への報復と、鎌倉幕府再興の夢を胸に、時行の終わりなき戦いが始まる。2年後、信濃で挙兵すると一気に鎌倉奪還へ!時行の戦いを契機に、歴史は動乱の南北朝時代へとなだれ込む。人気漫画の主人公としても話題を集める謎多き若武者の生涯に迫る。
初回放送日: 2021年5月12日 昭和7年、五・一五事件で青年将校らの凶弾に倒れた犬養毅。“憲政の神様”と呼ばれた政治家は、立憲政治を守るため藩閥や軍と対決。その生き様が今問いかけるものとは? 昭和7年5月15日、海軍青年将校らの凶弾に倒れた首相・犬養毅。“憲政の神様”と呼ばれた政治家は、なぜ殺害されなければならなかったのか。議会開設以来、一貫して立憲政治を守るために闘ってきた犬養。大正時代には軍の兵力増強要求を、政党勢力を結集して阻止。満州事変では、中国に密使を送り和平工作に奔走した。死の二週間前、軍の暴走を徹底批判したラジオの肉声。犬養の壮絶な生き様は、現代に何を問いかけるのか?
戊辰戦争で、新政府軍を大いに苦しめた越後・長岡藩の河井継之助。最新鋭ガトリング砲の威力とは?新時代を見据えた理想の国家像とは?不可能に挑み続けた侍の選択に迫る。 幕末、“越後の蒼龍”として恐れられた長岡藩の河井継之助。常に不可能に挑み続けた侍だった。大赤字の藩財政を、見事V字回復へ。戊辰戦争では、圧倒的武力の新政府軍に恭順を迫られても、独自の武装中立を模索。それが拒絶されると、劣勢の兵力ながら新政府軍と徹底抗戦へ。河井が自ら操った最新鋭ガトリング砲の威力とは?新時代を見据えた理想の国家像とは?幕末から維新へ。藩の、そして時代の命運を分けた河井の選択に迫る。
悲劇の山城・月山富田城。名だたる武将たちが挑み、武力で攻め落とすことが出来なかった戦国時代最大級の山城の強さの秘密に、城郭考古学者・千田嘉博さんと迫る。 尼子氏の居城・月山富田城は、その巧みな守りの仕掛けによって難攻不落の山城として恐れられた。第1次の戦いは、大内義隆が、1万5千の大軍で攻めたが、はねつけられる。次に、中国地方の覇者となる毛利元就が、3万の大軍で、月山富田城を包囲した。かくして、史上最大の籠城戦が始まった。この後、悲劇の忠臣・山中鹿介が尼子氏再興をかけて、月山富田城に迫る。城郭考古学者・千田嘉博さんが、難攻不落の山城の秘密に迫る。
初回放送日: 2022年4月6日 鎌倉時代、北条氏中心の幕府政治を確立した5代執権・北条時頼。熾烈な権力闘争を乗り越え、武士のあり方を根底から変える政策を実行した。時頼、その知られざる実像とは。 いま注目を集める北条氏。鎌倉時代、将軍の後見役「執権」として、事実上幕府トップに君臨した一族だ。その北条氏中心の執権政治を完成させたのが、義時の曾孫、5代執権の北条時頼だった。だが、その過程で北条一族の内紛と権力闘争が勃発。時頼は危機を乗り越え、武士のあり方を根底から変える政策を実行する。民を慈しむ「撫民」政策、そして禅宗への帰依。武士を統治者に転換させようとした時頼、その知られざる実像に迫る。
明治新政府が行った近代化の諸政策を、幕末にすでに実現しようとしていた幕府官僚がいた。小栗上野介。近代的な造船所建設にかけた夢とは何だったのか。そのための選択は? 明治初めの岩倉使節団より10年も早く欧米を視察し、近代工業文明の威力を知った幕臣・小栗上野介。帰国後、要職を歴任しながら、徳川による日本近代化を目指した。そのシンボルが横須賀に作った造船所。技術もなく資金もない日本が近代的な造船所を作るには外国の援助が必要。候補はイギリス、オランダ、フランス。間違えれば植民地化の恐れもあるし資金返済のための経済政策も必要。江戸開城直後に新政府に殺された先覚者の夢
江戸時代前期の明暦の大火は江戸市中の6割を焼き尽くし10万人以上の命を奪った。幕府への不満が募る中、幕閣・保科正之は武士も町人も驚く復興策を打ち出した。 江戸時代前期の明暦の大火。3日間で江戸市中の6割を焼き尽くし、10万人の命を奪った。将軍のお膝元が火事に無防備なことが露呈し、幕府への不満が高まった。この危機の中で復興にあたったのが幕閣・保科正之。幕府の御金蔵に蓄えられた金を惜しみなく使い被災者の救済に力を注いだ保科だが、焼失した江戸城天守の再建をめぐって選択を迫られた。保科の常識を覆す選択は武力にものをいわせる政治の根幹まで変えていく。
