『#11 摂関政治の始まり−燃える応天門−』 858年、藤原良房の孫に当たるわずか9歳の惟仁親王(後の清和天皇)が即位。そんな時、清涼殿の応天門が何者かに放火され、燃えるという事件がおきる。良房は対立していた大納言・伴善男を放火の犯人として追放し、臣下では初めての摂政の位につき、藤原一族の勢力は決定的なものとなる。