元亀三年十月三日 武田軍出陣。二俣城を落とし浜松城へと向かいます。そして、十二月二十二日、三方ヶ原へ駒を進め、信玄は浜松城を無視するがごとく通り過ぎようとしました。激昂(こう)し出陣の下知(げち)を下した家康でしたが、「山津波のごとく、一気に襲う」武田軍の前にあえなく破れ、逃走しました。