<ラインナップ> 足利義満は明との勘合貿易を押し進め、室町幕府は全盛期を迎える。 ●1394 年 足利義満は将軍職を息子・義持(9)に譲り、義満は、公家の最高官職である太政大臣に就任。しかし半年で出家することに。 ●1397 年 現在の金閣寺を含む「北山第」の造営を始める。出家した後も、御所にあった政治機能を北山第に移し、政治の実権を握り続けた。 ●1399年 最大の守護大名・大内義弘を討伐...応永の乱 ●1401年 中国「明」に使者を派遣し、義満が「日本国王」として明と朝貢関係を築く。 ●1404年 「勘合貿易」(日明貿易)が始まる。 ●1408年 足利義満、51歳で急死。 <内容> 今回は室町幕府3代将軍・足利義満が、「日本国王」を名乗り中国・明との貿易に乗り出していく動きを見ていく。義満は政治の中心だった「花の御所」とは別に「北山第」と呼ばれる自らの住まいを造営する。そこに建てられた金箔で飾られた舎利殿が「金閣」だ。義満はなぜ、この地に金閣を造ったのだろうか。さらに義満は明と朝貢関係を結び、明から「日本国王」の称号を送られる。なぜ、そこまでして明との外交関係を望んだのだろうか。明との交易によって様々な高価な品や中国の文化が日本に流入すると、金閣を中心に「北山文化」が花開く。武家・公家、それぞれを掌握した義満が次に望んだこととは…。