弘治元年春、晴信(後の信玄)と景虎(後の上杉謙信)は川中島で二回目の対陣をします。武田軍は、一万余の軍勢。一方、景虎の軍は、村上義清ら奥信濃の豪族たちを加え、総勢一万。両軍が睨(にら)み合うこと二百日…。それは秋口まで続き、稲刈りを迎えた農民兵たちは浮き足立ちます。今川義元などの調停で、双方ともようやく軍勢を引きます。