〈ラインナップ〉 1559 年6月 大友宗麟が豊前・筑前の守護に任命⇒九州最大の勢力に 1559 年6月 織田信長の家臣・前田利家が信長の側近を斬殺 1560 年5月 今川義元 vs 織田信長 「桶狭間の戦い」 ・10日 松平元康(家康)が義元軍・先発隊として駿府を出発 ・18日 義元軍・本隊が尾張国に侵攻 ・19日 信長軍と義元軍が激突⇒信長が勝利、義元は戦死 ※松平元康(家康)は19歳で今川家から「独立」へ… 〈内容〉 今回は織田信長の名を世に知らしめた≪桶狭間の戦い≫ 今川義元が公称4万もの大軍を尾張国に向け出陣!先発隊の大役は徳川家康。対する織田信長は2500ほどの軍勢と言われている。圧倒的な戦力差にも関わらず信長軍は義元軍に勝利、義元を討ち取ったことで天下統一へ大きく前進した。 なぜ信長は勝つことができたのか? “奇襲”による勝利だと言われてきたが、最近は“信長は奇襲攻撃をしたわけではない”と考えられている。ではその戦い方とは?そして今川義元の下で、家康はどんな戦いをしていたのか? 信長の“戦国大名としてのデビュー戦”を紐解く。