天正19(1591)年秋、秀吉やなか、おねらの祈りも空しく、豊臣家の世継ぎ・鶴松は3歳で病死。秀吉がひとり鶴松と別れを惜しんで夜が明けたころ、華やかな衣装の五右衛門が現れ、鶴松の遺体を刺そうとする。だがさすがにそうはできず、「鶴松に罪はねぇっ」と叫んで姿を消す。秀吉は有馬の湯に向かい、身と心を休めた。