<宝永4年(1707)10月~11月> ・宝永地震 ・富士山の大噴火 ・徳川綱吉が死去 ・新井白石が宣教師シドッチを尋問 ・「閑院旧家」創設 ・6代家宣の息子、大五郎が死去 <内容> 徳川綱吉の晩年には南海トラフを震源とする宝永地震、富士山の噴火と天変地異が相次いだ。幕府はどのように対応したのか?そして綱吉が亡くなり、6代将軍・徳川家宣が誕生。家宣が将軍就任に先立ち下した決断とは一体?家宣の側近である新井白石はこの頃、密入国したイタリア人宣教師を尋問。尋問の結果、白石や幕府はどんなことを得たのか?