<ラインナップ> いよいよ頼朝の邸宅が鎌倉に誕生。その一方で、平家では清盛が死去。 ●安房国に逃れていた頼朝は、兵力を約4万騎に拡大しながら10月鎌倉入り ●10月に源氏と平氏が富士川の戦いで激突 ●12月、鎌倉に頼朝の邸宅が完成 。これを「鎌倉殿」と呼んだ。 ●平氏軍は「南都焼き討ち」を行い、東大寺などが焼失。 ●1181年、平清盛が64歳で死去。 <内容> 今回は、「源平の戦い」の最中、源頼朝が「鎌倉殿」となる経緯を見ていきます。「石橋山の戦い」で敗れ安房に逃れた頼朝は、関東の豪族らに平家打倒を呼びかけながら勢力を集め、鎌倉に入る。しかし、なぜ初戦で敗れた頼朝に、多くの豪族が集まってきたのか?そして、次の「富士川の戦い」で平家軍と再び激突します。実は、この戦い、予想外の結末を迎えるのですが、それは一体!?「富士川の戦い」の翌日には、頼朝の弟・義経が戦いに合流。今に伝えられている2人の対面の様子とは?