Niijima Yae, who grew up in the Aizu domain, was a spunky girl despite her mother’s wishes that she be feminine. Because of anecdotes of how she barricaded herself with 500 women in Tsuruga Castle while being besieged during the Boshin War, and fought with guns, she was acclaimed as the “Joan of Arc of the late Edo period”. After the Meiji Restoration, she became the wife of Niijima Jo (Odagiri Joe), who had returned from America. She soon joined the Sino-Japanese War and Russo-Japanese War together with her Aizu comrades as Japan’s first volunteer nurses, going from warrior woman to Japan’s Nightingale.
1865年、アメリカでは南北戦争が終結。不要となった武器の多くが日本へもたらされることとなる。そして明治元年(1868年)、それらを装備した新政府軍の攻撃にさらされる会津若松城の中に最新式のスペンサー銃を手に抗戦する一人の女性がいた。山本八重、後の新島八重である。
時は遡って幕末、諸外国からの開国要求が高まり、日本国内は開国派、攘夷派などの思想の違いによる分断が起きようとしていた。この時代の転換期に、会津藩の砲術師範の家に生を受けた八重は、藩軍備の洋式化を目指す兄・覚馬や、その友である洋学者・川崎尚之助らの側で、会津そして日本の変化を感じていた。
幕末の争乱により治安が悪化する京都警護のため藩主・松平容保が京都守護職に指命され、徳川将軍家への忠義を尽くさんと、会津は藩を挙げて倒幕派追討への動きに加わることとなる。それは後にいわれる「会津の悲劇」の序章であった。
Aliases
山本八重出生在一個擅使鐵炮的會津藩武士世家,甲午戰爭爆發後希望能在其中當護士,並在完結篇時被授予「勳七等寶冠章」,有「日本的南丁格爾」美稱;活躍在戊辰戰爭的軼事,並且有「江戶時代的聖女貞德」之稱,明治維新後遷至京都與第二任丈夫新島襄結婚,並且從事教育。