皇甫嵩が治める豫州・潁川は、張角が指揮する反乱勢力・黄巾党との最大の激戦地となった。官軍は、部隊単位でも天地人の陣形をとる10万の黄巾党兵に大苦戦。だが、その中にあって曹操と孫堅の騎馬隊は、獅子奮迅の活躍を見せた。
黄巾党勢力の弱体化を狙う皇甫嵩が次に打った手は、潁川と隣りの南陽の黄巾党兵25万を賄う兵糧が備蓄されている砦の占拠だった。この兵糧を奪うことが出来れば、戦況は大きく変わる。皇甫嵩は、副将軍・厳忠に指揮を任せ、曹操と孫堅を副官に据えて攻撃を命じた。
だが、大豪傑・張曼成率いる黄巾党兵の抵抗は凄まじく、交戦した厳忠の兵は、またたくまに蹴散らされた。これを見た曹操は、夏侯惇、張奐らに、左右の断崖を駆け上って砦内に突撃するよう命令。曹操の動きに反応した孫堅は、直ちに部下の韓当、黄蓋らに、正面突破を指示。曹操と孫堅の攻撃にさらされた砦内の黄 巾党兵は、たちまち大混乱に陥った。
張曼成に一対一の戦いを挑んだ張奐は、背中に矢傷を受けていたこともあり、無念の戦死。しかし、続く夏侯惇がその仇を討ち、これを機に黄巾党は総崩れとなった。形勢を見て砦内に入った厳忠は、黄巾党兵の掃討と、備蓄されていた大量の兵糧の持ち出しを指示した。
そんな中、黄巾党の援軍が来ると読んだ孫堅は、部下たちに撤退を指示。一方、3万を超える黄巾党兵の襲来を確認した曹操は、大局的な見地から、兵糧を焼き尽くすよう命令し、厳忠の兵が残っているにもかかわらず、火矢を放たせた。
兵糧と共に、黄巾党兵1万、官軍6千を焼き尽くした曹操が、“乱世の奸雄”と呼ばれるように