1日午後4時頃、最大の悲劇が生まれる。両国駅付近の広場、避難場所となった陸軍被服廠跡を巨大な火災旋風が襲い、避難者4万人のうち、3万8千人が亡くなったのだ。映像は、遺体が折り重なる惨劇の跡を克明に記録している。2日目になると、人々の間に流言飛語が飛び交う。混乱に乗じて朝鮮人が襲ってくるという噂。警視庁は全焼し機能停止、新聞社も火災に遭っていた。確かな情報がない中で、人々の心に狂気が取り付いていく。