高松城を水攻めにしていた秀吉のもとに、本能寺にて信長死す、の報が入った。秀吉は子どものように泣き叫ぶが、信長の死が伝われば毛利方は一転して反撃に出ることは明らかだ。秀吉は和議を早める一方で、光秀を打つための策を進めていく。そのころ、近江長浜城を抜け出し伊吹山の寺に潜んでいたおねやなかたちは、米俵を背負い訪れた竹阿弥と再会を喜んでいた。