<ラインナップ> 藤原道長は自身の娘を次々と天皇家に嫁がせることで、その権力は絶頂期を迎える。 ●1000年 まず道長は、長女・彰子(13)を66代・一条天皇(21)に嫁がせる。この時一条天皇は、定子と彰子、二人の皇后を持つことに。 ●1008年 道長の長女である皇后・彰子は親王を出産。 ●1010年 道長は次に、二女・姸子(17)を居貞親王に嫁がせる。 ●1018年 さらに道長は、三女・威子(19)を68代・後一条天皇に嫁がせる。 これにより、道長の娘3人は皇后、皇太后、大皇太后という「三后」の地位を独占し、道長の「権力独占」が確立する。 <内容> 今回は、藤原道長が権力を独占していく1000年からの20年間を詳しく見ていく。道長は自分の娘を次々と天皇家に嫁がせることで影響力を強めていった。そうした出来事が記されているのが、現存する世界最古の自筆日記と言われる道長の「御堂関白記」だ。日記には娘の結婚、宮中行事の「相撲」など、当時の貴族の生活を垣間見ることができる。道長は権力を独占すると「この世は我が世…」と歌を詠んだが、歌に込めた意味とは?貴族文化が繫栄する中、登場するのが、平安時代を代表する女流作家・清少納言と紫式部だ。ライバルともいわれる二人の関係は実際はどうだったのか。そして華やかな貴族文化とは対照的な庶民の暮らしぶりは…。