<1620~1623年> ・徳川秀忠が娘の和子を後水尾天皇に入内させる ・伊達政宗が神田山を開削 ・「浅草御蔵」を作る ・秀忠が江戸城天守の改築を命令 ・秀忠が長崎でキリシタンを多数処刑→“元和の大殉教” ・秀忠が伏見城で将軍職を家光に譲る 今回は、武家の頂点に立った徳川秀忠が京の朝廷との関係を強化。江戸幕府の支配体制をさらに盤石にしていく様子を見ていく。 秀忠の娘・和子(まさこ)が、第108代・後水尾天皇に入内。家康の存命中から内定していたとされる和子の入内だが、事は簡単には運ばなかった・・? 一方この頃、京の西・桂川のほとりで天皇家の別荘の造営が始まる。それが、後に世界的建築家が「泣きたくなるほど美しい」と絶賛した桂離宮。誰がどのような目的で造営したのか…。 キリスト教に対して家康よりも厳しい態度で臨んだ秀忠が、長崎で55名のキリスト教徒を処刑する。この事件以降、幕府はキリスト教弾圧をさらに強力に推し進めることになる。