曹操軍水攻めで、下ヒ城内に大量の水が流れ込んだため、呂布軍は、大混乱に陥った。この水が、身を切る冷たさだったため、呂布軍の兵の士気は著しく低下する。陳宮は、地下牢に監禁していた劉備らが脱獄し、城内の民や兵を味方に付けたと知り、焦りを募らせる。そして、城が、曹操の大軍に囲まれたと気づいた陳宮は、呂布軍の負けを悟った。
降伏を促す曹操側の声が城内に響き渡る中、陳宮は、次の手を考えた。それは、呂布を城から脱出させること。陳宮は、この作戦が成功しさえすれば、呂布は必ず再起するとにらんだのだ。
ところが、その直後、陳宮の計算外の事態が発生した。なんと呂布軍の負けを確信した何人かの将軍が陳宮を拘束し、曹操側に寝返ったのだ。これを見た呂布は、陳宮の名を絶叫。劉備は、このスキに城門を開け、曹操側に向かった。
頼みの陳宮を失い破れかぶれになった呂布は、赤兎馬にまたがり、単騎出撃した。投降兵の群れを血祭りに上げた呂布は、まさに鬼神の形相で曹操軍の中に突っ込む。曹操を捜して駆け回る呂布に、曹操軍の兵は、逃げ回るばかりとなった。
だが、これを見た曹操は、待っていたかのように、無数の矢と槍で応戦した。まもなく、槍を脳天に受けた赤兎馬が倒れたため、呂布は地面に投げ出された。その呂布に絡みつく多数の鎖。呂布は、激しく抵抗するが、許チョら力自慢の曹操兵に縛られ、ついに絞め殺されてしまった。
呂布の死を見届けた曹操は、捕らえた陳宮の軍師としての才能を惜しみ、再び自分に仕えるよう迫った。しかし、呂布への忠義を貫く陳宮はこれを拒み、死を選んだのだった。