冀州・頓丘の県令を辞めて故郷・豫州に戻った曹操は、その年、自分の良き理解者だった祖父・曹騰を亡くした。帝からの下賜もあった葬儀は、夏侯惇、夏侯淵、曹仁ら親族はもちろん、多くの参列者が集まり、一宦官としては前代未聞の壮大な規模。許婚者の丁美湖がこまごまと曹操の世話を焼く中、当の曹操は、天下を駆けて欲しい、という曹騰の言葉を思い出していた。
曹操は、死者葬送の舞を舞った北の歌姫・卞玲瓏が以前仕えていた“北の怪物”といわれる董卓という男に興味を抱いた。異民族を討伐する西涼十万軍の長でありながら、羌族や胡族の族長と交友がある董卓。漢人でありながら『徳』という言葉には縁がない董卓は、漢帝国を潰す機会を狙っているらしいのだ。
その頃、太平道の信者たちが武装しているのを見た劉備は、教祖の張角という人物に会いたいと思った。偵察を命じられた関羽は、張角の側近をしている旧友の羅厳を訪ね、太平道の狙いを聞く。羅厳の話によると、張角は、私服を肥やす金持ちたちの財を奪い、貧民たちの生活を助けているとか。漢の指導者たちを太平道の信者にしようとしていると知った劉備と関羽は、それが漢への反乱だと悟った。
まもなく、漢帝国に天変地異が続発した影響もあり、張角の元に集まる信者の数は、数十万人に達し、その勢力は漢帝国十三州のうち主要八州にまで拡大した。その時、帝国内で実力があった軍団は、孫堅、劉表、袁紹と袁術、そして、精鋭騎馬軍団を持つ最大勢力の董卓。曹操には、その董卓が帝国内の最高官僚のひとり王允と結んでいるとの情報が届いていた。
曹操は、若き軍師・