<1616~1619年> ・徳川秀忠が弟・忠輝を改易(領地没収)、流罪へ ・秀忠が禁教令を強化 ・吉原遊郭が誕生 ・秀忠が福島正則を改易 ・徳川大坂城の造営を開始 <内容> 今回は、2代将軍・徳川秀忠の政治を見ていく。 家康が将軍職を秀忠に譲り、駿府城に移る。以降、駿府城の家康と江戸城の秀忠の2人による二元政治で江戸幕府の基礎を築いていく。元和2年(1616)、父・家康が亡くなると、名実ともに将軍になった秀忠の治世が始まる。 秀忠はまず、弟・松平忠輝の領地を没収し、流罪に。さらに「関ケ原の戦い」で家康側の勝利に貢献した大名・福島正則の領地を没収し、小大名に格下げする。なぜ秀忠は、肉親や幕府の功労者に対し厳しい罰を下したのか!? さらに家康の出した禁教令を強化し、キリスト教を厳しく取り締まる。家康以上に厳格な政治を始めた秀忠の狙いは…。 またこの頃、現在の人形町に、幕府公認の遊女町「吉原遊郭」が設置される。幕府が吉原遊郭の設置を認めた裏にはあった、ある思惑とは…!?