<ラインナップ> 〇ヤマト政権、朝鮮半島に進出 〇古墳時代中期に馬が導入。それまでは牛も馬もいなかった? 〇倭の国王とは誰だったのか <内容> 今回は古墳時代後半、390年代から500年代初頭を見ていきます。この頃、ヤマト王権はすでに活発な外交活動を展開していました。朝鮮半島にあった国の石碑には、当時「倭」と呼ばれたヤマト王権が、何度も朝鮮半島に進出したことが刻まれています。古墳時代にはすでに行われていた朝鮮半島への進出。その目的は何だったのでしょうか?中国の歴史書には「讃」「珍」「済」「興」「武」と名乗る、倭の5人の王が中国に使いを送ったことが記されています。「倭の五王」と呼ばれる王たちの正体とは?500年代になると、ヤマト王権は越の国と呼ばれた、現在の福井県より継体天皇を迎えます。そして、ヤマト王権最大の内乱が起こるのですが、その背景には一体何があったのでしょうか?