北条、徳川、さらに上杉…三方を囲まれては、武田の軍勢とてかないません。信玄は一旦、甲斐に引き上げました。そして、永禄十二年秋、信玄は小田原城へと兵を進めました。わずか四日で軍勢を引く信玄に、氏康は「追い討ちをかけよ」と命じます。その頃、信玄の正室・三条の方は吐血していました。