<寛政4年(1792)~寛政12年(1800)> ・ロシア使節が根室に来航 ・松平定信退陣 ・東洲斎写楽デビュー ・幕府が「東蝦夷地」を直轄地に <内容> 寛政4年、ロシア使節が通商を求め根室に来航。実は、そこには日本人の大黒屋光太夫も同行していた。一体、どのような経緯があったのか?寛政5年、老中・松平定信が「寛政の改革」半ばで、突然失脚。果たして、その背景に何が?寛政6年、独特な役者絵を描く写楽がデビュー。しかし、写楽は、わずか10か月ほどの間に、大量の作品を発表したあと、忽然と姿を消す。果たしてその理由とは?