張繍の居城・宛城から脱出するため、城門に向けて馬を走らせる曹昴と曹操。だが、城門を出た直後、曹操の乗る馬の頭に敵の矢が命中してしまった。これを見た曹昴は、矢による致命傷を受けたこともあり、曹操に自分の馬に乗り換えるよう告げる。曹操は、まだ朦朧状態が続いていたが、わが身を犠牲にした曹昴の働きで、張繍の追っ手を振り切ることに成功したのだった。
曹操が命からがら許都に戻って1年ほど後、揚州の袁術は、玉璽を手に入れたことで自ら皇帝を名乗って行動を起した。袁術は、呂布や孫策に協力を断わられたものの、劉協を皇帝の座から引きずり降ろすため、曹操のいる許都に兵を進めたのだ。高らかに『聖戦』を唱えて進撃する袁術軍は8万。袁術は、優雅に女をはべらせた馬車に揺られながらの出陣となった。
曹操から迎撃の命を受けた荀彧は、極力兵を使わず、袁術軍を丸裸にする戦術を考えた。荀彧の作戦というのは、文字や絵を描いた大きな凧と、許チョの大声を巨大な拡声器を使って流す宣伝戦。人の群れが、利益と恐怖と、天に対する畏れで動くと知る荀彧は、絶妙のタイミングで、凧を揚げ、音を流した。
奇妙な攻撃を受けた袁術軍は、当惑し動揺して武器を捨てる兵が続出。袁術側の将軍を見つけた荀彧は、言葉巧みに説得して戦闘意欲を失わせる。そして、頃合いを見計らって出撃した許チョは、将軍たちを蹴散らした。これを見た袁術は、たまらず撤退を始めるしか手がなくなって―。