初回放送日: 2022年1月19日 福澤諭吉といえば明治日本を代表する言論人であり教育者。いち早く西洋を見て、近代化の目指す先を示したが、明治政府には危険人物視されてしまう。そして迫られた選択は。 幕末にいち早く欧米にわたって、西洋の先進文明とその根源にある考え方を知った福澤諭吉。「西洋事情」や「文明論之概略」などのベストセラーで日本の近代化の道筋を示すことに。だが、明治14年、日本が目指す議会政治の在り方をめぐる政変に巻き込まれ、政府から危険人物として密偵を張り付けられてしまう。理想の日本の姿を説き続けながら、実際は挫折の繰り返しだった福澤。そして明治15年、大きな選択を迫られることに。
260年間もの平和を実現した徳川家康。75年の波乱の生涯でどんな経験が平和を導く力となったのか。家康の選択ベスト10から類まれな政治芸術の真髄に迫る。 戦争のなくなる世界などかなわぬ夢なのか。しかし今から400年前の日本に「パクス・トクガワーナ」と呼ばれるおよそ260年間の平和を築き上げた人物がいた。徳川家康である。番組では戦国時代のスペシャリスト50人以上にアンケートを行い家康の選択ベスト10を選出。75年の波乱に満ちた生涯の中で、どんな合戦や事件・出来事の経験が、平和を導く鍵になったのか。家康の政治芸術の真髄がまるごとわかる2時間スペシャル。
今年は、千利休・生誕500年。戦国時代最大のミステリーと呼ばれるのが、天正19年2月の千利休切腹事件である。最新研究により事件の真相に迫る。 秀吉は、利休に蟄居(ちっきょ)を命じ、最終的には切腹を言い渡した。その背景には何があったのか?秀吉にとって、商人上がりの利休の豊臣政権内のフィクサーの活躍をいつまでも許すよりは、石田三成のような官僚を重んじたのではないか? あるいは、天下統一の先の大陸侵攻をにらんだ場合、堺出身の利休よりも博多商人を優先したいという事情もあるのでは?番組では、最新の研究をもとに、利休切腹事件の謎に迫る。
豊臣秀吉の跡を継いで関白となった豊臣秀次。突然秀吉の怒りを買って切腹する。豊臣家滅亡の出発点となった事件を最新研究によって見直す。秀吉は切腹を命じていなかった! 豊臣秀吉が後継者として関白を継がせた豊臣秀次。突然秀吉の怒りを買って切腹する。理由は謀反とされてきたが、最新の研究では秀吉は秀次に謹慎を命じただけで切腹は命じていない。ではなぜ切腹に至ったのか?なぜ謀反をたくらんだとされたのか?秀次に死なれた豊臣政権の混乱とは?その混乱を収めるべく秀吉が選んだ最悪の解決策とは?豊臣家滅亡への出発点となった秀次切腹事件の真相に迫る。浮かび上がるのは権力の深い闇だ!
平安時代中期、朝廷を震撼させた藤原純友の乱。瀬戸内から九州に及ぶ反乱は2年にわたって続いた。もともと海賊退治に送り込まれた純友がなぜ謀反を?最新研究で迫る。 純友の乱は関東の平将門の乱と時を同じくして起こった。備前、備中、讃岐、淡路と瀬戸内沿岸の国府や国司を襲う。だが純友自身は朝廷に君臨する藤原氏北家の出身。時の摂政・藤原忠平とも親族だった。伊予国の中堅幹部となり海賊退治に尽力したが、評価されなかった。そんな純友の仲間になったのが、同じく地方の中堅幹部から土着した元役人たち。当時の税制改革が生んだ悪政に不満がたまっていた。純友の乱とは何だったのか?
知られざる忍者の実像に迫るシリーズの1本目。新発見の古文書から、戦国忍者の実態が明らかに!徳川家康、生涯最大のピンチ「神君伊賀越え」での甲賀忍者の活躍とは? ドラマや映画では描かれない「本物の忍者」の姿とは?歴史家・磯田道史さんが忍者の本場・甲賀を徹底調査。戦国忍者の実像に迫る!伊賀vs.甲賀、忍者同士の戦いの舞台となった山城を探索!新たな古文書も発見!そこから名軍師・山本勘助と伊賀忍者の知られざる関係が明らかに。戦国末期、忍者たちの運命を分けた信長、そして家康との関係とは?家康の決死の逃避行「神君伊賀越え」を成功に導いたのは甲賀忍者だった!?
