<延享2年(1745)~宝暦10年(1760)> ・家重が9代将軍に ・吉宗が病没、大岡忠相死去 ・琉球王国の使節が江戸上り ・田沼意次が郡上一揆の解決に尽力 ・家重が家治に将軍職を譲る <内容> 今回は…29年間、幕府を率いた8代将軍・吉宗が亡くなります。跡継ぎは病弱な嫡男・徳川家重(いえしげ)。この代替わりの時期に、各地で新たな時代を感じさせる事件が勃発します。 宝暦6年頃、京で幕末の尊王論を先取りするような事件が起こり、若い公家たちが天皇の復権を目指した、世に言う「宝暦事件」です。116代・桃園天皇を巻き込んだ尊王派の動きに、江戸幕府はどのような対応をしたのでしょうか? 宝暦8年、後に幕府を牛耳る田沼意次が美濃の郡上(ぐじょう)一揆を見事に治め、幕政の表舞台に躍り出ます。田沼はどのように出世街道を登っていくのでしょうか?8代将軍・吉宗の時代から9代将軍・家重の時代へ。1745年から1760年の15年間を見ていきます。