後漢第12代皇帝劉宏の崩御後、何進大将軍が実の妹・何太后の子・劉弁を皇帝の座に就かせたことから、朝廷は、劉弁の腹違いの弟・劉協を支持する勢力と対立。さらに、張譲が、宦官撲滅を訴える何進と袁紹から自らの地位を守るため、何太后に接近したため、朝廷内は大混乱となった。
袁紹の進言を受けた何進は、腐敗した漢朝を正すため、全土の群雄たちに上洛するよう号令。袁紹から話を聞いた曹操は、北方の董卓も洛陽に来ると知り、胸騒ぎを感じた。都から離れた地で勇猛な騎馬民族を従えるなどして兵力を蓄え、大義によって呼び出される―まさに天・地・人が揃った董卓にとっては、天下盗りの好機到来だったからだ。
そんな中、何進が張譲ら宦官勢力に謀殺される事件が発生。袁紹は、上洛した董卓軍を宮廷外に留め、宦官勢力の粛清を開始した。だが、なおも影響力を保持したい張譲は、なんと劉弁、劉協を連れて宮廷外に脱出。董卓軍を見つけた張譲は、劉弁らを盾にして、活路を求めた。
ところが、朝廷内の混乱を察知した董卓は、あっさり張譲を捕らえて惨殺。そのまま、劉弁らを連れて宮廷に乗り込んだ董卓は、何太后を殺害し、劉協を新しい皇帝に擁立した。袁紹は、董卓の暗殺を試みるが失敗。丁源、伍孚ら何進の部下を処刑し、天下の豪傑・呂布を養子にした董卓は、いよいよ天下盗りに向けて動き出した。
董卓の兵による略奪や凌辱で、無法の都と化す洛陽。宮廷に呼び出された曹操は、残酷、粗暴で知略に富み、さらに武芸にも秀でた董卓を目の当たりにし、大乱の世を確信した。そして、全土の諸侯と反董卓連合を結ぶ必要がある