<ラインナップ> 1219年1月、3代将軍・実朝が暗殺される。鎌倉幕府は藤原摂関家より、2歳の三寅を迎え、大きくなるまでは政子が尼将軍として義時を補佐することになった。 後鳥羽上皇が執権・北条義時追討の院宣を出し、「朝廷」対「鎌倉幕府」の「承久の乱」が始まる。 ●1219年1月 3代将軍・源実朝(28)が暗殺される。 ●1221年4月 朝廷側が体制強化へ “上皇3人”に…。その中の一人、順徳天皇が義時追討計画を進める。 ●1221年5月 後鳥羽上皇が「義時追討」の院宣を出す。 ●朝廷と幕府の争いとなる「承久の乱」がいよいよ始まる。 <内容> 1219年1月、鎌倉で3代将軍・源実朝が、甥の公暁に暗殺されます。実はこの事件、黒幕がいたと言われているのですが、一体、誰だったのでしょうか?将軍暗殺で幕府が混乱する中、後鳥羽上皇が「北条義時追討」の院宣を発し、挙兵します。こうして、朝廷と鎌倉幕府が激突する「承久の乱」へと発展するのですが、朝廷と対立することになった義時は、どのように御家人たちをまとめ、戦いに立ち上がったのでしょうか?今回は、義時が幕府の実権を握る中、朝廷と対決する「承久の乱」勃発前夜までを紐解きます。