天正10(1582)年6月6日、秀吉は反逆者、光秀を討つため、毛利の反撃をかわし京都に向けて退却を開始した。秀吉は光秀の知略を恐れていたが、小一郎は「上げ潮じゃあ」と雨中に叫び、秀吉と軍兵を励ます。そのころ光秀は安土城を占拠していたが、頼みにしていた細川藤孝父子が合力を断ってきたと聞き、さすがに暗然となっている。7日、秀吉は姫路城に到着し、湯殿に身を休めた。