陳蕃が出すつもりだった帝・劉宏への上奏文などを入手した曹操は、張譲、蹇碩ら十常侍を糾弾する準備を着々と整えた。だが、災いの元となる曹操を早めに抹殺したい蹇碩側は、劉宏のおじに当たる皇族の亶公にウソを吹き込み、北門の禁令をわざと破らせようと仕向ける。
禁令に従わない人物が亶公だと知った曹操は、それが蹇碩らの謀略だと見抜き、逆にある計画を立てた。それは、亶公を叩き殺したことにして、亶公自身に蹇碩らの策謀を目撃させ、知らせること。この作戦はずばりと的中し、曹操は、亶公を味方につけることに成功した。
次に、曹操は、劉宏に上奏する機会を、端午の節句の宴の時と決めた。この年の宴を取り仕切るのは、曹操に説得された亶公。曹操が何かやらかそうとしていると察知した張譲は、宴の席の裏に弓矢の射手を控えさせ、曹操を射殺そうと計画した。
宴の場に姿を見せた曹操は、劉宏らの前で剣舞を披露した。途中、射手の矢が曹操と亶公を狙うが、曹操はそれを叩き落し、亶公は張奐に守られて無事。作戦が失敗したと気付いた張譲と蹇碩は、苦虫を噛み潰す。
何も知らずに変わった余興だと喜んだ劉宏は、曹操に褒美を取らせると告げた。曹操は、さっそく上奏したい旨を告げ、十常侍らの悪行を記した書簡を差し出す。だが、劉宏の様子を初めて見た曹操は、その資質に疑問を抱かざるを得なかった。
まもなく、曹操に、洛陽の東部にある冀州頓丘の県令に赴任するよう命令が出た。曹操は、それが張譲の厄介払いだと気付いたが、今は動く時ではないと思った。