<正徳元年(1711)~正徳4年(1714)> ・新井白石が朝鮮王朝・国書の将軍称号を日本国王に変更決定 ・徳川吉宗に嫡男が誕生 ・6代将軍・家宣が死去、7代将軍は家継に決定 ・8代将軍の有力候補・徳川吉通が「謎の死」 ・大奥の「一大スキャンダル」絵島生島事件の背景に何が? <内容> 6代将軍・徳川家宣の就任を祝う使節団「朝鮮通信使」の来日が決定する。10か月に及ぶ長旅だが、その受け入れ費用100万両(約1200億円)は日本が負担した。しかも道中では諸藩が競うように朝鮮通信使をもてなした。なぜそこまで歓待したのだろうか。 6代将軍・家宣が亡くなると、7代将軍には5歳の家継が就任。すると次期8代将軍を誰にするのか…思惑が錯綜する。そんな中で最有力候補の尾張藩主・徳川吉通が25歳で謎の死をとげる。裏で何があったのだろうか。 この頃、歌舞伎が庶民の娯楽として発展します。当時の歌舞伎見物とはどのようなものだったのか。大人気の千両役者、二代目市川團十郎とはどんな人物だったのだろうか?