董卓が長安に遷都した後、焦土と化した洛陽に 最初に入ったのは、南方から勝ち抜いてきた孫堅だった。夏侯惇の助言で、破壊された歴代皇帝の陵墓を修復し、街の復興に着手した孫堅は、偶然にも宮廷跡の井戸から、始皇帝の時代から伝わる玉璽も発見する。孫堅の働きは、遠く西域にまで伝わった。
冀州・渤海に引き上げた袁紹は、董卓に対抗すべく、皇族・劉虞を皇帝として擁立しようと画策。故郷・豫州で鋭気を養う曹操は、各地を見聞して戻って来た荀或の情報を元に、次の一手を模索していた。
その頃、新都・長安では、暴虐の限りを尽くす董卓に対する不満が満ち満ちていた。最高官僚、三公・司徒の王允も董卓の行為を危惧するひとりで、部下の土孫瑞と善後策を練る。この話を聞いた王允の養女・貂蝉は、自分が侍女として宮中に入り、董卓を暗殺する方法を探すと告げた。
復興する洛陽に近隣の豪族が集まる中、袁家の出身ながら袁紹と対立する袁術は、孫堅に荊州に進軍するよう促す。袁術に洛陽の守備を任せた孫堅は、まもなく孫策、韓当らの反対を退け、さらに、長らく行動を共にしてきた夏侯惇に別れを告げ、荊州へと兵を動かした。
曹操は、天変地異による凶作で農民の反乱が起きたエン州に、援軍として出動していた。農民を討伐するのが不可能だという荀或は、逆に農民たちをまとめ上げるよう曹操に進言する。農民の先頭に立って戦う大男は、義に富む山賊の頭との噂がある虎痴。だが、虎痴を見た曹操は、すぐに単身馬を進めて近づいた。実は、この虎痴こそ、20年前、曹操と一緒に爆裂団と戦った許チョだったのだ。そして、許