秀吉は腹の虫が治まらない。信長は足利義昭を引き合わせただけで、光秀に4000貫もの知行を与えたのだ。だが、おねは家来を奮起させるための信長の手だと忠告する。あわてて登城した秀吉に、信長は近江の大名・浅井長政に嫁ぐお市の護衛役を命じた。秀吉と介添え役の柴田勝家とともに浅井の居城・小谷城に入ったお市は、長政のさわやかな武将ぶりに頬を染める。永禄11(1568)年、信長は義昭を奉じて上洛。