<享保16年(1731)~元文4年(1739)> ・宗武が田安家を創設 ・宗春が吉宗と対立 ・享保の大飢饉 ・吉宗が産物帳の作成を指示 ・宗春失脚 ・元文の黒船騒動 <内容> 8代将軍・徳川吉宗が享保の改革を進めていたなかで、御三家筆頭・尾張藩主になった徳川宗春。宗春は城下町の名古屋に遊郭や芝居小屋を積極的に誘致し、経済を活性化させる規制緩和・積極財政政策を取る。 名古屋は一気に京、大坂をしのぐ活況を見せるが、吉宗は享保の改革に逆行する宗春の政策に激怒。将軍と御三家筆頭の対立が決定的になる。果たしてその結末は! そんな中で、西日本を中心に凶作になり、享保の大飢饉が発生し、多くの死者が出る。吉宗は死者の供養のために隅田川で花火を打ち上げ。これが夏の恒例行事となって、現在まで続く。また、飢饉の対策として、サツマイモの栽培を奨励。全国でサツマイモがつくられるようになる。