元康は、家康と名を改はめる。国をまとめたいと願う家康だが、三河内の争いも絶えす、三河統一は遥か先の話。そんな中、民衆の間で一向宗が人気と瀬名から教えられる。家康は宗徒が集まる本證寺に潜入すると、そこには寺内町という巨大な町がつくられ、住職の空誓は、「民が苦しむのは武士のせいだ」と説いていた。家康は一向宗への対抗を命じるが・・・。