<安永8年(1779)~天明4年(1784)> ・徳川家基、謎の急死 ・平賀源内が獄中死 ・光格天皇が「閑院宮家」から即位 ・「赤蝦夷風説考」完成 ・天明の大飢饉 ・田沼意次 の 嫡男・意知が死亡 <内容> 老中・田沼意次は幕府の要職を親戚関係で固め、権勢を誇っていた。 そんな中、10代将軍・家治の嫡男が18歳で急死する。 次期将軍候補として期待された中での死に「暗殺」の噂もたった…。さらに多彩な才能を見せた平賀源内が「獄中死」する。それぞれ田沼意次の影響があるとも言われるが、その真相は? そして浅間山が大噴火し、これを機に「天明の大飢饉」が起きた。餓死者は100万人とも言われ、江戸時代最悪の被害とされる。この大飢饉の中、餓死者を出さなかったと言われる2人の藩主がいた。彼らはどんな対策をしたのだろうか。そして絶大な権力を誇っていた、田沼意次の息子が江戸城内で斬殺された。いったい何があったのだろうか!