領地であるエン州の半分を失った曹操は、侵攻してきた呂布軍を撃破するための二つの策を考えた。ひとつは、呂布の居城である濮陽城を、夏侯淳の騎馬隊で繰り返し攻め上げる陽動作戦。もうひとつは、100万の青州兵に、荒れ果てた大地を開墾させること。郭嘉、程昱、荀彧という3人の軍師の知力を駆使した曹操は、収穫を終えた秋、ついに呂布軍討伐に打って出た。
曹操軍は、いつもより大胆な騎馬隊による陽動作戦で、呂布をおびき出すことに成功。曹操は、その呂布の前に、単騎で立ちはだかったのだ。いきり立つ呂布は、すぐに赤兎馬にムチを入れて曹操の追撃を開始。これが曹操の罠だと見た軍師・陳宮は、慌てて1万の兵の半分を、さらに待機させていた3千の兵を呂布の援護に向かわせる。しかし、峡谷に誘い込まれた呂布軍8千は、曹操側の落石攻撃を受けて全滅。呂布は、味方兵の死体の山を見ながら、ひとり逃亡するはめになった。
エン州で勢力を挽回した曹操が次に狙ったのは、皇帝・劉協の威光を手に入れることだった。董卓の死後、重臣たちの対立に嫌気がさした劉協は、皇后・伏とわずかの腹心を伴って長安を脱出。1年近く、放浪の旅を強いられた劉協は、ようやく孫堅によって再建された洛陽に戻っていた。
呂布が徐州の劉備を頼ってその居城を訪ねた頃、曹操は、大群を率いて洛陽に入城していた。夏侯惇ら四天王、許チョ、典韋、三軍師らと共に劉協と会った曹操は、さっそく許への遷都を上奏。洛陽にこだわる劉協に対し、曹操は、国家を祀る宿命にありながら、ひとりの人間でもある劉協の立場に理解を示して説得する。そ