信玄は、もはや長くは生きられないと悟りました。「西に光はない、されど西に向かわねばならぬ、それがわが定め…。」信玄は、側室の里美、恵理と杯を交わしました。そして、元亀三年十月三日、子・竜宝に見送られて出陣します。二万五千の兵を従えて京の都へ。家康そして信長との戦いの中へ。