秀吉に仕えることになった竹中半兵衛が、ようやく墨俣城に入った。永禄10(1567)年正月過ぎのことである。そのころ、後に秀吉最大の好敵手となる明智光秀は越前朝倉家にあり、母の美、妻ひろ子とともに世に出る機会をうかがっていた。半年がたち、夏となった。斎藤家の重臣、美濃三人衆を寝返らせることが急務なのに、半兵衛は動こうとしない。