<嘉永6年(1853)> ・ペリー琉球から小笠原諸島・父島に遠征 ・ペリー艦隊浦賀へ ・浦賀奉行がアメリカの国書受け取る ・ペリー退去 ・徳川家慶死去 ・プチャーチンが長崎へ来航 ・幕府、品川台場の築造開始 <内容> 今回は、いよいよペリー艦隊が浦賀に来航する。ところが、ペリーは浦賀の前に小笠原諸島の父島に向かう。父島に行った狙いとは? ペリーが浦賀に来航したとき、日本人は、初めて蒸気船と出会う。蒸気船を見た日本人は、どんな反応を示したのか? 幕府はアメリカの国書を受け取ったあと、すぐには回答を控え、諸大名や幕臣らに国書を公開し意見を募る。このとき、幕末に活躍を見せる勝海舟も意見を提出した。海舟はどんな意見を持っていたのか?