シリーズ「リアル忍者」江戸・幕末編。磯田道史さんが、忍者の古文書を探る旅に。江戸・太平の時代に、必死で生き延びようとした忍者のサバイバル作戦が今明らかに! 江戸時代初期、忍者の実力を全国にとどろかせたのが、島原の乱である。「天草四郎の屋敷を“火矢”で焼き払った」という忍者の活躍の記録が残されている。専門家の協力で、忍者のロケット弾を再現実験。その威力のほどを探る。さらに、徳川御三家の筆頭・尾張藩に秘かに召し抱えられた「甲賀五人」の忍びの実態が明らかに。そして、幕末動乱の時代を迎え、各地の忍者集団が、一世一代の勝負に出たサバイバル大作戦の全容に迫る。
島々の歴史を探る旅シリーズ第一回。八丈島は戦国武将の宇喜多秀家が島流しにされてから江戸時代の流刑地に。死罪より過酷といわれるが流刑者は意外な生き方をしていた。 島々の歴史を探る旅シリーズ。第一回は八丈島。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が徳川家康により島流しにされてから流刑地になった八丈島。江戸時代におよそ1900人が渡った。生涯を島に閉じ込められる流罪は死罪より過酷とさえいわれるが、流刑者は意外な人生を歩んでいた。宇喜多秀家や最後の流人となった旗本の近藤富蔵が、八丈島の人々に囲まれて生きた姿をたどると、単なる懲らしめではなかった刑罰の実像が見えてくる。
島々に眠る歴史を探る旅シリーズの第2回。伊豆諸島の最南端、青ヶ島は江戸時代に大噴火し全島民が脱出した。島民は半世紀の苦難の末、奇跡的に故郷への帰還を果たした。 日本の秘境として知られる青ヶ島。島全体が火口になっているこの火山島は、今から240年前の江戸時代に大噴火を起こした。命からがら八丈島へ避難した島民は、その後何度も島への帰還を試みる。しかし荒れくる海に阻まれことごとく失敗した。そこに現れたのが、名主の次郎太夫。後に“青ヶ島のモーゼ”と呼ばれるようになった男の類まれな統率により、噴火から50年、全島民がついに故郷への帰還を果たすのだった。
新千円札の顔になった北里柴三郎とはどんな人だったのか。わが国初の私立伝染病研究所を創設し、民のためにと研究一筋の道を目指した微生物学者の苦闘を紹介する。 千円札の新たな顔になった北里柴三郎は、今から100年以上前にノーベル医学生理学賞の第1号候補となった微生物学者。明治18年ドイツに留学し破傷風菌を発見した北里は、帰国して、わが国初の私立伝染病研究所を創設する。その後、研究所は国に移管され、伝染病研究を続けられるかいなかの大きな岐路に立たされる。民のためと研究一筋の道を歩んだ苦闘の歴史に迫る。
足利義昭はドラマや小説ではプライドだけが高い無能な人物として描かれてきた。しかし身一つで天下人を敗北寸前まで追いつめた強かな戦略家だった。痛快無比な実像に迫る。 永禄11年(1568)足利義昭は将軍に就任するが、ほどなくタッグを組んだ織田信長と決別する。義昭は諸大名の連合による天下静謐を理想としたが、そこが信長とは根本的に違った。争いに敗れた義昭は京を追放される。しかし瀬戸内に室町幕府の新しい拠点を作り、そこから全国の名だたる大名たちを指揮。織田を滅亡寸前まで追い詰めた。ドラマや小説で無能の人として描かれてきた義昭。その恐るべき実力と痛快な人生に迫る。
大河ドラマ「光る君へ」の舞台、平安時代をシリーズで探求。第一回は平安京を作った桓武天皇。奈良・平城京からの遷都には新国家建設への大いなる構想が秘められていた。 明治維新までおよそ千年間、日本の都であった京。ここに平安京を造営し、平安時代を切り開いたのが桓武天皇である。桓武は天応元年(781)に即位。しかし豪族や仏教勢力から反発され何度もクーデターに直面した。政治の腐敗を一新するため、桓武は奈良・平城京から長岡京、さらには平安京へと遷都を断行。旧勢力を断ち切るとともに、渡来系の勢力と繋がりを深め、コスモポリタンな都に君臨する偉大な帝王に変貌していった。
「関ケ原の戦い」で徳川家康の東軍に敗れる1年前…石田三成には形勢逆転を狙った幻のクーデター計画があった!最新研究で三成の実像と知られざる計画の全貌に迫る! 近年、再評価が進み、人気を高める戦国武将・石田三成。「関ケ原の戦い」の悲劇の敗者として知られるが、そもそも宿敵・徳川家康と比べて石高は10分の1以下。財力も家柄も人望も家康には遠く及ばなかった。その三成がなぜ家康の東軍に劣らぬ大軍勢を組織できたのか?その秘密を解くヒントを毛利家の古文書に発見!「関ヶ原」の1年前、のちの西軍の主力武将らに呼びかけ、形勢逆転を狙った極秘のクーデター計画があった!