西田幾多郎が東洋思想から練り上げていった独自の哲学では、善は人間の中に「可能性」として伏在しており、いかにしてそれを開花させていくかが重要であるという。 西田幾多郎が東洋思想から練り上げていった独自の哲学では善は人間の中に「可能性」として伏在しており、いかにしてそれを開花させていくかが重要であるという。そのためには、主体/客体という敷居を超えて「他者のことを我がこととしてとらえる」視座が必要であり、真にその境地に立てたときに「人格」が実現される。それこそが善なのである。第2回は、西田がこの著作の根本に据えた「善とは何か」という問いに迫っていく。