仏教が政治や皇位継承にも深く関わってくる奈良時代中期から後期。 ●753年、唐の高層・鑑真が来日。 ●仏教と神祇信仰の融合が進み、各地に神宮寺が作られる。 ●孝謙太上天皇の病気を僧侶である道鏡が治したことで、道鏡が政治の中枢へ入ってくる。当時は、淳仁天皇と藤原仲麻呂が実権を握っていたが、孝謙太上天皇と道鏡は手を組み、これらの勢力と対立することに。 <内容> 仏教が政治や皇位継承にまで影響を与えた奈良時代後半、753年からのおよそ20年間を詳しく見ていきます。唐の高僧・鑑真(がんじん)が10年の歳月をかけ、6度目の挑戦で来日。失明してしまうほどの厳しい航海を乗り越えて鑑真が日本に伝えたかったこととは何だったのでしょうか?一方このころ、「仏教寺院」と「神社」が結びつく「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の動きが各地で激しくなります。それにはどんな背景があったのでしょうか?756年、光明皇太后が聖武太上天皇の遺品を東大寺に納めたことから正倉院が始まります。1200年の時を経てもなお輝きを放つ「正倉院宝物(ほうもつ)」の本当の魅力に迫ります。769年、称徳天皇に重用された僧侶・道鏡(どうきょう)が天皇に即位するかもしれないという前代未聞の事件が起こります。この「宇佐八幡神託事件」の裏にはまたしても宇佐八幡宮が関わっていました。果たしてその真相とは?