<明和9年(1772)~安永7年(1778)> ・田沼意次が老中に就任 ・松平定信が白河藩主の婿養子に ・「解体新書」刊行 ・「吉原細見」出版 ・「エレキテル」復元 ・ロシア船が蝦夷地に来航 <内容> 今回は、将軍と老中の取次役・側用人だった田沼意次が老中に就任。側用人と老中の兼務で意次は幕府の最高実力者になる。 意次はなぜここまで取り立てられたのか? このころ蔦屋重三郎が登場。「江戸のメディア王」や「名プロデューサー」と称される蔦屋重三郎とは?同じ頃、平賀源内がエレキテルを復元した。そもそもエレキテルとはどんな機械で、源内はエレキテルで何をしようとしていたのか?