<嘉永7年(1854)~安政3年(1856)> ・プチャーチンが大坂湾に現れる ・安政東海地震、安政南海地震 ・日露和親条約 ・安政江戸地震 ・アメリカ総領事、ハリスが来日 <内容> 今回は、日露和親条約の締結と、幕末に立て続けに起こった大地震(安政三大地震)について詳しくお伝えする。 ロシアは、1792年にラクスマンが来日して以来、欧米諸国の中で、いち早く日本に貿易を求めていた。 ところが、1854年、アメリカのペリーが、幕府と日米和親条約を締結。日本は開国した。 先を越されたことを知ったロシア提督プチャーチンが、突如戦艦ディアナ号で大坂湾に進入。幕府に交渉を迫った。 その後、プチャーチンと幕府は、下田で交渉を開始するも、その翌日、南海トラフ沿いを震源とする安政東海地震が発生。 さらにその翌日には、やはり南海トラフ沿いを震源とする安政南海地震が発生。下田に停泊中のディアナ号にいたプチャーチンらロシア使節も、津波に巻き込まれ被災。 さらに、二つの大地震からおよそ1年後、今度は江戸で大地震が発生(安政江戸地震)。これらの自然災害が、日本の歴史に与えた影響とは!