秀吉が進める唐陣に強く反対し、なかは家康、黒田如水、利家、関白の秀次を自らの座敷に招くと、唐陣反対の書状に署名血判を求めた。秀次、利家、如水は血判を押すが家康は「太閤殿下を裏切ること」と拒否。なかは「生きてこの座敷を出るか否か」と鋭く家康を追及する。