予州の許に遷都した曹操が、程昱ら三軍師に命じて着々と地盤を固めていた頃、徐州の劉備は、思わぬ事態に陥っていた。呂布と共にやって来た陳宮の策謀で、張飛の守っていた下ヒ城が兵もろとも乗っ取られたのだ。報告を受けた劉備は、袁術との戦いで兵糧も尽きたことから、いよいよ追いつめられる。
その劉備が考えた次の一手は、関羽も予想しない内容だった。劉備は、なんと敵対していた曹操の元に身を寄せる、と言い出したのだ。
許都に劉備がやって来たと聞いた郭嘉は、いずれ対決するに違いない劉備をすぐに誅殺するよう曹操に進言した。だが、曹操は、意外にも、劉備らに食事をさせて金を与えるよう命じ、狩りに招待した。
劉備と一緒に狩猟場に行った関羽は、曹操と共に、夏侯惇、曹仁ら主だった武将が仁王立ちしているのを見て、身の危険を感じた。だが、劉備は、緊張しながらも、楽天的な性格丸出しで曹操と言葉を交わす。
双方の代表同士が狩りの対決をして程なく、曹操が劉備と弓の腕前を競うことになった。この勝負で、曹操が出した条件は、自分が勝ったら“劉備の首”をもらう、という内容。もちろん、関羽と張飛は反対した。しかし、曹操の負けた時の条件が“都と天子”だと知った劉備は、何と自分の首に加えて、関羽と張飛の首も賭けると言い出した。
やがて、狩りが始まる中、曹操はさらに劉備に、都と天子を手に入れた場合何をするのか、と質した。劉備の答えは、「民の笑顔を見たいだけ」―。このひと言で、劉備がこの場で殺すには惜しい人物だと悟った曹操は、直ちに狩りを終わらせる。そして、劉備に兵馬と兵糧を