<ラインナップ> 応仁の乱以降、将軍や守護大名の権力が弱まったことで、「一揆」が各地で起こる。民衆にも下剋上の機運が高まっていく。 ●応仁の乱の最中、当時まだ9歳の足利義尚が9代将軍に就き、日野富子がその後見人として実質的な幕府の権力者に。 ●日野富子は、関所を作って通行税を徴収したり、コメの投機的な売買を行うなどして蓄財に励んだため「悪女説」が浮上。しかし近年では見直す見方も。 ●1482年 8代将軍・足利義政が「東山山荘」(銀閣を含む)の造営を開始。 ●1485年 「山城の国一揆」が起こり、1488年 には一向宗徒による「加賀の一向一揆」が起こる。 ●1489年 9代将軍・足利義尚が死去すると、後を追うように父・義政も死去。 <内容> 1480年、日野富子に怒った民衆が一揆を起こします。一体、民衆はどのような理由で立ち上がったのか?一方、夫の足利義政は、銀閣を含む東山山荘の造営を開始。ここから、わび・さびを基調とした「東山文化」が花開していくわけですが、この「東山文化」とは、一体、どのような文化だったのか?今回は、なおも混乱する日本国内の情勢から、当時栄えていた文化に至るまで、じっくりと紐解いていきます。